PACKMAN と 名作の条件
2006年07月26日17:28
最近ひょんなことからNAMCO-GAME-MUSEUM を購入したのですが、この NAMCO-GAME-MUSEUMには、あの名作PACKMANが収録されていました。 PACKMANが大流行した1980年代、私は小学生でほとんど遊んだ覚えはありません。 小遣い全額の50円を投入しても1分もせずにゲームオーバーになってしまうからです。
昔、アメリカ人の書いた何かの文章で「パックマンは全ての状況判断力を活用するゲームである。パックマンは瞑想である。 」 とか書いている人を見たことがあり、パックマンというのは奥の深い面白いゲームなのだろうとは思っていましたが、なかなか機会がありませんでした。 というわけで今回遊んで見たのですが、パックマンというゲームは名作である条件を全て含んだ模範の様なゲームだということを知りました。
まず印象に残るのは、あのノリのよいカントリー調の音楽です。 誰でも一度聞いただけですぐ覚えてしまうあのノリのよい音楽の事です。 非常に短い、それでいてとても印象に残る音楽ではないでしょうか。
当時はハードウェアの性能が低く、表現力という面で見れば極めて厳しい制約がありました。 例えば、当時はメモリの値段が非常に高く、ROM容量にはKB単位の厳しい制約がありました。恐らく2~3分という長さの曲でさえコスト的には無理だったのではないかと想像します。 更に、当時はPCM音源がまだありませんでした。当時の一般的な音源はPSG音源と呼ばれ、三重和音以上の音声を同時に鳴らす事は不可能でした。
そんな極めて限られたスペースの中でもっとも効果的な音楽とは何か、ということを極限まで考えて作られた音楽があのカントリー調の音楽では無いかと私は思います。
次にあの効果音が挙げられます。 あのエサを食べる時の効果音「ワカワカワカ...」 という音のセンスです。老若男女誰が聞いてもなんともいえないユニークな面白い印象を与えます。 そして、あのヒュゥヒュゥというBGM効果音です。 恐らくあの音は、BGMを流したくても流せない当時のハードウェア制約に対する苦肉の策だったのではないかと思います。 しかし、餌の数が少なくなるに従がい徐々に音が高くなって行くように仕掛けられており、これがゲーマーの緊張感を、さりげなく、それでいながら、非常に効果的に演出します。 最小の音声で極めて高い効果を挙げているといえるのではないでしょうか。 私は、この思いつきは一つの発明と呼ぶに値するものではないかと感じます。
私はこのシンプルな音声がパックマンの要素の80%以上を占めているのではないかと感じます。 きっとパックマンからあの音楽を取り除いたら、あの面白さは全くなくなってしまうのではないでしょうか。 私は、パックマンの音楽は素晴らしいと思います。 このことは、80年代のコンピューターグラフィックス映画「TRON」の中の音声にこっそりとパックマンの音声が使われていた事からも知ることが出来ます。
また、ゲームに「コーヒーブレイク」という仕掛けを導入した最初のゲームがパックマンではないでしょうか。 追うモンスター追われるパックマン。 極めて限られた反撃のチャンス。 そういう状況で追い詰められたゲーマーを適度に休め、コミカルな寸劇で休めてくれるコーヒーブレイクは、ゲームにひとつのアクセントをつけています。 それだけでなく、次にはどんな寸劇が現れるのだろうかという好奇心をそそり、ゲームオーバーになっても思わず次のコインを入れてしまいます。
今では非常に一般的になった「くだもの」をとって高得点というシステムというシステムを最初に導入したのもパックマンではないでしょうか。 人は何故「くだもの」を見ると取りたくなるのでしょうか。 私は、パックマンを見たことがないタイ人の友達にパックマンをプレイさせたことがありました。「くだもの」が現れると「あっ!くだもの!」 と真っ先に取りに行ったのがとても印象に残りました。 しかし「くだもの」の周囲には常に危険が待っています。 「くだもの」に目がくらんだ友達はモンスターに食べられてしまいました。 果物を見るとほしくなるというような、ユング心理学を髣髴とさせるような誰でも普遍的に持っている心象イメージを、ゲームとして実世界に反映させたのもパックマンが最初ではないでしょうか。
