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2008年3月4日火曜日

昨日と今日の日記 (mixi05-u459989-200803040053)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
昨日と今日の日記
2008年03月04日00:53
昨日は、Nという名前で都内各地での音楽イベントを企画している旧友のK氏と会った。
今日は、数学博士のつっきー氏と会った。



この二人はごく無名だけど、とても知的な人たちで、地道に活動を続けている。

K氏はとても頭の回転の速い人で、話しているととても刺激を受ける人だ。
ツッキー氏もいつも興味深い数学の話で聞き手を飽きさせない。



なんとなく思った。 なんというか、インターネットは、本当の意味で誰もが表現の自由と平等を与えたと思う。 だけど、結果的に、世の中のほとんどの人は才能がないということも白日の下にさらしてしまう結果となったのではないだろうか。

もちろん才能がないことは罪じゃない。 才能があることが 才能がない人より優れている、才能がない人は価値が少ない、ということじゃない。 問題はそこじゃない。

世の中で表現したいと考えているほとんどの人は、才能があると思っている才能がない人なのだと思う。 こういう人は世の中にたくさんいる。 そして、その中に本当に才能を持った人が少数いる。

ところが、インターネットのスケールメリットというのは、天文学的なものがあって、今のインターネットアプリケーションはそのスケールに対応できていないのが問題なのだ。 だから、こういう100万分の1とか 1000万分の1とかいうようなそういう細かいもの=微細な才能は、他の多くの雑音にかき消されてしまい、見えなくなってしまう。

それが問題だと思う。

それを見つけるためのシステムは、今のインターネットにはない。

ほとんどの人は、有名な人の隣に自分の名前が表示されるだけで、対等なのだと勘違いしていまう。 大勢に自分の名声がとどろくだけで満足なのだ。 そういうコンテンツに僕はもう飽き飽きだ。


この意見が多くの人の反感を買いかねないということは、よくわかっている。

だけど、やっぱり、僕は、ちゃんときちんと予算をかけた環境で才能のある人が安心して腕をふるって作りこまれた作品を見てみたい。


コメント一覧
クレ   2008年03月04日 01:37
何かひとつでも人よりすぐれたものがある方は、そういうこと、

>世の中のほとんどの人は才能がないということも白日の下にさらしてしまう結果となったのではないだろうか

を感じる機会が多いのだろうと思います。でも、何も特別な才能がないと、逆に世の中にはすごい人がいっぱいいるんだと驚くことの方が多いですよ。私にとってすごい人たちも、だからといって世に認められるわけでもなくて、ただ野にいる普通の人だと言うことを考えると、ちょっとやそっとの才能では、普通に生きられるだけなんだと実感してしまいます。

まだネットに慣れていない頃、アカウントを決めるとき、どんな奇抜な名前考えても、大抵すでに使われていて何度も作り直す羽目になって、自分と同じような考えの人は山ほどいるんだと、自分の知性のありきたりさ加減にショック受けたこともあります。

ウエブ時代では、一度大御所という地位に上がっても、それを維持できない時代だときのうの本には書いてありました。野にいる知性と並べられて常に比較されてしまいますものね。

本物が見抜ける目には、雑多すぎて腹たつことの多いネット環境だと想像できますが、リアルでは誰にも会えない生活をしている身には、本物でなくても十分に刺激的な世界です。
おかあつ   2008年03月04日 01:53
> でも、何も特別な才能がないと、逆に世の中にはすごい人がいっぱいいるんだと驚くことの方が多いですよ。

でも、僕は思うんですよ。 多少なりとも才能を持っている人は当然の様にそう思っているのだと思います。 つまり、世の中にはすごい人がいっぱいいるなって思ってるもんだと思います。 すごいということが、どんなに大変なことか知っているからです。

世の中にいるめったやたらに発信している人のほとんどは、そう思っていない人です。


>ウエブ時代では、一度大御所という地位に上がっても、それを維持できない時代だときのうの本には書いてありました。

凄く反論的で申し訳なくなってしまうのですが、僕は凄くその考え方が嫌いです。 何故かというと、きちんと才能を育てて維持するためには、安易な批判・暴言雑言にさらされることのない安全な場所をきちんと確保することが必要だからです。 それなのに、今のネットの人は、そのことを知らずに、安易に才能のある人を競争させて潰してしまうんです。 だから凄く破壊的な考え方だと思うのです。 芸術を理解できない典型的なネット人間の考え方です。

僕はしばらく音楽業界の片隅にいて中を覗いていたことがあるのですが、そこで垣間見たものと、今のネットを比べると、今のネットって もの凄く暴力的に見えます。
クレ   2008年03月04日 03:27
>凄く反論的で申し訳なくなってしまうのですが

いえいえ私こそ、おかあつさんのところに気ままなこと書いていまして申し訳ないです。

>多少なりとも才能を持っている人は当然の様にそう思っているのだと思います。

私の場合、絵や詩、短歌をみるときこれを思うことがあります。この程度で自分だけが納得して、何も知らない人間に「上手ねえ」とお世辞半分かもしれない賞賛をうけつつご満悦になっている様は、見ていられないと・・・。自分もたいしたことないのにずうずうしいですが。

芸術は自分ができてもできなくてもいい悪いを評価できる場合があります。まあ、ただの好き嫌いの場合もあります。

逆に、かつて勉強のために英語日記を書き始めたばかりの頃、英語の先生らしき人から、間違いだらけの英文を垂れ流すのは害悪だとBBSに書かれたことがありました。 ごめんなさいと言いつつ、垂れ流し続けて、3ヶ月ほどで自然に飽きましたが。


>きちんと才能を育てて維持するためには、安易な批判・暴言雑言にさらされることのない安全な場所をきちんと確保することが必要だからです。

>安易に才能のある人を競争させて潰してしまうんです。

この状況がよく見えません。それはアーティストの今置かれた立場なのですよね?

