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2005年11月19日土曜日

自信とはなんだろう (mixi05-u459989-200511192216)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
自信とはなんだろう
2005年11月19日22:16
最近、ブログを作ったら、書き込みがあったので早速チェックしました。

... ブログの内容が内容なだけに、プログラマをやっている人からの様でした。 ですが、残念なことに発言の内容は的外れだったんです。 お前は何もわかっていない的な口調であれこれ言っていたんですが、全部知っていることが大前提の話ばかりでしたし、発言もアラシ的ですらありました。 消しちゃおうかな、とも結構思いました。

ですが、彼のブログには 間違いを指摘すると勝手に消されてしまう云々とグチが書き連ねてあったので、思うところあって出来るだけ丁寧に対応してあげました。 昔の自分もそんなだったな... そういうときに相手にされなくて非常に残念だったな、と 思うと大切にしてあげなくちゃ、と思ったからです。

私は、彼の掲示板で、冷静に、見るべきところはきっちり認めて、間違えているところはきっちり指摘してあげたんですが、非常に残念なことに、しっぺ返しされてしまいました。

彼はつまらない自信は壊してくれ、と自分で発言しているんですが、いざ自分の欠点と向き合わざるを得なくなると、あっさり守りに入って、私を攻撃し始めました。

折角時間を割いて(って3~4時間は平気でかけたんですが) 書いてあげたのに、何じゃこりゃと思って思わず頭にきてしまったので、消しちゃいました。

よくあることなのかもしれませんが... ですが、それがきっかけで色々な事を思い出したのでした。

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私は思うのですが、自信を失うことによって、より大きな自信につながるような前向きなショックと言うのは人生にとって非常に大切です。

ですが、自信と言うのは自分のモチベーションとも密接に結びついているため、不条理なショックを受けることによってより小さい人間になってしまうことがあるのもまた事実です。

だから、ショックにあったときそれが正当なものなのか不当なものなのかを見極めることはものすごく大切なことになりますが、非常に判別が難しいものです。

そういえば、私は以前アイスホッケー社会人チームにいたことがあるのですが、そのアイスホッケーチーム内でも色々な人間ドラマをみました。 こういう自分の欠点と向き合うことへの反応と言うのは、本当に人それぞれで、すぐに反抗する人(でホッケーに対して情熱的な人が多い)、欠点と冷静に向き合えるけど勝つことに対する執着心に欠ける人、良く人の言うことをきくんだけどききすぎてつぶれちゃう人、etc.etc. 色々でした。

そういう中で、NHLで付き人をやっている友達に話を聞いた事がありました。それによると、トッププレーヤーは、理論的な思考力も情熱も同時に持っていてしかも欠点と冷静に向き合うことも出来て、というバランスの良さを持った人が多いそうです。

言われてみれば、私のかつての専門、ジャズをやっている人もそうでした。 創造的だけど地道な研究が出来ない人、地道さはあるんだけど創造性が無い人、創造性があるんだけどエモーショナルさが無い人、創造的だけど理論が駄目な人。理論的だけどエモーションが無い人、意外と演奏は結構ダメダメなんだけど人柄が良くて仕事は多い人とか、色々です。

ですが、恐らくは、トップのジャズミュージシャンは、そういった全ての要素をバランスよく持ち合わせているのではないかな、と想像します。

そして、そういうバランスの良さを得るのは、非常に難しいことだと思います。 それは、常に自分の自信を失う危険と真正面から取り組んでいかなければならないからでは無いでしょうか。

自分はそういう高度なバランスのよさを求めていますが、だからといって、そこらへんにいる人に いちいち それを持つことを求めるというのもおかしなことかもしれません。

自分と同じ方向性を持った人で、それが、出来ない人を見ると、思わず、色々アドバイスをしたくなります。 それは、ひとえに、以前自分が孤独な状況下で苦しんでいて、そういうアドバイスを言ってくれる人が猛烈に欲しかったからなのですが、そう思って言ってあげても、それを聞き入れることは、自分の自信を深刻に失ってしまう危険と隣りあわせの危険な行為なので、 結局は こういうしっぺ返しで終わるような気がします。

