国民全員裸の王様 (おかあつ)
2010年12月10日 16:24
僕は、恥の多い人生を送ってきた。 僕は幼稚園を抜け出して家に帰ってばかりいたし、小学校ではいつもいじめられっ子でいつも女の子にいびられて泣かされていた。 中学校の頃は登校拒否児だった。 学校に行かなかったおかげで偏差値が足りなくて、行きたい高校に行けなくて結局辞めた。 それからひたすら働き続け、僕はもうすぐ40歳である。 この年になるまで中卒である。 しかも未だに独身で妻も子も無い。 苦労が多いせいか若白髪が多く、最近は陰毛にまで白髪が混じる勢いである。 僕は一体結婚できるのだろうか。 しかも無職である。 金もない妻もない職も未来もない。 みよ、この僕という恥ずかしい人間がこうしてここにすっくと立つ姿を。 そんな僕に一体誰が劣等感を感じるというのだろうか。
先日、僕は、昆明の日本人留学生の飲み会で変人扱いされ激怒し、その場にいる全員に説教をタレて帰ってくるという暴挙を犯した。 その後も長らく怒りが収まらなかった。 今日、実はその場に居合わせたタイ人の男の子とあって話をしてきた。 このタイ人の男の子は、日本語が話せる。 今日色々話をして思ったのだが、日本人って本当にタイ人が好きなのだろうか、日本人同士には絶対に話さないような事をタイ人の彼には色々と話しているらしい、ということを知った。
実は僕を散々変人だとうそぶいてゲラゲラ笑っていた女の子は、地方出身だが、その後東京に出てて来たという。 東京といえば聞こえがいいが、どうやら要するに僕の生まれ故郷である川崎に出てきたらしいのだ。 川崎というのがまた非常にガラの悪い土地なのだ。 その後どういう経緯かずっと女子校のミッション学校に居たらしく、その後大学の交換留学生制度を使って、昆明にたどり着いたらしい。 彼女は実際、ムチャムチャ変わっている。 そんな彼女が女子校のミッション校に居て浮きまくりだったことは想像に固くない。 その後色々考えて昆明に来たのだろう。
僕がこの話を聞いてまず思ったのは、要するに彼女は「他人を普通じゃない」って笑う事で自分を防御しているんだ、という事だった。 自分が輪からハジキ飛ばされる前に、他人をハジキ飛ばす事で、反動で自分を輪の中に押し入れようとするのではないだろうか。
日本には「自分はみんなと同じである」という輪に入れないと、色々な問題がある。 しかし、日本人は実は「自分はみんなと同じである」言う所属意識を感じていないんではないだろうか。 自分が日本人であるという輪に入っていないということは自分自身が一番よく知っている。 だがそれを公然と認めることが出来ず、その輪からハジキ飛ばされる事に、みんな恐怖感を持っている。 しかし輪など最初から存在しない。 何が内側で何が外側なのか、輪の内側にいる人すら知る筈がない。
このタイ人の子は、上記の女のこの話以外にも色々な話を聞かせてくれたが、多くの人は似たような規格外の人生を送っているらしいことを知った。 恐らくだが、みな輪からはじき飛ばされる恐怖を持って、一生懸命他人をはじき飛ばす事で、何とか自分を輪の中に押し込めようとしているんではないだろうか。
何となく思ったのだが、日本人って国民全員裸の王様の様な状態になっているのではないだろうか。 みんな、みんな裸であることを知っている。 だけど、みんな、お前は裸だって本当のことを言い出せず、みんな裸なのに、みんな相手が服を着ているかの様に一生懸命演技をする。 そして、みんな、みんなが服を着ている演技をしているだけだと知っているのに、それをおくびにも出さず、みんな、まるで相手が服を来ているかように必死で演技をする。
