FLAGS

筆者おかあつ 大きな区分 記事の区分 記事の一覧 検索 ツイート

2015年12月28日月曜日

クズ人間は捨てろ (oka01-bfyvxldtprtwlrhm)

 ─── この文章は、僕の『昔の自分との決別』の宣誓だ。



僕は10代の頃、生活苦から都内で新聞配達奨学生をやっていた。新聞配達奨学生というのは、毎朝夕新聞を配る代わりに、新聞社が学費や生活費を肩代わりしてくれるという制度だ。朝は3時起き。雨の日も、風の日も、雪の日も、自転車をこいで配達に行かなければいけない。

僕は、定時制高校に4年以上通っていた。仕事が忙しくて学校に通いきれなかった。仕事と学校を両立する最後の手段。それが新聞配達奨学生だった。

新聞配達奨学生の業務は、配達だけではない。集金と呼ばれる、区域内の読者から購読料を徴収するという仕事も業務に含まれる。配達は、機械的に体を動かしていれば終わる。慣れることで配達は迅速に終わるようになる。だが集金は配達と異なり、どうしても運に左右される。

折角、遠い家まで自転車をこいで行っても、留守であれば、集金は終わらない。その人が在宅だと思われる時間を狙って訪問しても、運悪く留守であれば、再度訪問しなければいけない。朝夕の配達が終わり、食事を済ませてから夜遅くまで区域内の家を集金してあるく業務は、決して楽ではない。翌朝3時には起床し配達に行かなければならないからだ。

留守がちな家であれば夜10時就寝時間ギリギリを狙って集金しなければならないこともある。睡眠時間と配達時間のギリギリの攻防の中で集金を行う。

留守がちな家から集金するのは、実に苦痛だった。常に在宅である家や企業事務所等々であれば、一度の「集金まわり」でまとめて集金することができるので、一件あたりに掛かる時間はさほどでもない。だが、留守がちな家は、どうしても個別対応を取らなければならない。その家一件を集金するだけのために、自転車をこいで、行き30分帰り30分程度の時間を浪費せねばならない。そして彼が家に在宅かどうかは運次第だった。そういう留守がちな家から集金する為に、なんども足繁く通う。

その毎回1時間の浪費は、新聞配達奨学生に取って身を切る様な貴重な1時間だった。 忙しい時間を縫うように勉強もしなければならない。学校の勉強もあった。僕は、当時から数学や科学に興味があり勉強を続けていた。「大検」と呼ばれる資格を取るための勉強もしなければならなかった。そんな極めて忙しかった新聞配達奨学生の1時間というのは大変に貴重だった。

遊びたいざかりの時期でもある。友達がみな楽しそうに遊びに行っているなかで、自分だけ遊びに行かずに新聞配達に行くというのは、それだけで非常に精神的に辛いものがある。

多大なる犠牲を払って辛うじて得た1時間を、購読者の気分次第で棒に振らねばならない、その苦痛というのは、筆舌に尽くしがたいものがある。

--------------------------------------------

そういう中、僕の配達区域内にMという購読者がいた。Mは、その当時の僕の配達区域にある某上流階級向けの大学に通う大学生だった。大学の側にある綺麗な高級アパートに独り暮らししていた。彼はほとんど留守がちだった。ポストに配達した新聞がなくなっているところを見れば、毎日一度は部屋に戻ってはいることはだけはわかるが、いつ行っても留守で、滅多に集金が成功しない。集金がたまりがちだった。

新聞奨学生は、月1回給与を受け取るのだが、集金課題の残数が10を切らなければ給与を受け取ることができない。そんななかこのMは、ネックとなることが多かった。

何度行っても集金できないだけでなく、窓を覗きこむと明らかに電気が点いている、にも関わらず、玄関口に出てこないということも何度か重なった。

Mは僕にとって実に頭の痛い購読者だった。そうでなくてもストレスの多い新聞配達の業務の中で、電気が点いているのに玄関口にすら出てこないというのは、僕の逆鱗に触れるのに充分だった。

