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2009年12月29日火曜日

多様性 (mixi05-u459989-200912291643)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
多様性
2009年12月29日16:43
久しぶりにミクシやって思う。 日本って本当に多様性が小さい国なんだなぁと思う。 僕はタイ東北に住んだり、タイのアラブ街に入り浸ったりしている。 そこにいる人は日本人よりずっと多様性がある。 だから、多様性に対してみんなある程度の寛容さがある。

ところが、日本人は違う。 日本人しか知らない。日本人は自分たちがいかに特殊なのか知らない。日本人は日本人が普通で他のすべての人が特殊なんだと思っている。 実にマヌケに見える。 もっとも、僕の友達は多様性がある人が多いのだが。 だけど、僕の友達の多くは、日本では変態というカテゴリーにはいってしまう。 僕の友達をここに連れてきたら皆、ごく普通である。



前回蝿の事を書いた。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1375165159&owner_id=459989

僕が書くことというのは、個人的な意見ではなく、少なくともある人たちにとっては常識だ。 僕が書くことは、少なくともそう思っている集団が存在するのだ、という意味を持っている。 ある一般常識を違う文化の一般常識から比較すると、その一般常識が持っている矛盾をあぶり出すことが出来る。 僕が書く事は、そういう価値を持っている。

ところがこれに対して「君の意見は間違っている」とまっこうから討論を持ちかける人が絶えない。これは僕に取って蝿でしかない。 殺すのは困難ではない。 ところが、大変な人数がいるうえ、次から次へとやってくる。 彼らは自分を知らず、他人を知らず、次から次へとやってくる。

これは、僕から莫大な時間を奪う。 だから無視していようと思う。 しかし、こいつらは、蝿と同じように、僕の感覚が集中している場所...目先や指先に止まって遊び始めたり、暴れ始めたりする。 だから思わず反論してしまう。 結局一日中ミクシをやっているという事態にすぐ落ちてしまう。

また再び思う。 ミクシ止めよう。 ミクシばかりやっているのは、健全じゃない。


コメント一覧
Q   2009年12月29日 20:04
私は議論とか討論が嫌いです。
時間の無駄としか思いません。
人の価値観を認める方が大事です。
というか、日本国外で生活しようとするとそうするしかありません。
人を批難する場合、自分にその資格があるか考えるのも大事です。
おかあつ   2009年12月29日 23:38
この間、日本にいるとき、携帯でタイ語で話していたら、知らない人からいきなりものすごい剣幕で注意されたことがありました。 よく見たらそこは携帯電話を使ってはいけない場所らしく、確かに僕が悪いのですが、僕はかつてそんなにきつい言い方をされたことはありませんでした。 あまりにもきつい無礼な言い方をされたので、もう少し丁寧な言い方があるんではないかって、その人の上司に苦情をいいにいきました。

カウンターに僕を怒鳴った人がいました。 僕に怒った人は、日本語を話す僕を見るなり、目を見ないで逃げていきました。 上司は平身低頭詫びてました。 多分ですが、僕を中国人と思ったんだと思います。で、中国人だったらそんなに失礼な言い方で良くて、アメリカ人だったら丁寧な言い方をするのかって、思ったんです。

実際僕は英語も話すんですが、英語を話すと、僕がどんなルール違反をしていても、見ないふりをされます。 だから、余計腹立ちました。



僕はアメリカにいたことがあって、こちらもとても多様で、みんな考え方も文化も違うんだから、積極的に話し合おう、っていう土壌がありました。 一方、タイ人は話し合いが嫌いですが、話し合わない分、空気で相手の考え方を読むスキルがあります。 日本人は、そのどちらも持ってないんです。



外人向けミクシ利用案内の英語サイトで、ミクシを評して「利用者全員パラノイア」って書いているサイトがありました。僕もそう思います。 hi5 とか facebook とか そういうサイトと比べても、ミクシって病的です。

でも、そうは思っても、僕は日本語を話す以上、ミクシを使う訳なんですが...。 そんなミクシでもブログよりずっとマシだとは思います。
風我   2010年01月06日 03:03
あけましておめでとうございます。

>「君の意見は間違っている」...

「僕の意見はちょっと異なるんだけど」と
ワン・クッション置いてから私見を述べてくれるんだったら
もうちょっと素直に耳を傾ける気にもなるのにね。
結局ものは言いようで、自分の意見が説明できない人ほど
頭ごなしの乱暴な発言をするのかも知れません。

そういう人に限って、
「はあ、なんで間違ってるのか教えてもらえますか。
理解したいので」と切り返すとたいていは黙るから
見分けがつきやすい。

そこで自論を展開してくれたとしても
論理的に説明がなりたたないようであれば
相手の言い分に全く意味がないと無視すればいいんです。
間違った意見でも外国では論理さえ通ってれば
それで受け入れられるものですから。
おかあつ   2010年01月13日 05:52
>相手の言い分に全く意味がないと無視すればいいんです。
>間違った意見でも外国では論理さえ通ってれば
>それで受け入れられるものですから。

そうなんですよね。

そういう意味で「間違った意見」ってすごく好きです。
そういう「自立している間違った人」というのは、どこか魅力的です。



一方で、明らかに矛盾していて間違った意見を振り回す人をどうやって受け入れてやさしくするのか、っていうのが、今の僕の課題なのかもしれません。 僕は今タイにいるわけですが、これが出来ないと深刻な問題ばかり起こります。 これは僕に取って、とてもストレスフルです。

それが嫌なら西洋に行けばいいだけなんですが、でも、こうしてタイにいて西洋人を見ていると、怒って色々と矛盾ない論理を組み立てて振りかざす彼らも、実は怒っている理由はお腹が減っているから、っていうだけだったりするもんかなぁ、とも最近思います。

おかあつ   2010年01月13日 06:03
でも、更に考えてみれば、僕は「矛盾しているから相手にしない」っていう姿勢が抜けていたのかもしれない、と気が付きました。 しかし、アジア人である以上、そうやって切り捨てることが出来ないという歯切れの悪さがあるのかもしれません。

日本人に限らないですが、アジア人には、明らかに矛盾している説明に固執して、そこから出られない人というのがいます。 そういう人の矛盾を指摘しても、その矛盾を解決するような説明が出来ないのです。 こうして僕はタイにいるわけですが、この国には、その矛盾を説明できない人しかいません。 この国では、逆に、説明できない意見の向こうがわを空気だけで察する能力を要求されます。 そして、 この能力は、実は日本でもかなり大切なスキルな様な気がしています。

アジアに居ながら論理的である、ということは、実際、大きな矛盾を抱えてるのかも知れません。
 
出展 2009年12月29日16:43 『多様性』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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