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2011年5月29日日曜日

5バーツ (isaan05-c987254-201105290223)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
5バーツ (おかあつ)
2011年05月29日 02:23
管理人おかあつの日記を転載します:

もう慣れろ、オレ…。

… 今バンコクに居る。 先週までラオス南部のシーパンドーンという所に居た。 ビザの延長だけして、ちょっとみてすぐに帰るつもりだったのだけど、大変な大冒険があって、結局ビザなし滞在期間目一杯の二週間滞在した。 しかし、色々な事がありすぎて、カルチャーショックが激しすぎて体調も崩したし、疲れてしまった。

それでしばらく一人になって考え事をしようと思ってバンコクに来た。 こうして毎日ずっとひとりで誰とも話さないで暮らしている。 バンコクの人は田舎の人と違って冷たくて嫌な感じだ。 だけど、ある意味放っておいてくれるので、僕の中のある面ではとても楽で居心地がよいと感じる。 田舎に居ると誰も放っておいてくれないし、ありがたいことだけど、それはある意味、面倒くさい。常に付き合いがあって、お酒も飲むし、タバコも増える。 こういうところにいると「お酒飲みません。タバコもすいません。僕は夜型で朝は弱いです。これが僕のライフスタイルなんです。」と自分を貫き通すのはまず無理だ。 シーパンドーンの人は超絶朝方で、朝5時にはみんな起きているし、朝一で友達に電話して「今日は一緒にどこいくべ」という話をする。 こっちは寝てるっつーの。 だけどそういう訳には行かない。 店は朝6時開店、夕方には閉店なので、このリズムに合わせないと、食事出来ない。

ここで起こったことを文章にしようと思っているのだけど、まだ書いていない。 何というか…ここで起こったことを消化しきれなくて、まだ文章化出来ない。

言葉も凄かった。 今落ち着いて、こうして改めて思うのだけど、この地方で話している言葉は、方言というよりは、古いラオス語なのだとおもう。 今改めて、シーパンドーンで覚えた色々な言葉を辞書で調べてみたら、実は、古くはラオス語でそういういいかたをする、という事もあるらしいことに気がついた。まだはっきりわからない。

「消す」という意味で ລົບ って思っていたのだけど、下の書き込みを見ていたら ລຶບ って書き換えてあった。 辞書には ລຶບ が載っていたのだけど、どっちが正しいのだろう。正直 ລຶບ って言っているのを聞いたことがない。

http://www.laozaa.com/thread-7275-1-1.html

火が消える事を普通「ファイダップ」っていう(と思う)のだけど、ここの人は「モーファイ」という。 モーは 尽きるの「モット」の訛りだと思うのだけど、「モット」は「モット」で別な意味として使っているらしい。 ちなみに「モー」は釜という意味もあって、ウドンタニーで「モーファイ」と言うと間違いなく「火の釜」と勘違いされると思う。

ホームレーオと言われて面食らった。 何だかさっぱりわからなかったが、落ち着いて辞書で調べてみたら「準備する」と書いてあった。「そうだ!ポームだ!」と思った。タイ語(多分イサーン語も)で準備するという意味だ。 ラオ語の標準で何というのかまでは知らない。

何から何まで、微妙に発音が違う。 この微妙な違いは外人的に物凄くCPUパワーを消費するので、生活が物凄く疲れる。 そんなことの連続だった。

そういえば、
http://people.w3.org/rishida/scripts/lao/

ここにビエンチャンラオ語の発音のブレについて書いてあった。さすが w3。 いくつかの文献を当たった結果らしい。 今の僕は何でこういうブレが起こるのか理解できているのだけど、説明が難しい。 基本は、ラオ語の方言に於いて第一声調と第六声調が混同される地域があることから、混乱が生じてこういうブレが起こる。 だけどこの事を説明している文章はどこにもない。



さて、今僕は、タイ語もラオ語も話さないで過ごしている。 黙ってタイ語もラオ語も話せないふりをしている。 もう前みたいに、タイ語がへたくそな外人扱いされても、怒らない事にした。 英語で話掛けられても黙ってニコニコしていることにした。 こっちがタイ語を話しているのに、いつまでも英語で話しかけてくるのも、黙って受け流している。 出来ればタイ語も話さないで用事を済ませる様にする。 下手にタイ語を話すと大混乱が巻き起こるからだ。 だから黙っている。


だけど、今日またケンカになってしまった。

最近、カオサン通りの外れに、バンコクの人が集う一帯があることに最近気がついた。 プラアティット船着き場のそばで、この辺は実は外人が意外と少なくて、タイ人が多い。 ここには安くておいしい料理屋が多いので、最近気に入ってよくこの辺に来る。