僕はある日、いつもの様にMの家に集金に行き、いつもの様に電気が点いており、にも関わらず玄関口に出てこない、という事が起きた。僕は、玄関のドアを蹴飛ばして帰ってきた。元より留守である。しかもその階には、その部屋以外に部屋はない。誰も耳にすることはない。

その後、数度Mの家を集金したが、毎度彼は留守であり、その中の何度かは部屋の電気が点いていた。ある日もMの家に集金に行き、例によって電気は点いていたが、彼は出てこなかった。僕は力まかせにドアを蹴って、立ち去った。すると彼が突然ドアから出てきたのだ。

彼は、僕とほぼ同年齢だった。

僕は言った。「何故家にいるのに出てこないのか。何度集金にこさせれば気が済むのか。」と。

彼は「僕の部屋は、ドアベルが壊れていて聞こえないことがある。中には彼女が居て怖がっている。何故ドアを蹴るのか。」と言った。

「僕は新聞奨学生で物凄く忙しい思いをしている。君が出てこないことにより、僕は何度も君の家を訪問するという憂き目にあっている。本当に留守なら話は分かる。だが在宅なのに出てこないというのは、どういう嫌がらせなのだ。」

「それは単に聞こえなかっただけなのだ。だからといってドアを蹴って良いという理由にはならないだろう。」

彼は、実に裕福な家の育ちだった。彼にしてみれば、僕などは人間ですらない。集金に来て留守であるというだけで、ドアを蹴飛ばす狂人なのだ。まともに扱う価値のないクズ人間であり、まともに扱えば自分までクズが伝染ってしまう、そんな有害な人間だった。彼にとって、僕がしている苦労など、配慮するに足りない。何故なら僕は、彼にとって人間ですらないからだ。

彼だけではない ─── 世の人間全員が、僕をクズ人間として扱った。何かにつけて無知をなじり、知能のないバカ扱いをする人間も居た。あるいは、お金のやりとりをする時に重なって渡した1万円札をそのまま受け取ってしらばっくれる奴も居た。新聞配達奨学生にとって、1万円というのは実に貴重なお金だったが、単に利己主義的にしらばっくれる。


当時、僕の周辺にいた学生は、潤沢にお金を持っており、勉強するための費用も困っていなかった。仮に僕が、彼らと同じ能力・同じ努力量があっても、彼らはその潤沢な費用を行使して豪華な装備を揃えることができる。僕が走る速さとは比較にならない、桁違いに速いスピードで走り抜く事ができる。 僕が軽トラックで汗水たらして走っている横を、彼らはF1カーに乗って物凄い勢いで抜かし去っていく。

彼らにしてみれば、僕などはゴミなのだ。まともに扱う価値すらない。

--------------------------------------------

時は過ぎた。

僕は、偶然僕が持っていたプログラミングという技能により、無学歴のままIT系企業就職し、時代の流れにのってある程度成功し、多少裕福になった。得た資金は全て、自己教育に再投資し、延々勉強を続けた。これにより僕の能力もある程度は、社会的に認められた。IT系職人として、東証一部上場企業を渡り歩くという経験も出来た。

だが僕は、昔ゴミとなじられ、人間扱いすらされなかった時代が忘れられない。僕はゴミではない。それは僕が持っているお金の量には左右されない。僕は、お金を持っていない時も、僕自身だった。 僕は、きちんと人間として扱って貰いたかった。

だから僕は、誰もゴミ扱いしたくない。人間なら誰でも、きちんと話しあえば理解できる。どんなゴミに見える人間にだって、価値はある。どんなに不貞腐れた自棄糞(やけくそ)な人間も、尊厳を持った人間なのだ、と。

僕にはそういう強い信念がある。

--------------------------------------------

更に、時は過ぎた。

僕は、タイに来た。三十路も超えてから英語とタイ語とラオ語の勉強を同時に始めたが、その後6年間は解らない聞こえない通じない苦しい時期が過ぎた。だが6年目に敢行した雲南省での中国語留学で『多言語方言地獄』に堕ちた経験がきっかけとなり、中国語・ラオ語・タイ語・英語が突如、全て同時に話すことができるようになった。

