それは、地球に届く太陽の光のうち、青の光だけが地球の大気の層で散乱するからだ。
Q.では、夕日が赤いのはなぜだろうか。
それは、夕方になると日が傾き、地球に届いた太陽の光は、地表にとどくまでに、長く空気の中を通り過ぎなければいけないからだ。
日が傾くと青の光は上空で散乱しきってしまい地上に届かず、赤の光だけが地上に届くようになる。だから夕日は赤い。
なぜこういうことが起こるかというと、光の波長が短いほど光は拡散しやすいからだ。
このことを「レイリー散乱」と呼ぶ。
ジョージア州立大学のウェブサイトに非常によい解説がある
http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/hbase/atmos/blusky.html
ウィキペディア(英語版)レイリー散乱
https://en.wikipedia.org/wiki/Rayleigh_scattering
空はなんで、紫色ではないのか
Q. 光の波長が短いほど光は拡散しやすいなら、空の色は青ではなくて、もっと周波数の短い紫色になるはずではないか。https://twitter.com/chounamoul/status/807884082369544192
https://twitter.com/chounamoul/status/807889487774633984
つい先日僕は、ツイッター上で上記のようなツイートを見つけた。これを見た瞬間、非常に強い違和感を感じた。 『光は波長が短いほど散乱しやすい 』『だから空は本当は紫色』・・・僕は直感的に『そんなわけないだろう!』と思った。 ─── だが何故そういう違和感を感じたのか、説明がつかなかった。
『紫色だ』というところに違和感を感じたが ─── 空は、『紫色』なわけがない ───だが、僕は自分に問う。『紫色』でなかったら、何色なのだ? 他にもいろいろとモヤモヤとしたものを感じたが、うまく言葉で言い表せなかった。
これがきっかけになって、僕は、実にいろいろなことを調べた。結果、とても多くのことがわかった。
結論からいうと、このツイートには、大きく見落としていることがある。
僕は予期せず、ここに非常に奥の深いテーマが含まれていることを知った。
それでも空は青い
まず最初に、空の色は紫色ではない。なぜなら、前述の通り、空の色は光が通り過ぎる大気の長さによって変化するからだ。これは最初に説明した、夕日が赤くなる理由そのものだ。もっとも散乱しやすい紫は、大気の上層部で散乱しきってしまい、地表に届かない。紫が減衰し、青がちょうど地表付近で散乱するので、空の色は青くなる。同じ理由によって、夕方になると光が通過する大気の距離がながくなる為、こんどは青が散乱しきってしまい地表に届かなくなる。だから赤が地表に届くようになる。
参照1:雲の色について・アメリカ海洋大気庁
参照2:空の色について・科学の質問と驚きの答え
また、酸素に紫外線領域の光線を遮る性質があることにより、太陽光線が大気通過中に紫外線に近いバイオレット色が減衰し、空は紫色にならないという説もある。
参照3:ウィキペディア(英語版)空はなぜ青いのか
つまり、高い場所では、空の色は紫に近くなる。これは目視で確認できる。
次の写真はNASAの写真で、スペースシャトル・エンデバーが大気圏に突入する直前の写真だ。地球の大気圏ギリギリの外側から見た空の写真だ。
恐らく夕方だと思われる。空が藍色から渋い紫色に変化しているところが観察できる。
次の写真は、発射直後のスペースシャトル・アトランティスの写真だという。
恐らく昼の領域だ。空が上空に行くに従い、淡い青から藍色に変化していく様子が観察できる。
次の写真は、NASAが提供している写真で、宇宙から見た夕焼けだ。
上空に行くほど太陽の光が大気内を通過する距離が短くなる為、空は紫になる。地表に近くなるほど、太陽の光が大気圏内を通過する距離が長くなる為、空は赤くなる。
上のビデオは、宇宙ステーションISSから見た日の出の映像だ。太陽の光が、その通過する大気圏の距離に応じて、グラデーションのように紫から緑を通って赤に変化する様子が克明に映しだされている。
これも宇宙ステーションISSから見た日の出・日の入りの映像だ。 太陽光線が、大気圏をかすめる瞬間、その通過する距離に応じて、紫から緑・赤に変化する様子が極めて精細に映しだされている。
僕らが普段見ている空は、空のごく一部分でしかない。前述のNASAのサイトの説明によると、空の色は太陽の光が通過する大気の距離に比例して変化する筈で、僕は、この理論を元に空全体の色の想像図を作ってみた。
