たいていのタイの庶民食堂にはケックフワイが置いてある。甘さが強いが、スッキリ飲めて非常に美味しい飲み物だ。
大抵は、大量に作り置きにしてあり、注文するといつでも出してくれる。
この様に作りおきして冷蔵庫に入れ、店先で売られていることもある。
大抵は、下記のような非常に中華色が強い店で売られている。
筆者も最近知ったのだが、これは実は「菊花茶」なのだそうだ。タイにある中華の食べ物や飲み物は、華僑がタイに持ち込んだ飲み物だが、菊花茶も恐らく華僑が持ちこんだものの筈だ。
タイの華僑は「潮州人」と呼ばれている。潮州人は、いわゆる日本人がイメージしている中国人とは全く違う。潮州人とは一体何者なのだろうか。以下で見ていく。
そもそも中国とは
中国人は決して一様ではない。国を挙げて中国に対する極端に偏ったイメージを騒々しく宣伝している日本に住む方にとっては想像もつかないことかも知れないが、中国には、もはやひとつの国とはとても言えない程の大きな多様性がある。中国は、大きく大別して5〜6の地域に分けられる。
- 東北(沈陽やハルピンの人)
- 中央(北京・天津)
- 上海
- 広東
- 四川
- 雲南
これらは、文化風習が違うだけでなく、言語も違う。場合によっては字も違う。異なる地方の人同士では、コミュニケーションが難しい。それぞれが、違う国と言って良いほどに違う。
中国は、面積も人口も民族数も、ヨーロッパよりも大きい。「中国人」という呼び名は、「ドイツもフランスもイタリアも同じようなものだ!」「面倒くさい!全部まとめて欧州人でいいや!」というのと同じくらい、乱暴な呼び名だ。
中国の民族制度の運用実態として見ると、『少数民族』とはせいぜい「漢族ではない」という程度の区分でしかない、という見解もある。よって、実態は、公称の56よりはるかに多い民族が存在すると考えられる。
つまり、中国というのは「建国した時から統合済みのEU」といえる。国家の統合は決して簡単なことではない。文化も技術も高度に発展した国の集合であるEUですら、国家の統合にはまだ成功していない。それを中国は、強引に統合してしまった。統合によってどれくらいの歪が生まれているのか、計り知れない。
中国は、ひとつの国とみなすこと自体、相当に無理がある。
潮州とは
潮州は、広東省広州の東に存在する小さな港町だ。世界中の華僑は、しばしば潮州から来ている。タイは、世界最大の華僑社会を抱えている。タイの大半の華僑も潮州から来ている。中国人は商売が上手だ、という印象があるが、中国人は全体的に見ると商売が下手くそな人ばかりだ。
しかし潮州人をはじめとした中国沿岸部の人たちは極めて特殊で、高い商業の技能を持ち、華僑として世界中に飛び出した ─── 結果、世界中の人たちに「中国人は商売が巧い」と思わしめた。だがこれは決して一般的な『中国人』という訳ではない。大半の中国人は、潮州人のような高い商業の技能を持っていない。
つまり、我々が見ている『中国人』は、しばしば潮州人だ。
潮州は、ここにある。
次のビデオは、タイのカップ麺のコマーシャルだ。他愛もないコマーシャルかも知れないが、潮州出稼ぎ商人の時代劇風になっており、潮州の人がどういう風にタイに出稼ぎに来たのか、雰囲気が伝わる。
潮州人は「潮州語」 と呼ばれる、中国語とも広東語とも異なる言語を話す。 潮州人は、北京とも広東とも違う、とても面白い芸能文化を持っている。ネット上で「潮劇」などと検索して見ていくと、とてもおもしろい。
古い潮州語のドラマ。
タイの華僑文化には、中国の昔ながらの文化がたくさん残っており、今の中国よりもずっと中国っぽい。今の中国は、欧米に侵略され、政治的に激しく干渉された影響で、すっかり古い文化が破壊されてしまった。
日本語は意外と潮州語と似ている
これまで、タイの「中国人」は、たくさんある「中国の民族」の中でも、特に「潮州人」と呼ばれる人たちだ、という事を見てきた。次に、タイにある中華料理は、大半が潮州人が持ち込んだものなので、タイ語での名称は、大抵、潮州語での名称の音訳になっている、ということを見ていく。
「ケックフワイ」は、「菊花」の潮州発音。
前述のジュース「ケックフワイ」は、「菊花」の潮州読みらしい。
ここで極めて興味深いことがわかる。