「くだもの」の効果はそれだけに終わらず、「くだもの」の種類は各ステージごとに次々に変化していきます。 この変化は、もともと人が持っている収集本能に火をつけます。 その成果としてステージごとに下に並んでいく「くだもの」は、とても美しく、思わず全種類の「くだもの」を集めたくなってしまいます。
パックマンの面白さは、そのような素晴らしい装飾で彩られていますが、勿論、それだけがパックマンの面白さではありません。
パックマンの中心であるゲーム性の高さ・中毒性の高さは、あのモンスターの動きによって支えられています。あのパックマンに直行しないモンスターの動作は、ゲーマーに非常に意外な印象を与えゲームをスリリングに演出します。 それでいながら、はっきりした一定の規則性を持って動いているため、モンスターの動きは熟練することで予想できます。 これは、パックマンというゲームに極めて強力な中毒性を与えます。
それまでのゲームでは、敵機は自機に直行するかランダムな動作をするかのいずれかしかなく、比較的に簡単に誘導できるものが殆どでした。しかし、パックマンのモンスターは、よく考えられた一定のアルゴリズムを持ってパックマンを追いかける為、なかなか思うように誘導できません。 それだけに、熟練によりモンスターの動きを予測出来るようになり、次々にステージをクリアしていく爽快感は、それまでのゲームとは比較になりませんでした。
この様にパックマンは「初心者に対するポップさ」 と 「熟練者に対する中毒性」 の 両方を兼ね備え、名作の条件である「シンプルでありながら奥深い」 を満たしており、それだけでなく、創造的な効果音やBGMなどの芸術的な要素も兼ね備えている、名作中の名作といえると思います。
私は、ゲームに限らず、全てのシステムはこのような条件を満たすべきではないかと考えます。
─────────
予断ですが、私は、NAMCOのクリエイティビティーがPACKMAN以降下降の一途をたどっているのではないか、と感じることがすくなくありません。
80年代中盤から90年代まで NAMCOは上記の条件を満たしたゲームを数多く世に送り出しました。POLE POSITION / DRUAGA / GALAGA / GAPLUS / MAPPY / THE KING OF BALOON / XEVIOUS 等々 珠玉の名作の数々 全てが創造性に富んでおり、全てが完璧に名作の条件を兼ね備えていました。
ところが、これ以降は、残念な事に、クオリティーの低いゲームが増えたような感があります。 これは例えば、MS.PACKMAN に代表されるように思います。私が今まで挙げてきたような PACKMANの良さを全て削ぎ落とすとこのようなゲームになるのではないでしょうか。 品のないコーヒーブレイク、センスのかけらも感じさせない効果音、無意味に毎回変わる迷路。 私は MS.PACKMANはPACKMANに対する冒涜ではないかと感じる事があります。
これはNAMCO GAME MUSIC という 一連のゲームミュージックアルバムが堕落していく様からも伺えます。 NAMCO GAME MUSIC 1/ 2 は 非常に芸術性も高く、ライナーノーツも関係者による熱の入った素晴らしいものでした。 それ以降の 細野晴臣が監修したSUPER XEVIOUS や The Return of Video Game Musicは、ゲームミュージックという枠をも超えた、素晴らしいできばえで、NAMCOゲームミュージックシリーズの頂点を極めた感があります。 しかし、それ以降の堕落は凄まじいものがあり、特に NAMCO GAME MUSIC 3 にいたっては演歌やアイドルソングまで収録されるなど、全く、芸術性・センスのかけらも感ぜられないものでした。
参考
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005R6GY/249-3806873-9133111?v=glance&n=5174
勿論、NAMCOはそれ以降も、世に先駆けて3次元ゲーム 一連のVIRTUALシリーズを世に送り出すなどの、創造性の高さ発揮することもありましたが、全体的には、PACKMAN時代と比べてしまえば、精彩を欠いていた印象はぬぐえません。
