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2008年6月10日火曜日

(結構重要な日記)いじめっこ、始めました。 (mixi05-u459989-200806100529)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
(結構重要な日記)いじめっこ、始めました。
2008年06月10日05:29
僕は自分で言うのもなんだけど、ずっと不遇だった。 こういうことを言うと、お前は何を自分を哀れんでいるのだ、と思うかもしれないし、僕自身実際そういわれ続けてきた。 僕は不遇だ、恵まれてなくて逆境だ、というと、「お前はそうやって言い訳ばかりして」とか言わる。 そう言われ続けてきた。 だが、そうではないのだ。

昔、本当に忙しくて大変だった頃、miy氏 にその旨話したら 「時間とは作るものだ」と言われたことを思い出す。 悔しかったがその通りだ、としかいえなかった。

ま、実際そうだとは思う。 だが、新聞配達までしてお金と時間を工面していた僕に、これ以上削る時間は実際無かった。

で、そうやって、忙しさに追われて自分のやりたい事が出来ないとだんだん自信が持てなくなってくるのだ。 自分に何か特技があっても、それを、のばす時間がない、のばすお金がない、となると、結果的に特技が無いのと同じなのだ。 オレ、英語得意だし! とかいったって、勉強する時間が無いのでは、結局しゃべれない。 オレ、ギター得意だし! とかいったって、練習する時間も楽器を買うお金も無ければ、どんなに才能があろうと上達しないわけで、無意味だ。 いくら才能があっても「オレって才能ある!」といったところで誇大妄想狂のたわごとと変わらない。

僕はとても普通じゃない事情を抱えていたので仕方がないのだ。 だけど、その大変さを人に説明しようとすると「キミは自分を哀れんでいるだけだ」といわれる。 これは名指しで申し訳ないが、あびる氏にいわれた言葉だ。 だが、これも「その通りだ」としかいいようが無かった事を覚えている。

「無能」とか「怠惰」と言われたこともある。 これは ヤモト氏にいわれた言葉だ。 この言葉が一番キツかった。 時間が無くお金がない中で苦闘している時に言われた言葉だった。 だけど、これもその通りだという以外なかった。



だからだろうか、僕は人を馬鹿にできない。 その人にはその人なりに人にはわからない事情があり、努力したくても出来ないのだろう、人知れず辛酸をなめ苦闘しているのだろう、と考えてしまうからだ。 だからその人の事情を理解しようとこれつとめるし、理解できないからといって簡単にあきらめたりもしない。 最後まで考える。 その人が前向きに進歩できる事なら、どんなアドバイスだって惜しまない。 それがその人のためになればこそだ。



そんなひがみっぽい僕だが、ある日突然自由になった。

僕が自由になったのはつい3年前の話だ。 2005年春、それまでずっと足かせをかけられていたように引きずっていた問題が突然全てなくなったのだ。

それから僕がどう変化したかは、もう説明するまでもない。 見ての通りだ。 この3年間で僕は別人の様になった。 大体、3年前は今ほどプログラミング技術は無かった。 じっくりプログラミング技術を調べる時間なんてなかったからだ。 今は違う。 誰にも負けない。 また、3年前は英語が話せなかった。 今は、上手いというほどではないけど、不自由はしてない。 3年前は、タイ語が話せなかった。 今はタイ語のことなら誰にも負けない。 日本人でタイ東北弁を話せる人はそうそうであわないだろう。 だが僕は話せる。 3年前と比べて、ジャズギターの腕前も随分上がった。 これは、時間のゆとりがもたらす気持ちのゆとりと自信が大きなウエイトを持っているように感じる。 そしてなにより文章力が変わった。 3年前、僕は文章がかけなかった。 僕は文章が苦手で、仕事でいつもそれを引け目を感じていた。 今でも上手とは言いがたいが、ま、こうやって人に何かを伝える事が出来る程度にはかける。