現在の中国の標準語、北京語では「菊花」の読みは「ケック フワイ」ではない。「ジュ フワ Júhuā」だ。日本語での読みは、読者も御存知の通り「キッカ(キク カ)」だ。
キクとケックは、明らかにキクとジュよりも発音が似ている。この様に、潮州語と日本語の漢字の読み方は、場合によって、北京語と日本語の漢字の読み方よりも、ずっと似通っている。
他にも、潮州語と日本語には、似た単語が存在する。
例えば、数字も似ている。(参考)
潮州語で「餃(ギョウ)」を「ギヤオ」と読むらしいことがわかった。
ギョウとギヤオの発音の違いは、漠然と呉音を彷彿させないだろうか。関連は、不明だ。これは恐らく非常に興味深い研究テーマとなる筈だ。
土地の神様を祀る為のものなので、基本的に床に置く。稀に棚の上に置く人も居るが、筆者はあまり見たことがない。
潮州人は、商人の文化で、各地を転々と移動する人も多い。聞くところによると、引越しの時、地主神を一緒に持って行ってはいけないのだそうだ。 飽くまでも土地の神様を祀る為のものなので、土地に置いておくべきものなのだそうだ。理想的には、林の中に捨てて行くのがよいらしいが、そのまま店に置きっぱなしにしてしまうことも多い、とか。
自宅や自営店で祀るだけでなく、華僑系の仏教のお寺でもしばしば祀られている。
これはバンコクのフワランポーン寺だ。この写真ではわかりにくいが、この正面に地主神が祀られている。
上記の写真は、京都の地主神社の写真だ。何故この神社が「地主神社」と呼ばれる様になったのかは、明らかでないらしい。だが筆者の個人的な印象として、漠然と『真っ赤な祭壇』というノリに潮州と近いものを感じている。
地主神・ウィキペディア
このウィキペディアによれば、日本の地主神は、概念としては明らかに潮州の地主神と同じものだ。
更に調べてみた所、中国語のウィキペディアに面白いことが書かれている事に気付いた。実は地主神は、潮州に特有な概念でないらしい。
地主神 - 维基百科
日本・朝鮮半島・台湾・潮州・広州という沿岸部に広く存在する概念であるらしいことを伺わせている。
この様に、日本と中国・朝鮮の文化に連続性が見つかることは、珍しいことではない。だが、日本の民族研究の学者は、日本の文化が日本外の文化と似ているという発想を極度に嫌い、理由なく否定する強い傾向がある。日本文化の大陸との連続性を躍起になって否定し、研究したがらない。
筆者は、実は今、日本の古来からある宗教とされる神道自体が、大陸から渡来したものなのではないか、という強い疑いを持っている。
幸運なことに、現代はネット時代。情報は、無限に得られる。
タイの仏教は、日本の仏教よりもオリジナル仏教の形に近い。よって、タイの仏教と日本の仏教を比較すると、その間に、どれくらいの異物が混ざりこんだのかを観察することが出来る。
タイ人がどういう風に仏を祀るか見てみよう。タイの人は、しばしば家の1部屋を「仏の間(ホンプラ)」と決め、そこに仏様を祀る習慣がある。
この様に、一段高くした場所に仏像などを置いて祀る。
以下の写真は、個人宅ではなく、お寺の仏の間だ。
次に日本の仏間を見てみる。
筆者が思うのは、日本の仏の間は、必ず仏を箱に入れている ─── つまり『仏壇』だ。タイの仏教では仏を箱に入れない。この『箱に入れる』という発想が、筆者はとても中国的に感じられる。何故かというと、潮州人は地主神をしばしば箱に入れているからだ。
この様に、棚に入れていたり、或いは祭壇自体が以下のように箱に近い形になっていたりする。
この日本の「仏を箱に入れる習慣」=仏壇は、元々は、唐の時代の仏教の習慣で、その時に日本に伝わったものらしい。オリジナルの仏教にはない習慣だ。つまりこれは、仏教とは関係のない中国の風習だ。
この様に、日本人が当然のように仏教の風習だと思っているものに、しばしば仏教とは無関係のない、中国の風習が混ざりこんでいることがある。
例えば、阿形吽形もそうだ。これは中国の僧の像であり、オリジナルの仏教にはない。(検索リンク)
他にも、オリジナルの仏教には、位牌がない。死者の名前を位牌に書き記す習慣は、後漢時代の儒教の習慣が日本に伝わったもので、基本的に仏教とは無関係の習慣だ。
日本の仏教のお寺にあるものの原典を調べると、実は中国の密教のシンボルであることがしばしばある。これに関しては、詳細に研究が必要ではないか、と思う。
