ファンキーの定義
2008年01月28日01:25
今日はこのまま仕事に取り掛かったほうが本当はいいのだけど、今日感じた事は何かきちんと文章に残しておいたほうがいいと思うので、ちょっと時間はかかるが残しておこうと思う。
今日はoxoofo氏とあった。 oxoofo 氏は 前の会社Tの同僚だ。 僕がT社にきた経緯はちょっとユニークだった。 前の前の会社R社はとても技術力がひくい会社で、R社で僕はレベルの低い仕事ばかりまわされバカにされ安い給与で散々こき使われていて自信を失っていたのだけど、そんな僕が、偶然流れ着いたこのT社は、技術至上主義だった。 僕はこの会社に自分の居場所があることを感じだ。
例えるならば... 北斗の拳の拳王偵察隊のようだった。北斗の拳初期の話に「世は世紀末... 暴力が全て... いい時代になったものだ... やっちまえ!」 と叫ぶ拳王偵察隊がどんどん弱者から略奪していくシーンがあるけど、僕はこのT社で近いような状態だった。 「技術が全てか...! いい会社にきたものだ! やっちまえ!」っていう感じだった。 やりたい放題できたし、社長のKさんもそれこそやりたい放題好き放題やらせてくれた。
特に、僕が会社に来てたったの4日目で面接を担当させられたのは、びっくりした。だけどレベルの高い技術者同士というのは、いつもこういう感じだ。 レベルの高い技術者はレベルの高い技術者の匂いを感知できる。 あうとすぐわかる。 お互い、こいつ、やるな... と思ってる。 そんな感じだ。 僕は、この会社の人達とお互いにそう感じていることをすごく感じた。
そんな時、その会社の従業員だった oxoofoさんに会った。 ちょっと話して思ったのは... 「あぁ世の中に論理的な話がツーカーで通じる人がいたんだ...」って言う事だった。 すごく強い印象だった。 すごく論理の立体認識力が高くて、話したことを上手に頭の中で組み立てて、すぐさまその論理の違う視点からみた話しをしてくれる。 数学科出身で、数学にも造詣が深い。
oxoofoさんは、僕の大好きな人の一人だ。 大好きすぎて、よく奥さんににらまれてしまう、そんな感すらある。 技術力だけでなく、人間性や性格も大好きだ。 こういう高度に論理的な人にありがちな厭世的なところもまったくなくて、すごく親切で人を大切に出来る人間的に信頼できる人だ。
今日は、そんなoxoofo氏とあった。
◇
昼から その会社の最寄り駅であるO駅で待ち合わせをしていた。 久しぶりにあって、喫茶店に行った。 しばらく雑談した後、自然と僕が今作っているシステムについての話がたどり着いた。
僕が今作っているシステムは「グラフ理論」と呼ばれるわりと新しい数学の理論に基づいて作られている。 oxoofoさんはすばやくそのことを見抜いて、話についてきてくれた。 つくづく回転の速い人だと思う。 すごい速さで 一通り説明した。 oxoofoさんはそれを全て聞いていた。 夢中になって話し合っているうちにあっという間に日が暮れた。 ああ、もう時間か、とそんな感じだった。
今、僕はこうやって一人で仕事をしている。 だから気難しいやつだと良く思われる。 だけど、本当は僕は一人になんかなりたくない。 出来れば人がいてワイワイやりながら楽しく仕事をしたいといつも思ってる。 そうするのが好きだし、そうやって人と作業するのが好きなのだ。
そういえばその会社でまだ働いているとき、僕の席の隣にはHさんがいた。 Hさんは僕のマイミクでもあるのだが、僕が自分の仕事が煮詰まってくるとよく、よこからHさんが書いているソースコードを盗み見て内容にツッコミを入れるのが好きだった。 本人は嫌だったろうが... よくそうやって気晴らしをさせてもらっていた。 そういう風に人がそばにいるというのが好きだ... 。
でも、こうやってoxoofoさんに、僕が今やっていることをダイレクトに話をして、普段経験できない作業―――自分の考え方を吐き出し再認識する――作業をして、色々考えのだけど、結局このプログラムを最後まで書き上げる事が出来るのは、僕しかいないんだな、と思った。
それは oxoofoさんに自分の方針や哲学を理解してもらって一緒に開発してくれたら、僕はどんなに心強いだろうかと思う。 だけど、それは根源的に無理なのだ。 何故ならば、本質的に、「創造的な作業とは究極的には孤独に耐える事」と等しいからだ。 創造の世界で、誰かに居て欲しいと常に思うが、それはどだい無理なことなのだ。
