(メモ) 【中国】冷静に受け止めたい昭和天皇のご意思
2006年07月25日19:26
【中国】冷静に受け止めたい昭和天皇のご意思
中国を読み解く視点(19)-高井潔司(北海道大学教授)
昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯合祀について不快感を示されていたことを証明する当時の宮内庁長官のメモが、日経新聞のスクープによって明らかにされた。日経以外のほとんどの新聞も一面トップで後追いしたほどの見事なスクープだった。
近隣諸国との摩擦の拡大にも関わらず、小泉首相の8月15日参拝断行の観測が高まる中でのスクープは、その扱いから見ても今年最大の衝撃的なニュースといえるかもしれない。だが、今後の影響を考える上でも、昭和天皇のご意思は冷静に受け止めたいものだ。
◆本当に衝撃的だったのか
天邪鬼のようだが、私は今回このスクープをそれほど衝撃的なニュースとは受け止めなかった。そもそも1978年以来、昭和、平成天皇が靖国参拝を取りやめているのは、(1)昭和天皇自身の意思(2)三木元首相が公式参拝ではなく私人としての参拝を表明したため、公人たるべき天皇が参拝できなくなった―― の二説があった。私は昭和天皇の太平洋戦争に対する様々なコメントなどから見て、(1)の説が正しいと考えてきた。
日経の報道を見て、実はいつも様々なアドバイスを頂いている矢吹晋・横浜市立大学名誉教授に、「これは本当にニュースなんですか。このようなメモの存在はすでに明らかになっていたような気もします。先生の著作の中で触れていませんでしたか」と問い合わせた。早速返信メールが届いた。
+++++++++++++++
私の『風穴』(正式タイトルは『日中の風穴 未来に向かう日中関係』勉誠出版、2004年)は、116ページで天皇の「うれひは深し」を中曽根との関係で書いています。いまホームページを探したら、こんなブログが有りました。
July15,2005 天皇を利用しているのは誰か?
以前書いた記事「不敬であるのは誰か?」とその関連記事「昭和天皇は何を詠ったか?」、「天皇制のあり方」は、このBlogの他の記事に比べても、非常に閲覧者が多い(天皇の影響力恐るべし)。ところで上記の記事で展開した説を支持する本を偶然見つけた。
岩見隆夫『陛下の御質問』によると、元総理大臣である中曽根康弘氏の靖国への公式参拝中止に際しては、このようなことがあったという。
まもなく、富田朝彦宮内庁長官から中曽根のもとに、天皇の伝言がもたらされた。「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった、よくやった、そういう気持ちを伝えなさい」と陛下から言われております。
+++++++++++++++
矢吹教授によると、これまで今回のように昭和天皇の意思をはっきりと明らかにした資料はなかったが、それでも上のブログにあるように、昭和天皇が靖国参拝を自らの意思で取りやめていた状況証拠として、86年の中曽根首相(当時)の参拝中止に対する昭和天皇の賛辞などを挙げる。冒頭に出てくる昭和天皇のお歌とは、
「この日にもまた 靖国の
みやしろのこと
うれひはふかし」
という1986年に詠まれた天皇の和歌である。矢吹教授は「この和歌と合祀以後に参拝していない事実などによって、平成天皇もこの遺訓を守っていることは、明々白々の事実です。富田メモが発見されたといって、騒いでいるのは滑稽千万。早い話が私が先にお送りしたブログからわかるように、富田メモは昨年の時点で明らかになっていた模様」と追伸を送ってきた。
ところが、この歌をもって、逆に、靖国に参拝したくてもできない思いを詠んでいると、天皇の思いを取り違え、矢吹教授を不敬だと批判する評論家もかなりいるそうだ。実はこのほかにも徳川義寛元侍従長ら天皇の側近も天皇の真意を明らかにしていた。ただ天皇を利用しようとする人々が、デマを振りまき、勝手な解釈と振る舞いをしてきたのだ。
◆「参拝」は心だけの問題ではないはずだ
