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2012年5月20日日曜日

草稿2 (oka01-kitvnftzxllutrgc)

Kはかつて、エリート街道を突っ走る青年だった。東北地方の、とある進学学校に通い、成績は常に上から10番目以内だった。Kにとって、学年テストで高得点を取ることはさほど難しいこととは感ぜられなかった。自分が簡単に出来る事を泣きそうな顔になりながら必死になってやっている同級生を見ると、胸くそが悪かった。何故こんな簡単なことが出来ないのだろうか。そんな簡単なことに自分の生死がかかっている様に必死になっている彼らの姿を見ると、世の中の全てのことが阿呆らしく見えてくるのだった。こんな簡単なことをやるだけで、世間のトップに立てる。世間とは何と下らないことなのだろうか。Kにとって、全てが面白くなかった。そんなKがT大に合格した事にK自身は驚かなかった一方、周囲は大騒ぎだった。 Kの元に満面の笑みと共に祝福のメッセージを送る親戚が、Kの目には間抜けに見えた。

Kは東京に出てきた。ずっと受験勉強が全てだったKにとって、大学の生活は思ったよりも悪くなかった。Kは表情には出しはしなかったが、自分の知らない世界と触れ合う事は満更ではないと感じていた。大学生活は始まったばかりで、授業は一般教育が主で、時間があった。ある日、新入生歓迎コンパをうろついているところで、ジャズ研究会というものを見つけた。 ジャズは、彼の父親が好きで、小さな頃からマイルス・デイビスの録音を繰り返し聞かされており、馴染みがあった。彼自身、小さな頃から聞き覚えたジャズのフレーズをピアノを探りながら弾いたりして遊んでいた事を思い出した。「ジャズか。」Kはそう呟いた。Kはジャズ研に入部した。

研究会に入部してまもなく、合宿があった。初顔合わせのセッション大会があった。思ったよりも演奏は上手くいった。演奏が終わった夜、先輩や新入部員との宴会が用意されていた。Kはその宴会で合宿には女子部員も多く参加していた事を知った。Kは近くに居た女子新入部員と意気投合した。「うちにはオーディオルームがあったんだ。親父がジャズ好きだったからさ。親父の書斎には12インチレコードが壁一面に並べられていた。小さな頃から書斎に寝泊まりして、ずっとジャズ聞いていたんだ。」「へー! K君ってすごーい。」「オーディオルームの脇にボロいピアノが置いてあったから、なんとなく探りながら弾いている内に、弾けるようになったんだ。」「K君って才能があるのね。」「別に才能なんて大それた物じゃないよ。」 Kは案外と自分の評判が良いことを知った。こんな簡単な事をするだけで、良い評判が得られる。下らないことだという印象は相変わらず持っていたが、それは案外と気分の良いものに感ぜられた。Kはその女子部員に名前を尋ねてみた。「Aって言うの。」「へーAっていい名前だね。」

その日彼は、新入生で唯一、文化祭の演奏会で演奏する事が決定した。「まぁK君くらいしっかりした演奏できれば、文化祭で演奏しても、いいんじゃないか?」「M先輩がなんて言うかな。」「ま、K君の力量次第だな。大丈夫だよな!K君。」「は、はあ。」Aが黄色い歓声を上げた。「K君すごーい! 楽しみにしてるね!」「別に大したことじゃないけど。Aさん聞きに来てくれる?」「もちろんよ!」 これまで勉強一筋で異性に興味を持ったことが無かった彼は、彼の気持ちの中に、かすかな期待のようなものが生まれた事を感じた。───演奏が終わったらデートに誘えるかな。

夏休みも終わり、後期の授業が始まった。彼の学生生活は、授業やサークル活動で忙しくなった。 夏の残暑もそろそろ和らいできたある日、秋の文化祭の打ち合わせがあった。 「えー、M先輩がようやく仕事から帰ってきました。M先輩はお金がなくて学費が払えないという事で、N社のゲームミュージックの製作を請け負って小遣い稼ぎをしていましたが、先月めでたく学費を納め終わったと、Rさんに連絡があったそうです。という訳で文化祭には、M先輩の演奏が聴けることでしょう。」「えー!」「はいそこ!嫌がらない様に。M先輩が来たらちゃんと笑顔で迎えてね!」 彼は側に座っていた先輩に聞いた。「M先輩って誰ですか?」「あぁもう6回生で、未だに卒業も退学もしないで、サークルだけ続けて。しまいにゃサークルの主と呼ばれてて。」「何故みんなの顔が引きつってるんですか?」「M先輩の演奏、スゴイんだよ。M先輩の後に演奏すると全然受けなくて、すごく演りづらいのよ。」「別に、いいじゃないですか。」「何でみんなが嫌がってるか、そのうちわかるよ。」

