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2011年1月29日土曜日

日本帰ってきた (mixi05-u459989-201101290123)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
日本帰ってきた
2011年01月29日01:23
日本に帰ってきた。 今回日本には、初めての試みなのだがベトナム航空を使って帰ってきた。 ベトナム航空は乗り継ぎ便ではあるのだが、片道11000バーツ(33000円くらい)と他の航空券と比べて破格の値段となっており、お得だ。 飛行機のなかで日本人の女の子と話した。 かなり英語がうまく、ひょっとしたらこの人日本人じゃないかも知れないなぁと思いつつ見ていたら、向こうから話しかけてきたのだった。 日本人だった。 ホーチミンの乗り継ぎではかなり待ち時間があった。 そこでこの女の子と色々な事を話した。

取り敢えずこの女の子の特徴をあげると、コミュニケーションの天才でしかも異様にモテるということだった。 この子の話を聞いていると「おいおい、そんな高待遇、俺いちども受けたことがないゾ」とかそういう話がテンコもりだった。 バイタクに無料でのせてもらったとか、トゥクトゥクが負けてくれたとか、僕など絶対にありえない様な話ばかりだった。 この子を見ていて思ったのは、とにかく面倒見がよく、常に色々な人を助けたり、色々な人の話を聞いたりしていることだ。 空港のロビーにいてもいつもまわりを見渡しており、困っていそうな人がいれば即座に手助けを入れる。 こういう風にいつも人を見ているというのは、日本人がほとんどやらないことだと思う。

( ...いや、日本人全体ではないのかもしれない。 こうして僕が日本人と言う言葉を出す場合、多くの場合は関東人を指していることが多いということを最近自分は認識しつつある。 実際、この女の子は熊本出身だということで、関東人ではない。 僕がタイで知り合った(チカツさんを含む)多くの人はこういう人間関係の不器用さを持っておらず、そのほとんどが名古屋以西出身だった。 一方、タイに来て環境不適応で大暴れした挙句日本に帰国してしまった日本人のほとんどが関東・東北出身だというのも、恐らく偶然ではないと思う。 東北人・関東人は、この女の子がやるような人間観察を一切やらないので、世界中どこに行っても環境に適応できないのだ、と僕は感じる。 )

その女の子からは常に他人から話しかけられるオーラが出ており、僕がこうやって一緒に座っているだけでも、次々と世界中の子供やおばあちゃんがその女の子に話しかけてくるのだった。 一方、僕はまったく逆で見かけがとても怖いらしい。 犬も逃げる勢いだ。 深夜、コンビニにひとりで女の子がいる時など、僕がコンビニに入店すると、間違いなく女の子は店を出て走って逃げる。 僕はそんなに見かけが怖いのだろうか。 そういう僕からすると、その子は、びっくりするほど、ひとから好かれており、びっくりした。 見かけだけでも、こんなにコミュニケーションの方法が変わってしまうものなのかなぁと思った。 それともコミュニケーションに対する心構えが人の見かけを変えるのかなぁ...。



成田からバスにのって羽田までやってきた。 そこからは京急線だ。 ... しかし、東京の人の周囲を見ていないこと、比較にならない。 僕は席に座る時、ここでおじさんとぶつかった。

ぶつかった状況を詳しく説明したい。 僕はその京急線の横向きの長椅子席に座る際、前段階としてその席の座ろうとしている場所の前方に、大きなカバンを三つ置いた。 置いたあと、座ろうと目星をつけた場所に徐々にアプローチをかけた。 すると、向こうの方から背広姿の50歳後半位のおじさんが同時に右側からアプローチをかけてきた。 僕の座ろうと目星をつけたポイントの右隣は3席以上が空席だった。 僕の座ろうと目星をつけたポイントの左隣には既に人が座っていた。 しかし、何故かそのおじさんは、僕を一切無視した上で、一番左側に詰めて座ろうとしたのだった。 僕は、そのポイントにアプローチをかける過程において、このままではこのおじさんにぶつかると思った。 しかし、ここでアプローチを辞めると、このおじさんに席を奪われてしまうことになる。 寝不足と長旅で疲れた体で、中国語の教科書や二台のノートブックパソコン等々の入った重たいカバンを全てもう一度移動しなければならないことになる。 ぶつかる前に「済みません、そこに座ろうとしているのですが。」 そう声を掛けることも考えた。 あるいは、このままぶつかってしまうべきか。 あるいは何も言わずに、このおじさんを避けるか。 この間、たったの0.3秒程度の出来事だった。 衝突を避ける為の前段階の行動を取るにはもう遅すぎた。 僕は瞬間的な判断で、ぶつかることにした。 というのも、このおじさんを避けるのは、非常に難しくもあったからだ。 まるで椅子取りゲームレベルだった。それ位急速に近づいて来ていた。 僕が座ろうとしているポイントの右隣は開いていた。 なのに僕が座ろうとしているポイントに侵入してくるのは、意表を突いた行動でもあった。 僕は苦渋の決断としてそのおじさんと衝突することを余儀なくされたのであった。 ドン、とおじさんと衝突し、おじさんはよろめいた。 僕は自分が老人に対して心ない事をする残酷な若者になった様な気がした。