◇
ジミヘンが、「自分の中には悪魔が住んでいる。その悪魔が居る限り自分は止まる事ができない。」って言うような事を言っていたように思う。 キースジャレットも「覚醒すると、人はとても忙しくなる」という事を言っていた。 加えてキースジャレットは「覚醒して思いついたことがあっても、それを誰かが代わりにやってくれるわけではないし、それは自分がやる以外ない。 だから覚醒した人はとても忙しくなる。」とも言っていた。
僕はなんか、小さい頃から、いろいろな事をすぐ思いつくタチで、いつも父親から「お前は何でそうやって何でも思いつきでやるのか。」とよく小言を言われていた。 思いつくとそれをやらないと気がすまなくて、それをやってみてうまく行くのかうまく行かないのか結果を知りたくて仕方がなくなる。 止めたくも無いけど... ま、止めようと思ったところで止まらない。
僕に才能があるのか無いのかは関係が無い。 そうやって僕が創造的な精神状態に到達し、思いついて行動しているという事自体が大切だと思う。 そういう中から、結果的に、ごく稀に価値のあるものが生まれることもある、という事なのだと思う。
◇
とにかく、今日僕は、oxoofoさんと話していて、何かを思いついてしまったらそれを作るのは自分しかいない、それは避けようがない現実なのだ、ということを再認識した。 これを認識して僕の行動が変わるのか... といえば、変わらない。 今までどおりひたすらプログラムを組むだけなのだ。 自分が好きで始めたこととはいえ... 疲れるなぁ...。
まぁ、それはそれとして、僕はoxoofoさんを人間的にもすごく好きで、ちょこちょこO駅まで遊びに行って技術の話抜きで食事でもするっていうのも悪くないなと思った。 というのも、技術的な話をしている僕は、実に人間的に問題があるからだ。 なぜなら僕の話は、凄まじいほどに、しつこく、くどく、ややこしく、しかも、激長いからだ。 僕は結構頭が疲れるのが遅いのだけど、ややこしい話をはじめるとつい楽しくなってしまい、疲れ知らずで止まらなくなってしまいがちだ。 挙句の果てには、相手がグロッキーになって目もうつろに「もうギブ、頼む。 勘弁。」ってなってしまうのだが 「まぁまぁそういわずに、もう少しきけって。 で、このリンク構造の別解についてなんだが...」というようなかんじで、勝手に話を継続するので、みんなが持っている優しい笑顔を、しまいにはしかめ面にさせてしまう。
だから、そういう技術的な話を抜きにして、純粋にO駅まで遊びにいって、oxoofoさんと一緒に、ぼんやり食事をするのもいいかなと思った。
◇
今日 oxoofo さんと別れてから O駅そばの Nというジャズの店を通りがかったら、O氏という人が主演ということが店先に書かれていたのだ。 O氏というのは、僕がまだジャズのライブミュージシャンを目指していた頃、よくセッションで出会った。 僕にとってはライバル的な存在だった。
そうこうしている内に、僕はこんな三流プログラマに成り下がったが、彼はこうして今でも都内のライブハウスで活動を続けている。 それは僕にとってある種の屈辱を与え続けている。 実は、僕が活動していた頃の仲間の多くは、CDデビューしているのだ。 ないしは、著名なミュージシャンのバックとしてレギュラー演奏していたりする。 ソニーからデビューした人すら居る。 それは、ミュージシャンになる事をあきらめた僕の劣等感を常にチクチクと刺激し続けているのだ。
僕は色々としょっているものがある。 だからミュージシャンを目指して定期収入が得られたとしても、そんな不安定かつ低額なギャラでは食っていけない、ということもある ――― とかいっていたって、O氏が定期収入で50万とか稼いでいたら、僕の自尊心は更にガラガラと音を立てて崩れ去る運命にあるわけだが。 あるいは... 僕の好きな音楽は、日本にはマーケットが無い。―――こっちは間違いなく真実だ。 こういう言い訳は安心して言える。
だが、僕はやりたいことを出来ない言い訳ばかりをこうしてmixiに書き散らす事で自分をごまかしていく生き方など嫌いである。 とはいえ、このまま日本でミュージシャンを目指していてもウダツが上がらないのも目に見えている。
僕は考えた。 僕はジャズギタリストだが、プログラマでもある。 その特技を生かしてインターネットを使ってデビューすればいいんだ! そう考えた。 ギャグではない。 真剣に考えている。 今でもそうだ。