秋の文化祭が開催された。5日間の日程で、彼の演奏は最終日に予定されていた。演奏は失敗した。M先輩が演奏の順番を入れ替え、M先輩が最後から2番目・Kは最後の演奏に変えられていた。 M先輩は、大音量で迫力の演奏をした。聴衆は拍手喝采、興奮の渦が巻き起こった。

その後でKは演奏した。Kの名誉のために付記すると、彼の演奏は決して悪くなかった。だが音楽とは前後の流れに影響を受けるものである。前のMの演奏が派手であった分、Kの演奏は人々の目には地味に映った。そのネガティブなコントラストは、同期のKに対する期待を裏切るのに充分だった。Kの演奏が終わっても拍手する者は居なかった。苦々しい雰囲気が場に流れた。誰の目にも演奏は失敗だと映った。「M先輩は …実は性格最悪で。人が演りづらいと思っているのを知ってか知らずか、ワザと順番入れ替えて、嫌いなヤツの前でワザとハデな演奏したりするのよ。」あとでそんな話を聞かされたが、後の祭りだった。

演奏後、楽屋に戻ってきた。開封後、時間がたってぬるくなったクリスタルカイザーを飲み干した。そこに丁度Aが通りすがった。AはKの顔を見て微笑んだ。「演奏すごく面白かったわよ!」「でも誰も拍手しなかったし…」「そんなことないわよ、みんな拍手していたわよ。客席からライトが当たってて見えなかったんじゃない?」「そうかな…。」

そこにM先輩が通りがかった。Aの顔がパッと明るくなった。「あぁっ! M先輩、いやー! 今日の演奏ノリノリでしたね! 次の演奏はいつですか?」「おう!今月は結構仕事が多くて、ちょっと先になっちゃうんだけどね〜!」「えー あたし絶対見に行きます!」「いいよ、次の演奏、ベースがイモだから、見に来なくて」「えーBさんのベースも私、結構好きなんです!」「そう? じゃチケット渡しとくね!」「後でお金払いますね!」「じゃ!今日の打ち上げでまた!」

Kは静かに会話を切り出した。「Aさん、今日の僕のバンドの演奏、どうだったかなぁ…。」「K君の演奏も良かったよ!」「…。」

その夜、文化祭の打ち上げが催された。打ち上げはMの演奏の話題で持ちきりだった。Kの演奏を話題に出すものは無かった。Kは悲しくは無かったが、漠然と虚しい気持ちになった。打ち上げが終わり、文化祭関係者一同、居酒屋の前でが帰るでもなく、次の店に行くでもなく、立ったまま駄弁りつつ、宴の余韻に浸っていた。「じゃぁ今日はお開きにしますか!」Mが先陣を切った。「お疲れ様〜!」一同は駅に向かって歩き始めた。KはAに話しかけた。 「もし良かったら、このあと、どこか散歩にでも行かない?」「うーん…うち門限が厳しくて…もう早く帰らないと怒られちゃうから。」「そっか…。」


背後で同期きっての太鼓持ちSの素っ頓狂な声が聞こえた。「ね〜M先輩! 今日は本当にもう帰っちゃうつもりなんですか? ジャズ喫茶行きましょうよ! またM先輩のジャズ談義聞きたいなぁ!」「えーもう明日仕事だからさぁ…」「そんなこと言って前だって朝まで喋ってたじゃないすか!」「金ないからよぉ。」「もう僕出しちゃいます!昨日仕送りがついたから。」「おぃおぃ!親悲しませるなよぉ?」「おーい M先輩がジャズ喫茶行くって〜! 行く人〜!」 「俺いっちゃおー」「あたしも行く〜!」「あたしもー」大勢があげた賛同の声に、Aも混ざっていた事をKは聞き逃さなかった。その事実は、Kの心に重くのしかかった。心に一点の醤油染みのような物がついたことをKは感じた。