僕は思った。

─── タイ人は他人を見ている ・ 中国人は他人を見て見ぬふりをする・日本人は他人を見ていない ─── 他人をまったく見ていない人と、どうやったらコミュニケーションが取れるのだろう。 これは究極の命題である。 彼の認識上には他人という物が存在しない。 存在しない物が何かの信号を発しても、それは存在しない。 存在しない物がどの様にして彼の認識に影響を与える事が出来るのだろうか。 我々が彼に対して話しかけるいかなる内容も、自然の風が林に吹いて立てる風音と何の違いもないのである。



電車を降りるとき、ドアの間際に男性が立っていた。 僕は大きなカバンをふたつ牽引していた。 今の僕は内輪差があるという点でトレーラーと同じである。 僕が男性のそばを左折すると、カバンだけが男性に衝突する。 僕は、その様な迷惑行為を犯すことを出来れば避けたかった。 僕は、男性に移動を呼びかけた。 「済みません、通ります。」 男性は動じなかった。 「済みません、ぶつかります。」 男性はそれでも動じなかった。

僕は、この京急線の中で、中国の下町で見かけたクラクションをならしまくりながら走る無数の中国のタクシー... その運転手の必要性を感じた。 あれくらい高らかに頻繁にクラクションを鳴らせば、ドア間際に立っているこの男性もさすがに気がつくだろうと思った。 多くの日本人はクラクションを鳴らしまくる中国のタクシーが嫌いである。 しかし、クラクションは愛である。 クラクションは挨拶である。 クラクションは怒号ではない。

カバンは敢えなく男性に衝突した。 僕は、いかにしてこの事故を避けられたであろうか。



家に帰ってから、母からこういう話を聞いた。 ─── そのマンション住まいの60歳過ぎの女性は、その女性の母とそのマンションでずっと一緒に住んでいたという。しかし、その母は、体調を壊してしまい入院してしまった。 そのマンションは、玄関から細い廊下を通って奥のリビングルームに入る、都心ではよくあるタイプのマンションで、廊下の途中にトイレが付いていたという。 その母が入院した日、女性はそのトイレに入った。 トイレの前には、コタツの入った四角いダンボール箱が立てかけてあったのだが、女性がトイレに入っている時、丁度そのダンボール箱が倒れてしまったという。 ダンボール箱は丁度廊下の同じ幅で、トイレのドアを塞ぐ形でぴったりと倒れてしまい、ドアが完全に開かなくなり女性はトイレに閉じ込められてしまったという。 女性は大声で近所に助けを求めたが、誰も助けにこなかった。 万策尽きてそのトイレに閉じ込められたまま1週間過ごしたという。 寒さはトイレットペーパーでしのいだという。 水はトイレの水道の水を飲んだという。 母の「娘が見舞いにこない」という言葉から、ヘルパーさんが部屋を訪れて、女性を発見し救助したという。 ───

ラオでは絶対にありえない話だと思った。 トイレで大声を出せば、間違いなく隣の人が飛んでくる。



村というのは一般的に言って「よそ者」は入れない物だ。 一般的には、村によそ者が来れば、よそ者を排除しようとする人がたくさん集まって来て、追い出す。 それが村というものだ。 よそ者というのは、一般的には考え方も風貌も異なり、村の事情も知らない。 非常にコミュニケーションが難しいものだ。 村のルールを平気で破り、村のやり方を批判する。 こういう変化を村の人は嫌うものだ。 一般的に同じ村の人はほぼ同じ価値観を共有している。 価値観を共有しているからこそ、村人は言葉によらない比類の無いスムーズなコミュニケーションが可能となる。 価値観を共有していないからこそ、村人はよそ者を排除しようとする。 よそ者とは口もきかない。

東京というのは、村人が成立しない街だ。 東京に住む全ての人はよそ者である。 東京の人は、全員、価値観を共有していない。 価値観を共有していない人を排除する事は不能である。 全員、価値観を共有していない。 だから東京に住むなら思っている事を何らかの方法で表現し相手に伝えなければならない。 きちんと自分の考えを明らかにして、みんなが共有できる形でコミュニケーションを取る事が大切だ。 「内輪」だけで固まっていることは、好まれない。 みんなが楽しめる土壌を整える事が必要だ。

