FLAGS

MENU

NOTICE

2010年5月6日木曜日

村社会 (mixi05-u459989-201005062114)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
村社会
2010年05月06日21:14
昔通っていた中学校のそばに、中学校時代の同級生の家がある。 今日、思い立ったので行ってみた。 実は、僕にとってこのあたりにはまったく良い思い出がないので、普段はまったく近寄らない場所なのだが、もう何もやましいこともないし、何も後ろめたいことはないし、気が向いたので行ってみた。

もう街はすっかり様変わりしていて、気をつけていないと自分がどこに居るかわからなくなりそうなくらいだった。 思い出を便りにそいつの家に行った。

というのも、彼は持ち家に住んでいたのだ。 で、中学校に通っていたころ「俺はこの家のローンを引き続き払うんだ」という事を言っていた。 最近、僕はそのことを思いだし、であれば、恐らくまだそこにすんでいるのではないか、ということに気がついた。 時間があったので散歩がてら行ってみた。 僕は中学校時代区域外通学だった。 だから、ちょっと遠いが、歩いて歩けない距離ではない。

別に用があるわけでもないので、連絡先を書いた紙だけ置いて帰ってこようかととも思った。 だけど、手紙を書こうと思ってかばんから紙を取り出していたら、おばさんが出てきた。 声をかけてみた。

僕はT君の中学校時代の友達で、もし良かったら連絡先を置いていってもいいか尋ねた。 いいですよ、とのことだった。 今はどうしているんですか?と聞いた。 すると、もうここには住んでいないという。 あぁもうここには住んでいないんですか、とごく普通に相槌を打ったのだが、そこで、「もちろん、ここにはいませんよ」という反応が帰ってきた。 僕はこの返事を聞いて、自分が何でこの地域が好きでなかったのか、徐々に思い出してきた。

僕は普段、かなり激しく道化を演じているので、当時は大変ご迷惑をお掛けしまして^^ という風に若干茶化して話をしてみたのだが、まったく笑顔もない。 非常に迷惑気というか、何だこいつは、的な顔をされた。 家の前には「○○町内会・組長」という札が掛かっていた。

確かに40になって結婚もしていないというのは、いわゆる、普通ではないかもしれない。 しかし、このデフレ・世界情勢の激変による複雑な時勢の下である。 40になって結婚していないのはむしろ多数派だろう。 それが現実である。 どんなにかっこつけたって、それが現実。 だけど、友達の母が言った「もちろん」っていう言葉には「私が普通」「私は他とは違う」という価値観の押し付けが暗に感じられた。

しかし、大した地位でもないのに、何で人を見下したことを言うんだろうか。 こういう事を言われるのは、正直気分悪い。実に狭い世界だと思う。 だけど、僕は昔、狭い世界に閉じ込められて、こういう事を言う人と上手くやっていく事に腐心していた。

そういう事を言うなら、僕は虚勢をはって高い服を着たり不必要に高い家に住んだりする必要があるだろう。 自分の社会的ステータスを等身大以上に誇示するような事をする必要があるだろう。 だけど、僕はそういうことをするのが好きでない。 そもそも、僕がこの「村」で地位を向上させることにお金をかけ時間をかけ腐心することに何の意味もない。

だけど、僕はもう、こういう人間とうまくやりあっていく必要はない。 何というか、こうやってわざわざ時間を割いてここまで歩いてきたわけだが、時間を割いてまで、付き合っていく、価値はこいつらにはないよな、と正直に感じた。

「村社会」である。

いや、僕もラオで村社会に住んでいるし、 ラオは、村的なこと、保守的なことは、この人の比ではなく高い。 だけど、僕はラオで見ること聞くことの方が、ずっと分かりやすいと感じる。 僕はこの友達の母が言うことが理解できない。