でも、プログラマとしてこうやって成長してきた今、本当にそれを実現したいと真剣に考えると、色々と技術的な障害があるということもわかってくる。 例えば、昨今のインターネット上の情報量の爆発的な増大によって、情報をキーワードを使って分類する手法が破綻してしまったことがあげられる。 またSEOというような手法も確立し、本当に平等な検索結果を保証するという方法が完全になくなってしまっていることもある。
そういう中で、僕がホームページを作って「インターネットデビューでござる」といったところで、全く世の中の注目を集める事は出来ない。
デビューというのは、適切な文脈の中でしかるべき方法をもって紹介されることである。 一例を挙げるなら 「○○Journal誌で紹介された期待の新人がついにCD発売! △△△誌編集長も推薦!」 というような、何かしらの信頼感を与えるものからの連続性を感じさせるものである必要がある。 その他にもデビューが成立するための条件はいくつか挙げられるだろう。
ところが、インターネットというのは、システム的に全く文脈の秩序が無い世界だ。 それが利点だと粋がって息巻く技術者も多いが、それは僕は人間の認識についての洞察があまいと僕は考えている。
人というのは、あるものを見たときの印象が、文脈によって大きく変化するものだ。 例えば、和風な苔むした木造の店でじっくりコトコトと煮込んだカレーを出されたら誰でも食べたいと思うだろうが、全く同じカレーがトイレに置いてあっても食欲はわかないだろう。 文脈の基底がまったくない今のインターネットは、いわばトイレにカレーがおいてあるようなものなのだ。
だから、それこそ、僕がどんなにWEBデザインに腕によりをかけてFLASH使いまくりビョーンと渋いホームページを作って 「イェーイ! インターネットデビューでござる!」と言っても、それは往々にしてトイレにおいてあるカレーの状況と変わらなくなってしまうのである。 無名なページであればあるほど、また、それが目指している価値観がニッチであればあるほど、文脈というのはとても重要になってくるものだが、今のインターネットには、これをどうやってもコントロールする方法が無いのである。
だから、僕がインターネット上で正しくデビューするためには、インターネット上できちんと文脈を制御するためのシステムが必要ということになる。 その解決策の一つが今僕が作っているシステムなのだ。
今日、そのはなしをoxoofoさんにしたら、 「ストリートミュージシャンになりたいが、道が無いので道を作るところから始める、といったものだな。」と言われた。 そうかもしれない。 でも、僕がインターネットデビューできるということは、他の人もインターネットデビューできるということでもある。 だから、それはきっと便利なシステムであるはずだろう。
◇
帰ったら、今日は「寅さん」をやっていたので、祖母と一緒に見た。 寅さんは、いい。 久しぶりに泣きそうになった。
そういえば、ジャズをやっていた時代、超大御所ドラマーの弟子だったK氏と友達だった... というか僕がK氏の苛められっ子だったというか... とにかくよく一緒に居たことがある。 ある日、 K氏は、「お前はファンキーとは何かわかってるのか」といった。 僕は知らないと答えた。K氏曰く、「俺にとってファンキーとは、おでん、ひややっこ、寅さん、この三つだ」といった。 おでん...だったか... おでんがうろ覚えで怪しくなってしまったけど... そういうようなものだった。やっこと寅さんは間違いが無い。 とにかく、ファンキーといえば、黒人音楽のものなのに、何で 寅さんやねん、と思ったことを覚えてる。
でも、何か、今はこのK氏の言う事、わかる様な気がする。 ここで言っていたファンキーというのは、つまり、なんというか汚い俗世界...ならではの優しさとか、薄幸な悲しさとか、土着の暖かさとか、という事をいっていたのかもしれないなと思う。
寅さんは、誰か遠い国の不遇な女性を心配する。 実家に帰って家族を巻き込んで人騒がせな話術を爆発させる。 騒ぎすぎで疲れて寝てしまった本人に代わって、状況を知った家族がその女性を優しく介抱する。 寅さん、目が覚める。 家族の配慮にも気づかず、無礼もへったくれもなく、他人の家に乗り込み説教を始める。 家族の配慮は台無し。 しかしそのムチャが功奏して敵を正直にさせる。 寅さんの優しさが通じ、敵は見方になる。 全てが円満解決... しかし密かに恋やぶれた寅さんは、また旅に出る...。
