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2009年4月12日日曜日

今日の出来事 無題1 【後編】 (mixi05-u459989-200904121025)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
今日の出来事 無題1 【後編】
2009年04月12日10:25
今日の出来事 無題1 【前編】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1134805729&owner_id=459989

続き。

メガネを取りに帰り、両替を済ませ、再びセンセープ運河の水上バスに乗って、また元のBicCというスーパーマーケットに携帯電話を買いに来た。 僕は今まで携帯電話に興味を持ったことが無いのでまったく何も知らないに等しかったのだけど、しばらく見ているうちにだいぶ違いが判るようになってきた。

携帯電話にはラジコンみたいにバンド(周波数帯)があるらしい。 対応しているバンド数が多ければ多いほどつながりがよくなるようだった。 僕が持っている携帯電話はつながりが恐ろしく悪いのだが、多分バンド数が少ないのだと思う。 これは僕の推測だけど高い周波数のバンドに対応していればそれだけ音質がよくなるのというような気がした。 高級機種であればあるほど高い周波数帯に対応しているようだった。

しかし最近の携帯はブルートゥースに対応しているらしい。 最近バンコクで歩いていると謎のデバイスを耳に突っ込んで歩いている人を良く見かけるのだけど、これは実はブルートゥース版のヘッドセットらしい。ブルートゥースというのはUSBの無線版みたいなものだ。 このヘッドセットはブルートゥースで携帯電話につながっていてこれで電話を持たずに話ができるというものらしかった。 BicCでは一番安い機種で2500バーツでブルートゥースに対応している機種が出ていた。

見ているうちに何か欲が出てきて、あれもついていたほうがいい、これもついていた方がいい、と欲が出てきた。 タイは携帯電話は高級なアクセサリのような地位にいるので、高級機種はゴツいデザインの方が人気があるようだった。 僕はあまりそういう高級志向がないので、何かいいものがないか...と探していたら、モトローラの携帯が日本の携帯みたいと同じように薄くて軽いデザインで、僕的にはピンと来るものがあった。 ただ値段は10000バーツ近く、ちょっと高い。

サムスンが非常にコストパフォーマンスがよく、かなり魅力があった。 低価格なのにトライバンド(3バンド対応)で、ブルートゥース対応だった。 ただ何というか外見のデザイン的には中途半端で、魅力的ではなかった。

1時間ぐらい見てまわった挙句だんだん面倒くさくなってきた。 僕はモトローラの10000バーツの携帯が一番魅力的に見えた。 10000バーツというのはタイではほぼ一か月分の生活費にあたる。 携帯電話としては非常に高い部類に入る。 だけど、僕はここで考えた。 10000バーツなんて、僕にしてみればたったの27500円だ。 27500円なんて日本なら三日分の日給程度だ。 高いといっても日本人的にはそこまで躊躇するほど高くはない。 何を迷うことがあるだろう。 買っちゃえ! そう考えた。 思い切って店員を呼んでこれください、って言ってしまった。

しかしである。 僕の中の何かが「やめろ!やめろ!」と叫ぶのである。 僕はギリギリで思いとどまった。 相当恥ずかしかったが「やっぱりいいです」って言って買わなかった。 何故僕はこう考えたのか、自分でもわからなかった。



僕なりに自分を分析してみた。

僕はプログラマである。 コンピューターにはめっぽう強い。 こういう最新技術を使ったようなデバイスを手に入れるとそのデバイスの限界を試すことに強い魅力を感じるタイプだ。 しかし、自分で言うのもなんだけど、僕は最新技術に詳しすぎるのだ。 詳しすぎるので欲しくないのだ。 これはどういうことか。

僕はこれまでも何度も最新のデバイスにはまってきている。 以前、ソニーから出ていたクリエという機種にはまって、散々いじり倒したことがある。 これを実際に道具として完成させるべく、半年以上かけてユーティリティーソフトをインストールしたり設定を変更したりプログラムを書いたりしたことがあるのだ。

