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2006年5月28日日曜日

タイ語が上達して思った事 (mixi05-u459989-200605281554)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
タイ語が上達して思った事
2006年05月28日15:54
1:28 2006/05/28

また、ウドンタニーに帰ってきた。 今回、バンコクに行って僕はタイ語が急激にうまくなった事を感じた。 タイ語が話せる強い手ごたえをつかんだ。 だから、ウドンタニーに帰ってからも躊躇せずにどんどんタイ語を話そうと思ったのだが、行きつけのホテルに戻って来てタイ語を話したら、僕は、元通りタイ語が上手じゃない人になっていた。 全然通じないのだ。

僕は、確信した。

僕のタイ語が下手なのではなくて、このウドンタニーの住民、イサーン人のタイ語が下手なのだ。 外国人の僕のほうがタイ語が上手なんておかしな話だが、これこそが事実なのだと思う。

タイという国は、ラオス・ミャンマー・ベトナム・カンボジアと色々な国に囲まれている国である。 歴史的にも、色々な民族が出たり入ったり混ざったりして、とても複雑だ。

物の本によると、今でこそ、ちゃんとタイという国があるけども、もともと住んでいた○○民族がいたところに、北のほうから新天地を求めて下ってきた××民族が色々紆余曲折あったのち作った国がタイなのだそうだ。

イサーン地方はタイ文化よりは、どちらかというとラオスの文化を色濃く引き継いでいる地域だが、恐らくは、来たから下ってきた民族ではなくて、もともとここに住んでいた土着の○○民族なんだと思う。

街に出てよく耳を澄ましてみれば、ほとんどの人はタイ語ではなくてイサーン語を話している。

普段イサーン地方にいる僕は、バンコクに行ったとき、子供がタイ語を話しているのを見ると、結構驚いてしまう。 考えてみれば、タイ人の子供がタイ語を話すのは当たり前なのだが、僕が住んでいるイサーン地方では、子供は例外なくイサーン語を話すので、そればかり見ていた僕は、なんとなく驚いてしまうのだ。 それくらい、イサーン地方はタイ語が普及していない。

海に囲まれ、方言こそあれど国民全員がネイティブとして日本語を話すこの日本に住んでいる我々には全く想像もつかないことだが、この地方の人は、タイ人なのにタイ語がネイティブではないのだ。 イサーン人にタイ語を期待してはいけない。



ちょっと脱線するけど、日本人は、語学が下手であるといわれて久しい。 この間、高校の試験で英語のリスニングが採用されたという話を聞いて、がっかりしてしまった。 テストを厳しくすればレベルも上がると思っているのだろうか。 実際には、テストを厳しくすればするほど、人々に出来ないというトラウマばかりを与えてレベルは下がるのだ。

語学は、その言葉に触れている時間が長ければ長いほど上達する。実際にその国に行って生活すれば、一日12時間ずっとその言葉を聞き続けることになる。 3ヶ月もそういう状況にいれば、嫌でも色々な言葉が耳に入ってくるものだ。

日本で、それも、外国人と触れ合う機会が極端に少ない日本で、一日30分程度リスニング用教材テープを聞いたくらいで、語学が伸びる訳が無いのだが、この国の英語の教育に携わっている人はそんな単純な事も見抜けないのだろうか。

そういう状況下で『闘える状態』になっていない子供にそんな厳しいテストを強いても出来るわけ無い。 出来ないものを無理やりやらせれば、トラウマになるだけだ。 その人に「絶対出来ない」という強力で否定的な信念を与えてしまい、学習意欲をそぐ。

語学のコツは「はなせなくてもはなすこと」「わからなくてもとまらず読むこと」「聞こえなくても止まらず聞くこと」「書けなくてもくふうして書くこと」と言う。(そういってるのは僕だけか) 日本式に、わからないところで繰り返し戻って確実に覚えていく学習方法だと、年月と共に不要な知識ばかりが山積するだけで、いくらやっても使えるようにはならない。



