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2008年4月30日水曜日

自由ランド 日本 (mixi05-u459989-200804300720)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
自由ランド 日本
2008年04月30日07:20
5:41 2008/04/30

今日は宿題があったので早く帰ってきた。

今日から本格的な文章を読む授業に入っていた。 今日は全くついていけなかった。 僕はどう考えても普段日本語で考えていて外国語は借り物の言葉でしかないので、もちろん努力によって変化はするけど、基本的に限界がすごく低い。 外国語ってずっと話しているとだんだん話せるようになってきて、いつの間にか何も考えずに話せるようになる。 調子にのってくる。するとだんだん疲れてきて、その内、突然相手が何を言っているかさっぱり判らなくなる瞬間がある。 今日はそれが二回もあった。 それを何度も繰り返していると、だんだん寝言もその言葉になるときが来るので、いいことだけど...。 タイ語はもう寝言もタイ語になるぐらい身についたので、多分大丈夫と思うけど、英語はまだそうなっていない。 ドイツ語はなおさらなっていない。


僕はあまり外国人の友達が居なくて、特にアメリカ人の友達はすごく少ない。(日本語が極端に上手なアメリカ人のJさんを除く) でも、この学校に、丁度ドイツ語を勉強しに来ているアメリカ人の女の子が居た。 この子がもう、激アメリカンイングリッシュで、声がおっきくて100m先からでも判るくらいコテコテのアメリカ人だった。 聞いたら、タイにいたというので授業が終わってからコーヒーに誘って話をしたら、ものすごい良くしゃべる人で何かすごく長い時間、話し込んでしまった。

本当に思うんだけど、ヨーロッパの若い子って全般的に本当に大人っぽい。 というか、日本人がすごく幼いんだと思う。 20歳とかでもみんな普通に政治の話とかするし、難しい話しても毛嫌いしないし、意見をはっきり持っていて、ちゃんと説明して話し合いが出来る。 20歳ぐらいの子が、丁度日本人の30歳ぐらいの人と話している感じと似ている。 (何でなのか良く考えるんだけど、そのことについてはあとで書こうと思う。) それでこの子がびっくりする事に21歳ということで、メチャメチャ若い!でも、そんな感じぜんぜんしなくて、それでこの子と色々な話をした。 ホント大人っぽくて、僕が21歳の時、こんな難しい話できなかったよな、と思う。

でも、なんというか、日本人的にはこう思うのだけど、なんというか、それをそれといっても絶対に伝わらないので、それを話題にできないところが微妙に辛い。 日本ってすごく状況が特殊な国だと思う。

これについてよく考える。 例えばこういうたとえが出来ると思う。

日本人はタイ人のことを良くバカにする。 例えば、何だこのボロイ建物は!とか、何だこの責任感のなさは! とか、何だこの他力本願は!とか...。 日本人と比べると、確かにタイ人は責任感がない。 何故か。

それはタイは気候条件が恵まれているからだと思う。 日本は、他の多くの国のように寒くて地震があり山がちで海に挟まれていてすごく厳しい気候・地理的条件を乗り越えながら生きている。 ところが、タイは極めて恵まれた条件の土地にある。 暖かくて、地震がなくてひたすら平地しかない。 暖かいので二毛作三毛作は当たり前。 作らなくてもその辺りにパパイヤが落ちていたりする。 ご飯は基本的にその辺に落ちている国だ。 家も極端な話、必要ない。 寒くないので暖房も必要ない。 湯沸しがなくても川で水浴びすれば事足りる。 だから、仕事がなくても生きていける。 そういう風に、恵まれた条件に守られて、こういうタイ人のゆとりの精神がはぐくまれているのだと思う。

日本はそうは行かない。 気候条件は極めて厳しいし、ぼんやりしていると死んでしまう。 そういう厳しさを背景に日本の産業は発展したのだと思う。

だけど、である。 きっと日本人もタイ人と同じ様にバカなのだ。

ドイツにはたくさんの隣国がある。 スイスもたくさんある。 この間イランの人と話していたら、イランには11の隣国があるのだそうだ。 この間はなしていたトルコの人から聞いたときもたくさんの隣国の話を聞いた。 トルコも10以上隣国がある。

