裸の王様
2010年11月19日15:33
どうも生まれて初めて中国に来た日は10月14日だったみたいだ。 その日からは丸で人生が変わった様に違った生活になった。 その日以降に僕が知った事の奥深さについてはとても書ききれる様な量ではない。 しかも非常に説明が難しい事ばかりだ。
ラオ語とタイ語について論文を書いている。 かなりかきすすんだ。 だけど、おとつい中国に住んでいるタイ族の人と話した後、もう一度書き直そうと思う様になった。 その人が話すタイ語はまるでラオ語だった。標準タイ語ってつまり中国語なのだ。 タイ語はラオ語なのだ。 タイという国は存在自体が大きな嘘だ。 これはつまり、タイ人と中国人のキツネとタヌキのばかしあいの様な壮絶な闘争の歴史なのだと思う。 その闘争は今なお続く。 だから本当のことを誰も言わないのだ。
しかし、ここに住む日本人のアホさ加減は、タイに住む日本人のアホさ加減と大差ない。 日本人はとにかく騙されやすい。 何なんだろうか。 自分が騙されているという事どころか、自分が騙されているかもしれないという事自体を感じとることが出来ない。 人間関係上の洞察力がまるでない。
日本人の騙されやすさはどこからくるのだろうか。 僕は気がついた。 日本人はまず自分自身が自分に嘘をついていて、それをすっかり信じている。 だから、当然他人の嘘が見抜けないのだ。 自分で自分に嘘をついていて、必死でそれを信じようとしている(あるいはそれを信じることに成功してしまっている)ので、他人の嘘が見えない。
タイ人も中国人も本音で生きているところがある。 社会が本音で生きる事に対するある程度の寛容性を持っている。 だから嘘を見抜くのが速い。 だけど日本人は本音で生きる事が許されない。 自分自身で建前を作ってそれを信じつづけていないと生活できない。 だから他人の本音が見えない。 日本人がどうしようもなくバカなのは、そのウソを信じることがかっこいいことだ、と思って本音で生きる人をバカにしているところだ。 日本人の洞察力の無さはそら恐ろしい物がある。
書き始めるとキリがない。
ようやっと(といっても一ヶ月だけど)ネットが自由に使える喫茶店を見つけたので、こうして日記を書いている。 恐らく内容は余裕でミクシ日記の最大制限を越えると思う。 日記はテキストファイルで書いて、それを自分のサーバーにアップロードしようかと思う。 このネット環境なら、多分FTPも使えるだろう。
もしもう少し定期的にアクセス出来るインターネット環境が見つかったら、日記でなくてメーリングリストにしようかと思う。 もはやミクシ日記で書くような内容じゃない。
しかし何なんだろうか。 日本人って言うのは。 あれだけ優秀で、あれだけ努力家で、中国語が話せるのに... タイ語も話せる英語も話せると、たくさんの言葉を話せるようになっているのに、文化の事はまるでわかってない。 からっきしわかってない。 タイ人がいうあからさまな本音と建前を鵜呑みにしてしまう。 当然中国人の持っている本音と建前も見抜けない。 日本人の頭のよさと、コミュニケーションのヘタクソさは、天下一品だ。 日本人の中国語は、中国語がわからない僕が見ていてもひやひやしてしまう。 まず相手の顔を見てないし目を見てないので、相手の出身が見抜けてない。 だから相手の性格の傾向も見えてない。 だから簡単に相手の機嫌を損ねてしまう。 それが原因で余計なトラブルばかり作り出しているのに「中国人はバカだ」「中国人はバカだ」って言って止まらない。 実は自分が一番バカなのだけど。
そういう話を日本人にすると「それはお前の方が間違っている、お前こそ空気がよめないのだ」という話にすり代わってしまう。 僕は別に妄想家ではない。 僕は色々な国の人・色々な民族の人と話して、得られた共通認識を元に話している。 それに対して、日本人の盲目性を説明している。 だけど日本人は、自分たちの外に世界があるということ自体を知らないし、見えないし、存在自体を感知することが出来ないので、どうしても僕の方が間違っているという話になってしまう。