こういう情緒的な世界って、万国共通である様な気がする。 僕は寅さんをタイ東北弁=イサーン語に翻訳したらタイで大ヒットすると思う。 こういうメンタリティーっていうのは独特な美しさがある。 それは表面に出てくる汚らしさ、洗練されていないダサさ、を超えた存在だ。 僕は身近に黒人の知り合いがいたりはしないけども、ファンキーというのは、きっとこういう人情の世界なんじゃないだろうか。
日本人が歌うブラックミュージックが 黒人に受け入れられないのは、ここじゃないだろうか。 日本人はブラックミュージックをファッションでしか捉えてないけども、これはどっちかといえば、本質的に、演歌とか寅さんとかそういうものに通ずる世界なのではないだろうか。
でも、黒人音楽というのは、演歌とはちょっと別な方向に発達した。 コルトレーン、マイルス、ウェインショーター、ハンコックというように、知的な要素と結びついて「ヒップ」という世界に発展した。 でもなんというか、ヒップなだけでは、ブラックじゃない様な気がするんだよな...。
◇
今日見た寅さんは、何か僕が普段やっていることを、何かの形で代弁してくれた様な気がした。
僕は寅さんではなく、その正反対であるような仕事をしている。だけど、プログラミングなんていう全てが絶対的な論理の世界と、寅さんの様な人情の世界... この二つを行ったり来たり出来るような柔軟なプログラマーでありたいと思う。
そのバランスと、ジャズっていうのは、何か近いものを感じるんだよな...。
今日はoxoofo氏とあった。 oxoofo 氏は 前の会社Tの同僚だ。 僕がT社にきた経緯はちょっとユニークだった。 前の前の会社R社はとても技術力がひくい会社で、R社で僕はレベルの低い仕事ばかりまわされバカにされ安い給与で散々こき使われていて自信を失っていたのだけど、そんな僕が、偶然流れ着いたこのT社は、技術至上主義だった。 僕はこの会社に自分の居場所があることを感じだ。
例えるならば... 北斗の拳の拳王偵察隊のようだった。北斗の拳初期の話に「世は世紀末... 暴力が全て... いい時代になったものだ... やっちまえ!」 と叫ぶ拳王偵察隊がどんどん弱者から略奪していくシーンがあるけど、僕はこのT社で近いような状態だった。 「技術が全てか...! いい会社にきたものだ! やっちまえ!」っていう感じだった。 やりたい放題できたし、社長のKさんもそれこそやりたい放題好き放題やらせてくれた。
特に、僕が会社に来てたったの4日目で面接を担当させられたのは、びっくりした。だけどレベルの高い技術者同士というのは、いつもこういう感じだ。 レベルの高い技術者はレベルの高い技術者の匂いを感知できる。 あうとすぐわかる。 お互い、こいつ、やるな... と思ってる。 そんな感じだ。 僕は、この会社の人達とお互いにそう感じていることをすごく感じた。
そんな時、その会社の従業員だった oxoofoさんに会った。 ちょっと話して思ったのは... 「あぁ世の中に論理的な話がツーカーで通じる人がいたんだ...」って言う事だった。 すごく強い印象だった。 すごく論理の立体認識力が高くて、話したことを上手に頭の中で組み立てて、すぐさまその論理の違う視点からみた話しをしてくれる。 数学科出身で、数学にも造詣が深い。
oxoofoさんは、僕の大好きな人の一人だ。 大好きすぎて、よく奥さんににらまれてしまう、そんな感すらある。 技術力だけでなく、人間性や性格も大好きだ。 こういう高度に論理的な人にありがちな厭世的なところもまったくなくて、すごく親切で人を大切に出来る人間的に信頼できる人だ。
今日は、そんなoxoofo氏とあった。
◇
昼から その会社の最寄り駅であるO駅で待ち合わせをしていた。 久しぶりにあって、喫茶店に行った。 しばらく雑談した後、自然と僕が今作っているシステムについての話がたどり着いた。
僕が今作っているシステムは「グラフ理論」と呼ばれるわりと新しい数学の理論に基づいて作られている。 oxoofoさんはすばやくそのことを見抜いて、話についてきてくれた。 つくづく回転の速い人だと思う。 すごい速さで 一通り説明した。 oxoofoさんはそれを全て聞いていた。 夢中になって話し合っているうちにあっという間に日が暮れた。 ああ、もう時間か、とそんな感じだった。
