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2009年1月30日金曜日

わからん人 Part2 (mixi05-u459989-200901300811)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
わからん人 Part2
2009年01月30日08:11
また英語の文章を書くようになって、もうひとつ気がついたことがある。 日本語の文章を書く時はしばしば強調する形容詞を多用することだ。 「これはとても難しい問題を起こします。」 とか「少々面倒なことになります。」とか「問題はあまりありません」とか。 英語であれば This is a problem とか There is no problem とかで終わりではないだろうか。

これについて、僕はもうひとつ思うことがある。 日本語と比べると、タイ語はさらに強調の形容詞が多いということだ。

ลำบากมาก (lambaak maak =すごい大変) とか。
มีปัญหามาก (mii panhaa mak=すごい問題)とか。
ขอโทษน่อย ( khothoot nooi = ちょっと謝りなさい)とか 。
ไม่ค่อยมี ( mai khoi mii =あまりない) とか。

僕は、ここに、アメリカ+ヨーロッパでの「説明する」という言葉の意味と日本やタイでの「説明する」という言葉の意味の違いを感じる。



日本人がタイに来てやらかす失敗ナンバーワンは、タイ人を説得しようとすることだ。 仕事をしないタイ人を連れてきて「君の失敗が原因で、これだけの損害が出た。 次にこれ以上大きな損害を出すとこれこれこういう影響があらわれる。 だからプロジェクトの成功のためには、ここだけは必ず守らなければいけない。」 こういう風に論理的にタイ人を説得してもまったくいい結果は出ない。 タイ人を説得する時に大切なことは、気持ちに訴えかけることだ。

「僕は君を大切にしたいし、君のお父さんの病気のこともよく知っている。 助けてあげたいのだけど、お金がない。 だからこのプロジェクトだけは頑張ろう。 このプロジェクトを頑張ればボーナスが支払えると思う。 しかし、この間君が起こした問題が原因でこのプロジェクトが転覆しそうだ。 ここだけは守ってくれるだろうか。頼む。」 という風な感じがベストだ。

タイ人には論理を大切にする、という文化自体がない。 タイ人にとっては人生の関心事は唯一心情だけで心情のことしか念頭になく、心情が人生にとってもっとも大切なことのひとつだ。 だからこそ「とても」とか「すごく」という心情の強調表現をたくさん持っており、事実を淡々と記述することにはあまり興味がない。

一方アメリカ・ヨーロッパの文化の多くは、学術的・科学的で、事実を淡々と述べることに全神経を使う。 ここには、「とても」とか「すごく」とかそういった強調の形容詞は入らない。

で、日本なんだけど、タイとアメリカ・ヨーロッパの中間ぐらいにあるような気がする。


日本語で文章を書く時、あまりにも事実を淡々と述べすぎると、読者に素通りされる可能性が非常に高くなるように思う。 淡々と述べる中にも「とても○○です。」とか「すごく○○です。」というような、多少気持ちに訴えかける表現がないと、読者の心に残る文章にならない様な気がする。

気持に訴えかける文章というのは、ある程度、読む人の心象を想定している必要がある。 その想定された心象から外れる人にとっては、あまり効果的に訴えかける文章になりえない。 一方、ヨーロッパ的な、事実に基いて事実を言葉に置き換えていく作業には何のあいまいさもまったくない。 また、書かれている意味は読者によって変化するようなことは一切ない。

日本語で文章を書くというのは、英語で文章を書くことに比べると、より相対的な作業になる、ということがいえないだろうか。 英語で文章を書く場合は、読む人によらず誰もが理解することが出来るように淡々と書くことが肝要だが、日本語の文章は英語の文章と比べると、かなり具体的に読み手を想定する必要がある。 気持に訴えかける必要性があるためだ。 だからこそ、よい文章の基準が読み手によって変化する。 つまり、日本語で文章を書く以上、いつの時代の全ての人にとって、常によい文章であり続けるということは、極めて難しいことなのではないだろうか。


コメント一覧
pj   2009年01月30日 23:57
タイ語うまいですね
 
出展 2009年01月30日08:11 『わからん人 Part2』