上のようなタイプの人って、僕の友達には、あまりいないのだけど、外国にいる人にとっても多い。 つまり外国に行くような人っていうのは、ある程度プライドを持っているんだと思う。 俺は外国語が話せるんだ、俺は頭がいいんだ、という事を鋼の鎧として、自分を防御しているタイプなのだろう。 僕が話すような話は、彼らにとっては自分の牙城を崩す脅威的な存在でしかないんだろう。
僕は、相手が乞食だろうと、世界的な教授だろうと、対応に代わりはない。 一緒にメシを食いにいって、酒を飲んで、タバコを吸って、奢ったり奢られたりしながら、コミュニケーションをとるだけだ。
一方、僕は(自分で言うのもなんだけど)かなり鋭い人間らしい。 他人が何年もかかって学んだことを一瞬で見抜いたりする。 腹も立つだろう。 まぁしかし、世の中には鋭い人というのはたくさんいて、僕が何年もかかって理解したことを一瞬で見抜いたりする人もいる。 実に腹立たしいことである。 絶対に認められない。 しかし、それは人の得手不得手であって、運次第だ。 だから人と一緒に居たら、何でも教えてあげたり、何でも教えてもらったり、お互い様だ。 自分の知らないことを恥ずかしがってもいけないし、知らないことを隠して知っているふりをしてもいけないし、逆に相手の知らないことを責めてもいけない。 あくまでお互いさまだ。
だが、僕はどうも色々な人にとっては(特に語学を学んでいる様な日本人にとっては)腹立たしい存在なんだろう。
ま、いずれにしても、後でもう一度日記を書いて、FTPでアップロードしようと思う。(気が向いたら)
ラオ語とタイ語について論文を書いている。 かなりかきすすんだ。 だけど、おとつい中国に住んでいるタイ族の人と話した後、もう一度書き直そうと思う様になった。 その人が話すタイ語はまるでラオ語だった。標準タイ語ってつまり中国語なのだ。 タイ語はラオ語なのだ。 タイという国は存在自体が大きな嘘だ。 これはつまり、タイ人と中国人のキツネとタヌキのばかしあいの様な壮絶な闘争の歴史なのだと思う。 その闘争は今なお続く。 だから本当のことを誰も言わないのだ。
しかし、ここに住む日本人のアホさ加減は、タイに住む日本人のアホさ加減と大差ない。 日本人はとにかく騙されやすい。 何なんだろうか。 自分が騙されているという事どころか、自分が騙されているかもしれないという事自体を感じとることが出来ない。 人間関係上の洞察力がまるでない。
日本人の騙されやすさはどこからくるのだろうか。 僕は気がついた。 日本人はまず自分自身が自分に嘘をついていて、それをすっかり信じている。 だから、当然他人の嘘が見抜けないのだ。 自分で自分に嘘をついていて、必死でそれを信じようとしている(あるいはそれを信じることに成功してしまっている)ので、他人の嘘が見えない。
タイ人も中国人も本音で生きているところがある。 社会が本音で生きる事に対するある程度の寛容性を持っている。 だから嘘を見抜くのが速い。 だけど日本人は本音で生きる事が許されない。 自分自身で建前を作ってそれを信じつづけていないと生活できない。 だから他人の本音が見えない。 日本人がどうしようもなくバカなのは、そのウソを信じることがかっこいいことだ、と思って本音で生きる人をバカにしているところだ。 日本人の洞察力の無さはそら恐ろしい物がある。
書き始めるとキリがない。
ようやっと(といっても一ヶ月だけど)ネットが自由に使える喫茶店を見つけたので、こうして日記を書いている。 恐らく内容は余裕でミクシ日記の最大制限を越えると思う。 日記はテキストファイルで書いて、それを自分のサーバーにアップロードしようかと思う。 このネット環境なら、多分FTPも使えるだろう。
もしもう少し定期的にアクセス出来るインターネット環境が見つかったら、日記でなくてメーリングリストにしようかと思う。 もはやミクシ日記で書くような内容じゃない。