なんというか、3年前と比べると、全ての事は楽勝だと感じるようになった。 これまで時間がない中で、雑巾の水を一滴絞るように工面した時間で、ギターを練習したり、語学を勉強したり、プログラミング技術を研究したり、人脈を広げたり... してきた。 しかし時間が圧倒的になさすぎで、いつもどこかにいたらなさが出てしまい、結果が出なかった。 結果が出なくとも、あきらめずつらい努力を続けなければならず、実に苦しかった。

そういう時代と比べると、今は時間はふんだんにある。 生活が楽になった分、費用もかけられる。 実家に戻ったので、生活に費用がかからなくなったことも大きい。 思う存分勉強したり研究したりできるようになった。 その成果が上記のスキル獲得だ。

僕はただの自己憐憫だろうか。 いや。 絶対に違うと断言できる。
現に問題がなくなったとたん、目に見える実物として結果が出たではないか。

だけど、これは、あくまでも状況がもたらした変化だと僕は思う。
だから、それを誇らしげに見せたりはしないし、正直、あまりしたくもない。

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話は変わって miy という僕のマイミクの話である。

今日、ついに miy から、日記 立ち入り禁止を食らった。 というのも、最近、miy のコメント欄で、しばしばイジメ倒してたのだ。 ちなみに彼はミクシで出合った友達ではない。 僕の旧友だ。 あってから既に18年が経過している。 彼は、例の僕に「時間は作るものだ」と豪語した男である。

何故僕は彼をいじめるのか。

彼はある特技で15歳で天才とうたわれた男で、新聞に載ったこともある。 非常に頭のよい男だ。 それだけでなく、彼は広東語の達人でもある。 小さい頃から勉強しているのでネイティブ並みに話せる。 素晴らしい才能だと思う。

だが、である。 文章がヘタクソすぎるのだ。 このヘタクソさ加減は群を抜いている。 これでは折角の才能も、宝の持ち腐れなのだ。

たとえば、いつもの彼の日記。 彼は三行以上の文章を入力しない。 いや、けっしてタイピングが遅いわけではない。 DVORAK式のキーボードを使い、タイピングは相当速い。 しかも、けっして文章の技術自体がヘタクソなわけではないと思う。 実は miy は卓越した読書家なのだ。 ボキャブラリーや知識の量は群を抜いているのだ。

だのに、いつもいつも、文章が信じられないほど乱雑なのだ。 その乱雑さは酷い。 何を言いたいのかさっぱりわからない。

しかもである。 彼は他人が広東語を理解できないのだという事がわからないのだろうか。 いつも広東語のホームページにリンクを張り、日本語でふたことみこと書いて終わり、というケースが多い。 下手すると、日記が全部広東語のコピペの時もある。 日本人があいてなのにである。

僕は何度となく、その違和感を伝えた。 だが理解してない。 「はい、頑張りましたが、何か?」 という感じで右耳から入って左耳からツーっと出て行く感じだ。

彼は、文章がヘタクソだという以前の問題で、他人にわかりやすい文章を書くことが大切なのだ、という意識自体が欠落してしまっている。 というか、恐らく、彼の頭の仲には、世の中に自分以外の人がいるということに気がついてすらいない。

僕だっていくらタイ語がわかるからといっても、日記はさすがに日本語で書く。 なぜならば、僕の日記を読む人は日本人だからだ。 たしかに、たまに英語のホームページに直リンクを張って、ひとこと「このページ、おもしろい!」とか書く事もある。 ごめんなさい。 しかし、それは僕がわざと友達にいじわるしようという確信犯的悪意があってやっている。 わざとなのである。 だから、かわいげがあるというものだ。

だが、彼は素でそれをやってしまう。 え?わからない? 何で? という感じだ。 その言葉がいかに失礼な事なのか、という事に気がつかない。

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僕は誰かをバカだ、と断言してしまうことが嫌いだ。 僕にとって、誰かをバカだと断言してしまうことは、過去の苦しんでいる自分を否定する事に他ならないからだ。 時間が無くてお金がなくて、苦闘していた自分。 そういう自分を踏みにじるような言葉を投げかけた友達。 その時の僕の辛かった気持ち。 そういうものを思い出すと、どうしても、他人を「バカ」と断罪してしまうことができない。