(続く)
コメント一覧
ナム   2011年01月29日 02:45
おかえりなさい。

ベトナム航空は安いんですか。
こっちから行くには安くなかった気がします。

タイのタクシーの運ちゃん、かわいこちゃんには料金請求しなかったりする
みたいですよね。
日本のタクシーじゃ考えられませんけど(笑)

おかあつさん、そんなにおかっない顔してるんですか!!!?(笑)

電車内のお話、京急じゃありそうですね。
川崎周辺の京急線とかは特にマナーが悪いんじゃないですかね。
最底辺の日本人の生態は代表しているかもしれませんが、
けっして日本人代表ではないと思います。
都内なんかは全然電車のマナーがちがいます。
よっちゃん@Chonburi   2011年01月29日 05:35
残念ながら、ラオスで無限さんには会えなかったようですね。
わたしは来週木曜日にタイに向かいます。
それまでに会える機会があればいいですね。
しまけん(チカツ)   2011年01月30日 00:20
価値観を共有してないし、理解しようとしない人が多く、バラバラのまま散らばってる。人間関係を築くチャンスや場があれば少しはいいのに、それもほとんどなくて、社交的なコミュニケーションに長けて、人の輪に入れるような人ばかりがいい思いをし、人間関係を築きたいのに不器用な人が取り残されていく。これが日本の都会なんだなと思います。
バンコクやロンドンに行ったときは、そんな印象は受けなかった。
日本だけがおかしいんだなと思います。


それはそうと!?中国からタイに行ったと思ったら、すぐに日本に!?

それにしても、おかあつさんは、タイやラオス、中国では、外見で人に怖がられたとか避けられたとかありました?
僕もあまり好かれる外見ではないようですが、タイなどでは露骨に避けられたり、店ですれ違ったとき、棚を見るふりして避けられたという(日本独特の)ことが少なかったように思います。
日本では「外見は人間性と関係ない」などうそぶいた風潮が覆っていますが、このとき、日本人は外見で人への対応を変えるんだな、と思いました。
(すでに、年端も行かない10、20代が顔の話で盛り上がったりしてますが)

それにしても、またお会いしたいなぁと思います。
東京に行く時間と予算が苦しいですが、機会があればなぁ…なんて。
おかあつ   2011年01月30日 01:02
> これが日本の都会なんだなと思います。バンコクやロンドンに行ったときは、そんな印象は受けなかった。日本だけがおかしいんだなと思います。

バンコクやロンドンやニューヨークはあまりよそよそしくないかもしれないですが、中国は、日本よりすごいです。 出身地が違うどころの騒ぎでなく、民族も文化もバラバラで、理解自体ムチャクチャ難しいです。 中国の省市内って、すんごいストレスたまります。

が、中国はその分差異に対して寛容ですよね。 日本ってみんなバラバラなのに差異に対してものすごく過敏に反応して拒否反応を起こす人が多いように思います。
おかあつ   2011年01月30日 01:09
この間、名古屋出身のTさんと話している時、こういう人が本当に居るんだよ、という話をしました。

「あのな、さっきな、そこで宇宙人と会ったんや」
「何馬鹿な事言ってるんですか? 宇宙人なんて居る訳ないじゃないですか。 バカじゃないですか?」

関西の人は、言葉をキャッチボールとして考えて色々な事を言いますが、関東の人ってそれらの言葉を全て間に受けてしまう、という話でした。 関東の人はそれがギャグだという事自体に気がつかない、というのです。

僕は前者も後者も否定しません。 どちらにもいいところとわるいところがあります。 僕は関西のコンピューター会社でずっと仕事をしていたのですが、関西の人独特の言葉の曖昧さでいつもイライラしていましたが、コミュニケーションはものすごく良好で人情味があって、気持ち的にはとても楽しい会社でした。 一方、関東の人は、言葉が厳密で難しいことが得意ですが、騙されやすく外国が苦手ですよね。 言わなければいいのに、ということをうっかり言ってしまって波風を立ててしまいがちな気がします。

僕は正直どちらかといえば、集中力が高くて空気が読めない人です。
おかあつ   2011年01月30日 01:15
集中力の高さと、空気読み力の高さは、反比例の関係だと常々思います。 空気読みのうまさは、ラオの人が最高だと思います ...一方、僕はラオ人にプログラムの仕事を一緒にしようとは夢にも思いません。 中国人の空気読みの下手さ加減は、ほとほとうんざりしますが、プログラムを組むのが上手い人は、明らかにラオ人より多いです。