しかし何なんだろうか。 日本人って言うのは。 あれだけ優秀で、あれだけ努力家で、中国語が話せるのに... タイ語も話せる英語も話せると、たくさんの言葉を話せるようになっているのに、文化の事はまるでわかってない。 からっきしわかってない。 タイ人がいうあからさまな本音と建前を鵜呑みにしてしまう。 当然中国人の持っている本音と建前も見抜けない。 日本人の頭のよさと、コミュニケーションのヘタクソさは、天下一品だ。 日本人の中国語は、中国語がわからない僕が見ていてもひやひやしてしまう。 まず相手の顔を見てないし目を見てないので、相手の出身が見抜けてない。 だから相手の性格の傾向も見えてない。 だから簡単に相手の機嫌を損ねてしまう。 それが原因で余計なトラブルばかり作り出しているのに「中国人はバカだ」「中国人はバカだ」って言って止まらない。 実は自分が一番バカなのだけど。
そういう話を日本人にすると「それはお前の方が間違っている、お前こそ空気がよめないのだ」という話にすり代わってしまう。 僕は別に妄想家ではない。 僕は色々な国の人・色々な民族の人と話して、得られた共通認識を元に話している。 それに対して、日本人の盲目性を説明している。 だけど日本人は、自分たちの外に世界があるということ自体を知らないし、見えないし、存在自体を感知することが出来ないので、どうしても僕の方が間違っているという話になってしまう。
上のようなタイプの人って、僕の友達には、あまりいないのだけど、外国にいる人にとっても多い。 つまり外国に行くような人っていうのは、ある程度プライドを持っているんだと思う。 俺は外国語が話せるんだ、俺は頭がいいんだ、という事を鋼の鎧として、自分を防御しているタイプなのだろう。 僕が話すような話は、彼らにとっては自分の牙城を崩す脅威的な存在でしかないんだろう。
僕は、相手が乞食だろうと、世界的な教授だろうと、対応に代わりはない。 一緒にメシを食いにいって、酒を飲んで、タバコを吸って、奢ったり奢られたりしながら、コミュニケーションをとるだけだ。
一方、僕は(自分で言うのもなんだけど)かなり鋭い人間らしい。 他人が何年もかかって学んだことを一瞬で見抜いたりする。 腹も立つだろう。 まぁしかし、世の中には鋭い人というのはたくさんいて、僕が何年もかかって理解したことを一瞬で見抜いたりする人もいる。 実に腹立たしいことである。 絶対に認められない。 しかし、それは人の得手不得手であって、運次第だ。 だから人と一緒に居たら、何でも教えてあげたり、何でも教えてもらったり、お互い様だ。 自分の知らないことを恥ずかしがってもいけないし、知らないことを隠して知っているふりをしてもいけないし、逆に相手の知らないことを責めてもいけない。 あくまでお互いさまだ。
だが、僕はどうも色々な人にとっては(特に語学を学んでいる様な日本人にとっては)腹立たしい存在なんだろう。
ま、いずれにしても、後でもう一度日記を書いて、FTPでアップロードしようと思う。(気が向いたら)
コメント一覧
クレ 2010年11月19日 19:33
>日本人はまず自分自身が自分に嘘をついていて、それをすっかり信じている。
日本国内にもこれはいっぱいいますよ。自分の本心ってわからないこと私も多いです。自分に都合のいいことを、誰かのためとか言い出されると、テレビ外為のCMなみに腹たちます。鏡で自分の姿みて、これは自分ではないと言い張るひとにもあったことありますが。まあ、それも自己保身の一種でしょうか。「私は悪くないも~~ん」ってな感じに。いい人でないといけないって思っているのがだまされる元って、ほんとにそうだと思います。
日本国内にもこれはいっぱいいますよ。自分の本心ってわからないこと私も多いです。自分に都合のいいことを、誰かのためとか言い出されると、テレビ外為のCMなみに腹たちます。鏡で自分の姿みて、これは自分ではないと言い張るひとにもあったことありますが。まあ、それも自己保身の一種でしょうか。「私は悪くないも~~ん」ってな感じに。いい人でないといけないって思っているのがだまされる元って、ほんとにそうだと思います。