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2010年11月23日火曜日

自分の力で考える (mixi05-u459989-201011231731)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
自分の力で考える
2010年11月23日17:31
僕は「ご冗談でしょう、ファインマンさん」という本がものすごく好きだ。 何度も何度も読んだ。 日本語訳だけでなく、英語の原文も読んだし、英語の原文もあちらこちらの国で2~3冊買ってる。

この本にファインマンが嫌々、エジプトに行った話が出ている。 ファインマンの当時の奥さんがエジプト好きで無理やり連れていかれたのだけど、ピラミッドとかに登ると疲れるので、ずっとホテルにこもっていたという。

で、暇つぶしに、エジプトの古文章の写真集を買ってきたという。 左側に石版に掘られた古文章の写真が出ていて、右側にその英語訳がついているという物だったという。 ファインマンは、暇つぶしにそれの右側のページ英語訳を全部隠して、石版の古文書だけ読んで意味を推測する、というパズルを始めたという。 ファインマンは、何ヶ月かかかって全部の翻訳を作り上げたらしい。 それで右側のページを開けてみたら、実はその右側の翻訳は未完成だったとか。

僕はラマヌジャンという数学者も好きだ。 ラマヌジャンは貧乏だった。 ラマヌジャンは当時の数学界の情報を得ることが出来るほどお金がなかった。だから、カーの書という本を一冊だけもって、ひたすら独りで数学の研究をしていたという。

ラマヌジャンが発見した事の大半は、実は既にイギリスなどの数学が進んだ国でとっくに知られている事だったという。 しかし、ラマヌジャンの研究成果の中に、誰も発見したことがない未知なるが混ざっている事を、ハーディーという数学者が見つけた。 ハーディーも数学者だった。 ハーディーがのちに語ったところ、自分が発見した事の中で最高の発見は、ラマヌジャンを発見した事だという。



日本人がこの数千年、苦手としてきた事がある。 それは自分で考える事だ。 日本人は文字すら自分で考え出したものではない。 全部、もらったものだ。

漢字は中国が唐の時代に日本が中国から輸入した物だ。 当時、日本にいる学者という名前のつく職業の人は、ひたすら中国の書物を研究して、日本にその文化を輸入していたらしい。

唐というのは、当時、世界でもっとも巨大で進んだ文明を持った国だったらしい。 そんな巨大な国のすぐとなりにあった日本は、唐が発明した科学 哲学や文字などの他人の思考の結果生まれた成果をひたすらご馳走になるウマミを知ってしまったのだろう。 自分たちで考え出したあやふやな物より、進んだ他の国からもらってきたほうがいい、という他力本願な考え方は、今の日本にもしっかり根付いている。

その後、日本は、唐から、ドイツ・イギリス・アメリカとその文化輸入の先を変えてきた。 だから、日本の文化は、ゴチャマゼだ。

僕は禅が好きだ。 禅に深く根ざした武士道という考え方が僕は好きだ。 だけど、この禅も実際にはインドで生まれた達磨が中国に渡って伝えた禅が発展し、その後日本に渡ってきたものだ。

日本の禅の書物も読んだけど、何か80年代~90年代の日本のジャズ界のヨタ話を読んでいるみたいで、バカらしいので、調べるのを止めた。(禅問答の話しには、他人のゲロを舐めあげた達人の話とか、大声を張り上げて気合比べをする人の話とかたくさん出てくる。 だけど ...こういう話って体育会系のジャズ界では、ごく当たり前に発生する話だ。「お前、音がスイングしてねぇんだよ!」「スイングするためにはどうすればいいんですか?」「そりゃおめぇ日本酒の飲み方が足りねぇんだ、それにウィスキーと焼酎を混ぜて盃に入れて飲めば一発でスイングするんだ!」 みたいな。 それを先輩に無理やり飲まされた挙句、気合を入れろ!とか言ってチンチンにキンカンを塗られてドラムを叩かされたとか、日本のジャズ界にはそんな話ばかりだ。 もっともそんな話ばかりなのは、S大のジャズ研だけかもしれないが。 いずれにせよ、禅問答の逸話を見ていると、僕には80~90年代の日本のジャズ界によく居た理不尽大魔王の思い出がフツフツと蘇ってくる。)

達磨大使の話はすごく重みがある。 そんなゲロを舐める人とかとは全然違う。



こういう話をすると必ず、何年のアレはこうだから、お前は間違っているとか、実は○○という逸話があるのに、お前はそれを知らないとか、そういう話を僕に振る人が出る。 だけど、僕は無知だけど、無知は問題の本質じゃない。

世の中には無数の事実がある。 その全ての事実を知る事は不可能だ。 むしろ、無数の事実のどの事実に当たってもそれを説明できる、それに対処できる、理解力・思考力が必要だ。全ての事実を既知にするよりも、未知なる事柄に対処する力をつける事の方が本質の筈だ。


僕は自分で考えない人が好きでない。

パズルの答えがあるのに、それをわざわざ捨ててからパズルを解きはじめる、そんな潔さがある人が好きだ。

ギタリストの滝野聡は、ドラマー日野元彦の話をするのを嫌がったとか。 「日野さんのドラムのおもしろさっていうのは...」と言うような話をする人が居ると「ダメダメダメ!お願いだから説明しないで! トコさんのドラムはよくわからないからおもしろいんだから!」と言ったという。

