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2009年8月20日木曜日

格差について (mixi05-u459989-200908200016)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
格差について
2009年08月20日00:16
ある方のコメント欄にて...



(前略) ━━━ 多分格差っていうのは、規制緩和の有り無しに関わらず、実はかなり昔からあったのだと思う。 「格差」という言葉が使われるようになるまえは、単にバカとかマヌケとかそういう言葉しか使われなかった。

格差という言葉が、「それが格差なのだ」と認識されたのは、格差が出て大分立ってからだと思うし、「格差」という言葉が一般的になった今ですら「格差」という言葉を使う代わりに「負け組」とかそういう婉曲な言い方を好むことが多い。

格差についていくつかいえることがある。

1. 格差が格差たりえるのは、そこに競争が働かない事だ。 弱い者でもひたすら勝ちっ放しになったり、強い者なのに負けっぱなしになったりするのは、健康的な事じゃない。

2. また格差が問題として成立するためには、中流から落ちた人の生活が難しくなる必要がある。

2は若干説明が必要だと思う。 これは例えば、タイを見るといい。 タイは大変な格差がある国だ。 月収15,000円の人から、月収900,000円の人まで、大変な格差がある。 しかし、それは日本ほど問題化していない。 何故だろうか。

月収15,000円の人専用の40円のご飯もあるし、24円のバスが国中を走り回っている。月9000円で充分住めるきちんとしたアパートもある。 だから生活に困窮することはない。 一方で、月収900,000円の人専用の月20万円のプール付き・フィットネス付きアパートもある。望みであればフェラーリやポルシェで移動することも出来る。 金持ちは金持ちなりの生活が出来る。これは、日本など比較にならないほどの極端な格差といえる。

こういう状況のタイに比べてずっと格差が少ない日本なのに、格差が何でここまで問題化するのだろうか。

僕は、その理由は、貧乏が貧乏らしく無理無く生きる権利と自由が無いからではないかと思う。

タイで24円のバスを使ってあちこち遊び回るのは、決して辛く苦しい生活というわえけではない。 使ってみるとその使い心地は決して悪くない。 確かに24円なりの快適さで、あちこちに不具合や危険がたくさんあるけど、24円なりの羽が生えたような気軽さも持ち合わせている。 それに、40円のご飯は、決してまずいご飯ではない。 一番うまいご飯が一番安いというのは(食い倒れ横丁を引き合いに出すまでもなく)決して珍しいことではない。


日本人は貧しいことは絶対的な悪だと考える節がある。しかし現実的には、貧しいこと自体は必ずしも悪いことではない。 豊かさと責任が表裏一体であるのと同じように、貧しさと気軽さは表裏一体だ。 むしろ貧しい人に無理に背伸びをさせて無理に都会的な生活をさせることこそが、格差を問題化させてしまう根本的な原因なんじゃないかと僕は思う。

ここでも「日本人はみんな同じだという幻想」が働いていると考えられる。 この「日本人はみんな同じだという幻想」というのは、しばしば日本で発生する問題の原因となっているように思う。 ━━━ (後略)

コメント一覧
ナム   2009年08月20日 00:57
日本じゃ40円でカオパット食えないしなぁ。
タイ並にうまいカオパットは1200円~1500円くらいとられるし。
場所も限られているし。
とても毎日など食べられない。
日本の貧乏人は貧しい食生活をしてると思う。
日本でも金がたっぷりあれば毎日ホテルでディナーを食べて、
タイの貧乏人並にうまいものが食えるが、普通のリーマンじゃそれは無理。
ジャコビ   2009年08月20日 01:04
私もそれは感じます。ニューヨークでさえ、貧乏人が行きて行くのは日本よりも簡単です。

収入の低い人は、結構簡単に毎月1万円から3万円位の食品のみを買う事ができるカードも市が支給してくれます。アパートもニューヨークは安くはないですが、収入が低くて子供がいたり、高齢だったりした場合には、それなりの家賃援助を市がしてくれます。

ニューヨークのような都会には、貧乏人は絶えず流れ込んできますが、それでも極端に酷い巨大なスラムのような場所が形成されないのは、やはり弱者の救済システムがあるからだと思います。そういう社会福祉システムがしっかりしていると、弱者として生まれ育った人でもその気があれば、困窮した生活から自力で抜け出す事が十分可能なのですが、日本には、これが一切欠けていると思います。

