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2008年10月15日水曜日

ヤム屋周辺の出来事 (isaan05-c987254-200810152328)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
ヤム屋周辺の出来事 (おかあつ)
2008年10月15日 23:28
ただの管理人おかあつの日記なのですが、以下、転載します。

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9:43 AM 10/15/2008

今日あったことは書いておこうと思う。 今日は色々な出来事があった日でそれぞれとても印象深く全てを全部書き尽くすことはちょっと難しい。 でも、とにかくかける範囲で書こうと思う。

今日は、ヘットマンさんとミロさんという最近仲良くしている人たちの会合があった。 ここで起こった事は非常にヘビーな出来事だった。 文章にすればそれだけでひとつの短い短編小説になるくらい中味の濃い出来事だった。

その後色々あって、その後更にもうひともんちゃくあったあと、僕はひとりでアソーク駅の前を歩いていた。かなりお酒を飲んでいたので、行きつけのおいしいヤム(辛いタイサラダ)屋さんで食事をしようと思った。 また、このヤム屋さんの前にはテーメーという有名な援助交際喫茶がある。 このヤム屋さんの周りは、日本人や日本人目当てに売春している女や、その他の外国人でごった返しており非常ににぎやかだ。

しばらくまえ、バンコクのこういう繁華街に来て非常に嫌な思いをしたので、もうこういう繁華街には遊びにいきまいと思っていたのだけど、まぁ来てみるといつも人がいっぱいいて、暖かい雰囲気があるので、まぁ悪くないかなと思った。

歩いていたら「マッサージいかがですか」とかいって慣れなれしく付きまとう人が居る。 僕は普段そういう人と会うとなるべく無視する。 でもあまりしつこいので「いらん!」といって歩き去ろうとしたら(こういう時はっきりしたタイ語でぶしつけに断るとほとんどの人はすぐに去る)後ろから「あ!この人覚えてるぞ!」と声が聞こえた。 ふと見たら、以前はなしたことがあるオカマの人だった。 この人は以前僕がそのヤム屋のとなりのソムタム(タイの激辛サラダ)屋で食べていたとき、「何でお前はソムタムを食えるんだ!」と驚いて話しかけてきた人だった。 その後僕がウドンタニーに居たことを話したり、実はこの人もウドンタニーの人だという話をしたことがあったりして、とても人柄のよい人で僕もよく覚えていた。 僕はパッとにこやかになった。 このマッサージの女の子は、このオカマの人と友達だったらしかった。 生活は大変なんだろうなと思った。 だけど元気そうでなんとなく嬉しかった。

その後、そのヤム屋さんでヤムを食べた。 ここのヤムは非常に美味い。 バンコクの店はコストダウンのせいか乾燥唐辛子を使っていることが多いのだけど、ここは屋台だけど生の唐辛子をふんだんに使っておりとても味が濃いおいしいヤムを食べさせてくれる。 とてもおいしかった。

その後、なんかコーラが飲みたくなった。その辺りの屋台で買うと高いので先にある雑貨店まで行くことにした。 果たして入手して戻ってテーメーの周囲をうろつこうと思った。(別に売春婦に興味があるわけではないのだ。ただこの辺りをウロウロしていると、日本では知り合わないような意外な日本人と知り合う機会がある。これはこれで結構面白い。特に僕はタイ語が話せるので重宝がられてうまくアドバンテージを取れるので有利でもある。)

歩いていたら路上屋台バーの前で知った顔に話しかけられたので座った。 ここで売春している女のひとりだ。 前話したことがある。 やっぱりウドンタニーの人で色々話し込んだことがあった。(その後、自分を買えとうるさくせがまれたのだけど、興味ないので無理やりタクシーに突っ込んで家に送り返したことがあった。)

しばらく話していたら隣になかなかイケメンの男の子が座っていることに気づいた。 日本人だった。 なんとなく話したら、若い子でとても性格のよい人だということがわかった。 僕はいつも思うのだけど、今の日本って厳しすぎる。 この子もゆとり教育世代でのんびりと育ったタイプなのだと思うけど、いざ社会に出てみればかつて体験したことも無いような厳しい競争社会で、どこにも居場所がなく悩んでしまっているような感じだった。

話せば、もうタイに一年居るのだけどこのまま日本に帰って仕事をするのか、このままタイで仕事をするのか、悩んでしまっている感じだった。 このままだと今の就職氷河期と言われた日本に戻って苦労することになる。 それとも困難だがまだチャンスが残っているタイで頑張るのか。 普通僕はこういうなまっちょろい話をする子は相手にしないんだけど、この子は目がちょっと印象的だった。 真剣に悩んでいることが見えた。 僕が話すことを真剣にきいて、僕が話すアドバイスを真剣に実行しようとしているのが見て取れた。ためしにタイ語をちょっと教えてみたら飲み込みも早く、見込みがあるように思えた。

わからないけど僕は今、タイに居る真剣な日本人の友達が欲しい。 仕事をするにはどうしても日本人の横のつながりが必要だということを感じていた。(というのも、タイで仕事をするとき、方法は3つあると思うからだ。 ひとつは中国人と仕事をする事で、もうひとつはタイ人と仕事をすることだ。しかし、このふたつには重大な欠点がある。 中国人は絶対に仲間しか儲からないような仕事の仕方をするので、日本人とは相容れないからだ。 タイ人とビジネスをするのもあまりよいアイデアではない。 仕事の仕方がルーズすぎてすぐ失敗してしまうからだ。 最後のひとつは、日系企業と仕事をする事だ。 日本人はとても勤勉でこういう場面でもとても仕事がし易い。 日本人としてはこれが一番妥当でなおかつ一番儲かる方法でもある。) 日本の心は人助けである。 僕もタイでは色々と苦労したけど、この経験をこうやって人の役に立てて行けば人脈を作っていくことが出来る。