太陽の光が大気に入った点を紫と考え、そこからの距離に応じて赤に変化するというコンセプトを元に、Inkscape 0.91を使って作った想像図だ。恐らくは空を全体的に見ると、色は恐らくこの様な分布になっている筈だ。
ちなみに大気が薄い火星では、夕方に空が青くなる。大気が薄いからだ。
大気が薄いので、光が通過する大気の量が少ない。夕方になると光が通過する大気の長さが丁度、青が地表近くで散乱する距離になるので、青く見えるようになる。
参照:Two Worlds, One Sun
そもそも「紫色」とは
ここまでで様々な『紫の空』の写真・映像を見てきたが、空の色はいわゆる『紫色』ではなく、青色から藍色くらいの色に写っている。それが本当に「紫なのか」と問われると、それは微妙なところがある。ここに複数の問題が隠れている。だがそれは、実は物理学とは別な分野の問題で、どちらかというと撮影技術や人間の認知や民族文化に関連している問題ではないか、と僕は思う。
ひとつは、撮影技術の問題だが、この問題自体が認知の問題と密接に結びついている ─── この「高い空の色」=「真の紫色」は、しばしばデジカメには写らず、液晶画面にも映らない。このことを理解するために、まず紫色というものが何なのかを理解しなければいけない。
2つの紫=『バイオレット』と『パープル』
厳密に言うと、「紫色」と言った時、その色には2種類ある。この2つの紫色は、日本語では両方共に「紫色」と呼ばれており、同じ色だと考えられている。日本人はこの2つの色を区別しない。この2つの紫色は、英語では違う名前がついて区別されている。それぞれ「バイオレット」と「パープル」と呼ぶ。日本語では「バイオレット」も「パープル」も「紫色」と訳されてしまう。
バイオレットは、スペクトラム上の紫外線と青の中間にある。バイオレットは、原色だ。光の波長400nm程度の位置にあり、物理的に存在する色だ。
以下は可視光のスペクトラム図だ。スペクトラム図は、太陽光をプリズムで屈折させたりすることによって作ることができる。バイオレットは下図の左端にある。
パープルは、色相環上の赤と青の中間にある。パープルは、原色ではない。パープルは、赤と青を混ぜると生まれる混合色だ。パープルは、対応する物理的な波長を持たない。人間の認識上だけに存在する色だ。
以下は、赤・青・黄の三原色を混ぜあわせることでできる『色相環図』だ。パープルの位置を以下で示す。
見えないバイオレットのおかしな特徴
可視光スペクトラム上では、バイオレットは限りなく黒に近い藍色として表示されている。なぜかというと、人間の目は、その特性上、バイオレットをはっきり見ることができないからだ。一説によると、バイオレットは、同じ明るさの青の10%程度の明るさとしか認識できないという。ところが、これが非常に面白いのだが、このバイオレットは、非常に明るいときに限って、青と赤の混合色パープルとして人間の目に映る。
以下で、その様子を模式的に表現してみよう。
上図左端で藍色だった部分が、輝度が高くなった下図でパープル色として人の目に認識されている。
※ これは飽くまでも模式図だ。なぜなら液晶画面は本質的にバイオレットを表示することができないからだ。後述する。
強烈なバイオレット光は、赤がないのに赤味を帯びる
強烈なバイオレット光は、人間の目には赤みがかった青として認識される。例えば、ブラックライト(紫外線ランプ)からは紫外線と共に、強いバイオレット光がでている。これは紙幣の透かしを確認する為の紫外線ランプだ。この様に紫外線ランプから放射されたバイオレット光は、ピンク色っぽく人間の目には認識される。
これは蛍光カラーのボディーペイントを施した女性の写真だ。ブラックライトは、クラブ・ハウスなどの音楽施設で多用される紫外線ライトの一種で、バイオレット光も発している。この様に、バイオレット光は、実際に目にしてみると、ピンク色っぽくに見える。
これらは本来、赤味をもたない地味で暗い藍色だった筈の色だ。この藍色が明るく光ると、この様にピンクに近い色に変化する。
このように濃い青色だったバイオレット光が強まった時、ぼんやりと赤味を帯びる理由は、物理的なものではない。色の変化の原因は、人間の目の構造にある。
人間の目はバイオレットをどう見るか
人間の目は、光の波長を部分的にしか感知できない。人間の目は、赤(600nm)・青(450nm)・緑(550nm)の3つの感受体を持っている。人間の目が持っているそれぞれの感受体の、波長に対する感受性のグラフは以下の通りだ。参照 Why is the sky blue?