今、僕はこうやって一人で仕事をしている。 だから気難しいやつだと良く思われる。 だけど、本当は僕は一人になんかなりたくない。 出来れば人がいてワイワイやりながら楽しく仕事をしたいといつも思ってる。 そうするのが好きだし、そうやって人と作業するのが好きなのだ。
そういえばその会社でまだ働いているとき、僕の席の隣にはHさんがいた。 Hさんは僕のマイミクでもあるのだが、僕が自分の仕事が煮詰まってくるとよく、よこからHさんが書いているソースコードを盗み見て内容にツッコミを入れるのが好きだった。 本人は嫌だったろうが... よくそうやって気晴らしをさせてもらっていた。 そういう風に人がそばにいるというのが好きだ... 。
でも、こうやってoxoofoさんに、僕が今やっていることをダイレクトに話をして、普段経験できない作業―――自分の考え方を吐き出し再認識する――作業をして、色々考えのだけど、結局このプログラムを最後まで書き上げる事が出来るのは、僕しかいないんだな、と思った。
それは oxoofoさんに自分の方針や哲学を理解してもらって一緒に開発してくれたら、僕はどんなに心強いだろうかと思う。 だけど、それは根源的に無理なのだ。 何故ならば、本質的に、「創造的な作業とは究極的には孤独に耐える事」と等しいからだ。 創造の世界で、誰かに居て欲しいと常に思うが、それはどだい無理なことなのだ。
◇
ジミヘンが、「自分の中には悪魔が住んでいる。その悪魔が居る限り自分は止まる事ができない。」って言うような事を言っていたように思う。 キースジャレットも「覚醒すると、人はとても忙しくなる」という事を言っていた。 加えてキースジャレットは「覚醒して思いついたことがあっても、それを誰かが代わりにやってくれるわけではないし、それは自分がやる以外ない。 だから覚醒した人はとても忙しくなる。」とも言っていた。
僕はなんか、小さい頃から、いろいろな事をすぐ思いつくタチで、いつも父親から「お前は何でそうやって何でも思いつきでやるのか。」とよく小言を言われていた。 思いつくとそれをやらないと気がすまなくて、それをやってみてうまく行くのかうまく行かないのか結果を知りたくて仕方がなくなる。 止めたくも無いけど... ま、止めようと思ったところで止まらない。
僕に才能があるのか無いのかは関係が無い。 そうやって僕が創造的な精神状態に到達し、思いついて行動しているという事自体が大切だと思う。 そういう中から、結果的に、ごく稀に価値のあるものが生まれることもある、という事なのだと思う。
◇
とにかく、今日僕は、oxoofoさんと話していて、何かを思いついてしまったらそれを作るのは自分しかいない、それは避けようがない現実なのだ、ということを再認識した。 これを認識して僕の行動が変わるのか... といえば、変わらない。 今までどおりひたすらプログラムを組むだけなのだ。 自分が好きで始めたこととはいえ... 疲れるなぁ...。
まぁ、それはそれとして、僕はoxoofoさんを人間的にもすごく好きで、ちょこちょこO駅まで遊びに行って技術の話抜きで食事でもするっていうのも悪くないなと思った。 というのも、技術的な話をしている僕は、実に人間的に問題があるからだ。 なぜなら僕の話は、凄まじいほどに、しつこく、くどく、ややこしく、しかも、激長いからだ。 僕は結構頭が疲れるのが遅いのだけど、ややこしい話をはじめるとつい楽しくなってしまい、疲れ知らずで止まらなくなってしまいがちだ。 挙句の果てには、相手がグロッキーになって目もうつろに「もうギブ、頼む。 勘弁。」ってなってしまうのだが 「まぁまぁそういわずに、もう少しきけって。 で、このリンク構造の別解についてなんだが...」というようなかんじで、勝手に話を継続するので、みんなが持っている優しい笑顔を、しまいにはしかめ面にさせてしまう。
だから、そういう技術的な話を抜きにして、純粋にO駅まで遊びにいって、oxoofoさんと一緒に、ぼんやり食事をするのもいいかなと思った。
◇
今日 oxoofo さんと別れてから O駅そばの Nというジャズの店を通りがかったら、O氏という人が主演ということが店先に書かれていたのだ。 O氏というのは、僕がまだジャズのライブミュージシャンを目指していた頃、よくセッションで出会った。 僕にとってはライバル的な存在だった。