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でも、視点を変えてみると、本当の自信とは、そういう「人に対して」持つものではないのかもしれません。

天才的な創造性を持つ人に内気な人が多い、と言う話はよく聞きます。 ビョークが凄く神経質でうるさい人だ、という話も聞いたことがありますし、キースジャレットもそうとう神経質だと聞いたことがあります。 それは自分の中から出てくる衝動を大切にしている結果では無いかと思います。

#宮崎駿は酒飲みで社交的だ、と言う話も聞いたことがありますが...。

そういう人が、 わざわざ自分より劣っている人を見つけてきて馬鹿にする、なんていうことはしないような気がします。 自分より劣っている人を見つけてきて馬鹿にすることで自信を得る、と言うのはあくまでも人に対しての自信であって、自分の中から出る情熱を大切にするタイプの人が、そういうことをするのはあまり見た事がありません。

そう考えてみると、私が書く批評は一つ一つは 自分より劣っている人をわざわざ探してきて馬鹿にしている行為、ともいえます。 それは、自分が事情で行動できないから、それを人がすることに期待している感情とも言えるかもしれません。 それは、気をつけたいと思います。

スポーツは、人に勝つことが目的ですから、一瞬 人よりも優れていることに自信を持つような気もしますが、トッププレーヤーの話を聞いていると、どちらかと言うと「絶対に自分は最後までやりぬくことができる」といった 内面的な自信を持っているような気がします。

でも、そういえば、天才的な人が人格的に異常に強い毒をもっていて、きっつーい悪口ばかり言っている、というのは結構見た事があります。 あなた、そんなこと言わなければいいのに、という事をわざわざ言って損をしている天才も結構見かけます。

何かを成し遂げるために、独特な脳の使い方をしている人は、変わり者になってしまう、という事もあるかもしれません。

なんだか、わからなくなってきました。

劣っている人を見つけて馬鹿にしている、というのは劣等感の裏返しだ、という見方もあります。 では、その劣等感の根源は何かというと、誤った低すぎたり高すぎたりする自己認識からくるような気もします。

人から広く認められることで自分の存在意義を求める傾向は日本独特かもしれません。 本来は単純に自分の能力に自信を求めるべきなのに、結果だけに対して自信を持つと、過去の栄光にしがみつくといったなさけないヒーローになってしまうような気もします。

それは、アメリカのように 誰からも認められていないけれども、自分だけは自分の価値を知っている、といった孤高性が日本では許されないからかもしれません。

前、僕が アメリカで出会った人でこういう人がいました。 ... 40歳を過ぎてもカントリーミュージックのシンガーを目指しているおじさんで、確かに... ちょっと音楽は平凡だったんですが... でも、いつも前向きに活動を続けていた ... 決して恵まれた状況で音楽活動してはいませんでしたが、だからといって、日本でよくいる人のように、人をけなしたりもせず不平も言いませんでしたし、ただ楽しみながら、普通に、自分を信じて前向きに生活していました。 また、特筆すべきなのは、逆に社会もそれをとがめず、きちんと人格を認めていたことです。

日本であれば、そういう行為は「自分を見失っている」とみなされ疎外されがちですが、彼は見失っているわけではありません。 そういう素朴な孤高さって、日本にもあってもいいと思います。

自信と能力と才能に対する自己認識というものがありますが、それに対する社会の対応において、日本はヨーロッパと比較すると、信じられないほどすごく野蛮です。 日本に居るとそういうところが見えなくなってしまうのかもしれません。



... あー ぜんぜんまとまんないや。 ぜんぜんまとまんなくなってしまいました。すみません。

コメント一覧
おかあつ   2005年11月20日 00:25
そういえば、昔ジャズのことで親切にも色々助言してくれた先輩がいたとき、そばにいたその人の友達が、「やめとけやめとけ」と言っていたのを思い出しました。