ここで注目すべきは、赤のグラフだ。よく見ると実は、赤のピークは2つある。ひとつは600nm(赤)の領域。もうひとつは、400nm前後のバイオレットの領域だ。
人間の赤に対する感性は、明るいバイオレット色にも反応する様にできている。赤の視覚が青も見ている。よって、明るいバイオレット色は、赤っぽい青=パープルとして認識される。
デジカメに写らない色=バイオレット
デジカメの目(=CCD/CMOS)も、人間の目と同じように光の波長を部分的にしか感知できない。デジカメの目は、基本的に光の波長に対して、人間の目と同じような特性を持つように設計されている。2016年現在、主流なデジカメは人間の目と同じで、赤緑青の感受体を持っている。だが、この人間の目の赤に対する感受体の特殊な性質=強いバイオレットを赤として認識する性質まで、デジカメの目がシミュレートできるのかというと、それは必ずしもできるわけではない。ここは、どうやらメーカーの設計方針によって大きく特質がことなるところらしいが、はっきりしない。いずれにせよ全般的にデジカメは、紫色を撮影することが苦手だ。
強いバイオレットは、人間の目には赤っぽい青(パープル)として映るが、デジカメにはしばしば青として写る。よってバイオレット味が強い風景をデジカメで撮影すると、ずいぶんと趣の変わった画像に変貌してしまう。
だから、デジカメで写真を撮ったら、フォトショップなどのレタッチソフトで色を修正しない限り、目で見たとおりの写真には絶対にならない。
余談だが、暗い風景は、しばしば人の目に青っぽく見える。これは、その色が実際に物理的に青く変化したわけではない。これも目の構造による錯覚のひとつだ。
弱い光の時、人間の目は青に対して最も敏感なので、暗くなると全体的に青っぽく見える。このことをプルキニエ効果という。 https://en.wikipedia.org/wiki/Purkinje_effect
この様に、人間の感覚自体が、偏りをもっており、同じ色でも明るさによって違った色として感知される。人間の脳は、こういう光加減の偏りを無意識のうちに修正しながら生活している。
同じ色の物体でも、そこにかかる照明の色によって、異なる色が見える。同じ色でも夕方に見れば赤く見える。蛍光灯の下で見れば青白くなる。白熱灯の下では赤く見える。人間の脳は、こういう色彩が受ける偏りを無意識のうちに修正しながら、自分が見る『色』を決定している。
このように『色』というものは、人間の主観が強く反映される感覚だ。
つまりこれは、撮った写真をフォトレタッチ処理によって色合いを調整しない限り、その人が肉眼で見た印象に近づかない、ということでもある。
バイオレットはモニタにも表示されない
同様の理由で、コンピューターやスマートフォンの画面上、バイオレットは表示できない。なぜなら、モニタは赤緑青の3つの発光素子しか持たないからだ。もし仮に赤緑青バイオレットの発光素子を持つモニタがあったら、バイオレットを表示することができるだろう。だが2016年現在、主な画像データはRGBA(赤緑青透明度)のデータしか持たない。バイオレットを表示するためには、バイオレット情報を持った『RGBVA 形式』を出力できる特殊なデジカメやレタッチソフトが必要になるだろう。
偽物のバイオレット=濃いパープル
バイオレットはモニタ上表示できないので、代わりに、赤と青の混合色であるパープルによって代替している。あるイメージを見た時、それにバイオレットが表示されている様に見えたとしたら、それは、フォトレタッチによってパープル(赤と青の混合色)に置き換えられたものだ。
これはコンパクトディスクの写真だ。コンパクトディスクに反射した光は、虹色に光る ─── 青のとなりに紫色(バイオレット)が写っているだろうか。 この色は、基本的に人間の目には見えるが、デジカメにはしばしば写らない。バイオレットは、デジカメのCCD上でしばしば青に変わってしまう。
もしこの写真に『紫色』が写っていたとしたら、それはフォトレタッチ処理によって修正することで現れた色だ。
次に虹の写真を見てみる。
これは虹の写真だ。この虹に紫色は写っているだろうか。虹の美しさをデジカメで再現するのはとても難しい。
紫色の花の色は、しばしばバイオレット色を含むので、うまく撮れないことが多い。
上の写真の撮影者は、この写真をスマホで撮影したという。濃い青色(恐らくバイオレット色)が上手く撮影できず、悩んでいる様子だ。
この方は、デジカメの上位機種で撮影したようだ。綺麗に『紫』色が撮れている。比較的肉眼で見た色彩に近い様子ではないだろうか。恐らくこの機種は、強いバイオレットを赤に補正する機能を持っている。飽くまでも推測だが、撮影に使った機種は Canon EOS 5D Mark II ではないか。これは40万円以上するデジカメの最上位機種だ。 氏は写真が趣味とのことで、恐らくレタッチによる修正も行っていると考えられる。
デジカメは紫外線を写す
余談だが、実はデジカメは、人間の目よりも幅広い波長を撮影する能力がある。デジカメには、人間の目では見ることができない紫外線を写す能力がある。だがこれが逆に、しばしば問題を起こす。何故かというと、紫外線はデジカメに青として写ってしまうからだ。 写り込んだ紫外線は、可視光の青のデータと混ざってしまい、青のデータを破壊してしまう。これはCCD/CMOS上で発生する問題なので、あとからフォトレタッチによって修正することができない。
https://www.bhphotovideo.com/explora/photography/buying-guide/guide-filters-lenses
この問題は、カメラに紫外線をカットするレンズを装着することで解決できる。上記の写真、左がフィルター無しで撮影したもの、右がフィルター装着して撮影したものだ。
空は紫色か?