今回明らかになった昭和天皇のご意思をそれほど衝撃的に受け止めなかったのは私だけでないようだ。靖国参拝を重ねる小泉首相もその一人である。「心の問題ですから、あの人があの方が言われたからとか、(参拝が)いいとか悪いとかいう問題でもない」と、自らの参拝問題とは関係しないとの立場を表明したのである。かなり強がりとも言えるが、この人の「心」の構造はどうなっているのだろうか。たとえ「心の問題」としても、心の外にある事情や条件を受けて形成されるわけだろう。早い話が小泉首相の参拝だって、「心ならずも戦争によって犠牲になられた方々」がそこに祀られていて、はじめて成り立つものだ。その合祀のプロセスに天皇自身は大きく関わる仕組みになっている。そのご本人が合祀に不快感を示しているのに、それを「心の問題」と強弁する小泉首相の心はさっぱり理解できない。
A級戦犯の合祀を断行し、昭和天皇から今回のメモの中で厳しい批判を受けた松平永芳宮司は、雑誌『諸君』の92年12月号に掲載の「誰が御霊を汚したのか――『靖国』奉仕十四年の無念」と題した文章の中で、合祀に至った経緯をこう説明している。
「いわゆるA級戦犯合祀のことですが、私は就任前から、『すべて日本が悪い』という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました。それで、就任早々書類や総代会議事録を調べますと、その数年前に、総代さんのほうから『最終的にA級はどうするんだ』という質問があって、合祀は既定のこと、ただその時期が宮司預りとなっていたんですね。私の就任したのは53年7月で、10月には年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく、そういう書類をつくる関係があるので、9月の少し前でしたが、『まだ間にあうか』と係に聞いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって十四柱(A級戦犯)をお入れしたわけです」
いうまでもなく昭和天皇は、松平宮司のような東京裁判史観を共有していない。したがってA級戦犯の合祀に不快感を示されたのだろう。それ以上に注目したいのは、合祀の裁可は戦前、靖国神社側から上奏して天皇から受けていたことだ。松平宮司のいうように、靖国側では現在もこのプロセスを踏襲している。しかし現在では一宗教法人に過ぎない靖国神社に対し、宮内庁が公式にそのような手続きに関与できないはずだ。恐らく形式的に名簿を宮内庁に送り、戦前に手続きを倣って進められているに違いない。もちろん裁可はしていないはずだ。
ということは、A級戦犯の合祀は、宮内庁で裁可も却下もできないことを悪用して勝手に進めたことになる。そうしたことも、昭和天皇の不快感を高めたのであろう。「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と」と述べられたのも、そのためだろう。昭和天皇のご意思、すなわち小泉首相のいう「あのお方の心の問題」もこのような経緯によって形成されたものだ。小泉首相も「心の問題」と突っぱねないで、やはり自らの「心」を説明する責任がある。そうでないと、昭和天皇のご意思同様、様々な誤解や悪用に晒されることにつながるだろう。
◆この時点のメモ公開の目的は何だったのか
それにしても、マスコミはこぞって日経新聞を大きな扱いで後追いしたが、この時点で、一体誰が、何のためにこのメモを日経新聞に流して記事を書かせたのか、さっぱり報道していない。これは私がいくら札幌で歯がんで見ても、情報をえることはできない。もっとも目的などはいずれ明らかにされるとして、その影響はどうだろうか。
8月15日の小泉首相の靖国参拝はやりにくくはなっただろう。だが、この人の場合、他人にとやかく言われれば言われるほど頑なになるだけに、参拝を断行する可能性は高いだろう。問題は、福田康夫氏の総裁選不出馬で、独り相撲になりそうな安倍晋三官房長官への影響だ。
一部の新聞には、このメモによって、総裁選において安倍氏に逆風が吹くといった分析をする記事があった。だが、それはあまりにも表面的な分析だろう。もし、このメモ報道がなければ、小泉首相が参拝すれば、安倍長官も参拝を踏襲せざるを得ないだろう。小泉首相の後継者なのだから。