今でこそ中国語・ラオ語・タイ語・英語を話分けられるようになった。

だが10年前、僕は何も話せなかった。

僕は、曲りなりにも5ヶ国語を話せるようになったが、話せなかった時も同様に、僕は僕だった。話せるようになった今も、僕は僕のままだ。僕は何も変わっていない。

新聞配達をして無知で無能でゴミ扱いされてきた僕と、今の5ヶ国語を話せるようになった僕との間に、何ら違いはない。

--------------------------------------------

だがそんな僕は今、クズ人間を捨てようとしている。

--------------------------------------------

2015年末…ごく最近の話だ。

僕が住んでいるマンションには、施設としてプールがついている。プールの更衣室には小さいサウナがついており、僕はこのサウナをよく利用する。その日も僕は、サウナのスイッチを入れ、予熱している間プールで泳いでいた。すると、アメリカ人らしき男性が水着を着てやってきた。年齢は60前後くらいではないか、と思う。決して若くはなかった。

彼は、女の子の子供を連れていた。 その子がプールに向かって走ってくる時、僕は彼女が「カタック!カタック! ga' taek2 ga' taek2」と独り言をいいながら走っていることに気付いた。これはイサーン語(タイのイサーン地方の方言、つまりラオ語)で、日本語で言うところの「タッタカ!タッタカ!」の様な走る音の擬音だ。これを聞いた時、僕はこの子のお母さんがイサーン地方出身の人だということを即座に悟った。

お父さんは、プールサイドに座って携帯電話で延々喋っている。僕はこのお父さんの喋り方から、この人がアメリカ人であることを思った。娘さんは、お父さんと話すときは、英語を喋っていた。

僕は、泳ぎ終わってサウナに戻った。戻るなり、そのアメリカ人男性は、いきなり僕に怒鳴っている。僕は、あまりに突然のことなので、何が起こったのか理解できなかった。そもそも僕は、水泳直後で耳栓をしており何を言っているかもよく聞こえなかった。だが話をよく聞いていると「お前が濡れたまま更衣室に入ってくるから床が濡れて滑って転ぶだろう!」という事を言っているらしかった。

僕は、このおじさんは頭がおかしいのだろう、と思った。この更衣室の床が濡れているのはいつものことだ。にも関わらず、いきなり初対面の人間に床が濡れている旨、文句を言うというのは、タイの常識として考えても、(恐らくはアメリカの常識として考えても)ありえない。

だがしかし、僕はこのおじさんのこの物腰に、激しい覚えがあった。ウドンタニで出会ったアイリッシュ系のおじさん達だ。全員とは言わない。だが、恐ろしく僻みっぽく、臆病なくせに物凄い攻撃的なタイプが、『稀に』いる。

僕は、このギャーギャー叫ぶおじさんの肩をポンポンと叩いて、素通りして無視した。

それで、しばらくしてサウナから出てきて、この老人の為に、更衣室の床を拭いてやるか、と思った。僕はこのプールの掃除係の人がどこにモップを置いているか知っていたので、そこからモップを取ってきて、床を拭いてやった。このおじさんは、サウナの中で偉そうに「サンキュ!」と言っていた。僕は、心の中で「何が『サンキュ!』だ!」と思いつつも無視し、外に涼みに行った。

僕には、このひ弱な老人を娘の前で突き飛ばして、身の程を教えてやる、という行動も選択肢として残されていた。だが僕は、敢えて復讐することは考えず、彼が言うとおりに ─── むしろ彼が望む以上の事を彼にしてやることにした。

僕が外で涼んでいると、その老人と娘が更衣室から出てきた。その時の彼の顔が忘れられない。さっきまでの攻撃的な表情が打って変わって、優しい柔らかい表情に変わっていたのだ。まるで別人だった。