ところで、今回のバンコク旅行では連れが調子悪くなってバンコクの中心部から離れたところにある病院まで行ったのだった。 僕は、中心部しか行った事がなかったので郊外に行くのは今回が初めてだった。 このあたりに来ると、いくらバンコクといえど、ほとんど外国人はいないようだった。

病院についてから隣のコンビニに行った。 あれこれと商品棚から必要な物を取り、レジへ行った。 それで、ふと、そういえば、カード式携帯電話のポイントが切れていることを思い出した。

レジの女の子にタイ語で、「すみません、リフィールありますか?」と聞いた。

「リフィール???」
「あの、ほら、カードのね。リフィールだよ!」
「ありません!」
「そんなわけ無いよ!絶対あるって!」
「( ̄□ ̄)=3 えー!ちょっとまってー! あー!英語わからないよー! ちょっとー(隣の子に)あんた話してよー」
「いや、僕、今タイ語はなしてるでしょ! あの電話のカードね!ワンツーコールの!」
「あ、あります」
「それです。ください。」
「はい.... (._.*)」

なんというか、きわめて日本人的な顔と背格好と服装で歩いている僕が、いきなりタイ語を話すというのは、結構タイ人的にはショッキングらしい。この子みたいに、ちゃんとタイ語を話しているのに、外国語を話されてると思ってパニック状態になっちゃう女の子とか、僕がタイ語で話してるのに、ずっと英語で返答する人とか、酷いときだと、返答は英語ままで、散々タイ語で話をきいたくせに、最後にタイ語は大丈夫ですか?って聞かれたりとか、なんだか訳がわからない。

外国人が少ないところだからこうなるのか、といえばそうでもなくて、外国人がメチャメチャ多い国際線空港のバーガーキングとかでも、こういうことによくなる。

昨日も、バーガーキングで「1番セット下さい」って行ったら、「は?」って言われてしまった。 というか、ここでタイ語を話してまともに一回で聞き取られた事は一度も無いのだけど。 ガイジン多いところでガイジンがいきなりタイ語を話すと、一瞬何語で話しかけられているのかわからなくなるのだ。 とはいえ、何度も何度も言い直して頭に来てしまったので「あなた!タイ人じゃないんですか?」と、言ってしまった。 そうしたら、更にきょとんとしてしまった。

これは、どういうことなんだろうか。

もし、日本で、聞いた事も無いような国から来た、アフリカの色とりどりの民族衣装を身にまとった見るからにガイジンである黒人が、モスバーガーにやって来て、突如流暢に、「済みません、焼肉ライスバーガー2つと、玄米シェーク1つ下さい」 とか注文したら、「は?」ってなるかもしれない。 そうしたらいきなり怒り始めて、ニコリともせずに「あなた日本人でしょ?日本語わかりますか?」とか言われたら、更にポカンとなるかもしれない。そこまで極端ではないにせよ、そういう心理に近いものがあるのかもしれない。

とはいえ、「だから、タイ人は駄目なんだ!」とか言うのは、僕は好きではない。

僕は、「アダプティブシンキング(Adoptive Thinking)※」 をモットーとしているので、出来るだけ工夫はしている。 例えば、必ずタイ語で挨拶をしてから話しかけるとか、この人はタイ語を話せるんだ、という事をきちんとアピールした上で話したりするようにしている。 これで、大分問題は起こりづらくなる。 でも、こうやって工夫しても結構そういう変な事はよく起こる。



ところで、後でわかった事なのだけど、バーガーキングで働いていたその女の子は、実はイサーン人だったのだ。 恐らくは、彼女は、イサーン語と英語は話せるのだが、タイ語はあまり上手ではなかったのだと思う。 実際、僕もイサーン地方に住んで、そういう人はよく見た事があった。