後日、高揚に満ちた文化祭ムードも冷め、後期の試験予定も発表され、みな試験に向けて勉強を始めていた。だがKはどことなく以前の様に勉強に打ち込めなくなっている自分を見つけた。もっと演奏が上手くなりたいと思った。だがKは、楽器の練習に一生懸命になっている自分がイメージ出来なかった。それは一種の屈辱のようでもあった。ある日Kはサークル活動室に来て、ピアノを弾いてみた。その音には、以前の様に素朴な驚きと喜びが感じられなくなっている事を感じた。彼は、歩いて自室に戻った。

後期の試験予定まで一週間と迫ってきたが、彼の憂鬱は相変わらず心の中に留まっていた。勉強に打ち込むでもなく、サークル活動室に行っては、ピアノを数分いじり、歩いて戻ってくる日々が続いた。そのまま試験日を迎えた。彼は単位を落とした。追試が課せられても彼は、サークル活動室通いをやめなかった。それはやまなかった。彼は遂に追試にも不合格となり、留年することが明らかになった。この留年の件をどうやって両親に報告するか、Kには全く想像がつかなかった。 彼は両親にその留年の件を伝えることなく、何事も無かったかのように振舞った。

春になり新学期が始まった。Aが上の階のクラスに居ることを知った。Aに、自分が下の階のクラスに入っていくところを見られるのが、たまらなく嫌だった彼は、時間をずらして教室に入るようになった。 Kは自分で気がつくよりも前に、学生課に行って退学届けを貰ってきた。



「バカだな。折角T大に入ったのに、そのまま行っていれば高級官僚になれたのにな。」 トラック配達のアルバイト先の先輩にそう言われた。「官僚になったらお前、天下りで一生安泰だぞ。」「でもT大生にも色々と事情があるんですよ。」「んな下らねぇ事情なんてものは、鼻をつまんで通り過ぎてしまえば良いのによ。」

バイト先から帰る時、会社の近所に「ジャズピアノ入門」という看板を見つけた。彼も名前を聞いたことがある著名なジャズピアニストが講師だった。彼はふらりと中に入り、弟子入りすることにした。Kの演奏するピアノをひとしきり聞いた後、ピアノ講師は言った。「…俺が見る限り、君は結構センスあるな。だが、何で練習をしないんだ? 折角の才能なのに。」「練習すると何か辛い気がするんです。練習しないで自然に出てきた音楽が一番良いと思いますから。」「ま、それはそうかも知れないが、練習しないと上達しないぞ。」

実は、ピアノの練習をするにも、彼の自室にはピアノが無かった。「電子ピアノを買って家に置いて練習すればいいじゃないか」バイトの先輩はそう言った。電子ピアノ程度を買うお金はあった。だがKは決して行動には移さなかった。「そのうち、防音室を作って部屋にピアノを置こうかなと思うんです。」

T大を退学したことをまだ両親には伝えていなかった。彼はどうすればよいかわからなかった。トラック配達のバイトだけは続けていた。葛藤の日々が続いた。葛藤は数年続いた。だが年月を経る程に、親に自分が大学を中退した事を言うタイミングを見つけるのが難しくなっていく事に気が付きつつあった。 T大を辞めた事を知った両親の落胆を想像するだけで、心が痛んだ。毎度、夏休みや試験の結果についての成功談・失敗談を考えだしそれを両親へ伝える度に、胸の中に墨汁のような罪悪感が広がるのを感じた。 「二重拘束(ダブルバインド)」… そんな言葉がKの頭をよぎった。

気がつけばT大の同期は4年生になっていた。T大を中退してから唯一付き合いが続いているSからAが出産したという話を聞いた。Kは「そうか」とだけ答えた。出産しても学業は続けているという話だった。Sは言った。「相手が誰なのか聞かないのか?」Kは返事をしなかった。 Kにはもはや帰る場所が無かった。Kはそのまま空虚な心が移ろうままに仕事を続けた。

そんなある日、トラック配送の仲間に新人の女性が入ってきた。まだ20代にはなっていない様子の女性だった。仕事の休憩所で、しばらく話をしている内に打ち解けて仲良くなった。「もし良かったら、仕事終わった後、散歩でも行かない?」「いいわよ。」「…ホントにいいの?」 彼は初めて女性とデートに行くことになった。その夜、誰も居ないT山公園を二人で歩いた。