日本の歴史を調べる為に、日本の周辺国の歴史文化を調べることは極めて重要である筈だ。
更に筆者が言いたいことは、これだけ日本国内に東南アジアや中国沿岸部と共通の文化があるのに、日本は頑なに「日本文化は中国文化とは全く関係のないオリジナル」と突っぱねて、全く詳細に研究したがらないことだ。
全く持って滑稽なことだが、ある意味、まるで自分自身が中国人であることを隠すかのようなとぼけ方である。
更新記録
初版 (Fri, 02 Oct 2015 12:13:07 +0700)
現在の中国の標準語、北京語では「菊花」の読みは「ケック フワイ」ではない。「ジュ フワ Júhuā」だ。日本語での読みは、読者も御存知の通り「キッカ(キク カ)」だ。
- ケックフワイ(潮州)
- ジュ フワ(北京)
- キク カ(日本)
キクとケックは、明らかにキクとジュよりも発音が似ている。この様に、潮州語と日本語の漢字の読み方は、場合によって、北京語と日本語の漢字の読み方よりも、ずっと似通っている。
他にも、潮州語と日本語には、似た単語が存在する。
例えば、数字も似ている。(参考)
1・2・3・4・5・6・7・8・9・10サン・スー・ンゴー・ラック辺りは、物凄く訛った日本語と言っても良いくらいには、似ている。
セック・ノ・サン・スー・ンゴー・ラック・チック・ポイ・カオ・サップ
餃子
餃子の事を北京語では「チャオツ」と呼ぶ。潮州語での発音が不明だが、タイ語では「キヤオサー」と呼ぶので、恐らくそれに近い発音なのではないか。御存知の通り日本語では「ギョーザ」だ。- チャオツ(北京)
- ギヤオサー(タイ=恐らく潮州語由来)
- ギョーザ(日本)
潮州語で「餃(ギョウ)」を「ギヤオ」と読むらしいことがわかった。
ギョウとギヤオの発音の違いは、漠然と呉音を彷彿させないだろうか。関連は、不明だ。これは恐らく非常に興味深い研究テーマとなる筈だ。
醤油
醤油の事を北京語で「ジヤンヨウ」と呼ぶ。潮州語での発音は不明だが、タイ語では「シーイウ」と呼ぶので、恐らくそれに近い発音なのではないか。御存知の通り日本語では「ショウユ」だ。- ジヤンヨウ(北京)
- シーイウ(タイ=恐らく潮州語由来)
- ショウユ(日本)
タイ・ラーメン(余談)
余談だが、タイのラーメン・クワイティアオ ก๋วยเตี๋ยวの語源は、中国語の粿条【Guǒ tiáo】グオティアオの音訳らしい。興味深いのは、タイ語での標準的な発音は「クワイティアオ ก๋วยเตี๋ยว kwai4 diao4」なのに、日常会話ではそう発音せず「ゴッティアオ」と発音する人が多いことだ。 それは、恐らくだが、元となった中国語の発音の影響だろう。潮州文化と日本文化の類似点
食べ物だけでなく、他の文化にも漠然とした関連が見える。その事を以下で見ていこう。潮州人の地主神
タイの潮州商人の家に入ると必ず、真っ赤な『仏壇』が床に置いてある。これは仏壇ではなく「地主神」と呼ばれる潮州人の精霊信仰のひとつだ。土地の神様を祀る為のものなので、基本的に床に置く。稀に棚の上に置く人も居るが、筆者はあまり見たことがない。
潮州人は、商人の文化で、各地を転々と移動する人も多い。聞くところによると、引越しの時、地主神を一緒に持って行ってはいけないのだそうだ。 飽くまでも土地の神様を祀る為のものなので、土地に置いておくべきものなのだそうだ。理想的には、林の中に捨てて行くのがよいらしいが、そのまま店に置きっぱなしにしてしまうことも多い、とか。
自宅や自営店で祀るだけでなく、華僑系の仏教のお寺でもしばしば祀られている。
これはバンコクのフワランポーン寺だ。この写真ではわかりにくいが、この正面に地主神が祀られている。
日本の地主神
実は、潮州人の地主神と極めて類似したものが、日本にもある。京都の地主神社を御存知だろうか。上記の写真は、京都の地主神社の写真だ。何故この神社が「地主神社」と呼ばれる様になったのかは、明らかでないらしい。だが筆者の個人的な印象として、漠然と『真っ赤な祭壇』というノリに潮州と近いものを感じている。
地主神とは
現代タイ社会では、とても重要な意味合いをもつ地主神。実は、日本の神道にも「地主神」という概念が存在するらしい。地主神・ウィキペディア