僕もラオで生まれてラオで育ったら、同じように村を嫌うんだろうか。

でも、何かが違うと心のどこかで叫んでる。

何だろうなぁ。

コメント一覧
おかあつ   2010年05月06日 21:31
メモ:村社会の「イヤミ洗礼」の話
風我   2010年05月07日 06:23
>大した地位でもないのに...
大した地位もないと分かっているからこそ、
人を見下さなければ存在理由が見出せないのでしょう。
本当に偉大な人は地位も肩書きもいらないはずです。
慈悲深く見守る心をw
おかあつ   2010年05月07日 12:57
>慈悲深く見守る心をw

そうとわかってはいても、こういう事があるとやっぱり何か嫌な気分なもんで...ま、でも、こうやって日本にいて何もしていないから、何かこういうことばかり考えちゃうんですよね。 (しかし何で日本に居ると何も出来なくなるんだろうという疑問は残る。だけど、これは事実だと思う。)

さて、もう行かなきゃな...。
フリゼル   2010年05月07日 13:29
おかあつさん。あまり落ち込まないようにして下さいね。
件の女性が、表現すべきなのは「わざわざ息子を訪ねてくれて、ありがとう」っていう感謝の気持ちだと思うんですよね。
そうならない所が、日本の弱さですかも知れないですね。
おかあつ   2010年05月07日 14:20
>おかあつさん。あまり落ち込まないようにして下さいね。

何かキミに優しい言葉をかけられると、気味が悪い。
普段の毒舌を知っているだけに。
さい   2010年05月07日 16:46
感じ悪い人に会うと気分が悪い。
でも感じいい人と感じ悪い人の違いなんて
本質的にはあまりないのではないか。
そうはいっても同じ中身の人なら
感じよくしてもらえるほうが気分がいいので私は助かる。
感じのいい人のいる世界に行きたいと願うのは
幻想に過ぎないのか?
おかあつ   2010年05月07日 17:07
というかね。 僕って見かけが怖いんだよね。
あれから考えたんだけど、僕、体大きいし。
考えても見れば。
夜道で女性とすれ違うと、女性が走って逃げていくのなんかしょっちゅう。
夜、人気のないコンビニに入ると、店内の女性、すかさず無言で退店。
これもしょっちゅう。
ネコすらダッシュで逃げる。(ウチの猫なのに)
吠えるイヌも目を合わさずに逃げる勢いだから。

見かけない人が来ると、しかも僕みたいな見かけが怖い人間が来ると、みんな警戒するんだよね。
これも致し方のないことで。
おかあつ   2010年05月07日 17:12
昔保土ヶ谷に住んでたとき、近所の人が冷たくて苦労した。
近所におじいさんが住んでいて、この人が超感じ悪くて、親切じゃなくて。
いつも腹立ててた。

だけど、数年経ったある日、このおじいさんの植木を屋上に上げるのを手伝ったことがあって。
その頃から、凄く親しくしてくれるようになった。
よく立ち話で世間話したりした。

「一見さん」に冷たく、「顔馴染み」に優しいのは、どこも同じかなと思う。

# ま、いくら挨拶しても馴染んでくれないオッサンも居たけど。
さい   2010年05月07日 17:44
いい話だー
わたしは逆に怖そうにみえないから
体育会系的な社会だと感じ悪く接してこられて困る。
もうちょっと怖そうだったら張り合ってやっていけるんだけど。
退会したユーザー   2010年05月08日 16:19
うちのねちゃっこい村では迷惑そうにはされませんし、むしろ歓迎されるのですが、あとから裏で悪いように言われます。むかつきます。でも悪く言われるのを分かっているけどわざと話をしにいったりして。
あの嬉しそうな顔、優しい顔、言葉、全く本心ではないことをお互いが知っています。でもそれが礼儀、常識、普通、なんだとか。
地域差も、あるのかもしれないです。
おかあつ   2010年05月08日 17:20
それもまたしかりやなぁ...。 村社会ってむずかしゅいね。
 
出展 2010年05月06日21:14 『村社会』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




おかあつ日記メニューバーをリセット


©2022 オカアツシ ALL RIGHT RESERVED