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2012年7月19日木曜日

異文化交流・脱中級への道 (oka01-qiymqbmoqcqqrppi)


日本語を勉強している中国人を見ていると、無差別に不特定多数の日本人とコミュニケーションを取っている人をしばしば目にする。僕はそれを見て一定の違和感を持っている。何故その様な違和感を感じるのか、その違和感の来る場所を考えてみるのだが、それは僕の中国滞在中に見た一般的な中国人の人間関係に対する経験からくるのではないか、と思う。

中国人の一般的な人間関係とは、そんなに他人行儀で大多数と無差別に付き合うだろうか。公共の場ではそうかもしれないが、普段は絶対に違う。中国人の人間関係は非常に濃く深い。では、日本語を勉強している中国人に対して僕が感じる違和感は一体なんなのだろう。 それは日本人に対する愛のなさではないか、と思う。

僕も他人の国に行き、他人の言葉を学び、他人の文化の裏側を覗き見てまわる様な、いやらしい事ばかりしている。 この様な行為は、基本的にその国の人にとって不愉快な行為だ。他人の国の文化を学ぶとき、この相手の不愉快さを理解する感受性がとても大切なのではないだろうか、と僕は思う。

その国の言葉やその国の文化を研究するに当たって、ひとつ僕が重視している事がある。 それは、その国の文化に対する敬意と愛情だ。外国の文化を学ぶ学習者にとって、他人の国に対して客観的なのは当然だ。他人の国にいかに主観的になれるのかが、ひとつの挑戦であると僕は思う。

もしその外国人が如何に日本語が上手であったとしても、日本人に対して客観的でクールな目を向け、他人行儀で付き合っていたのでは、一人の日本人としてがっかりではないだろうか、と僕は思う。 そういう寂しい思いを僕が学んでいる文化圏の人に感じさせてはいけないと僕は思う。その国の人が持っている辛さ悲しみを感じ取る心理的な理解力の方が、文法や単語などの論理的な理解力よりも僕ははるかに重要だと僕は思う。

もっとも、僕が住んでいるタイには、そういう「心の理解力」のない日本人がたくさん住んでおり、タイに住む方々に多大なる失礼やご迷惑をお掛けしている。だから僕もこうして、文化に対する理解を欠き日本の人に迷惑をかけている中国人に対して文句を言う筋合いではないのである。

これはどこの国の人がどこの国へ行っても起こり得ることだ。

日本在住の外国人で、日本語が堪能なのに日本に批判的な事ばかりを言って止まらない人は多い。だがそういう批判の多くは、単なる日本文化に対する無理解から来る物が多い。多くの日本在住外国人は、なかなかそれ以上のレベルに上達しない。僕は、そんな脱中級外国人が嫌いである。だが、タイ在住の日本人・中国在住の日本人でそんな脱中級日本人は多い。この脱中級日本人の理解不足が、我々日本人が脱中級外国人を見て不愉快になるのと同じような不愉快感を、タイ・中国の方々に与えているのである。

「自分がやられて嫌なことは、他人にもしてはいけない。」

それは日本の内・日本の外を問わず、世界共通である。

それこそが武士道の国から来た日本人が為すべき外国人に対する礼ではなかろうか。


初出:2011-07-06 はてなブログ 『中国人の人間関係と日本人の人間関係の違い、という勘違いについて』 加筆訂正