こういう国では、外人は歩いてくる。 飛行機や船は必要ない。当然、黒船も来ない。 刀や銃や麻薬を持ってスタスタあるいてくる。

それで、色々な複雑な政治戦争の話を始める。 彼らは一般的に政治や歴史の話は大好きで、一度話が始まると止まらなくなるタイプの人が多い。 みんなおじいちゃんになると孫をたくさん呼んで国の歴史の話をするんだそうだ。

トルコでは今でも国境で毎日数人の死者が出ているのだそうだ。国境でクルド人のゲリラが活動しているんだそうだ。 もちろん、普通にクルド人と共同生活をしているのだけど、どこにも過激思想の人というのがいて、そういうクルド人が国境でゲリラ的に戦闘をしているのだそうだ。

「うちの国は隣に、イラン、イラク ギリシャ、ジョージア ...(中略)...オーストリアと これだけある。日本は?」 日本の話をすると笑われる。「僕の国は、えー...日本...。 終わり。一個だけ。」「ハハハ!」

こういう国では、異文化交流スキルというのは、興味や勉強のためではなくて、死活問題なのだ。 ヨーロッパの多くの国では徴兵制で、トルコも徴兵制なんだそうだ。 だからこうやって話しているトルコの人も、運悪く戦闘に出会ったら死んでしまう。 まったくシャレにならない状態だと思う。

日本は気楽だ。 外国が攻めてきても「カミカゼ」が吹いてみんなやっつけてくれる。日本というのは、海という巨大で強固な堀に守らた鉄壁の国なのだと思う。 外国人が日本に行くのは、日本人が外国に行くのと同じぐらい大変だ。 だから、日本人は外人に、もまれる必要がない。 オーストラリアの動物のように天敵のない土地で独特な文化を育み、タイ人のように気楽な国民性がはぐくまれているのだと思う。

トルコの人は、それをいいことだといっていた。 隣に国がたくさんあると日常的に衝突が起こる。つまり徴兵制が必要でいつも死と隣り合わせになる。 トルコにもカミカゼが必要だね、っていったら笑っていた。 その笑い顔が印象的だった。 そのトルコの人がまた、23歳だった。 日本人の23歳とは比較にならないほど精神的に成熟した人だった。

僕は日本人がバカだとは思わないけど、日本に来たタイ人がバカ丸出しになってしまうのと同じ様に、ヨーロッパに行った日本人も、バカ丸出しになってしまう。 そういう文化の衝突に関する問題に対してまったく対処方法を知らないからだ。 これは日本人が優れている、劣っているという以前の問題で、環境的な問題だと思う。


日本でバカ丸出しになってしまうタイ人だけど、タイの周りにはたくさんの国があって、ヨーロッパの国々と同じ様に異文化交流に関しては独特のバランス感覚を持っている。 タイという国は国際政治に関してはすごく高いバランス力を持っている。 これに関して、日本人はバカ丸出しになっていると思う。



日本って教育に実践のない国だと思う。 常に実践が欠けてる。
日本のドイツ語教育とか凄いと思う。 全く使えない。

これって言ってみれば自動車の運転のようなものだ。 運転の仕方を知っているだけでは全く無意味だ。 「はい、クラッチはここです。 ここがブレーキです。 アクセルはこれですよ。 発進のときはまずクラッチを踏んでアクセルを20度程度踏み込んでからクラッチを放します。」という運転の手順を完璧に丸暗記させてテストに出すようなものだ。 こういうことというのは臨機応変な作業なわけで、全部文章化してマニュアルにすると膨大な量になる。 「坂道のときは20度ではなく40度アクセルを踏む。但し3ナンバーの車では、30度までとする。」

こんなものをいくら丸暗記しても*絶対に*運転できるようにはならない。運転ができるようになる唯一の方法は、運転をする事だ。この手順をテストにして出題するというのは愚の骨頂だ。 でも、日本の教育ってしょっちゅう同じ事をやっている。 若者の膨大な時間を消費する大変な無駄をさせていると思う。