そうこうしている内に、僕はこんな三流プログラマに成り下がったが、彼はこうして今でも都内のライブハウスで活動を続けている。 それは僕にとってある種の屈辱を与え続けている。 実は、僕が活動していた頃の仲間の多くは、CDデビューしているのだ。 ないしは、著名なミュージシャンのバックとしてレギュラー演奏していたりする。 ソニーからデビューした人すら居る。 それは、ミュージシャンになる事をあきらめた僕の劣等感を常にチクチクと刺激し続けているのだ。
僕は色々としょっているものがある。 だからミュージシャンを目指して定期収入が得られたとしても、そんな不安定かつ低額なギャラでは食っていけない、ということもある ――― とかいっていたって、O氏が定期収入で50万とか稼いでいたら、僕の自尊心は更にガラガラと音を立てて崩れ去る運命にあるわけだが。 あるいは... 僕の好きな音楽は、日本にはマーケットが無い。―――こっちは間違いなく真実だ。 こういう言い訳は安心して言える。
だが、僕はやりたいことを出来ない言い訳ばかりをこうしてmixiに書き散らす事で自分をごまかしていく生き方など嫌いである。 とはいえ、このまま日本でミュージシャンを目指していてもウダツが上がらないのも目に見えている。
僕は考えた。 僕はジャズギタリストだが、プログラマでもある。 その特技を生かしてインターネットを使ってデビューすればいいんだ! そう考えた。 ギャグではない。 真剣に考えている。 今でもそうだ。
でも、プログラマとしてこうやって成長してきた今、本当にそれを実現したいと真剣に考えると、色々と技術的な障害があるということもわかってくる。 例えば、昨今のインターネット上の情報量の爆発的な増大によって、情報をキーワードを使って分類する手法が破綻してしまったことがあげられる。 またSEOというような手法も確立し、本当に平等な検索結果を保証するという方法が完全になくなってしまっていることもある。
そういう中で、僕がホームページを作って「インターネットデビューでござる」といったところで、全く世の中の注目を集める事は出来ない。
デビューというのは、適切な文脈の中でしかるべき方法をもって紹介されることである。 一例を挙げるなら 「○○Journal誌で紹介された期待の新人がついにCD発売! △△△誌編集長も推薦!」 というような、何かしらの信頼感を与えるものからの連続性を感じさせるものである必要がある。 その他にもデビューが成立するための条件はいくつか挙げられるだろう。
ところが、インターネットというのは、システム的に全く文脈の秩序が無い世界だ。 それが利点だと粋がって息巻く技術者も多いが、それは僕は人間の認識についての洞察があまいと僕は考えている。
人というのは、あるものを見たときの印象が、文脈によって大きく変化するものだ。 例えば、和風な苔むした木造の店でじっくりコトコトと煮込んだカレーを出されたら誰でも食べたいと思うだろうが、全く同じカレーがトイレに置いてあっても食欲はわかないだろう。 文脈の基底がまったくない今のインターネットは、いわばトイレにカレーがおいてあるようなものなのだ。
だから、それこそ、僕がどんなにWEBデザインに腕によりをかけてFLASH使いまくりビョーンと渋いホームページを作って 「イェーイ! インターネットデビューでござる!」と言っても、それは往々にしてトイレにおいてあるカレーの状況と変わらなくなってしまうのである。 無名なページであればあるほど、また、それが目指している価値観がニッチであればあるほど、文脈というのはとても重要になってくるものだが、今のインターネットには、これをどうやってもコントロールする方法が無いのである。
だから、僕がインターネット上で正しくデビューするためには、インターネット上できちんと文脈を制御するためのシステムが必要ということになる。 その解決策の一つが今僕が作っているシステムなのだ。
今日、そのはなしをoxoofoさんにしたら、 「ストリートミュージシャンになりたいが、道が無いので道を作るところから始める、といったものだな。」と言われた。 そうかもしれない。 でも、僕がインターネットデビューできるということは、他の人もインターネットデビューできるということでもある。 だから、それはきっと便利なシステムであるはずだろう。
◇
帰ったら、今日は「寅さん」をやっていたので、祖母と一緒に見た。 寅さんは、いい。 久しぶりに泣きそうになった。