そうやって長い間いじっていると、そのデバイスの限界が見えてくる。 ここがこうなっていれば、こういうことができるのに... そうなってない、とか、ここがああなっていれば、こんなにめんどくさくなかったのに...そうなっていない、とか、もしも最初から設計者がこういうケースも考慮していれば、こんなカスタマイズは不要だったのに、というような設計上の不具合が見えてくるのである。 道具というのは毎日使う物だ。 だから道具というのはとてもシビアな精度を要求される。 細かな不具合がとても気になるのだ。

僕はプログラマである。 だから、もしも、何かが自分の都合のよいようになって居なかったとしたら、自分でプログラムを書いて自分で作ることも出来る。 しかし、プログラムを作るというのは、膨大な時間の投資が必要なのだ。

もしも自分があるデバイスのカスタマイズに膨大な時間を投資したとしても、往々にして、デバイスの寿命の方がずっと短い。 だから、せっかくの時間の投資が無駄になるという場合がほとんどなのだ。 デバイスの寿命というのはどういうことか。 クリエをいじっているとき、僕は何度も自分でプログラムを書こうと思ったのだが、実は思いとどまって、そこまではシビアに追求しなかった。 実は、このときにも「やめろ、やめろ」という声が既に聞こえていたのだ。 そして、それから数ヵ月後、クリエは生産中止になった。 今では多分入手すら困難だと思う。 俗に言う「ソニータイマー」というやつである。 僕の予感は的中したのである。 こうなっていたら自分が作ったプログラムや苦労して手に入れたノウハウは二度と使うことはない。 苦労して得た知識の「死」である。 もし僕がクリエのカスタマイズに命をかけていたら、クリエとともに心中する運命にあったのである。

道具というものは、とてもシビアなデザインセンスが求められる。 しかし細かな点まで目の届いた厳密なデザインが施された完成された携帯デバイスというのは、実に稀だ。 しかしそういう不具合を自分で修復するほど細かなカスタマイズが不可能であったり、せっかくカスタマイズをしても生産中止・バージョンアップ・その他の原因によって、その労力が水泡に帰したりすることが多いのである。

だから、僕は携帯デバイスが大嫌いである。 携帯デバイスは時間食い虫である。

僕は普段仕事をするときパソコンや携帯デバイスは一切使わない。 紙と万年筆だけだ。 紙と万年筆は、完璧だ。 すべてが自分の思い通りに動くという点で、世の中のどんな優れたソフトもどんなに優れた携帯デバイスも、紙とペンには絶対にかなわない。

世の中のコンピューターやソフトウェア・携帯デバイスは、紙とペンのように長い年月を経て発達してきていない。 だからあらゆる点で不完全なのだ。 だから何かを考えるときに携帯デバイスを使うのは、みずから自分の思考に足かせをかけるようなものだと僕は思う。

ところで、iPodTouch や iPhone だけは、好きだ。 Apple製品はどれも道具として使うためにきちんと細かな点までくまなく目が行き届いている。 カスタマイズしなくても気持ちよく使える。 きちんと使う人の立場にたって設計されていることを感じる。 僕の感覚としては「使う人の立場にたつ」というのは当然のことで、その他大多数の「まったく使う人の立場を無視している」携帯デバイスなど、お話にならないと感じる。

また、Viという編集ソフトがあるのだけど、僕はこのソフトもカスタマイズしなくても使える、と感じる。 Viというソフトは実はコンピューターの黎明期から存在する非常に古いソフトで、細かな点までくまなく目が行き届いている。 こういうソフトは道具として優れている、といえる。

そういうわけで、頭の中の物欲魔人がモトローラの携帯を「買っちゃえ!買っちゃえ!」と言っている一方で、この頭の中のプログラマが以上のようなことを短い時間のうちに考えて「やめろ!やめろ!」と叫んでいたのである。