Kは尋ねた。「何でこんな仕事をしているの?」「うちは貧しかったから。父が病気で早くになくなったから、母がずっと働きながら私を育てていたの。だから出来るだけ早く経済的に自立しなければ、と思ったの。」「…そうなんだ。」「実は…僕はT大に通っていたんだ。だけど事情があって中退して今はこうしてトラック配送をしているんだ。」「そうなの。」「何でT大を辞めたのか、聞かないの?」「人には色々な事情があるわ。思い出したくないことも、認めたくないこともあるもの。」Kはふっと心の中に暖かいものが動くのを感じた。だが思いを断ち切る様にKは立ち上がった。「さぁ…そろそろ終電の時間だ。行かないと。」「えっ、もうそんな時間? 私もう終電ないかも知れない。どうしよう。」「タクシー乗って行く?僕がお金出してもいいよ。」「お金がないのに、そんなことしたら悪いわ。」「…じゃぁ僕の家泊まっていく?」「いいの?」

その後、KはそのIという女性と同棲を始めた。以前通りのトラック配送の仕事を続けた。数カ月後Iは子供を身篭った。 子供を身籠ってからIは仕事を辞めた。Iの母の仕送りはKが肩代わりすることになった。

ある日ピアノ教室に行き、レッスンを辞める旨を講師に伝えた。「もうレッスンも辞めます。子供が出来たので。」「そうか…。だが君は、ピアノが弾ける様になるのが夢だったのではないのか? 」「もういいんです。子供も出来ましたから。」

子供が生まれてIの母と子供とKの四人暮らしが始まった。生活は賑やかで楽しかったが、彼の経済負担は大きくなった。次第にトラック配送の少ない給与では生活が成り立たないという事が明らかになった。彼は仕事を掛け持ちした。 朝早くに出かけ新聞配達のアルバイトを済ませ、トラック配送の仕事に行った。トラック配送は夕方で終わりだ。その後夕刊を配り、そのまま夜は居酒屋でアルバイトした。居酒屋の閉店時間は午前2時だった。彼が仕事を済ませて家に帰ることには、妻も妻の母も子供も既に寝ていた。そのまま数時間仮眠を取り新聞配達に出かける。肉体的に辛い毎日だったが、家族を思えば苦しくはなかった。

そんな中、久しぶりの休みで公園を散歩している時、意外な話を耳にした。「おい、お前のカカァは、毎晩どこに行ってるんだ?」「どこって…家に居るよ。」「バカお前。知らんのか? 夜、ちょくちょく裏の保育園の先生と出かけてるぞ?」「何しに?」「俺に聞くなよ。」 家に帰っても、家族は、いつも通りのように見えた。その話を聞いて以降も、Kはいつものように仕事に打ち込んだ。

だがある日、偶然公園で出会った男の言う通りであったことを知った。夕方の新聞配達中に、家の自転車が公園の脇の茂みの中に止められているところを見かけたからだ。家の自転車は片方だけ二人乗り用ステップが取り付けられている。もう片方は、海釣り公園にサイクリングに行った時に、転倒したことで折れてしまい、そのままになっていた。そのステップが片方しかない自転車が茂みに止められていたのだ。 公園の脇には、ビジネスホテルがあった。

近頃、妻が、どこから買ってきたのか新しい靴や服を着ているな、とは思っていたが、この自転車を見たKの中で、いくつかの疑問点が合点した。 彼は仕事を欠勤して、しばらくホテルを見張った。 果たして、妻と裏の保育園の先生が、順番に時間を置いて、ビジネスホテルから出て来た。



後日、彼は離婚した。Kは、S産埠頭の船着場で静かに波を打たせる内海を眺めながら、あの晩の壮絶な言い争いに思いを巡らせた。確かに家を留守がちだった彼にも責任の一端はあるかも知れない。だが、それは全て家族のことを思えばこそだった。だがその思いは彼女の元には届かなかった。Kはそれまで住んでいたアパートを出て、それまで掛け持ちでやっていた全ての仕事を辞めた。どこに行くか…。実家に帰ることも思い立った。だが、両親とは大学中退4年目以降、一切連絡を取っていなかった。

旅に出るか…。 Kはそう呟いた。


( 岡本敦之助著 ・「広域がれき処理推進派になったK」 〜P139抜粋)