「いやな! この間、娘が床が濡れて滑って転んで頭を打ったんだよ!お前が拭いてくれて、本当に助かったわ!ありがとう!」

--------------------------------------------

娘と一緒で神経質になっていたのかも知れないし、外国の生活でストレスからイライラしていたのかも知れない。恐らくは、これだけ気難しい老人なら、友達も少ないかも知れない。友達が少ない中で気遣いを受けるということは、必要以上に嬉しかったのかも知れない。

タイ人は人を物凄くよく見る。態度の悪い人間には見えないように嫌がらせをする一方、気に入った人には必要以上のサービスをすることもある。そういう『えこひいき』の激しいタイの人間関係に疲れていたのかも知れない。

何があったのかは、わからない。

「人間の心というのは、難しい。扱い方次第で、鬼畜にも天使にもなる。」

そう思った。

--------------------------------------------

これは、また別の日の話だ。

終電間際。僕は、帰宅する前に、隣りの街で食事してから帰ろうと思った。普通はBTSと呼ばれる高架列車に乗って移動するのが一番手軽かつ安全なのだが、僕は疲れており、階段を登るのが面倒だった。バス停は目の前でバスさえ来れば飛び乗って降りれば、そこが行きつけの中華麺屋台の前だった。

バスに乗った。タイのバスでは、中に料金を徴収する乗務員がいるシステムになっている。乗車して、若い女性の乗務員に20バーツ札を渡したところ、お金が足りないという。26バーツだという。追加料金が必要なエアコンバスだった上、普段は乗らない路線だった為、まぁそういうものなのかと思いしぶしぶ26バーツ払った。だが明らかに普通よりも高い。

よく見たら、受け取ったチケットが2枚だった。乗務員に「これは2人分か?」と聞いたら、そうだという。「僕は独りだよ!」といったら、後ろの女の子は一緒ではないのか、という。「独りだよ!」と返事した。

その段階で物凄く失礼な発言なのだ。何故なら僕に「この男は、女遊びをしているに違いない。」という隠喩を含めているからだ。その言葉は、僕に失礼なだけでなく、その同時に乗車した女性らを売春婦扱いしたという意味で、二重に失礼だ。

その女性乗務員は、13バーツ返してくれた。だがその女性乗務員は、そこで留まらず、更に追い打ちを掛けるように僕に文句を言い続けた。

「この人は、この期に及んでまだアタシに文句を言うのか!」

僕は、もうこういう人に慣れている。「言わないよ!何も文句言ってないよ!解ってるよ!大丈夫だよ!」と言った。

その女性乗務員は、僕が乗った時からずっと乗客にイチャモンをつけていたので、恐らくストレスがあったのだろうな、と僕は思った。

そこで降りる時にその返してくれた13バーツをチップとしてその女性に渡す事を思いついた。それで降りる時に「ジュースでも飲んで落ち着いて頂戴!」といいながら13バーツを渡そうとしたところ、この女性乗務員は更に怒り、更に悪態を吐き、受け取らなかった。

僕はこの時、流石に『面子が潰された!』と感じた。僕の個人的な意見として、その女性乗務員の対応は、普通のタイ人としてみても、失礼さが度を超えていると感じた。 その突き返された13バーツは、その場に丁度座っていた物乞いの人に上げて、僕はそのまま食事に行った。


何があったのかは解らない。

ひょっとしたら、もうストレスがたまり過ぎて、心が荒み、おかしくなってしまっているのかも知れない。

僕はこの瞬間、「心が腐ってしまった人間というのが、存在するのだ ─── もういくら水をやっても生き返らない、もう二度と花を咲かせることもない、根が腐ってしまった草木と同じ様な人間が。」と思った。


--------------------------------------------

以前何かで読んだのだが、金持ちは大抵何の個性もない、という。金持ちは大抵、無意味に敵を作るリスクを理解しており、誰に対しても丁寧で親切だ。直面した問題に対して、真面目に努力し、よく分析研究して地道に取り組む。礼儀正しく気遣いがあって、他人に対する尊敬がある。 金持ちは全員、判で押したように全く同じ特徴を備えている、という。