結局そうやって親切心で教えてもほとんどの場合 しっぺ返しで返ってきてしまう、という事を経験的に知っていたからなんでしょうね。

僕は、そういう「言わない」大人はずるいと思っていたので、こうして大人になってからも、子供を子供扱いしないで きちんと話をしようと心がけているんですが、難しいですね。

そういえば、アメリカにいたときは、そういう苦労はした覚えが無いなぁ... 子供でもみんなそういうところは自立してたからなぁ...。
kikuyan   2005年11月20日 17:36
おかあつさん、長いよ(笑)

自分も思い当たる節がいっぱい有り過ぎるなぁ...

このところ、ちょっと心壊れ気味(というか、もともとあった特性を隠蔽しているラッパークラスが対応できなくなった)なので、そんなとき自分を支えるのは、結局前向きな自分しかないんだと...

もちろん心配してくれる人には、感謝してますが。
おかあつ   2005年11月20日 21:32
キクヤンさん! いい事いいますね。

確かに、何か問題があれば前向きに解決するしかないと思います。

ところが、解決しようとしても、難しかったり、(それが人より)遅かったり、危険だったり、恥ずかしかったり、常識から外れていたりするわけですが、だからといって努力を止める必要はあまりないと思います。
おかあつ   2005年11月20日 21:44
なんというか、僕は自分を変える努力という行為に興味があって、どこまで自分を変えられるのかといつもチャレンジしているような気がします。

考えてみれば、外国に行って語学を勉強するって言うのは、今までとは全く違う常識に合わせて自分を作り変える努力の積み重ねな訳で、僕も日本には一抹の居心地の悪さを覚えているのですが、それも自分を作りかえる一つの応用の様な気がしてきました。
よもぎ   2007年01月11日 09:09
あびさんのところから来ました。はじめまして。

>自信を失うことによって、より大きな自信につながるような前向きなショックと言うのは人生にとって非常に大切です。

>ですが、自信と言うのは自分のモチベーションとも密接に結びついているため、不条理なショックを受けることによってより小さい人間になってしまうことがあるのもまた事実です。

すごく心に残りました。響きました、かな。

不条理でないショック、妥当なショックを受けたとき、人間として、これまで
じぶんは成長してきたのか?
これからは、進歩できるのか?
自信がないので、忘れずに覚えていたい内容です…;

また、のぞかせてください。では。
おかあつ   2007年01月11日 14:52
はじめまして (^-^)

妥当なショックでも、初めて出会うと不条理なショックと感ぜられるから、難しいんですよね...。 それとは、また別に、本当に不条理なショック、聞いたとしても前向きになりえない
ショックというのもあって、難しいですよね。

僕は、不条理なショックでもきちんと聞いてきたと思うし、そういうショックをくれるというのは、むしろありがたいものじゃないですか。 わざわざ危険を冒してまで直接言わないですから。

そう思うから、人にはちゃんと言ってあげようと思うのですが、 最近、きちんと妥当なショックを与えて、ちゃんと聞ける人ってほとんどいないよな...と思うようになってきてしまって、また考えてます。

ただ、聞いても前向きになれない後ろ向きな助言も少なくなかったので、かなり遠回りにもなってしまいましたが...。

なんちゃって。 また遊びに来てください。 or 遊びに行かせてください
(^-^)
よもぎ   2007年01月11日 15:47
おかあつさん、丁寧なレス、ありがとうございます。
前にも数度覗かせていただいたことがあったんですけど、
今回ちょうど自分が考えなきゃいけないことと重なっていたので、コメントさせていただきました。
かなり長いことぬるま湯の中にいるのかな、成長しなきゃな、と思いつつ、まだ道が見えてきません。