昔、アメリカ人の書いた何かの文章で「パックマンは全ての状況判断力を活用するゲームである。パックマンは瞑想である。 」 とか書いている人を見たことがあり、パックマンというのは奥の深い面白いゲームなのだろうとは思っていましたが、なかなか機会がありませんでした。 というわけで今回遊んで見たのですが、パックマンというゲームは名作である条件を全て含んだ模範の様なゲームだということを知りました。
まず印象に残るのは、あのノリのよいカントリー調の音楽です。 誰でも一度聞いただけですぐ覚えてしまうあのノリのよい音楽の事です。 非常に短い、それでいてとても印象に残る音楽ではないでしょうか。
当時はハードウェアの性能が低く、表現力という面で見れば極めて厳しい制約がありました。 例えば、当時はメモリの値段が非常に高く、ROM容量にはKB単位の厳しい制約がありました。恐らく2~3分という長さの曲でさえコスト的には無理だったのではないかと想像します。 更に、当時はPCM音源がまだありませんでした。当時の一般的な音源はPSG音源と呼ばれ、三重和音以上の音声を同時に鳴らす事は不可能でした。
そんな極めて限られたスペースの中でもっとも効果的な音楽とは何か、ということを極限まで考えて作られた音楽があのカントリー調の音楽では無いかと私は思います。
次にあの効果音が挙げられます。 あのエサを食べる時の効果音「ワカワカワカ...」 という音のセンスです。老若男女誰が聞いてもなんともいえないユニークな面白い印象を与えます。 そして、あのヒュゥヒュゥというBGM効果音です。 恐らくあの音は、BGMを流したくても流せない当時のハードウェア制約に対する苦肉の策だったのではないかと思います。 しかし、餌の数が少なくなるに従がい徐々に音が高くなって行くように仕掛けられており、これがゲーマーの緊張感を、さりげなく、それでいながら、非常に効果的に演出します。 最小の音声で極めて高い効果を挙げているといえるのではないでしょうか。 私は、この思いつきは一つの発明と呼ぶに値するものではないかと感じます。
私はこのシンプルな音声がパックマンの要素の80%以上を占めているのではないかと感じます。 きっとパックマンからあの音楽を取り除いたら、あの面白さは全くなくなってしまうのではないでしょうか。 私は、パックマンの音楽は素晴らしいと思います。 このことは、80年代のコンピューターグラフィックス映画「TRON」の中の音声にこっそりとパックマンの音声が使われていた事からも知ることが出来ます。
また、ゲームに「コーヒーブレイク」という仕掛けを導入した最初のゲームがパックマンではないでしょうか。 追うモンスター追われるパックマン。 極めて限られた反撃のチャンス。 そういう状況で追い詰められたゲーマーを適度に休め、コミカルな寸劇で休めてくれるコーヒーブレイクは、ゲームにひとつのアクセントをつけています。 それだけでなく、次にはどんな寸劇が現れるのだろうかという好奇心をそそり、ゲームオーバーになっても思わず次のコインを入れてしまいます。
今では非常に一般的になった「くだもの」をとって高得点というシステムというシステムを最初に導入したのもパックマンではないでしょうか。 人は何故「くだもの」を見ると取りたくなるのでしょうか。 私は、パックマンを見たことがないタイ人の友達にパックマンをプレイさせたことがありました。「くだもの」が現れると「あっ!くだもの!」 と真っ先に取りに行ったのがとても印象に残りました。 しかし「くだもの」の周囲には常に危険が待っています。 「くだもの」に目がくらんだ友達はモンスターに食べられてしまいました。 果物を見るとほしくなるというような、ユング心理学を髣髴とさせるような誰でも普遍的に持っている心象イメージを、ゲームとして実世界に反映させたのもパックマンが最初ではないでしょうか。
「くだもの」の効果はそれだけに終わらず、「くだもの」の種類は各ステージごとに次々に変化していきます。 この変化は、もともと人が持っている収集本能に火をつけます。 その成果としてステージごとに下に並んでいく「くだもの」は、とても美しく、思わず全種類の「くだもの」を集めたくなってしまいます。