でも、色々な人にもまれて自分を説明するスキルを身に着ける機会がないので、日本人は基本的に討論が苦手だ。 討論をすると多くの場合、問題について考えるのではなくて、どれくらいたくさんの手順を暗記しているかのプライド勝負になる。 これは、凄くネガティブな行動だと思う。



なんというか、ここにいると、全てに違和感がない。 物の配置、デザイン、考え方、スペース、全てがあるべきところに収まっている。 日本がウィンドウズだとしたら、ドイツはマックだ。 考え方も合理的で、それでいてモラルがあって音楽があって芸術があって自由があって自主性があって自立があって... 何一つ違和感を感じない。

日本にいると、あらゆる違和感を感じる。 でもそれを言うことができない。 違和感に関して原因を求めて討論する事もことのほかできない。 何かがおかしいのに、色々な制度がよってたかって痛みに麻酔を打ちに来る。 痛みの原因はいつまでたってもそのままになる。



日本は思想の自由があるか。 ない、というのが客観的な事実だと思う。 思想の自由があるというのは、政府による検閲等がない状態のことを言うと思う。日本には検閲なんかないと思うだろうか。 日本には検閲がある。 それは「教科書検定」とかそういう名前にすり替わっている。

また、討論して合理性を検討するということも必要だし、上下関係に関わらず真実を追究するという姿勢も必要だ。 日本の上下関係が厳しいのは、上だけが悪いのではない。 往々にして上下関係が大切になる理由というのは、下が非常に非合理的な理由で批判を始め、全体のバランスを崩すからだ。 上も下も、きちんと超越的な合理性の存在を前提として、それについて話し合わなければいけない。 だけど、そういう姿勢が日本人にはまったくない。



A rolling stone gathers no moss. っていうけど、ここにいるとそれがどういう意味なのかわかるようなきがする。 なんというか、みんな凄くフレンドリーで次から次に色々な人と出会っては別れる。 だから、あまり一人の人に執着しないんだと思う。 日本だとそうは行かない。 新しい人と出会うのは、凄く難しいことで、一人の人にものすごく執着した付き合い方をする。

また、新しく会った人でも、日本人として考えてみると比較的深く付き合う様に思う。 身近なことは包み隠さず話すし、家庭の事情とかも普通に人に話す。 全てを話すわけではないけど、最低限、今、自分が何故不機嫌なのかぐらいは説明する。 それをネタにとって陰湿な嫌がらせをしたりする事は絶対にない。 だから、常に色々な人と触れ合って、自分を新鮮な状態に保つことが出来る。 だから、凄く気軽に人と付き合える。

こんなこと、日本ではありえない。 絶対に隠さなければいけない。 バレてしまうと下手をすると就職が難しくなったり昇進が不利になったりする。 だから、絶対に誰にも秘密をばらさないでくれる絶対信用できる友達を一人だけ持つ必要がある。




本当はコンビニのこととか、日本が過当競争に陥りやすいところとか、結果的にみんなでそろってレミングスのように不幸になってしまうところとか、書きたいことがいっぱいあるのだけど、今日は寝ようと思う。

おやすみなさい。



コメント一覧
クレ   2008年04月30日 16:29
この文章にお金を払いたくなるぐらい、ためになりました。
言語の学習での車のたとえ、とてもわかりやすいですねえ。
日本では若いことに価値がありますが、それは精神的幼児性を引きづることではないはずなのに、あえてそう振舞う傾向があるようにも思えます。本音のところでは、他国より大人なんではと思える場面も多いのですけれどねえ。
日本はオーストラリアの珍獣と同じだと私も思います。海で守られる時代が終わったこれから、本格的に他民族に鍛えられることになるのでしょうねえ。滅びなければいいですねえ。
政治的な話がリアルで難しいのは、相手の考えをそういう考えもあると許容できないところで、当然激しいバトルに発展するからでしょうか。

おかあつさんの文章は読みやすいので、文章のリズムをまねしてみようかと思っていますが・・・私には無理かなあ。
 
出展 2008年04月30日07:20 『自由ランド 日本』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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