そういえば、ジャズをやっていた時代、超大御所ドラマーの弟子だったK氏と友達だった... というか僕がK氏の苛められっ子だったというか... とにかくよく一緒に居たことがある。 ある日、 K氏は、「お前はファンキーとは何かわかってるのか」といった。 僕は知らないと答えた。K氏曰く、「俺にとってファンキーとは、おでん、ひややっこ、寅さん、この三つだ」といった。 おでん...だったか... おでんがうろ覚えで怪しくなってしまったけど... そういうようなものだった。やっこと寅さんは間違いが無い。 とにかく、ファンキーといえば、黒人音楽のものなのに、何で 寅さんやねん、と思ったことを覚えてる。
でも、何か、今はこのK氏の言う事、わかる様な気がする。 ここで言っていたファンキーというのは、つまり、なんというか汚い俗世界...ならではの優しさとか、薄幸な悲しさとか、土着の暖かさとか、という事をいっていたのかもしれないなと思う。
寅さんは、誰か遠い国の不遇な女性を心配する。 実家に帰って家族を巻き込んで人騒がせな話術を爆発させる。 騒ぎすぎで疲れて寝てしまった本人に代わって、状況を知った家族がその女性を優しく介抱する。 寅さん、目が覚める。 家族の配慮にも気づかず、無礼もへったくれもなく、他人の家に乗り込み説教を始める。 家族の配慮は台無し。 しかしそのムチャが功奏して敵を正直にさせる。 寅さんの優しさが通じ、敵は見方になる。 全てが円満解決... しかし密かに恋やぶれた寅さんは、また旅に出る...。
こういう情緒的な世界って、万国共通である様な気がする。 僕は寅さんをタイ東北弁=イサーン語に翻訳したらタイで大ヒットすると思う。 こういうメンタリティーっていうのは独特な美しさがある。 それは表面に出てくる汚らしさ、洗練されていないダサさ、を超えた存在だ。 僕は身近に黒人の知り合いがいたりはしないけども、ファンキーというのは、きっとこういう人情の世界なんじゃないだろうか。
日本人が歌うブラックミュージックが 黒人に受け入れられないのは、ここじゃないだろうか。 日本人はブラックミュージックをファッションでしか捉えてないけども、これはどっちかといえば、本質的に、演歌とか寅さんとかそういうものに通ずる世界なのではないだろうか。
でも、黒人音楽というのは、演歌とはちょっと別な方向に発達した。 コルトレーン、マイルス、ウェインショーター、ハンコックというように、知的な要素と結びついて「ヒップ」という世界に発展した。 でもなんというか、ヒップなだけでは、ブラックじゃない様な気がするんだよな...。
◇
今日見た寅さんは、何か僕が普段やっていることを、何かの形で代弁してくれた様な気がした。
僕は寅さんではなく、その正反対であるような仕事をしている。だけど、プログラミングなんていう全てが絶対的な論理の世界と、寅さんの様な人情の世界... この二つを行ったり来たり出来るような柔軟なプログラマーでありたいと思う。
そのバランスと、ジャズっていうのは、何か近いものを感じるんだよな...。
コメント一覧
oxoofo 2008年01月28日 03:34
したがき1
>つきつまるところ「創造的な作業とは究極的には孤独に耐える事なのだ」ということなんだと思う。
数学者でそれをやろうとすると、ホントに、
「ヌア、デキタドー。ハイコレ!」って言っても、その出来た物を後から味わってくれる人は(味わう土台・素養)のある人は同時代に地球上でもほんの何人、十何人かだったりするので、
したがき2
ネックは、お金だけで、例えばもし酔狂なスポンサーがいたとしたら、全て解決しちゃうのかな?いや、そうだとしたらじゃぁどうしようとかいうことではなくて、今やっている作業の孤独さとか楽しさとか+αしたい欲求とか、今、岡さんが体験し味わっている事の本質ってなんだろうってふと考えて。
あ、こんばんは。今日はありがとう、楽しかった。今日は時間制限が来て、
したがき3
楽しかったー。今日の数時間、僕にとっては本等に上質のエンターテイメントでもありました。今日は夕方頃に別用が入って時間制限が来てそこで終わったのだけれど、それも僕にとってはベストでラッキーだったのかも知れません。制限が無かったら、もう少し聞いていたい、もう少し、、とずるずる疲れ初めてしまいゲームがやめられない小学生状態に陥りかけていたので。イヤ、そうなった所で、困憊上等みたいな覚悟も有ったのだけれど
せいしょ
ナシ!