以下は、ツイートの著者の朱奈氏が参照していたデータらしい。朱奈氏の論点を要約すると『空をスペクトラム計測すると実は紫にピークがあるので、空の色は紫色だ』ということだ。だが彼は、いくつかの点を見逃しているように、僕には思える。A World of Weather: Fundamentals of Meteorology
僕は上記の本を持っていない為、はっきりしたことはいえないが、上記の写真は、山の上で撮られたものではないだろうか。だとしたら、そのグラフは山上で計測した空の色のスペクトラムではないだろうか。
色と波長 NASA によると、バイオレットが400nm 、 藍が445nm 、 青が475nm とある。写真によると、この空のスペクトルは、藍色とバイオレットの中間くらいにピークが来ている。
では、この空は紫色なのだろうか。
1.高度の違いを無視している
通常、山の上にいくと紫外線が増える。同様にバイオレット色の光線も増える。もしこのスペクトルが山の上で計測されたものだとしたら、空のスペクトルのピークは、地上で計測したものよりもバイオレット色の成分が増える筈だ。恐らくだが、地上で計測したとしたら、青の波長にスペクトルにピークがあるのではないか。
朱奈氏は、この点を見逃している様に感じた。
2.色はスペクトルのピークによって決まる訳ではない
前述のツイートの著者の朱奈氏によると、スペクトルのピークが『紫』だから、この写真上の空は本来『紫色』だという。これは間違っている。
色は、その光線に含まれる波長の比率によって決まる。ピーク値ではない。
これは、非常に簡単なことだ。ウェブサイトを作ったことがあれば、色をRGB値で表現したこともあるかも知れない。 RGBとは、赤と緑と青の明るさを数値で表現したものだが、R値=赤が一番多ければ、赤になるわけではない。例えば、赤=100%・緑=80%・青=0%という色があった時、赤にピークがあったとしても、実際の色は赤色ではなく黄色だ。
同様にして、赤=100%・緑=90%・青=90%という色があったら、それはほとんど白だ。赤ではない。
同様に、スペクトル中、バイオレットが一番多かったとしても、それが必ずしもバイオレットに見えるわけではない。
3.『紫色』という曖昧な表現を使っている
前述の通り、紫色は、大きく分けてバイオレットとパープルがある。その点を混同している。
4.デジカメの特性を無視している
またこの写真上、空の色は青に写っている。 考えられる理由は、これは前述の様に、デジカメはバイオレットを青色のデータとして認識する性質があることだ。バイオレットはしばしば、デジカメに写らない。
或いは紫外線の強い山上でフィルター無しで撮影した為、紫外線が青く写り込んで空が実際よりも青くなっている…ということも可能性としてありえる。
5.その他
次のデータは、ウィキペディア英語版に落ちていたものだ。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Spectrum_of_blue_sky.svg
説明によると、ある晴れた日の午後3時〜4時ごろ、東の地平線近くの空のスペクトルを計測したもの、という。このスペクトルは、緑と青の中間程度の500nmにピークを持っていることがわかる。
このように、空の位置によって空の色は大きく異なる。この件に関しては、次のサイトが詳しい。
青い空について
http://hyperphysics.phy-astr.gsu.edu/hbase/atmos/blusky.html
上のサイトで、空の位置によって変わる空の色成分ついて説明されている。
空は青くない
「空の色は紫だ」と言った時、どんな色をイメージするだろうか。 それは茄子くらいの紫だろうか。或いは紫式部くらいの紫だろうか。
レイリー拡散の説明をしている時に『空の色は紫だ』 と言った場合、その『紫』は、正確に言うと、茄子の様に非常に暗い紫=バイオレット色だ。だが一般的に特に指定なく『紫』と言った場合、紫式部の様な「パープル色」ではないだろうか。 『紫』という単語には曖昧さがあり、大きな誤解を引き起こしやすい。
空が紫色になると言われると、紫式部の様な明るいパープル色を思い浮かべ、とても意外な感じがする。だがここでいう紫は、茄子くらいの紫だ。実際の所、空が茄子色くらいの渋い紫色になることは、よくある。