それに彼の目はちょっと印象的だった。

で、彼と延々と日本語で話をしていた。 彼にタイ語を教えたらちょっと上達した。 アパートの探し方やタイ語の勉強の仕方を教えてあげた。 ま彼にも多分にもれずタイ人の彼女が居た。 彼女に色々言って明日アパート探すの手伝ってくれないか、と頼んでおいた。 色々な雑談をしながら夜は更けた。

彼はとりあえず現時点で語学がダメダメだった。 ただ、それは話をしている感じだと今まで回りに出来る人が居なかったからに見えた。 実際教えてみると覚えは早かったので、意外といけそうだと僕には思えた。 僕は今までいろいろな人に教えたことがあるけど、いくら教えても覚えない人も居る。 そういう経験から言って、かなりいけていると思えた。 タイ語が出来るようになれば、タイで仕事をするのは難しくない。

でその話をしていたら、例の知った顔の子が早口で、その男の子の彼女と「こいつは英語がしゃべれないから仕事は無理だ」とかそういうようなことを言い始めた。 僕もタイ語は完璧じゃないので、全部は聞き取れないけど、あまりいい事を言っていないことはわかった。

で、頭にきたので言い返した。「こいつは今は話せないかもしれないが俺は将来のことを話してるんだ!」 すると「でも今すぐに仕事は出来ないじゃないか」と言うようなことを話していた。 これは僕の思い過ごしかもしれないが、要するに彼女に「こいつはすぐに金づるにはできない」というようなことを言っていたんだと思う。 結構むかついた。 その男の子はかなり真剣に彼女のことを考えていたし、それは彼女も同じように見えたので、僕は余計むかついた。

こいつはオレの友達だ。 自分だって英語が上手なわけでもない日本語が上手なわけでもない、何でそうやってオレの友達を見下したようなことを言うんだ、というようなことを言ったら、ここがあまり聞き取れなかったのだけど、自分は英語は話せるとかなんとかいわれたので、そんなに能力があるなら何でこんなところで売春なんかやってんだ、って言いかけたところで、その男の子の彼女が僕にストップをかけた。

しかし何でそういう胸糞の悪いことをいうのかと思う。 僕がわからないと思っているんだろうか。

で、その後、アパートの話をしていたら、なんか知らない女が来て、英語日本語タイ語混ざりで聞いても居ないのにベラベラと説明し始めた。 自分はラムカムヘン大学で勉強してたけど、その辺りはアパートが安いからその辺に住め、とか言い始めた。 正直そこまで色々な言葉をゴチャゴチャで話されると聞いているほうはいちいち頭を切り替えないといけないのでかなりウザイ。 で、悪いんだけどタイ語で話してくれない?って言ったら「お前には聞いてない」って言われてカチンと来た。 「オレは別に教えてくれと頼んでない」といったら、「自分は友達に説明しているだけだから黙ってろ」って言われたので、「俺はお前が話しているのを聞きたくない。 あっちへ行け。」と言った。

非常に腹が立った。更に自分に金を払ってガイドを頼めばどうのこうのといい始めたので、いよいよ頭に来て「誰もお前に頼まない、あっちへ行け。」 といった。 以上全て敬語なのでタイ語を知らない人には絶対にわからないような口げんかだった。

非常に腹が立つ。 みんな僕がタイ語を話せることを知っているので僕を警戒しているので、こいつは僕が1人だったら絶対にこういうことは言わないのだ。 この日本人の男の子がうまい金づるになるかもしれない、と思っているから、こういういんちきくさいダマシをかけに来るのだ。 それだけならまだいい。 加えてタイ語で日本人にはわからないように裏でぶつくさ影口を叩いているのは、更に腹が立つ。それさえなければまだ話を聞いてもよかった。 しかも、こういうドロドロした攻防はタイ語で行われており、この純粋な日本人の男の子にはわからないのだ。 この男の子は非常に性格のよい子で、そういういい子にくだらないダマシをかけるのは更に腹立たしかった。

本当にここには腐った女しか居ない。 実にそう思う。

実は、以前もタニヤに遊びに行ったときも、ほぼ同じ様な経験をして、二度と繁華街に遊びにいきまいと思ったことがあった。 その時は、つまらないウソをついて300バーツを僕からせしめようとした女が居たのだ。 日本円でたかが900円かもしれないが、タイの物価では3000円ぐらいのインパクトはある額なのだ。 それはきっちり白黒つけないといけない。 粘って300バーツ返せと言ったが、周囲の取り巻きが酔っ払ってるから何とか言って結局返さなかった。

帰りに周囲の女の子がご機嫌とりに来たが、胸糞悪かった。 で、また来るかと聞くので、こんな嫌な思いしたのに誰が二度と来るか。と正直に言った。 彼女らご機嫌取りの子は正直で結構性格のよい子だったが、とはいえ300バーツに関して同僚がウソをついていることも知っていた。 だけど仕事の関係上はっきりとホンネを言えないらしく、苦笑していた。

何で金を払ってまでこんな胸糞の悪い思いをしなければならないのか、と思って辟易した。 その時、もう二度とここにはこないだろうと思った。



ちなみにその口の悪い女だが、あとで聞いたら、その女、日本人と結婚して子供が3人居たのに捨てられて養育費ももらえないという話を聞いた。 人生色々あるが、僕は何も悪いことはして無い。 何故つまらない悪口を言うのかと僕は思う。

まぁ要するに僕が居れば絶対に男を騙せないわけで、要するに僕は彼女らの商売の邪魔なのだ。





色々あったが、その男の子とは明け方まで話しに話して別れた。


11:02 AM 10/15/2008
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出展 2008年10月15日 23:28 『ヤム屋周辺の出来事』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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