ところが貧乏人はそうではない。大変な個性がある。差別大好きなクズ。あるいは、反差別の押し売りで恐喝が得意技のクズ。騙さないと気が済まない詐欺師。他人の成功を妬んでばかり、他人の邪魔が生きがいのクズ。自分より優秀な人間の存在が許せず、常に侮辱を続けなけれ正気で居られない自己愛パーソナリティ。 妙に打たれ弱いくせに、犬なみに攻撃的なチキン。他人を喰い潰してケロッとしているクズ人間。終いにはその依存対象を喰い潰して、自分も破滅するヒモのクズ。



しかし僕も多少は、歳を取った。クズ人間だった僕が、クズ人間を見ると、たまに「あっ」と何かに気付くことがある。実は隠れた才能を持っていたり、実はちょっと工夫すればすぐに収入に結びつきそうな状況があったり、そういう「彼が持っている、彼が彼の人生を上向かせるのに使えそうな何かの存在」に気付く。

だがクズ人間は、他人の意見に耳を傾けない。嘘を吐いたり、他人を騙したり、自分を騙したり、そういう偽の努力にしか創造力を使わない。「少しだけ」真面目に努力すれば大きな結果がでる ─── そうわかっていても、それを実行に移さない。闇雲に他人に噛み付いてばかりいれば、いずれ自分が滅ぼされることになる。だが決して攻撃をやめようとしない。

僕は彼に「ちょっとした知恵を貸したい」と思うことがある。ただ単に、こういう方向もある、その方向よりもこの方向の方がより楽かも知れない。そんな、「君は既に、そこに行くためのチケットを持っている。」そういうメッセージを彼に届けたいと思う。

否、僕はもとより頑固なクズ人間だったのだ。クズ人間だった僕は、人のアドバイスに耳を傾けることなど一切なかった。

助けてもらえばもらう程、逆に恨みを募らせる ─── そういう心理があるのだ。

助けるなどとはおこがましい。この弱虫が、自分の弱点を直視するまで徹底的に追い込んで、発狂するまでいじめ抜いてやりたい。そんなサディスティックな気持ちが沸き上がってくる ─── せめて、彼が浸かっている不健康なぬるま湯から彼を追い出し、目と鼻の先にある『健康な食事のある場所』まで追い出してやりたい。

クズ人間は生きる価値がない、などとは一言も言っていない。クズ人間ならクズ人間なりに、できることを精一杯やってみろ、と言いたいだけなのだ。やってみたら実は自分が気付いていなかった新しい方向が見つかるかも知れない。否、それは「かも知れない」ではなく、大抵は見つかるのだ。

ところが、僕が彼を追い込み、彼が王道に近づけば近づく程、彼は窮地に堕ちる。何故窮地に堕ちるのか、それは僕の理解を超えている。

元より、近年の僕が相対しているクズ人間は、ティーンエイジャーですらない。三十路に差し掛かったクズ、中年を超えてもなお全力で走る勇気がないクズ、還暦を迎えても尚、他人が妬ましく足を引っ張ることにしか生きがいを感じられないクズだ。 彼らには、これまで全力で走るチャンスが何度もあった。そこで全力で走っていれば、今のこのクズ人間は存在しなかった筈だ。

だか走らなかった。その結果が今だ。


「心が腐ってしまった人間というのが、存在するのだ ─── もういくら水をやっても生き返らない、もう二度と花を咲かせることもない、根が腐ってしまった草木と同じ様な人間が。」

腐った草木は、水をやればやるほど腐る。そして、他の草木の根を腐らせる。それだけではない。水やりする人間の足に、その腐った性根がまとわりつき、足を腐らせ、殺してしまう。

腐った草木は、捨てなければいけない。



----------------------------------
更新記録
- 執筆 (Sun, 27 Dec 2015 23:59:08 +0700)
- 執筆終 (Mon 28 Dec 2015 15:17:59 +0900)
- 公開 (Sat, 16 Jan 2016 21:59:16 +0700)