パックマンの面白さは、そのような素晴らしい装飾で彩られていますが、勿論、それだけがパックマンの面白さではありません。
パックマンの中心であるゲーム性の高さ・中毒性の高さは、あのモンスターの動きによって支えられています。あのパックマンに直行しないモンスターの動作は、ゲーマーに非常に意外な印象を与えゲームをスリリングに演出します。 それでいながら、はっきりした一定の規則性を持って動いているため、モンスターの動きは熟練することで予想できます。 これは、パックマンというゲームに極めて強力な中毒性を与えます。
それまでのゲームでは、敵機は自機に直行するかランダムな動作をするかのいずれかしかなく、比較的に簡単に誘導できるものが殆どでした。しかし、パックマンのモンスターは、よく考えられた一定のアルゴリズムを持ってパックマンを追いかける為、なかなか思うように誘導できません。 それだけに、熟練によりモンスターの動きを予測出来るようになり、次々にステージをクリアしていく爽快感は、それまでのゲームとは比較になりませんでした。
この様にパックマンは「初心者に対するポップさ」 と 「熟練者に対する中毒性」 の 両方を兼ね備え、名作の条件である「シンプルでありながら奥深い」 を満たしており、それだけでなく、創造的な効果音やBGMなどの芸術的な要素も兼ね備えている、名作中の名作といえると思います。
私は、ゲームに限らず、全てのシステムはこのような条件を満たすべきではないかと考えます。
─────────
予断ですが、私は、NAMCOのクリエイティビティーがPACKMAN以降下降の一途をたどっているのではないか、と感じることがすくなくありません。
80年代中盤から90年代まで NAMCOは上記の条件を満たしたゲームを数多く世に送り出しました。POLE POSITION / DRUAGA / GALAGA / GAPLUS / MAPPY / THE KING OF BALOON / XEVIOUS 等々 珠玉の名作の数々 全てが創造性に富んでおり、全てが完璧に名作の条件を兼ね備えていました。
ところが、これ以降は、残念な事に、クオリティーの低いゲームが増えたような感があります。 これは例えば、MS.PACKMAN に代表されるように思います。私が今まで挙げてきたような PACKMANの良さを全て削ぎ落とすとこのようなゲームになるのではないでしょうか。 品のないコーヒーブレイク、センスのかけらも感じさせない効果音、無意味に毎回変わる迷路。 私は MS.PACKMANはPACKMANに対する冒涜ではないかと感じる事があります。
これはNAMCO GAME MUSIC という 一連のゲームミュージックアルバムが堕落していく様からも伺えます。 NAMCO GAME MUSIC 1/ 2 は 非常に芸術性も高く、ライナーノーツも関係者による熱の入った素晴らしいものでした。 それ以降の 細野晴臣が監修したSUPER XEVIOUS や The Return of Video Game Musicは、ゲームミュージックという枠をも超えた、素晴らしいできばえで、NAMCOゲームミュージックシリーズの頂点を極めた感があります。 しかし、それ以降の堕落は凄まじいものがあり、特に NAMCO GAME MUSIC 3 にいたっては演歌やアイドルソングまで収録されるなど、全く、芸術性・センスのかけらも感ぜられないものでした。
参考
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00005R6GY/249-3806873-9133111?v=glance&n=5174
勿論、NAMCOはそれ以降も、世に先駆けて3次元ゲーム 一連のVIRTUALシリーズを世に送り出すなどの、創造性の高さ発揮することもありましたが、全体的には、PACKMAN時代と比べてしまえば、精彩を欠いていた印象はぬぐえません。
コメント一覧
矢本 2006年07月26日 20:20
> 「くだもの」に目がくらんだ友達はモンスターに食べられてしまいました。
なにかこう、おとぎ話のような
すばらしいセンテンスですね。
なにかこう、おとぎ話のような
すばらしいセンテンスですね。