しかし、それでは最初からアジア外交の幅を狭めてしまう。今回のメモの“発掘”は、安倍氏に、小泉後継としての参拝の継続に加えて、昭和天皇のご意思を尊重して参拝の見送りという選択の幅を広げる効果をもたらすのではないだろうか。安倍氏は世論の動向を見るのがうまいし、その方向を操作しているのではないかと疑いたくなるほど機敏である。メモ報道をきっかけに、あらたな状況に照らして自らの行動を決める。その行動の幅を広げる効果があったといえるのではないか。
(サーチナ・中国情報局) - 7月25日12時50分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060725-00000006-scn-cn&kz=cn
中国を読み解く視点(19)-高井潔司(北海道大学教授)
昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯合祀について不快感を示されていたことを証明する当時の宮内庁長官のメモが、日経新聞のスクープによって明らかにされた。日経以外のほとんどの新聞も一面トップで後追いしたほどの見事なスクープだった。
近隣諸国との摩擦の拡大にも関わらず、小泉首相の8月15日参拝断行の観測が高まる中でのスクープは、その扱いから見ても今年最大の衝撃的なニュースといえるかもしれない。だが、今後の影響を考える上でも、昭和天皇のご意思は冷静に受け止めたいものだ。
◆本当に衝撃的だったのか
天邪鬼のようだが、私は今回このスクープをそれほど衝撃的なニュースとは受け止めなかった。そもそも1978年以来、昭和、平成天皇が靖国参拝を取りやめているのは、(1)昭和天皇自身の意思(2)三木元首相が公式参拝ではなく私人としての参拝を表明したため、公人たるべき天皇が参拝できなくなった―― の二説があった。私は昭和天皇の太平洋戦争に対する様々なコメントなどから見て、(1)の説が正しいと考えてきた。
日経の報道を見て、実はいつも様々なアドバイスを頂いている矢吹晋・横浜市立大学名誉教授に、「これは本当にニュースなんですか。このようなメモの存在はすでに明らかになっていたような気もします。先生の著作の中で触れていませんでしたか」と問い合わせた。早速返信メールが届いた。
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私の『風穴』(正式タイトルは『日中の風穴 未来に向かう日中関係』勉誠出版、2004年)は、116ページで天皇の「うれひは深し」を中曽根との関係で書いています。いまホームページを探したら、こんなブログが有りました。
July15,2005 天皇を利用しているのは誰か?
以前書いた記事「不敬であるのは誰か?」とその関連記事「昭和天皇は何を詠ったか?」、「天皇制のあり方」は、このBlogの他の記事に比べても、非常に閲覧者が多い(天皇の影響力恐るべし)。ところで上記の記事で展開した説を支持する本を偶然見つけた。
岩見隆夫『陛下の御質問』によると、元総理大臣である中曽根康弘氏の靖国への公式参拝中止に際しては、このようなことがあったという。
まもなく、富田朝彦宮内庁長官から中曽根のもとに、天皇の伝言がもたらされた。「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった、よくやった、そういう気持ちを伝えなさい」と陛下から言われております。
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矢吹教授によると、これまで今回のように昭和天皇の意思をはっきりと明らかにした資料はなかったが、それでも上のブログにあるように、昭和天皇が靖国参拝を自らの意思で取りやめていた状況証拠として、86年の中曽根首相(当時)の参拝中止に対する昭和天皇の賛辞などを挙げる。冒頭に出てくる昭和天皇のお歌とは、
「この日にもまた 靖国の
みやしろのこと
うれひはふかし」
という1986年に詠まれた天皇の和歌である。矢吹教授は「この和歌と合祀以後に参拝していない事実などによって、平成天皇もこの遺訓を守っていることは、明々白々の事実です。富田メモが発見されたといって、騒いでいるのは滑稽千万。早い話が私が先にお送りしたブログからわかるように、富田メモは昨年の時点で明らかになっていた模様」と追伸を送ってきた。