それを知ったとき、僕はものすごく罪の意識を感じた。かわいそうな事をしたと感じた。 そこから飛び出して、謝りに行こうかと思ったぐらいだった。本当の事というのは、一度見ただけでは、なかなか理解できないものだと思った。

タイ語がネイティブではないという事は、社会生活を送る上でどんなに大きなハンディになることだろう。

イサーン人はタイではバカ扱いされている。 それは、 このことと無関係ではない。 難しい話をされてもタイ語ネイティブじゃないのですぐに理解できないのだ。

僕は、このことについて考える時、アメリカにいた時いきなり英語で難しい話をされ理解できなくてバカ扱いされた事、それにまつわる悔しい様々な顛末を思い出す。


差別の無い社会という物は、現実的にあるとすれば差別反対を訴えている人のイメージしているものとは大きく異なるのではないだろうか。
コメント一覧
禅   2006年05月29日 17:31
いつ日本に帰るの?
ごーやん   2006年07月29日 10:47
>僕のタイ語が下手なのではなくて、このウドンタニーの住民、
>イサーン人のタイ語が下手なのだ。

めちゃポジティブシンキングですね(笑)。でもそうなのかも。僕の周りには(コンケンなのに)イサーン語を話す人が少ないのでそのへんはよく分かりません。

大学の生徒達にも聞いてみましたが、彼らはイサーン出身の子がほとんどにもかかわらず、イサーン語を話すのは屋台のおばちゃんと話する時ぐらいしかないそうです。
おかあつ   2006年07月29日 13:54
>めちゃポジティブシンキングですね(笑)

外人としてそこに踏み込むのは結構勇気のいる事です。しかし、それが現実です。

この文章は、久しぶりにバンコクにいって、あぁなんだ僕でもちゃんとタイ語通じてるじゃない、と思った事ときに書いたのです。 そのときかなりタイ語が通じない事で悩んでいたので、それはかなり驚きでした。

ウドンタニーは、大げさでなく、タイ語がうまい人とそうで無い人がおり、タイ語が得意で無い人は、外人としてかなり気をつけて話す必要があります。

>僕の周りには(コンケンなのに)イサーン語を話す人が少ないのでそのへんはよく分かりません。

教育をきちんと受けてる人はやはりタイ語上手で、彼らは明らかに他の人とは違うタイ語を話します。 また、イサーンでも大きな街の中ではかなりタイ語が通じる確立は高いように思います。

しかし、それでも、正直言ってしまうと、やっぱりバンコクの人とずいぶん違いを感じます。 バンコクの人はいっていることがすごく聞き取り易くてはっきりしているように思います。 言い方もすごく流暢でイサーンの人よりも文学的な表現を好むと思います。

# 絶対にこの事をイサーンの人に言っちゃダメです。 十中八九激怒されます。


>大学の生徒達にも聞いてみましたが、彼らはイサーン出身の子がほとんどにもかかわらず、イサーン語を話すのは屋台のおばちゃんと話する時ぐらいしかないそうです。

まぁ、その、はっきりいってしまうと、彼らは、イサーン語を話す事を隠しているのです。 僕はウラ事情を知りすぎているのかもしれませんが、ぜぇっっったいに、そんな事ありえないです。 少なくとも両親はイサーン語を話しているはずです。 あの、それは、単刀直入に、はっきりいってしまっえば、かっこつけて気取っているんです。

トイモックデーンという歌手のコーモーラムという結構有名な歌があるんですが、そのビデオクリップの中に、モーラムを聞いて、思わずこっそりとイサーンの踊りを踊ってしまう医者が出てきます。 あれが、まさに、イサーン人的な精神の核心をついた描写ではないか、と僕は思います。

こうやって書いてみると、タイ人はかなり二面性があるのかもしれません。 でも、そのあたり、逆に、日本人とかなり似ているような気がしています。
 
出展 2006年05月28日15:54 『タイ語が上達して思った事』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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