「こいつは、どうしようもないバカだが、こいつだって、どうにかこのバカを脱出する方法があるに違いない。何か方法があるに違いない。」 と思っているのだ。 どんなに難しい問題でも、努力を続ければ誰だって、いつかは解決できるようになる。 誰でもあきらめなければ最後に笑う事ができる、と信じているからだ。

... なんていってるが、まぁ、僕はそんなに悲壮感漂ってない。 まぁ、努力したからといって減るわけじゃなし、他にする事があるわけでもなし、しないよりしたほうがいいじゃん? 程度に思う。楽しいし。

だが、最近、こういう風にも思うようになってきたのだ。

世の中のほとんどの人は、僕とは比較にならないほど、時間もある。 お金もある。 そういう恵まれた時間を、僕よりもずっと長く過ごしてきている。 僕が3年すごしてきたような時間を、たとえば彼は何十年もむさぼってきた。

それなのにぶつかった壁の前でたたずんで、そのままここまで来てしまった。

その段階でダメダメなのだ。 その時点で、僕とは次元が違う。

しかも、彼の場合、その問題を問題とも認識してすらいない。 自分が何故前に進めないのか理解していない。 進もうともしていない。 当然、自分がぶつかっている壁を乗り越える努力もない。 いや努力しているようには見えるが、何かあきらめたようにたたずんでいる。 恵まれた状況・卓越した才能を持ちながら、何たるムダかと思う。

今の彼は決して人生スムーズなタイプではない。 実は、いろいろ克服しなければならない問題を背負っているのだ。 しかも、その問題を指摘すると、逆ギレする。 言う事をきかない。 そのくせ、徹底的に論破するとガックシ落ち込んでダメ人間になってしまう。 それだけならいいのだが、加えて彼のよくないところは、自分が欠点を指摘されるのは苦手のクセに、人の欠点に関しては容赦なくビシバシ指摘するところだ。 人の苦手な点をみつけると容赦なく鬼の首を取ったように攻撃を始める。

性格わりーっつーの。

彼は「あとだしジャンケン」の人だ。 最初、自分が思っていることを相手に知らせない。 まず相手が意見を述べるのを待つのだ。 相手が意見を述べたところを見計らって批判し始める。 決して自分からは意見を提示しない。 自分が最初に意見を言えば自分が攻撃されるかもしれないという事を、彼は知っているのだ。 たしかに、そうやっていれば討論では絶対に負けないだろうが、そんなことしていてもぜんぜん生産的じゃない。

要するに彼は器が小さいのだ。

僕も何度も何度も何が問題なのか説明した。 僕は彼をバカだといいたくない。 あくまでも対等な友達でいたい。 だからこそ、説明した。 説明をあきらめない。 だけど、彼はどうやっても理解できない。 彼は僕の要点を飲み込めない。 いつもスルッスルッと違う方向に抜けてしまうのだ。 正直、僕が云わんとしていることを彼に飲み込ませるのは、猫に芸をさせるより難しいと感じる。

もちろん、誰であっても、自分の問題に真剣に向き合い、解決すべく苦闘しているならば、いつか道はかならず開ける。 だが、彼は、そもそも、そのつもりがない。

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これってバカなのだろうか。 バカだよね?
もう僕にバカということを許してもらえるでしょうか。
もういいよね?

許しが出たことにしようとおもう。

... これは、バカ、なのだ。 救いようがない。

こういうバカは、いじめて、いじめて、いじめぬいて、性格が破滅するまでいじめぬく。

これしかない。

あーすっきりした。

ま、立ち入り禁止にされちゃったから、いじめられないけど。

ま、彼はバカだから仕方がない。 かわいそうだが 死ぬまで直らん。


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出展 2008年06月10日05:29 『(結構重要な日記)いじめっこ、始めました。』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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