ところが、この歌をもって、逆に、靖国に参拝したくてもできない思いを詠んでいると、天皇の思いを取り違え、矢吹教授を不敬だと批判する評論家もかなりいるそうだ。実はこのほかにも徳川義寛元侍従長ら天皇の側近も天皇の真意を明らかにしていた。ただ天皇を利用しようとする人々が、デマを振りまき、勝手な解釈と振る舞いをしてきたのだ。
◆「参拝」は心だけの問題ではないはずだ
今回明らかになった昭和天皇のご意思をそれほど衝撃的に受け止めなかったのは私だけでないようだ。靖国参拝を重ねる小泉首相もその一人である。「心の問題ですから、あの人があの方が言われたからとか、(参拝が)いいとか悪いとかいう問題でもない」と、自らの参拝問題とは関係しないとの立場を表明したのである。かなり強がりとも言えるが、この人の「心」の構造はどうなっているのだろうか。たとえ「心の問題」としても、心の外にある事情や条件を受けて形成されるわけだろう。早い話が小泉首相の参拝だって、「心ならずも戦争によって犠牲になられた方々」がそこに祀られていて、はじめて成り立つものだ。その合祀のプロセスに天皇自身は大きく関わる仕組みになっている。そのご本人が合祀に不快感を示しているのに、それを「心の問題」と強弁する小泉首相の心はさっぱり理解できない。
A級戦犯の合祀を断行し、昭和天皇から今回のメモの中で厳しい批判を受けた松平永芳宮司は、雑誌『諸君』の92年12月号に掲載の「誰が御霊を汚したのか――『靖国』奉仕十四年の無念」と題した文章の中で、合祀に至った経緯をこう説明している。
「いわゆるA級戦犯合祀のことですが、私は就任前から、『すべて日本が悪い』という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました。それで、就任早々書類や総代会議事録を調べますと、その数年前に、総代さんのほうから『最終的にA級はどうするんだ』という質問があって、合祀は既定のこと、ただその時期が宮司預りとなっていたんですね。私の就任したのは53年7月で、10月には年に一度の合祀祭がある。合祀するときは、昔は上奏してご裁可をいただいたのですが、今でも慣習によって上奏簿を御所へもっていく、そういう書類をつくる関係があるので、9月の少し前でしたが、『まだ間にあうか』と係に聞いたところ、大丈夫だという。それならと千数百柱をお祀りした中に、思いきって十四柱(A級戦犯)をお入れしたわけです」
いうまでもなく昭和天皇は、松平宮司のような東京裁判史観を共有していない。したがってA級戦犯の合祀に不快感を示されたのだろう。それ以上に注目したいのは、合祀の裁可は戦前、靖国神社側から上奏して天皇から受けていたことだ。松平宮司のいうように、靖国側では現在もこのプロセスを踏襲している。しかし現在では一宗教法人に過ぎない靖国神社に対し、宮内庁が公式にそのような手続きに関与できないはずだ。恐らく形式的に名簿を宮内庁に送り、戦前に手続きを倣って進められているに違いない。もちろん裁可はしていないはずだ。
ということは、A級戦犯の合祀は、宮内庁で裁可も却下もできないことを悪用して勝手に進めたことになる。そうしたことも、昭和天皇の不快感を高めたのであろう。「松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々と」と述べられたのも、そのためだろう。昭和天皇のご意思、すなわち小泉首相のいう「あのお方の心の問題」もこのような経緯によって形成されたものだ。小泉首相も「心の問題」と突っぱねないで、やはり自らの「心」を説明する責任がある。そうでないと、昭和天皇のご意思同様、様々な誤解や悪用に晒されることにつながるだろう。
◆この時点のメモ公開の目的は何だったのか
それにしても、マスコミはこぞって日経新聞を大きな扱いで後追いしたが、この時点で、一体誰が、何のためにこのメモを日経新聞に流して記事を書かせたのか、さっぱり報道していない。これは私がいくら札幌で歯がんで見ても、情報をえることはできない。もっとも目的などはいずれ明らかにされるとして、その影響はどうだろうか。