知らない事に出会う楽しみ。


日本に居ると自分の力で考えない人ばかりだ。


いや、僕は自分の力で考えない人が大好きなのだ。

つうか、いちいち考えてるから、ダメなんだ、もうな、お前はノウミソが足りねぇんだから、考えんな! みたいな。

考える暇があったらな、ビール買ってこい、みたいな。

いちいち難しい事考えてっから、いつまでたっても中国語喋れる様になんねぇんだ!みたいな。

ひたすら義理と人情と酒とタバコと付き合いの世界。

考えない人って僕は好きだ。



だけど、考える人と、考えない人の間には、大きな谷がある。 この谷の向こうからこちら側に渡る時、人は僕が嫌いなバカになる。

例えば、プログラマは考えるのが仕事だ。 もう誰かが考えたことはもう二度と考えなくてよい。 常に誰も知らないことを考える事が仕事だ。

もちろん、既に誰かが考えたことを知る事もとても大切だ。 それに加えて、誰も知らないことを自分の力で考える事が必要だ。

そして自分の力で考えたことと、他人が考えたことを組み合わせて、練習して自分の技術として身につける事が大切だ。

この作業をしないプログラマは低能だ。 おもしろくない。 気合が入ってない。

だけど、ほとんどのプログラマが自分で考えない。 ひたすら他人の考えたことを知る作業だけを続け、自分の力で考えることを放棄する。 そして、自分より知識が少ない人をひたすら攻撃する事に快楽を見出す。

自分の力で考える時、結果は重要でない。 いかに自力で考えたのかが問題だ。 結果は出ないことも多い。 その問題に対処する時の姿勢がもっとも重要だ。 どんなに失敗しても正しい姿勢を維持することがもっとも大切な事で、結果は重要でない。

正しい姿勢を保つプログラマは、無様だ。失敗ばかりする。 だけどこれが正しいプログラマであって、彼をバカにしてはならない。

だけど、谷の向こうから渡ってきた人は、大体こういう知的モラルを持っていない。 自分が考える人であるという証を求めて、ひたすら他人を攻撃し始める。 他人の失敗をせめつづける。 しかし、本来、失敗は必要な事である。


残念なことだけど、知的な職業につくことが出来るような裕福な社会的地位を持つ人ほど、自分の力で考える機会が少なく、しかもコミュニケーション力を失いがちなんだよな。 これは、日本に限らず、アジアではどこもそうだ。 貧しい人ほどよく考えて、豊かな人ほど考えなくなる。

日本がアジアから一歩抜きん出る為には、もう一つ何かが必要だ。



論理的になる、という事を念頭に置いたとき、日本がアジアの中で最先端に居る事は間違いがない。 だけど、世界の中で日本を見たとき、日本には足りないことがたくさんある。

それはズバリ「自分の力で考えること」ではないか。

自分の力で考えないから、騙されやすい。 もっともらしいラベルが張ってあるボトルであれば、中身がヘネシーだろうが、下水の汚水だろうが、飲んでしまう。

自分の力で考えないから、誰からもわかってもらえない。 空気を使わず、文字を使って説明しよう。 相手の察しの悪さを責めるのはもう辞めよう。 誰も自分の考え方を察してくれない。 当たり前だ、みんな他人なのだ。 他人だからきちんと説明しよう、 他人だからこ そ、仲良くしよう。

自分の力で考えよう。

コメント一覧
うう   2010年11月23日 18:09
きっとお金があると、
自分で考えた解決しなくても、
お金で解決できちゃうから、
もしなかなか解決しないと、
それは考えない、工夫しないからなのに、
「お金がないから解決しない」
というようなとこに帰結してしまうんじゃないかしらん。

よく言われるのは、
「低予算な企画のほうがおもいしろい」ってこと。
お金がないから、
みんな一生懸命に考える。
それを放棄することは、企画を放棄することになるから。
かかわっている人が一生懸命考えて進める企画は、
かかわっている人もやってておもしろくなってくるから、
企画自体がおもしろくて、生きいきしたものになって当たり前。

お金に余裕のある企画は、
何でもお金で解決しちゃうから、
着地はするけど、
かかわっている人にとっていつまでも他人事で、
「これだけ予算をかけたんだから」という
プレッシャーだけが大きくなってきて、
かかわっていても楽しい要素削られていく…。

薬代がない、なんていうシリアスな貧乏は、
やはり悲劇は悲劇なんだけど、
ほどほどの貧乏はけっこう楽しいと思ったりする、
ほどほどに貧乏なあたしです(笑)
おかあつ   2010年11月23日 18:13
本当にきちんとした教養のある人って、お金をたくさん持っているのに、お金がないのと同じくらい真剣に考える人だと思うんです。

僕はそういう人をたくさん知っている... (ほとんどが西洋人であるような気もするけど...日本人にも少ないけど居る。)

うう   2010年11月23日 18:19
なるほど。
それ、かなりかっこいいよね!
ジャコビ   2010年11月23日 22:23
日本にいると、政治も、文化も、マスコミも、全て国民を考えないように導いているように感じます。そういう状況であえて考えるという選択をする人は稀で、変わり者と呼ばれると思います。そういう日本の風潮の中でそつなく行きて行く為には、回りに迎合する事になり、そのうちに何も考えないようになって行くのかもしれません。
おかあつ   2010年11月24日 20:17
日本人がいつから考えなくなったのか、って言えば、実は結構答えははっきりしている様な気がします。 それは日米安保からじゃないでしょうか。 その頃から日本はたくさんお金を手に入れる代わりにウソを信じて牙を抜かれたんだと思います。

ちょっと考えればわかる様な事だから、考えないように一生懸命誘導するんでしょう。
 
出展 2010年11月23日17:31 『自分の力で考える』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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