あと、日本人や日本の文化にどっぷり浸かった外国人を見ると思うのですが、維持しなければならない生活のレベルがもの凄く高いですね。例えば隣に住む韓国人とモンゴル人のご夫婦がいるのですが、二人は日本でであった為に、二人の共通語は日本語で、日本の文化圏で生活しています。

引っ越して来たばかりの時に、お金がないから健康保健も高くて買えないと言いながら、巨大なフラットスクリーンのテレビを25万円位で購入したのには、驚きました。「25万円あるならば、お金あるじゃん!」というのが私の率直な感想でした。その二人は、日本に帰りたがっています。
あび   2009年08月20日 12:01
たしかに、今の日本の社会の仕組みは、貧乏人には窮屈なのかもしれませんね。その影響が貧乏じゃない、そこそこの所得の人にも波及してて、なんだか、微妙に生きずらい感じを与えてしまってるのかもしれませんね。これ、かつて「一億総中流」を目指した結果のツケなのかもしれませんね。
タビビト   2009年08月20日 21:26
格差、というか、金持ちもいて貧乏人もいるという社会はおかあつさんがおっしゃる通り悪ではないと思います。ただ、今、日本で「格差」と言われるときには、

・同じ仕事をしていても、正社員と非正規社員の間では、給与水準に差がある。
・一度下層(ワーキングプア)に陥ると、どんなに努力しても元の地位(給与水準や正社員の地位)等を再び得ることが難しい。
・貧乏人の師弟は貧乏人になるしかない。

ということが、暗に意図されているように思います。私も体を壊して、仕事を長期離脱したときには、その恐怖感を嫌というほど味わいましたし、復帰途上の今も恐怖感はあります。

でも一方でおかあつさんの実例もある。タイの話などを読んでいると、「そんなのどうにかなるさ」という楽観主義みたいなものも感じられます。

そんなこともあって、判断保留中です。
退会したユーザー   2009年08月21日 02:05
タイって貧乏人には地上の楽園なの

知り合いの話では表に出ないが餓死寸前や実際、餓死で死ぬ人もいるとか、病院も行けなくて助かる命も助からず、人身売買を普通にしてたり、エイズが村中で蔓延して死ぬ人がいたりとゆってたが。。俺的にはアジアの最貧困層から見ると日本ほど貧乏人に優しい国はないと思ってるがそら失業して生活保護でやっと生活してる人や安定のない派遣勤務など格差は当然あるがアジア各国の最貧困層と日本の格差貧困を比較したら次元の違うレベルだと思ってるが
大阪にも最貧乏層が多い地区はあるがそこまで酷い事は。。あの人たちは施設の中よりあそこで生活するほうが楽しいんだって全員が全員ではないんやろけど
おかあつ   2009年08月21日 17:56
何というか日本は貧乏貞操観念とでもいうか、貧乏バージンじゃないと優良企業と結婚させてもらえなくて、貧乏にレイプされてしまった人は、死ぬまで貧乏と結婚しないといけないというか、優良企業の召使いとして一生安い給与で働かないといけないというか...

なんというか、日本の企業って身内にやさしいんですよね。 中国人も同じ性質がありますが、起業家にすごく人情があって、この人は身内だと認めた人は、どんなにダメ人間でも最後まで守り抜こうと努力するところがあるような気がします。

そんな経営者でも、お尻に火が付いてくると会社の経営者から遠い人間から切り捨てられていくのかもしれません。
おかあつ   2009年08月21日 18:00
昨日書いた日記の方には、上の日記のつづきが書いてあります。
もしよろしければそちらも合わせて読んでいただけたら幸いです。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1260215821&owner_id=459989
ナム   2009年08月21日 21:00
派遣労働者社と正社員が同一労働に対して得る収入が余りにも違いすぎます。そうして、派遣社員の労働環境は過酷です。休みは少なく、契約はいつ打ち切られるかもわからない、驚くべき低賃金のため、将来のための貯金もできないし結婚もできない。こうした格差は政府がそうした派遣労働者が増えるような政策をとってきたことによって生まれたわけです。

毎日朝から晩まで一生懸命に働いても人間らしい生活ができない社会、これが悪でないなら正義って何でしょう?

経済のグローバル化という名の搾取の自由化が今日本でおきている格差の中身です。これは紛れもない悪です。

今度の日本の総選挙で政権交替が確実視されていますが、それは多くの国民が格差社会にノーを出したからでしょう。

おかあつ   2009年08月22日 05:07
コメントを書いたのですが、こちらで日記として改めました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1261923442&owner_id=459989
 
出展 2009年08月20日00:16 『格差について』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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