こうやって裸の付き合いをしているのが日本人なんではないだろうか。 僕はウソを付くのも演技をするも面倒である。 躊躇無く自分が裸であることを曝露するし、相手が裸だって言うこともすぐに曝露する。 すると服を着ている演技をしている人たちは突如結託し、集団で僕に「お前は裸だ!」と罵りに来る。 そういう自分達も裸なんだけど、僕がそれを指摘しても「いや、僕等は裸ではない」と結託することで虚構を守るのだ。
この恥の多い僕の何を恐れる必要があろうか。 僕を相手に何を恥ずかしがる必要があろうか。
先日、僕は、昆明の日本人留学生の飲み会で変人扱いされ激怒し、その場にいる全員に説教をタレて帰ってくるという暴挙を犯した。 その後も長らく怒りが収まらなかった。 今日、実はその場に居合わせたタイ人の男の子とあって話をしてきた。 このタイ人の男の子は、日本語が話せる。 今日色々話をして思ったのだが、日本人って本当にタイ人が好きなのだろうか、日本人同士には絶対に話さないような事をタイ人の彼には色々と話しているらしい、ということを知った。
実は僕を散々変人だとうそぶいてゲラゲラ笑っていた女の子は、地方出身だが、その後東京に出てて来たという。 東京といえば聞こえがいいが、どうやら要するに僕の生まれ故郷である川崎に出てきたらしいのだ。 川崎というのがまた非常にガラの悪い土地なのだ。 その後どういう経緯かずっと女子校のミッション学校に居たらしく、その後大学の交換留学生制度を使って、昆明にたどり着いたらしい。 彼女は実際、ムチャムチャ変わっている。 そんな彼女が女子校のミッション校に居て浮きまくりだったことは想像に固くない。 その後色々考えて昆明に来たのだろう。
僕がこの話を聞いてまず思ったのは、要するに彼女は「他人を普通じゃない」って笑う事で自分を防御しているんだ、という事だった。 自分が輪からハジキ飛ばされる前に、他人をハジキ飛ばす事で、反動で自分を輪の中に押し入れようとするのではないだろうか。
日本には「自分はみんなと同じである」という輪に入れないと、色々な問題がある。 しかし、日本人は実は「自分はみんなと同じである」言う所属意識を感じていないんではないだろうか。 自分が日本人であるという輪に入っていないということは自分自身が一番よく知っている。 だがそれを公然と認めることが出来ず、その輪からハジキ飛ばされる事に、みんな恐怖感を持っている。 しかし輪など最初から存在しない。 何が内側で何が外側なのか、輪の内側にいる人すら知る筈がない。
このタイ人の子は、上記の女のこの話以外にも色々な話を聞かせてくれたが、多くの人は似たような規格外の人生を送っているらしいことを知った。 恐らくだが、みな輪からはじき飛ばされる恐怖を持って、一生懸命他人をはじき飛ばす事で、何とか自分を輪の中に押し込めようとしているんではないだろうか。
何となく思ったのだが、日本人って国民全員裸の王様の様な状態になっているのではないだろうか。 みんな、みんな裸であることを知っている。 だけど、みんな、お前は裸だって本当のことを言い出せず、みんな裸なのに、みんな相手が服を着ているかの様に一生懸命演技をする。 そして、みんな、みんなが服を着ている演技をしているだけだと知っているのに、それをおくびにも出さず、みんな、まるで相手が服を来ているかように必死で演技をする。
こうやって裸の付き合いをしているのが日本人なんではないだろうか。 僕はウソを付くのも演技をするも面倒である。 躊躇無く自分が裸であることを曝露するし、相手が裸だって言うこともすぐに曝露する。 すると服を着ている演技をしている人たちは突如結託し、集団で僕に「お前は裸だ!」と罵りに来る。 そういう自分達も裸なんだけど、僕がそれを指摘しても「いや、僕等は裸ではない」と結託することで虚構を守るのだ。
この恥の多い僕の何を恐れる必要があろうか。 僕を相手に何を恥ずかしがる必要があろうか。
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