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2013年2月1日金曜日

Aをアと表記する日本語の訛りについて (oka01-cajzurhvwzoclmxf)


最近僕が興味を持っていることにAの発音がある。日本人ならば小学生のころから『A』を『あ』と習う ─── だがこれは必ずしも正しくない。

日本語には強い訛りがある。日本にいると日本語のどこが訛っているか気付くことができないが、外国で外国語と触れ合っていると日本語独特な発音の癖があることにだんだんと気がついてくる。

日本人が英語を話す時にRを正しく発音できないことはよく知られているが、日本語にはこの他にもたくさんの訛りを持っている。その訛りはどれも日本人の盲点にあって、とても意外に感じられるものだ。今回は、最近僕が気付いたAの発音について説明してみたい。

Aの発音

海外でAを『あ』と発音することはまずない。単語中Aが現れた場合、アクセントが伴わない場合は ə または æ に、アクセントが伴う場合は æ になる。

ə / æ の発音は日本語の『あ』の発音と全く違う。特に æ の発音は日本語の『あ』と比較するとずっと横に大きく口が開いているため、どちらかというと日本語の『え』に似た音声になる。

ə の発音も『あ』とは大分違うものだ。日本人が ə の発音を学ぶ時『あ』という認識があると口が大きく開きすぎてしまう傾向がある。口を大きく開けないで『え』と発音する方が一般的な発音に近くなるのではないだろうか。

 

僕がタイのスーパーで散歩している時ふとタイのよくあるスナック菓子を見た時にふと気付いたことがある。この上の菓子の名はマジック(MAGIC)と呼ばれている。タイ語で เมจิก と表記されている。この เมจิก を日本語で発音するとメーチックになる。

英語の magic を日本語の一般的な慣習では『マジック』と表記する。だが海外では magic の maをマと発音することは稀だ。 発音記号では 'mædʒik と表記される。この発音を æ は日本語のエに近い発音だという見地を加味して日本語で表記すると『メジック』だ。

他にもæ は日本語のエに近い発音だという見地を加味すると違う日本語表記がふさわしくなる例がたくさんある。先頭に a が付く単語はしばしばエに近い発音として読むほうが海外の人には自然に聞こえる。
  • tank テーンク
  • bang ベーング
  • salmon セーモン
  • salon セーロン
  • salad セーレド 
日本人がアだと思って発音している単語の多くはエの方が自然に聞こえる。

ジョン万次郎の自然な発音認識

日本人はかつて英語と出会って英語の研究を始めた頃、英語の発音を聞こえたとおりそのままで発音していた ─── 例えばかつて日本語では小麦粉の事を『メリケン粉』と呼んでいた。これは小麦粉の輸入元だったアメリカ(American)をメリケンと読んでいた事が由来なのだそうだ。Americanの発音は ə'mərikən なので、ここで ə を『あ』と認識していると海外の人たちにとって自然にわかりやすく聞こえる発音ができなくなってしまう。

何故日本人はエと表記するのをやめアと表記するようになったのだろうか。僕はこのことについて思い巡らせるときはいつも、日本人で最初に英語を学んだ人・ジョン万次郎の作った辞書 を思い出す。


ジョン万次郎の辞書には 水(water ウォーター)が『ワラ』と表記されていたという。僕はこの表記法の方が自然な表記だと感じる。日本語で『ウォーター』と思って発音するときよりも『ワラ』と思って発音するときの方がずっと実際の英語の発音に近い発音ができるからだ。

実はウォーターをワラと発音することは決して間違いではない。何故なら現代ではこの発音解釈には理論的な根拠があるからだ。新しい音声学によるとアメリカ英語では母音に挟まれた t は Alveolar Flap と呼ばれる現象によって l や r に変化するとされている。この理論によればジョン万次郎の空耳発音は正しかった事になる。だが当時の英語の研究が進むにつれ日本語と英語の発音表記対応が決められてゆき、残念なことにジョン万次郎の空耳発音は否定されて廃れてしまった。

そんなジョン万次郎の空耳発音理論は、現代の音声学を使えば理論的に説明する事が可能だ。むしろウォーターの方が間違った発音とすら結論できる。だがジョン万次郎が理論によらず直感的にワラと表記した water の発音が何者かによって『ウォーター』に改悪にされた ─── 彼が現代の日本人を英語音痴にした犯人かも知れない ─── などと僕は思う。

理論と感覚

理論は大切だ。確かに数学や論理学や物理学の世界では、感覚では捉えきれない理解困難な物事を数学的に厳密に定義された記号を使って整理することで答えを導き出すことができる。例えば超弦理論の『11次元世界』を感覚的に考えて答えを導き出すことは非常に難しいだろう。これは数学的表記を使って整理することで初めて理解することができるものだ。

だが言語は飽くまでも人間が人間の五感を使って認識するものだ。人間の声が出す音声は人間の耳で認識できる。 その言語がいかに難解であったとしても人間であれば必ず感覚だけで理解できる筈だ。

語学/音楽では、理論とは飽くまでも人間の持つ感覚を説明する為の道具でしかない。人間は色を認識できる。理論的に見れば、色は単なる光の波長の長さの違いでしかないが、人はその波長の長さの違いに『赤』『青』『緑』という名前をつけて呼んでいる。つまり人間の五感が認知した感覚に名前をつけて整理している。それと同じで、語学/音楽の世界でもその音声がもたらす人間の感覚について名前を付けて整理することができるのではないか。

飽くまでも感覚が理論を形作らなければいけない。理論が感覚を形作るようであってはならない。もしも理論的に説明が付かない感覚があるならば、飽くまでも理論を修正すべきで感覚を修正すべきではない。語学/音楽では、飽くまでも感覚が理論よりも先に存在し、その感覚に対して理論的な説明を試みるという順番で作業を進めなければならない。理論的に説明がつかない感覚を否定し理論に従って感覚を修正する行為は言語の破壊行為ともいえる。

人間の直感はしばしば正しい。理論が何十年もの年月をかけて導きだす結論を直感は一瞬で導きだすことができる。よく研かれた感覚こそがよい理論を作る土台だ。理論的な作業を求められる職業に付いている人こそ、感覚を鋭く研ぎ澄ます事を忘れてはいけない ─── 僕はそう思う。

発音からわかる特徴




これは日本の洗剤『マジックリン』のタイ版だ。ここに มาจีคลีน と書いてある。これの日本語表記は『マージックリン』で、タイ人が『マジック』と表記するとき一般的に使われる『メチック』が使われていない。つまりこれは日本語訛りだ。ここからマジックリンのタイ名称を決定された方はタイ人ではなく日本人ではないか、という推測が成り立つ。

この表記方法はタイ語としてみたときに一般的ではない。だがタイの人々は他人の面子を立てることを優先し間違いを正そうとしない傾向がある為、誰からも表記方法の間違いを指摘されないまま商品化されてしまったのだ。

訛りというものは、他者に対して意外と多くの情報を与える。自分が隠しているつもりでもそれは他人からとてもよく見えてしまうものだ。だからこそいつも他人の意見に謙虚にならなければいけない。そう僕は思った。


更新記録:
(Mon, 03 Feb 2020 19:52:31 +0900) 一人称の『筆者』をやめて『僕』に統一した。大幅に加筆訂正を行った。
(Tue, 04 Feb 2020 12:35:03 +0900) 結末部分の加筆訂正を行った。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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