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2006年5月5日金曜日

滅び (mixi05-u459989-200605050013)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
滅び
2006年05月05日00:13
12:55 2006/05/02

滅び

NHKワールドの「視点」という番組があるのだけど、極めて妥当でうその無い意見を話しているので、僕はこの番組がかなり好きだ。 日替わりで毎回違う人が話す。昨日は、赤川学という東大の助教授が少子化について話していた。

この人は、世間では少子化、少子化、と闇雲に叫ばれているが、そもそも少子化というのは悪いことなのか、という事が主な論点だった。 盛大な拍手を送りたい。

少子化はイカンイカン、と言っている人たちが胡散臭いのは、どうしても年金制度が破綻させたくない、若者に俺たちの生活の面倒を見させたい、という、これから高齢化を迎える世代の欺瞞があるように思う。 もちろん、この言葉が真実の全てを語っているわけでは無いし、僕自身この意見に非常に偏りがあるのもわかっているが、今の日本人の視点から抑圧されて葬り去られている視点の一つだと思う。

今日本を動かしている日本人は今の若者に比べて人数が多くマジョリティーを占めている。 それに対して若者は少なくなっているわけだからマイノリティー化しているのではないか。 だから、どうしても、若者に不利な意見が正論として通りがちなのではないか。


日本って色々問題がある。

日本人の一日の平均労働時間は体感的には12時間ぐらいである。 世界的に見れば、はっきり言ってムチャムチャである。 「昨日何時に帰った?」「いや結構早かったよ。終電あったからな。」 とか言う会話が日常化している会社も珍しくないのではないか。

そんな状況で、どうやって配偶者と出会い、どうやって結婚してどうやって子供を育てるのかと、僕は思う。

排他的な国民性もあると思う。 僕のように、外国に出てぶらぶらしていると、いろいろと友達が出来る。 みなオープンで仲良くなりやすい。ところが、日本では絶対にこうはならない。 日本で新しく友達を作るのは、極端に難しい。これは、日本人が外国に居る時は基本的に遊んでいるからではないか、とも思っていた。がそれだけでは絶対に無いと思う。 僕は、友達が少ないほうではない。 だが、日本人は見知らぬ人と知り合いになるのを極端に拒否する傾向があると思う。 異質な人に興味を持たないだけではなく、積極的に排除していく傾向がある。 相手が友達になることを拒否している状況では友達を作りようが無い。

スターバックスが流行している理由の一つに、あのアメリカ式の挨拶があるのではないか。 どんな人が来てもちゃんと覚えていて友達のように挨拶をする。好きなコーヒーを覚えて次にくると言わなくともそのコーヒーを出してくれる。 あれは、日本人にかつて無かったスタイルだった。 それが、日本人の乾いた心に届いたような気がする。

タイの田舎を歩いていると、いろんな出会いがある。 だが、日本の田舎を歩いていても、ほとんど出会いは無い。これは、どういうことか。

二つ理由があると思う。 一つは排他的な国民性によるものだ。 二つ目は人口比率の問題だと思う。 日本は首都東京に人口が集中しているが、タイは、日本と違って、地方のほうが人口が多い。 だから、田舎とはいえそんなに寂れていない。 日本と違って電気も来ていないとんでもない田舎でも人は沢山住んでいる。 タイは山が無く平らな国だからかもしれないが、大きな違いだと思う。

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人生のリアリティー

昨日、ホテルに居たら、いきなり日本語で話しかける人がいたので物凄く驚いた。 ここウドンタニーは外国人の少ない街、ではない。 だが、日本人はとにかく少ないところだ。 だから驚いた。

彼は大阪人で東京の会社をやめて、マンションを引き払って大阪に帰るところらしい。 その合間を縫ってタイにやってきたとのことだった。

ウドンタニーで日本語抜きで、タイ語やイサーン語を話してずっと暮らしていると、普段の生活が日常化してそんなに珍しくないことになってくる。 もっとも、いちいち驚いていたら全然タイに適応できないので、仕方ないことでもある。だけど、初めて日本語を話しながら毎日来る市場を歩いたら、見るものが全然違うものに見えた。 凄く珍しいものだったんだな、と思った。

彼とは、日本の住みづらさについて色々と話した。

だが、 (彼はミクシにもいるらしいし...非常に申し訳ないんだが... ) 彼もまた日本病の一人なんだな、と僕は思った。

日本に住んでいると、痛みを知ることが無い。 日本は痛みを知る権利が剥奪されているからだ。 同様に、失敗を知ることも無い。 日本は失敗する権利が剥奪されているからだ。

これは、非常に危険なことである。 人間は、成功よりも失敗から多くを学ぶ。日本だとそれが禁止されている。 大人の言うことを聞き分けない子は、悪い子として叱られる。

痛みや失敗、辛い経験こそが、人生にリアリティーを与える。 生きているという確証を感じることが出来るのに、それが禁止されている。 それを求めてしまうと、社会のエスカレーターからすっぽり落っこちてしまう。

日本に住んでいると、それが不自然なことだと感じられないのだ。

例えば、彼の話す「死ぬ」「殺される」といったネガティブな言葉には全然重みが無い。 それは、彼の人生にリアリティーが無いからだ。 彼は恐らく、それにうすうす気づきながらもその正体をつかみきれずにいて、こうやってタイに通っているんだと思う。 当然、ネガティブな言葉を話しかけられても理解できない。 すなわち、彼は他人の痛みを理解できないのだ。

彼はそういう状況で育って、日本人病にかかったのだと思う。これは決して彼を責めているわけではない。 彼に責任はない。

タイ人はかなりてきとう、いい加減に見えるが、日本人と違って、人生のリアリティーを持っている人の確立は高い。 このオンナ、ちゃらちゃらしやがって、というバカオンナでも、そんな人生のリアリティーを持っている。

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以上の二つの話「少子化」と「人生のリアリティー」は、関係が無い訳ではないと思う。 日本で人生にリアリティーを与えるような経験をすると、その人の社会での受け皿が全くなくなってしまうからだ。
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出展 2006年05月05日00:13 『滅び』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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