昨日、急いで会社に向かって歩いていたら、途中で倒れている人がいて、「うわっ」と思って驚いて駆けつけた。 多分高血圧か低血圧でふらふらになっていて、完全に立てない感じだった。
昨日、急いで会社に向かって歩いていたら、途中で倒れている人がいて、「うわっ」と思って驚いて駆けつけた。 多分高血圧か低血圧でふらふらになっていて、完全に立てない感じだった。
駆け寄った他の方々も助けていたのだけど、無理やり立たせようとするので、私はちょっと驚いて「立てないから寝かせないといけない」といったらみんなで彼を道の端まで運ぶことになった。
そうしたらこんどは、結構高いところに座らせようとするので「座ったら前のめりでガーンと倒れて頭をぶつけるので寝かせないと」と言って、みんなで枕を用意して寝かせた。
その場にいた人で助け合って、おまわりさんもきたし、救急車も呼んだ。 私は大急ぎで会社にいかなければならなかったので、そばにいた非常に真面目そうな方に丁重にお願いして、その場を去った。
私が駆けつける前、そこにおじさんが倒れているのに、周りの人が誰も駆け寄らなかったのが、意外だった。何故すぐに駆け寄らないのか! と思った。
それで思ったのだけど、倒れている人の元に誰も駆け寄らない理由は、冷たいからでも身勝手だからでもなんでもなく、単に「どうすればいいかわからなかったから」だと思った。
実際私が駆け寄った途端に人々が集まってきた様に私には見えた。
真面目な人々は組織の血液で、組織がきちんと責務を果たしていく事にとても大切な能力だ。 ─── だけど真面目な人々は、予想不能な自体が発生すると、何をしていいのかわからなくなってパニック状態になって、行動が止まってしまう。
私の父が亡くなる前に「母を頼む」と言っていたことを思い出す。 「あんな真面目てテキパキしているが、急なことが起こるとパニックになって大騒ぎになるから、助けてやってくれ」と言った。
父が亡くなってから大分経ったある日、そのことを母に話したら怒り、「何故パニックを起こすようなことばかり繰り返すのか」と怒っていた。
日本社会での真面目な人と、不真面目な人は、表裏一体で、両方いないと社会は回っていかないのに、お互いがお互いの悪口を言ってばかりいる。
日本社会は、そういうものなのかも。 相手の言いなりになっているだけでも、駄目なのだ。
人は何故競うのかな。
— 岡敦/Ats🇯🇵 (@ats4u) December 26, 2024
勝って人を貶めて傷つけても、何も建設的な結果は出ないではないか…。
久しくそういうことは考えないできたけど…。
— 岡敦/Ats🇯🇵 (@ats4u) December 27, 2024
日本人にとってソフトウェア技術というものは全て、「空から降ってくる恵みの雨」と同じもので、自分の力で作ったり改善したりどうこうする類のものではないんだよな…。
日本人として情けないと思うが…。…
社長に『私も大人になって他人との衝突を回避する様になりました』と言ったら、『お前も歳をとったな。 それは考え方によっては逃げなんだよ。』 と言われた。
— 岡敦/Ats🇯🇵 (@ats4u) December 28, 2024
自ら苦労して、これを人に頒つ pic.twitter.com/ywtr3eeHyR
— 岡敦/Ats🇯🇵 (@ats4u) December 27, 2024