で、思いとどまって、結局1200バーツ(3000円)の一番安いノキアの携帯を買うことにした。 「これください」と言った。 店員は忙しそうだった。 「少々お待ちください」といわれてから20分ぐらい待った。 ちょっと腹が立ったので、催促した。 先客があれこれと店員に雑用をやらせていた。 「僕はこれを買うだけで何もしなくていいから先にやってくれ」と言った。 そうしたら一応先にやってくれた。 ノキアの黒ください、と言ったら、今青しかありません、と言われた。 さっき聞いたときは今ちょうど黒しかないっていわれており、僕は黒が欲しかったので、ちょっとショックだった。 しばらく考えた。もう迷ったり他の店に行ったりするのは面倒だった。「じゃ、それでいいです。」と言った。

それからまた更にしばらく待たされた。 僕は、何となく頭にきてしまった。 で、何も言わずにそのまま帰った。 散々待たされた挙句、欲しい色が実はないことがわかって、更に待たされたので、若干抗議の意味があった。

そういえば、向かいのセントラルワールドにノキアのショップがあったな、と思った。 行ったら案の定同じ機種がほとんど同じ値段で売られていた。 それを買った。

安物のノキアはいい。 古くて枯れている。 最低限の機能しか付いていないというのがいい。 機能の全体像がはっきりしており迷わされることがない。



食事を済ませてから、仕事をしにアソーク駅のマクドナルドに向かった。

ところで、このマクドナルドの向かいにはポン引きのおじさんがいつも立っている。 僕はこの人と少し仲がよかった。

この人は、かつて、いつも僕の顔を見るたびに「ビューティフルレディー!○○○バーツ!」と言って近づいてきた感じの悪い人だった。 このあたりにこういうポンビキをやっているおじさんは多い。 僕はこういう人に「いらん!」と言ってむげにあしらうのが好きでないので、いつも丁重に断る。 で、このおじさんもかつてそのようにして丁重に断ったことがあった。 そうしたら、僕がタイ語を話すと言うことを覚えていてくれて、すごく感じのいい人に変貌したのだった。 それから顔見知りになって会うたびに挨拶するようになった。

ということで、僕は、日本から買ってきたお土産の「鬼殺し紙パック入り」をあげようと思い、今日持ってきていたのだ。 挨拶して、実は僕は日本から帰ってきたばかりでこれ日本のお酒です、と渡した。 お酒好きですか?と聞いたら、実はお酒飲まないんだ、という。 僕は相当驚いた。 お酒を飲まないソープランドのポン引きがいたのか、と思った。 何て良く出来たポン引きなのかと思った。

この人は実は仏教が大好きだといった。 こんなことをやっているけど、これはあくまでビジネスで、僕は仏教が好きなんだ、といった。 もちろん昔お坊さんだったことがあるのだそうだ。 座禅が好きだと言った。 今でもお寺で修行したりするのか、と聞いたら、お寺には行かない、と言った。 動きすべてが修行だ、と言う。 座る、立つ、歩く、走る、これがすべて修行で、これがすべて座禅なのだという。 人は仏道を求めてお寺に行ったり先生に付いたりするが、本来は仏と言う物は既に自分の中に存在するもので、自分の外に求めるものではないのだ、と言った。 この考え方は僕も座禅が好きなので知っている。 仏門に深く入っている人でなければ絶対に言わない言葉だと思う。 僕はソープランドのポン引きからよもやこんな深い話を聞くとは思わなかった。

おじさんは、お酒を人にあげるのはよくない、と言った。 お酒を飲むと思考が衰えて脳にダメージが加わる。 そして、あげたものというものは自分に帰ってくる物だ、だからお酒のようなものを人にあげるのは、自分にもよくない、と言った。 僕はお詫びを言った。 「次回ぜったいお菓子持ってきます。」って約束して去った。

人とは良く話してみないとわからないものだ、と思った。



仕事を済ませて、オカマのP子(Y’嬢)に電話をした。 仕事が終わったらラチャダーのディスコでビールをおごる約束だった。 ソンクラーン初日ということで、ディスコは大変な賑わいだった。