8月15日の小泉首相の靖国参拝はやりにくくはなっただろう。だが、この人の場合、他人にとやかく言われれば言われるほど頑なになるだけに、参拝を断行する可能性は高いだろう。問題は、福田康夫氏の総裁選不出馬で、独り相撲になりそうな安倍晋三官房長官への影響だ。
一部の新聞には、このメモによって、総裁選において安倍氏に逆風が吹くといった分析をする記事があった。だが、それはあまりにも表面的な分析だろう。もし、このメモ報道がなければ、小泉首相が参拝すれば、安倍長官も参拝を踏襲せざるを得ないだろう。小泉首相の後継者なのだから。
しかし、それでは最初からアジア外交の幅を狭めてしまう。今回のメモの“発掘”は、安倍氏に、小泉後継としての参拝の継続に加えて、昭和天皇のご意思を尊重して参拝の見送りという選択の幅を広げる効果をもたらすのではないだろうか。安倍氏は世論の動向を見るのがうまいし、その方向を操作しているのではないかと疑いたくなるほど機敏である。メモ報道をきっかけに、あらたな状況に照らして自らの行動を決める。その行動の幅を広げる効果があったといえるのではないか。
(サーチナ・中国情報局) - 7月25日12時50分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060725-00000006-scn-cn&kz=cn
コメント一覧
miy 2006年07月25日 20:24
アメリカ云々、東京裁判云々とは別として、
本当に國を靖じるために命を捧げた人だったかどうか。
そこが(自分にとっては)問題なんだけどな。
どうも外的要素に影響されすぎた議論が多いような気がする。
本当に國を靖じるために命を捧げた人だったかどうか。
そこが(自分にとっては)問題なんだけどな。
どうも外的要素に影響されすぎた議論が多いような気がする。
JUN 2006年07月26日 01:35
戦争については、史実が隠蔽された歴史の教科書で勉強させられた我々には、情報が少なく判断できない事が多いですね。
昭和天皇は周りにそそのかされて戦争を始めて、自分の意志で戦争を止めた...みたいなことを言っていました。
最終的にA級戦犯とのわだかまりがあったことは間違いないにせよ、天皇陛下万歳と叫ぶ戦争だった訳で、"終戦=天皇制廃止"が選ぶべき道ではなかったのかと思います。
そういった決断ができない線の細い昆虫学者の昭和天皇が、合祀に不快を表していたとしても、どれだけ深い想いで書き留めたメモなのか疑念を感じます。
だからといって参拝に賛成する訳はありません。
A級戦犯だって日本の為に戦った、死んだらただの仏様、確かにそのとおりです。しかし、戦争には対戦相手がいるわけで、近隣諸国は侵攻された被害者です。ただの仏様なら、わざわざ被害者の気持ちを逆なでする様な、戦争を象徴する神社で弔う必要はないはずです。
まず、我々に事実を教育すること。
戦争責任について、国としてけじめを付けること。
ここから全てが始まると思います。
何も事実を明らかにせず、一国の首相がタカ派の票田を狙って参拝する、なんて軽率な国になってしまったのでしょうか。
昭和天皇は周りにそそのかされて戦争を始めて、自分の意志で戦争を止めた...みたいなことを言っていました。
最終的にA級戦犯とのわだかまりがあったことは間違いないにせよ、天皇陛下万歳と叫ぶ戦争だった訳で、"終戦=天皇制廃止"が選ぶべき道ではなかったのかと思います。
そういった決断ができない線の細い昆虫学者の昭和天皇が、合祀に不快を表していたとしても、どれだけ深い想いで書き留めたメモなのか疑念を感じます。
だからといって参拝に賛成する訳はありません。
A級戦犯だって日本の為に戦った、死んだらただの仏様、確かにそのとおりです。しかし、戦争には対戦相手がいるわけで、近隣諸国は侵攻された被害者です。ただの仏様なら、わざわざ被害者の気持ちを逆なでする様な、戦争を象徴する神社で弔う必要はないはずです。
まず、我々に事実を教育すること。
戦争責任について、国としてけじめを付けること。
ここから全てが始まると思います。
何も事実を明らかにせず、一国の首相がタカ派の票田を狙って参拝する、なんて軽率な国になってしまったのでしょうか。