で、今日も新しいお店に行った。 おいしい店だった。

それでいくらですか?と聞いたら90バーツという。 何かおかしい感じがしたので、タイの人がよくやるみたいに「これはいくらですか?あれはいくらですか?」という風に確認をした。 そうしたら、ブタニンニクが50バーツで、ご飯が5バーツで、鶏のガバオがもにょもにょで ... と言われた。 もにょもにょが凄く気になったので、メニューを見たら、30バーツと書いてあった。 で、ガパオ 30バーツですよね? って言ったら、ご飯は別なんだ、とか何だかよくわからない事を言われた。

そうしたら、これは ニッティアオだから、35バーツと言われた。 それはわかったが、別に大盛頼んでないのに、何で35バーツなんだよ、と言ったら、いよいよ話がおかしいことになった。

要するに、相手が外人だと思ってごまかしているんだと思う。 で、結構頭来たので「ニッティアオって何語だよ! カナーレックでしょ!(※) 余計わかんなくなるから、いい加減普通に話してくれない?」って言った。 で、ふと気がついたのだが、そばに居る女の子が、僕の顔を実に不思議そうな面持ちで見ていた。

(※ ニッティアオは「少しだけ」という意味。 普通こんな言い方しない。カナーレックは「小盛り」という普通の言い方。外人だからタイ語がへたくそだと思って簡単な言い方に言い換えてるけど、微妙に意味が違うので裏目に出ている。)

これは、要するに一同大混乱になっているのだ。 僕はどうみてもタイ人に見えないのに、妙にタイ語が達者で悪口も達者、金勘定もタイ人並みなので、怒ってケンカになる以前の問題として、一体全体、何が起こっているのか訳がわからない状態になる。 で、店主が「いくら欲しいんだ5バーツか」とか言われたので、5バーツなどいらん、と言って帰ってきた。

もういい加減にしてほしい。

よくわからん。 多分5バーツごまかして居たんだと思う。 外人だから5バーツくらいごまかしても絶対わからんだろう、という読みもあったのだと思う。 だけど、その読みが僕の場合、完璧に外れてしまう。

で、そこで僕は「やられた」と気づいて、サラッとかわせればいいのだけど、今回僕は騙されたということに気がついていなかったし、素直に値段が違うことに何か理由があるかもしれない、と思ったので、素直に聞いてみた。

だけど、そこで多分、店の人は「ヤバ!」と思って動転したんだと思う。 それで、不器用に、何とか外人扱いで押し通して、何か苦しい言い訳に走ってしまった。で、僕が妙にはっきりしたタイ語で追求してきて、予想外で動転。 しかも僕が外人でムチャクチャ目立っているし、まわりの客も見ている。 ごまかしたということが発覚してしまうと、まわりの人に対しても恥ずかしいことになってしまう。 それで、こういう事になったんだと思う。

前にもそういう事があった。 というか、こういう事はしょっちゅうある。

… 前も屋台のクワイティアオ屋で、クワイティアオ食べた時、勘定を聞いたら40バーツという。 看板に「普通盛りは35バーツ」って書いてあったので、大盛頼んでないのに何でですか?って聞いたら、「どうでもいいから40バーツよこせ!」とか言われた。それでちょっと考えて、35バーツをわたしたら「ハーウーイ」って言われた。 こっちも「ハーウーイワサーン」と言い返した。 ハーウーイというのは、ラオ語の罵りの言葉で「何だこの野郎!」みたいな言い方だ。 ワサーンもラオ語(イサーン語)の叱責の言葉だ。「何だこの野郎、だと?」みたいなノリだ。 相手は絶対に僕がラオ語を知っているなんて夢にも思わない。 効果てきめん。 このひとことで、一同大混乱だ。

ここで冷静になって「ここはすかさず、わからないフリを」と思えればいいけど、こういう言葉はもう頭より先に気持ちにストレートに入ってくるので、頭より先に口が動いてしまう。

たかが5バーツ。 されど5バーツ。 日本円で15円。 だけど5バーツは、タイの物価からしたら、結構大きいお金だ。 水いっぱい、お菓子いっこ。 ご飯いっぱい分くらい。 5バーツで半日生きながらえると言ったら大げさかも知れないが、それでも結構価値がある。

5バーツ位を気にしないのが、外人だが、5バーツに突っ込むのがタイ人だ。 僕はもう5年タイに居るし、普通のタイ人と同じように5バーツは絶対に突っ込む。 そこが、このあたりの商売人の誤算になる。

しかし、それはしかたがない。むこうも生活があるし。

ここをギャグでかわせる様にならないと、バンコクには住めぬ。修行が足りぬ。

人間修行である。
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出展 2011年05月29日 02:23 『5バーツ』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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