(語録)メディア論
2006年08月04日12:58
家に帰って、タイでずっと読みたかったマクルーハンの「メディア論」にようやく出会えました。 非常に難解な本なのですが、再度読んでみてやっぱり、面白い。
まだ全部読破できているわけではないのですが、言葉の節々にそのユニークな視点がちりばめられていて、散文的に読んだだけでも、とても刺激的だと感じます。 そうして、理解が進めば進むほど、その視点のユニークさや鋭さ、その視点を使って理解できる事の大きさに驚きます。
しかもこの本はインターネットが普及するずっと前1964年に書かれているのですが、この本を読んでいると、インターネットを髣髴させる事例に事欠かないのですが、それは、この30年という長い年月を以って、この本に書かれている事柄の抽象性の高さ・理論的な正しさを遠回りに裏付けているように思えます。
日本にいる間、このマクルーハンの「メディア論」を読んで面白いと思った事を語録形式で日記に書いてみようと思います。このマクルーハンのメディア論の面白さを知る人が少しでも増えれば幸いと思います。
業務連絡:mishiさん、絶対いい本だから読んでみてください。 mishiさんの代弁者の様な本です。 この語録を読んで気に入ったら是非買って読んでみてください。
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P378 第二段落 (意表をついて訳者あとがきから)
... メディア(すなわち、テクノロジー)は中性であるとする常識がある。功罪は用い方次第だというわけだ。しかし、これはメディア馬鹿の発言だ。 そうマクルーハンは言う。 人間は自覚しないままに自身の生み出したメディアによって変えられてしまう。それに対処するすべは無い。さしあたって、唯一の対処は、それをよりよく理解する事だというのである。 ...
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これを読んで、僕はWinnyの事を思い出さずにはいられませんでした。 僕はWinnyに害は無い、全てはそれを使う利用者の問題だと考えていました。 しかし、それはそうではなく、*そう利用できるからそう利用する人が現れるのだ*と考えられるのではないでしょうか。 さしづめ、素晴らしい泥棒道具があるから、泥棒という人間が現れるのだという事ではないでしょうか。
ここに関してはもっとたくさんの事が考えられると思います。
インターネットとコンピューターは、世の中のメディアを自由に作る事ができるメディア為のメディア、だと僕は思います。 そして、そのメディアはシステム屋(プログラマ)が作ります。
システム屋は、自分たちが作るシステムが、人間の存在のあり方自体を根本から変える破壊力があるということをもっと意識してもよいのではないかと、私は考えます。
(いささか強引ですが)だからこそ、僕が良く言っている「ユーザーの意図に反する動作を行うプログラム」の恐ろしさを理解して、そうではない、ユーザーの為だけに作られたプログラムの大切さを知らせる必要があるのではないかと感じます。
勿論、要素的に矛盾も含んでおり沢山考えるべき事が残っています。 でも、ここを考える以外に方法は無いと僕は思います。
勿論、今世間で主流のWinnyさえなくなれば全て解決する式の論法・著作権を保護する制約付きシステムを作る事が最も大切だ式論法を援助する物では決してありません。
まだ全部読破できているわけではないのですが、言葉の節々にそのユニークな視点がちりばめられていて、散文的に読んだだけでも、とても刺激的だと感じます。 そうして、理解が進めば進むほど、その視点のユニークさや鋭さ、その視点を使って理解できる事の大きさに驚きます。
しかもこの本はインターネットが普及するずっと前1964年に書かれているのですが、この本を読んでいると、インターネットを髣髴させる事例に事欠かないのですが、それは、この30年という長い年月を以って、この本に書かれている事柄の抽象性の高さ・理論的な正しさを遠回りに裏付けているように思えます。
日本にいる間、このマクルーハンの「メディア論」を読んで面白いと思った事を語録形式で日記に書いてみようと思います。このマクルーハンのメディア論の面白さを知る人が少しでも増えれば幸いと思います。
業務連絡:mishiさん、絶対いい本だから読んでみてください。 mishiさんの代弁者の様な本です。 この語録を読んで気に入ったら是非買って読んでみてください。
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P378 第二段落 (意表をついて訳者あとがきから)
... メディア(すなわち、テクノロジー)は中性であるとする常識がある。功罪は用い方次第だというわけだ。しかし、これはメディア馬鹿の発言だ。 そうマクルーハンは言う。 人間は自覚しないままに自身の生み出したメディアによって変えられてしまう。それに対処するすべは無い。さしあたって、唯一の対処は、それをよりよく理解する事だというのである。 ...
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これを読んで、僕はWinnyの事を思い出さずにはいられませんでした。 僕はWinnyに害は無い、全てはそれを使う利用者の問題だと考えていました。 しかし、それはそうではなく、*そう利用できるからそう利用する人が現れるのだ*と考えられるのではないでしょうか。 さしづめ、素晴らしい泥棒道具があるから、泥棒という人間が現れるのだという事ではないでしょうか。
ここに関してはもっとたくさんの事が考えられると思います。
インターネットとコンピューターは、世の中のメディアを自由に作る事ができるメディア為のメディア、だと僕は思います。 そして、そのメディアはシステム屋(プログラマ)が作ります。
システム屋は、自分たちが作るシステムが、人間の存在のあり方自体を根本から変える破壊力があるということをもっと意識してもよいのではないかと、私は考えます。
(いささか強引ですが)だからこそ、僕が良く言っている「ユーザーの意図に反する動作を行うプログラム」の恐ろしさを理解して、そうではない、ユーザーの為だけに作られたプログラムの大切さを知らせる必要があるのではないかと感じます。
勿論、要素的に矛盾も含んでおり沢山考えるべき事が残っています。 でも、ここを考える以外に方法は無いと僕は思います。
勿論、今世間で主流のWinnyさえなくなれば全て解決する式の論法・著作権を保護する制約付きシステムを作る事が最も大切だ式論法を援助する物では決してありません。
コメント一覧
mishi 2006年08月06日 01:48
翻訳のみすず書房初版ですが、読み始めてみました。
mishi 2006年08月07日 17:49
まだ断片的にしか読んでいませんが、おかあつさんがなぜこの本を推すのか、僕がちゃんと理解しているかどうかは、こんどお会いするときによかったら確かめてみてください。
原著が古いながらも、古いからこそかもしれないけど切り口が面白い預言書みたいな気分で読んでます。
ついでにマクルーハンの他の本も一緒に読んでみてたりします。
原著が古いながらも、古いからこそかもしれないけど切り口が面白い預言書みたいな気分で読んでます。
ついでにマクルーハンの他の本も一緒に読んでみてたりします。