>むしろありがたいもの

そうですね。うなづけます。
私も人に、とくに大事な人にほど、言ってしまう傾向があります。ショックであろうことも。
それで人間関係がおかしくなることもありますが、私の場合、自分の伝え方に問題があったように思います。
もちろん、受けとめてくれた友人もいます。
自分自身は、耳を傾けてはきたつもりですが、その後のわたしを見て、忠告した側が納得いかないことも多いようですね。
それは、だって、あなたの云うことを聞くって事じゃないから・・・と思ったこともあります。笑

えーと、コメント残すのはいいけど、おあほな日記を見られるのは恥ずかしいなぁと思ってドキドキしていましたが、今更しょうがないですね。

mixiって、わたしも含めて気軽に書いて、自分の評価を落としたり、ときには嫌われたり、マナー違反だったり、いろいろありそうですね。
一方的な悪口やものの見方を書いてあることも多いのだろうし。

いちばん嫌なのは、すごくなぁなぁなコメントの応酬ですね。
励ましならいいんだけど。

おかあつさんには強烈な自信・自負を感じますね~。
それだけ、物事を考えてきたのでしょうね。
上の日記のように、だれかが真摯に考えている過程や、その揺れも読めるというのはmixiの醍醐味かもしれません。

濃いおしゃべりをしたときのような・・・。
おかあつ   2007年01月11日 15:58
少し前、古い僕宛の手紙が出てきたことがあって、汗が出ました。 その人は、僕にある事を伝えようと助言していたのだけど、当時18歳の僕は何も理解していなかったという...。

# 当時は、気に入らなければ全て力ずくで解決していたので、まぁ 仕方ないか
#(^-^;;;

でも、そういう自分を思えばこそ、人を見ても、まぁ 仕方が無いかと 思えるようにならなければ...と思う今日この頃です。

(考えてみれば自分のほうがひどいじゃないか、という...。)

>いちばん嫌なのは、すごくなぁなぁなコメントの応酬ですね。

文章を書くのって難しいので、ある程度、仕方が無いのだとも思うのですが... でも、僕も自分の好みとしてはあまり好きではないです。
よもぎ   2007年01月11日 18:23
>文章を書くのって難しいので、
ある程度、仕方が無いのだとも思うのですが

そうですね、云われてみると、わが身も振り返らず手厳しかったかな。
なぁなぁにもいろいろあって、友人同士の励ましあいや、愚痴を聞くって感じのも多くて、そのケースにもよりますが、
「マイミクさんだから、なんでも賛成」ってのをあまり感じると、求めているおつき合いの内容に疑問を感じますね。

それと、ニュース(事件)などの話題など、社会性のあることやなんかで、マイミクさんが云ってるというだけで同調している?と感じるときは嫌なものを感じます。

もちろん、これは私の勘違いかもしれない訳ですが。(ほんとに同感しているのかもしれないですしね)

とりあえず、知りもしない人の悪口に気軽に乗るのは気をつけようと思います。
おかあつ   2007年01月12日 04:26
>>文章を書くのって難しいので、
>ある程度、仕方が無いのだとも思うのですが
>そうですね、云われてみると、わが身も振り返らず手厳しかったかな。

僕も実際、周りの人の文章力に不満を持っていることが極めて多くて ... 周囲の人を批判的に見ていることばっかりなのです。

そうすると、いつも怒ってばかりで、
精神衛生上よろしくなく...(^-^ゞ
最近は、意識して気をつけてる、のですが...つい...

よもぎ   2007年03月26日 02:26
お久しぶりです。
今日あびさんに宇宙人と話しているみたいと言われました。
わはははは。ちょっと愉快でした。
ちょっと不条理か妥当か?と思ってしまいました。
まったく理解しづらいことと出会った時、人はどう向き合うのでしょうね。
とりあえず宇宙人から逃げるなと云っておきました(笑
せっかくのコミュニケーションの機会なので。
 
出展 2005年11月19日22:16 『自信とはなんだろう』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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