私の知らない世界なのです。ごめんなさい。

ネットの中で育つ芸術っていうものがイメージできないのです。

この話題、前にも一度書きましたね。私はレベルの低い立場で日々情報を発信しているもので、ついそれに絡めて書いてしまうのですが、おかあつさんが問題にしているところはたぶん違うのですよね?

もっとそれなりに高い位置で、多少なりともそれで生活している同士の話なのかもしれませんね。

土俵違いのことで、感想書いているかもしれません。ごめんなさい。

>今のネットって もの凄く暴力的に見えます。

そういう面もありますね。今はプラスとマイナスのどちらが多いのかも私にはわかりません。怖いとも思うし、可能性が開けているようにも思えますし・・。混沌としている以上、きっとたくさんの問題があるのでしょうね。












おかあつ   2008年03月04日 04:40
> 逆に、かつて勉強のために英語日記を書き始めたばかりの頃、英語の先生らしき人から、間違いだらけの英文を垂れ流すのは害悪だとBBSに書かれたことがありました。

もしこれが正しかったら、韓国とかシンガポールとかの人は国全体が害悪ってことだよな... とかそういうことも思うのですが... その人にとっては話し方が普通じゃない黒人も害悪の範疇なんでしょうか。

僕がいわんとしていることはそういうことじゃないのです。 とはいえ、どう違うのかといわれると、その違いを説明できないので、よく考えてみます。

おかあつ   2008年03月04日 04:40
これがスポーツとかなら、どんなに暴言雑言が飛び交っていようと、構わないんです。 なぜかっていえば、それは、勝ち負けがはっきりしているからです。 どんなにむかつくヤツでも点を入れれば勝ちです。 そこには何のあいまいさもありません。

でも芸術は、誰が一番優れている、ということははっきりと定義できません。 あくまでも主観の問題でしかないので、誰かがそれを良い、と思えばそれは良いのです。

だから、芸術に限っていえば、(究極的にはですが) ある程度の「視野の狭さ」を持っている人じゃないと、高度な芸術を形成しづらいというところがあるのです。

未完成の形成過程にあるものを見ると、多くの人は、ドカドカと踏みにじるように、欠点ばかりを批判していきます。 元々形成過程にある未完成なものなので、批判はもっともです。 しかし、それをどうやって発展させるのかが本来は問題としなければいけないのですが、多くの人はそういう視点を持ち合わせていません。 才能のある人の多くは傷つき易く自信も失い易いもので、 そういう批判の矢面に立たされると、多くの場合は製作自体をやめてしまいます。

だから、面白い芸術を見たいと思ったら、才能がある人を見つけて、その人を、そういう乱暴な意見からある程度隔離された場所 ─── それでいながら、信頼できる人とはきちんとコミュニケーションできるというような、蚕の繭の様な環境に閉じ込めることが必要なのです。

ちなみに、僕の意見では、今、テレビの業界とか、ラジオの業界とかが、ネット業界に拒否反応を示している理由はここにあると思います。 一度、テレビやラジオのような大きなメディアにのった作品というのは、膨大な人数の いい人にも悪い人にも、いろいろな人に踏みにじられて、メチャメチャにされていくのではないかと思います。 要するに、田中△△子、最近デブったよな... 木村○○ 実はすげー遊び人らしいぜ ... とか 実際に世界中の人から言われるような状況になるっていうのは、かなり信じがたい生活の支障があるのだと思います。 そういう世間とはある程度無縁な環境を作っていないと、まともな神経ではやっていけないんだと思います。

また、すごい才能を持った人が口下手でしかも性格が悪いなんてことはザラですし、そういう人がいきなり世間と衝突すると、戦争になりかねません。 そういう理由であちこちで炎上しているんだと思います。

こういうコンテンツ制作の現場の事情をまったく理解しないネット業界連中の粗野さにうんざりしているのではないでしょうか。 そういう意味では、映像・音楽のダウンロードサイトの林立っていうのは、正にコンテンツ制作の現場を知らない粗野な行動の最たるものなのでしょう。

問題を挙げていくとキリがないんですが、僕は基本的に、テレビ・ラジオ・脱却論者なのです。 本当はインターネットだけで全てが全てを実現できるはずだ、と考えています。

だけど、今の現状は、テレビに出ている人のブログを読む、とか テレビで紹介されたサイトを見る、といった半々の使われ方がされています。 これは、僕はインターネットのシステムの不備だと思っているんです。

テレビはある程度クオリティーの担保があるわけです。 テレビに出ているのだから、間違いはないだろう。 テレビに出ているのだから、いいものだろう。 という安心感がある。 インターネットで紹介されているだけだと不安だけど、テレビで紹介されたものなら、間違いがないだろう、というように、テレビに安心感を担保にして、インターネットが存在しているというような感じになっています。

本来であれば、インターネットだけで担保を醸造しなければいけないはずなのですが、今のインターネットには 信頼の担保を実現するシステムがないのです。 つまり、玉石混在の今の状況です。 最初にお話したことにつながるわけです。

僕の話していることは、とても特殊な意見だということはよくわかっています。 本当は、きちんとした文章にまとめて、本とかにしなければいけないことなのだと思います。 だけど、結局、どうあるべきなのかを語る人は、既にたくさんいるわけで、どうあるべきなのかを実践している人は、ほとんどいないというのが現状です。 本を書いたとしても、結局これも玉石混在で埋もれていくことは容易に想像でき、これもまた、あまり意義が感じられないのです。
 
出展 2008年03月04日00:53 『昨日と今日の日記』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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