逆にいうと、青とは何だろうか。「青ってどんな色?」「青は空の色」・・・子供の頃からそう言い聞かされてきた。だから僕らには『空は青い』という固定概念がある。だが実際の所、空の色というのは、必ずしも青くない。
空の色は、『青』という一言で説明できるほど、単純ではない。空の色には様々な表情がある ─── 天候・季節・時刻によって、濃い紫だったり、淡い水色だったり、灰色だったり、黄色だったり、緑だったりする。特に『真っ青な青空』は、必ずしも青くない。むしろ茄子の色(渋い紫=バイオレット)に近い。
だが「青」という言葉、それ自体が『空の色』という概念に結びついた相対的な名称である為、空の色が多様に変化していても、人はそれに気付くことなく、無意識のうちに認識の方を修正してしまい、例え、空が客観的に青ではなくなって、紫や緑に近い色に変化してしまっていても、その色の認識に修正が加わり、依然としてそれを『青』と認識してしまう。
人間の認識上、空は常に青い。
バイオレットの音楽
バイオレット色は、非常に暗い藍色で、目立たない色だ。事実、人間の目の青色の感受体は、475nmの波長にピークを持っており、バイオレットが含まれる400nmの領域は、辛うじて感知できる程度であり、その感覚は弱い。よって普段、人はバイオレットとパープルの違いを見分けていない。普段、人が雑誌を見たり、ネットを見たり、カメラのファインダーを覗いたりしている時に、『紫色』だと思っている色は、バイオレットではなく、飽くまでもパープル(赤と青の中間色)だ。バイオレットは、液晶画面や印刷物上表示されない為、パープルで代替するのが通例だ。
─── だが果たして人間は、本当にこのバイオレットを見ていないのだろうか。
これは飽くまでも僕の個人的な意見だが、恐らく人間は、はっきりとバイオレットの存在を感じている。バイオレットを見ることはできなくても、その存在を感じ取っているのではないだろうか。
それは恐らく、非常に感覚的なものだ。
例えば、恐らくだが、雨上がりの青空は、大気中にまっている塵が少ないので、澄み切っている。これは物理的に見ると、前述のレイリー散乱が弱まり、普段は上空で散乱しきってしまい届かないバイオレット色が、地上にも到達している…ということはないだろうか。
日本人は、そういう澄み切った空を、単に『青』と表現せず、特別に『蒼天(そうてん)』などと呼んだ。 蒼(あお) ─── これは地表に到達したものの、目には見えないバイオレット色を、日本人の微妙な感性が感じ取った結果として生まれた名前ではないだろうか。
紫の花は、不思議な美しさがある。その花びらを見ていると、吸い込まれそうになる不思議な奥行きがある。その美しさに魅せられながら、無心でデジカメのシャッターを押した・・・だが後で見てみたら、ただの青い花になってしまってがっかり ─── これもバイオレットの魔術ではないだろうか。 バイオレットには、パープルにはない不思議な奥行きがある。そしてその花の美しさは、決してデジカメに写らない。
最新のテクノ・ミュージックを演奏するクラブハウスでは、紫外線(=多くバイオレット色を含む)のライトがまばゆく光輝き、バイオレット光のレーザー光が飛び交う。バイオレット色は暗い藍色にしか見えない。だがそれが、何かしらの独特な高揚感を生み出す。
これは飽くまでも僕が勝手に考えた仮説だが、人が持っている感覚器に、その感覚器が感知できる限界を超えた刺激を与えると、それが人に独特な高揚感を与えるのではないだろうか。
インドネシアの民族音楽・ガムラン音楽で利用される金属製の楽器は、人間の耳が感知できる周波数を超えた周波数帯域の金属音を発生させる。この耳に聞こえない超音波が、演奏者と聴者を、独特なトランス状態へと誘うことが知られている。
人間の認知能力を大きく超えた複雑な和声や転調、複雑なポリリズムと変拍子、壮大な曲の構造は、それを聴く人間にある高揚感を与える。
バイオレットは、人間の目が感知できる波長の限界領域にある。目立たない見えにくい色だ ─── だが、それが目に飛び込むと、人に不思議な高揚感を与える。
空の色は何色か・・・この論争は、そんな人を惑わすバイオレットが起こした認知のゆらぎのいたずらなのかも知れない。