(Y’嬢 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1126143644&owner_id=459989

僕は仕事道具を一式持っていたので、大荷物だった。 そうしたら荷物を預けてくれと言われた。 絶対になくならない、って言われたけど、僕が4年かけて組んでいるプログラムが入ったコンピューターを預けるのは躊躇した。 もしなくなったら絶対に帰ってこない物だ。 (まあちこちにバックアップをおいてはあるけど) だから、じゃぁ帰ります、と行って帰ろうとした。

そうしたら、僕の顔を覚えていてくれている、いつもの強面の店長が出てきてオーナーと話をつけてくれた。 特別に荷物つきで入れてくれることになった。 外人で特別扱いされているのだとは思ったけど、とても親切だと思った。 僕は、丁重に手を合わせてお礼を言った。 店長はいつもどおりニコリともしなかったし、入り口の若者に笑われた。 わからないけど、この国ではこれくらいの親切は当然でクールに受け流すものなのだろうか、と思った。

中は足の踏み場もないほど人がたくさんあふれていて、大変なことになっていた。 いつもどおり水タバコとビールを頼んだ。

僕は水タバコを吸ったが、これがまったく満足できない。 何故なのか自分にもわからなかった。 僕もこれまでかなり多くの場所で水タバコを吸ってきた。 僕がいつもいくスクンヴィットソイ3周辺にあるアラブ街の水タバコは実に本格的で吸うとガツンとくる香りと奥ゆきがある味わいに加え、独特な酩酊感があるし、またキチンと定期的に火種を交換してくれるため長い時間楽しめる。 僕はこれでなれてしまったのだ。 クラブで出すような水タバコは火種の手入れもよくないし、味がとても薄い。 最初は気にならなかったが、今では、これくらいのオモチャでは満足できなくなってきているのだ。 僕はいよいよ水タバコ中毒になりつつあるようだ、と思った。

P子が腹減ったということで、となりの食堂に行った。 P子は非常に性格のいい人で、色々な話をした。 P子は、昨日の客の話をした。 P子はいちおう売春をしているわけだけど、P子はオカマなわけである。 何でオカマをわざわざ買う奴がいるのだろうかと僕は思うのだが、これが、実は、みんなP子がオカマだって気が付かないんだそうだ。 これは非常に驚きだった。

「だって自分、チンコ付いてるのに何で相手が気がつかねーんだよ!」と言ったら「そんなことはない」という。というのも、既にブツは無いんだそうだ。 「ナヌ!?」と思った。 全部手術したから、という。 何たることか、と思った。 この男、男とセックスも出来るのだ。 いったいどうなっているのか、さっぱりわからなかったが、どうなっているのか聞くのは、何か怖いような気がして、深くは問いたださなかった。

で、昨日の客はP子が男だと気がつかず、すっかり満足したうえ、ありとあらゆる化粧品を買ってくれて10万円近く渡して帰っていったんだそうだ。 世の中には色々な人がいる、と思った。

僕はP子と初めて会ったとき、腕を捉まれなかったら男だと気が付かなかったと思う。 パッと見、女だと思っていたし、女であろうと売春婦には興味が無いので追っ払った。 追っ払った時腕をつかまれたのだ。 捉まれたときすべてを察知した。 なんともいえない微妙な差なのだけど、男だとわかった。 力が強いというか、重さがあるというか、女性とは違うのだ。 普通オカマは手が大きいのでわかるのだが、P子は手もかなり小さい方なので、見極めるのはかなり難しいと思う。

で、実際にまったく気が付かずにP子とともに一夜をすごす人は多いのだそうだ。 しかし、P子は非常に女性としてみてもスタイルはいい方だと思う。 世の中にはP子よりも不細工な女性などたくさんいる、と思った。