─── 日本の神道などでは、土地ごとにそれぞれの地主神がいる、とされている。その土地を守護する神であるとされているのである。土地は神の姿の現れであり、どんな土地にも地主神がいる、とする説もある。神社や寺院に祀られることが多く、その地主神は、その神社、寺院が建っている地域の地主神である。
このウィキペディアによれば、日本の地主神は、概念としては明らかに潮州の地主神と同じものだ。
更に調べてみた所、中国語のウィキペディアに面白いことが書かれている事に気付いた。実は地主神は、潮州に特有な概念でないらしい。
地主神 - 维基百科
日本・朝鮮半島・台湾・潮州・広州という沿岸部に広く存在する概念であるらしいことを伺わせている。
この様に、日本と中国・朝鮮の文化に連続性が見つかることは、珍しいことではない。だが、日本の民族研究の学者は、日本の文化が日本外の文化と似ているという発想を極度に嫌い、理由なく否定する強い傾向がある。日本文化の大陸との連続性を躍起になって否定し、研究したがらない。
筆者は、実は今、日本の古来からある宗教とされる神道自体が、大陸から渡来したものなのではないか、という強い疑いを持っている。
(日本の仏教) − (タイの仏教)=(中国の密教)
日本にも仏教があるが、タイにも仏教がある。仏教は元々インドで生まれたもので、それがタイなどの東南アジアを通り、中国に伝わり、最終的に日本に伝わったものだ。この数千年に及ぶ壮大な『伝言ゲーム』の間に、仏教は大きく形を変えている。幸運なことに、現代はネット時代。情報は、無限に得られる。
タイの仏教は、日本の仏教よりもオリジナル仏教の形に近い。よって、タイの仏教と日本の仏教を比較すると、その間に、どれくらいの異物が混ざりこんだのかを観察することが出来る。
タイ人がどういう風に仏を祀るか見てみよう。タイの人は、しばしば家の1部屋を「仏の間(ホンプラ)」と決め、そこに仏様を祀る習慣がある。
この様に、一段高くした場所に仏像などを置いて祀る。
以下の写真は、個人宅ではなく、お寺の仏の間だ。
次に日本の仏間を見てみる。
筆者が思うのは、日本の仏の間は、必ず仏を箱に入れている ─── つまり『仏壇』だ。タイの仏教では仏を箱に入れない。この『箱に入れる』という発想が、筆者はとても中国的に感じられる。何故かというと、潮州人は地主神をしばしば箱に入れているからだ。
この様に、棚に入れていたり、或いは祭壇自体が以下のように箱に近い形になっていたりする。
この日本の「仏を箱に入れる習慣」=仏壇は、元々は、唐の時代の仏教の習慣で、その時に日本に伝わったものらしい。オリジナルの仏教にはない習慣だ。つまりこれは、仏教とは関係のない中国の風習だ。
この様に、日本人が当然のように仏教の風習だと思っているものに、しばしば仏教とは無関係のない、中国の風習が混ざりこんでいることがある。
例えば、阿形吽形もそうだ。これは中国の僧の像であり、オリジナルの仏教にはない。(検索リンク)
他にも、オリジナルの仏教には、位牌がない。死者の名前を位牌に書き記す習慣は、後漢時代の儒教の習慣が日本に伝わったもので、基本的に仏教とは無関係の習慣だ。
日本の仏教のお寺にあるものの原典を調べると、実は中国の密教のシンボルであることがしばしばある。これに関しては、詳細に研究が必要ではないか、と思う。
終わりに
筆者が言いたいことは、潮州人は、歴史的に日本に何度も渡来し、日本に色々な大陸文化を伝えている筈だということだ。大陸系の民族が日本に渡来した歴史を調べるのに、何も弥生時代にまで遡る必要など何もない。日本の歴史を調べる為に、日本の周辺国の歴史文化を調べることは極めて重要である筈だ。
更に筆者が言いたいことは、これだけ日本国内に東南アジアや中国沿岸部と共通の文化があるのに、日本は頑なに「日本文化は中国文化とは全く関係のないオリジナル」と突っぱねて、全く詳細に研究したがらないことだ。
全く持って滑稽なことだが、ある意味、まるで自分自身が中国人であることを隠すかのようなとぼけ方である。
更新記録
初版 (Fri, 02 Oct 2015 12:13:07 +0700)
第2版 (Fri, 02 Oct 2015 23:21:25 +0700) 細かな加筆訂正