日本人はその点、集中力の高さがずば抜けてます。 そこら中にオタクがいて、ホビープログラマのレベルがずば抜けて高く、知識を重んじる土壌があって、年がら年中本を読んでいて、一人旅が好きで ... これらはどれもこれも、タイにもラオにも中国にもないと感じます。

一方、他人をまったく見ていないので、空気を読むという行為自体がムリです。
おかあつ   2011年01月30日 01:22
僕はかなり性格が関西系である様です。 僕は関東に生まれて小さいころから「変わっている」と言われてきました。 人間関係に義理人情を持ち込むクセがなかなか無くならず、まわりと馴染めずに結構いじめられてました。 ...が、関西に行くと人間関係に義理人情を持ち込む人なんていくらでもいるんですね。 関東には居ません。

一方、言葉が厳格で物事に詩や芸術を持ち込む習慣は、やっぱり関東人ですよね。 チカツさんは、関西人ですが僕はチカツさんの中にはっきりとその傾向を指摘できます。 そういうところが関西では不気味がられるんじゃないかと思います。 恐らくチカツさんは、関東では誰も気にすることがないくらい、普通です。

おかあつ   2011年01月30日 01:25
関西と関東のどっちが素晴らしいか、っていうのは、グラントグリーンとパットマルティーノのどちらが素晴らしいか、と言うのと同じで、愚問でしょう。

http://www.google.com/images?q=%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3

http://www.google.com/images?q=%E3%83%91%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8E
おかあつ   2011年01月30日 01:31
> 日本では「外見は人間性と関係ない」などうそぶいた風潮が覆っていますが、このとき、日本人は外見で人への対応を変えるんだな、と思いました。

タイは、日本以上に外見にこだわるかも...。 外見重視っていうか、外見しか見てないですよね。 外見の好みって。ネズミのエサと同じで、地域によって違いがあるんですよね。

「ほとんどの人は真っ先に逃げ出すべき状況で、ボロボロになるまで闘ってしまう。」 逃げないのも大切ですが、ボロボロになるまで闘ってはいけないと思います。(いつもボロボロになるまで闘っている僕が言うのもなんですが。)

チカツさんの場合、チカツさんがまったく浮かない環境っていうのは、割といっぱい存在します。 そういう場所に行くべきです。 絶対。

おかあつ   2011年01月30日 01:32
>それにしても、またお会いしたいなぁと思います。
> 東京に行く時間と予算が苦しいですが、機会があればなぁ…なんて。

僕もお会いしたいです。 ただ今回は時間的に非常にタイトで、すぐ戻らないと次の学期に間に合わないという事情があります。 まだ今後の予定を組み立てていないので、そのことも考えないといけないですし...。 学期は4ヶ月あるので、これが終わったら、また今回と同じようにタイ経由で日本に戻ってくると思います。

しまけん(チカツ)   2011年01月31日 23:57
ここまで答えていただいて、感謝します。
思えば、巷では「関東と関西はここが違う」的な本が出回ってたりしますが、その内容が瑣末で、あまつさえ両地方の貶しあいばかりですので、バカらしいなぁと思ってたところでした。

>言葉が厳格で物事に詩や芸術を持ち込む習慣は、やっぱり関東人ですよね。
>チカツさんは、関西人ですが僕はチカツさんの中にはっきりとその傾向を
>指摘できます。 そういうところが関西では不気味がられるんじゃないかと>思います。

自分の中でも、その面はあると思ってました。
関西にきたとき、高校ではノリが違うと言われ、一方家ではよく聞いてたラジオ番組が、関東のモノが多かったな、と思い出します。
浮いてる、出たい、という声を上げなきゃなとも思います。
しかし、自分に外でやっていけるコミュニケーション能力があるのか、という不安もあります。

おかあつさんも今回の日本はかなり厳しいそうですので、またの機会に。
今回はその機会ではないですが、またお会いできるときがありますからね。
おかあつ   2011年02月01日 01:09
> しかし、自分に外でやっていけるコミュニケーション能力があるのか、という不安もあります。

あるよ。 間違いなく。 無難にやり過ごすだけがコミュニケーションじゃないしね。
小姐   2011年02月03日 12:37
今バンコクにいます。そろそろ北にもどって、昆明に帰ります!!

たしかに、タイは人を見てますねー。すんごい見てますね。
おかあつ   2011年02月03日 13:33
よく見てますね。本当に人しか見てないですよね。
おかあつ   2011年02月03日 13:34
昆明まで気をつけて...!
僕もそろそろ北京行って下見しなければ...。
 
出展 2011年01月29日01:23 『日本帰ってきた』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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