こうして改めてディスコ内を見渡してみると、オカマよりも不細工な女などいくらでもいる。 きれいだから女性とは限らない。 ひょっとしたらディスコにはオカマが多いのかもしれない。 そう思うとだんだん混乱してきた。 またタイの人は女性でもかなり背が高い人が多いので、更に混乱に拍車をかけた。

僕がオカマだと思った人が、P子に聞いたら女だったり、女だと思った人がP子に聞いたら男だったりするのである。 しかも今回わかったところによると手術をしている人もいるわけで、そうなると一夜を過ごしても見分けは付かない、ということもありえるということだと思う。 恐ろしい話である。

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P子はとてもいい人で、色々な話をしてくれた。 P子は二十歳なのだそうだ。 たぶん、僕が知っている二十歳の中で、もっとも精神的に成熟した二十歳だと思う。 僕はこんなに精神的に成熟した二十歳の人を他に知らない。 人の苦しみを理解する力があるというか、独特な感受性があると思う。 何というか女性の感受性と男性の理解力の両方を持っているような感じがする。

P子はかなりモテるようだ。 外人からもタイ人からも、いろいろな男性からアタックされているらしかった。 実際、ディスコでもそばに居たアメリカ人がずぅっとP子に熱い視線を送っていたのに僕は気が付いてた。

(ところで、スクムヴィット通りに居ると、僕が見れば明らかに男だとわかるオカマと一緒に歩いている西洋人をよく見かける。 タイ人女性には絶対居ないような背の高さと肩幅の広さがあるから僕がみればすぐに判る。 だけど、実際西洋人であれば、それくらいの体格の女性は、スタイルがよい女性として実際に居るのではないかと思う。 それがオカマと知ってか知らずか、よくオカマと歩いている西洋人は見かける。)

で、P子は、これだけ大人っぽいと、そこら辺の若い子では釣り合いが取れないのではないか、と感じる。 実際にそうらしい。 だから、これだけモテても、P子本人はあまり興味がないんだそうだ。 世の中なかなかうまく行かない物だ、と思った。

ディスコが閉まってからも、ディスコの前の歩道で明るくなるまで色々な話をして、帰った。

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ようやく4月10日の日記を書き終わった...(-_-;) 疲れた。 もう朝だ...。

4月11日

今日は夕方ごろおきた。 普段は仕事を済ませてから水タバコを吸いに行くのだけど、今日ついに仕事の前に水タバコを吸いに行ってしまった。 完全に中毒である。 そしてアソーク駅のマクドナルドに行き、仕事を済ませ、また水タバコを吸いに行ってしまった。 完全に病み付きである。


今日は、レバノン料理屋で一服した。 ここに聾唖のおばさんが居た。 この人がコミュニケーションの達人のような人で、あらゆる人と手振り身振りだけで成立する不思議なコミュニケーションをとっていた。

帰りは、エジプト料理屋で一服した。

店の雰囲気が違うだけなのかもしれないけど、レバノン料理屋の人のほうがフレンドリーな気がした。 何故なのか判らない。

エジプト料理屋の人はどうもスマイルとかアイコンタクトがあまりなくて、とっつきづらい。
エジプトレストランでは、挨拶の仕方とかがとても独特で、なかなかスッと友達になれない。 見ているとエジプトレストランだからと言ってエジプト人ばかりがいるとも限らないようで、中にはエジプト語ではなく英語を話している人もいる。 見分けが付かない。

レバノンの方はみんなアイコンタクトがあって、親しみやすい感じがした。 だけど何故なのかは判らない。 ただレストランの雰囲気なのかもしれないし、タイで商売をする人の特徴なのかもしれないし、本当に国民性なのかもしれないし、わからない。 もうちょっと語学などの下準備があると面白いんだろうな...。 手始めにWikiを読んでみようかと思う。


国際コミュニケーションって、ほとんど格闘技だよな、と思う。


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出展 2009年04月12日10:25 『今日の出来事 無題1 【後編】』