文章で会話するって難しいね。下書きだけ送りつけるっていうファンキーなジャズをやらかして今日はもう寝てみようかと思います。また今度、会って口頭の速度で話をしよう、という事で、
したがき4
ペレリマン
したがき5
ドンキホーテ - あ、これは、「無理だ、巨大な夢に立ち向かい過ぎだ、止めた方が良いよ」って事じゃないよ。えっと、どう考えても、感としては、走った方がいい、それ、行った方がいいよと言いたくなってしまう。
作業に一緒に加われない事で、リスクを共有していない為に言う資格がない事を踏まえた上で、何か言えばそれは無責任な遠くからの発言だといわれる事は負って、ヤッパ、イイクサイ。あらゆる出来る事で協力したい。
oxoofo oxoho (・∀・) 大久保 文忠
追伸:最近、最適化(最小化問題)絡みで、リサントツカイセキというのをトシヨリノヒヤミズしてみています。
追伸:今日聞いた暗号化の本は読んでみようと思います。暗号化って、前から、
>つきつまるところ「創造的な作業とは究極的には孤独に耐える事なのだ」ということなんだと思う。
数学者でそれをやろうとすると、ホントに、
「ヌア、デキタドー。ハイコレ!」って言っても、その出来た物を後から味わってくれる人は(味わう土台・素養)のある人は同時代に地球上でもほんの何人、十何人かだったりするので、
したがき2
ネックは、お金だけで、例えばもし酔狂なスポンサーがいたとしたら、全て解決しちゃうのかな?いや、そうだとしたらじゃぁどうしようとかいうことではなくて、今やっている作業の孤独さとか楽しさとか+αしたい欲求とか、今、岡さんが体験し味わっている事の本質ってなんだろうってふと考えて。
あ、こんばんは。今日はありがとう、楽しかった。今日は時間制限が来て、
したがき3
楽しかったー。今日の数時間、僕にとっては本等に上質のエンターテイメントでもありました。今日は夕方頃に別用が入って時間制限が来てそこで終わったのだけれど、それも僕にとってはベストでラッキーだったのかも知れません。制限が無かったら、もう少し聞いていたい、もう少し、、とずるずる疲れ初めてしまいゲームがやめられない小学生状態に陥りかけていたので。イヤ、そうなった所で、困憊上等みたいな覚悟も有ったのだけれど
せいしょ
ナシ!
文章で会話するって難しいね。下書きだけ送りつけるっていうファンキーなジャズをやらかして今日はもう寝てみようかと思います。また今度、会って口頭の速度で話をしよう、という事で、
したがき4
ペレリマン
したがき5
ドンキホーテ - あ、これは、「無理だ、巨大な夢に立ち向かい過ぎだ、止めた方が良いよ」って事じゃないよ。えっと、どう考えても、感としては、走った方がいい、それ、行った方がいいよと言いたくなってしまう。
作業に一緒に加われない事で、リスクを共有していない為に言う資格がない事を踏まえた上で、何か言えばそれは無責任な遠くからの発言だといわれる事は負って、ヤッパ、イイクサイ。あらゆる出来る事で協力したい。
oxoofo oxoho (・∀・) 大久保 文忠
追伸:最近、最適化(最小化問題)絡みで、リサントツカイセキというのをトシヨリノヒヤミズしてみています。
追伸:今日聞いた暗号化の本は読んでみようと思います。暗号化って、前から、
おかあつ 2008年01月28日 04:29
>したがき4
>ペレリマン
oxoofo氏 今日一番の謎な発言....
と思ったらペレリマンって有名な人だったんだね
Григорий Яковлевич Перельман
グリゴリー ヤコフリェビッチ ピェリェーリマン
>2006年度、ポアンカレ予想解決の貢献・幾何学への貢献とリッチ・フローの解析的かつ幾何的構造への革命的な洞察力に対して「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞を受賞したが「自分の証明が正しければ賞は必要ない」として受賞を辞退した
こういう人が居るって言うことを知らなかった。
天才の話って何度読んでも 何でこう不思議な魅力があるんだろう。
ペレリマンはキノコ狩りが趣味って書いてあった。 ... そういえば、ロシアの人がキノコ狩りをよくする、っていうのは話で聞いたことがある。お金が無いと森に行ってキノコを採って食べるんだそうだ。 ロシアの人にとってキノコ百科事典ってワリとポピュラーな持ち物だとか...。 本を見て毒キノコと食用キノコを見分けるらしい。
>ペレリマン
oxoofo氏 今日一番の謎な発言....
と思ったらペレリマンって有名な人だったんだね
Григорий Яковлевич Перельман
グリゴリー ヤコフリェビッチ ピェリェーリマン
>2006年度、ポアンカレ予想解決の貢献・幾何学への貢献とリッチ・フローの解析的かつ幾何的構造への革命的な洞察力に対して「数学界のノーベル賞」と言われているフィールズ賞を受賞したが「自分の証明が正しければ賞は必要ない」として受賞を辞退した
こういう人が居るって言うことを知らなかった。
天才の話って何度読んでも 何でこう不思議な魅力があるんだろう。
ペレリマンはキノコ狩りが趣味って書いてあった。 ... そういえば、ロシアの人がキノコ狩りをよくする、っていうのは話で聞いたことがある。お金が無いと森に行ってキノコを採って食べるんだそうだ。 ロシアの人にとってキノコ百科事典ってワリとポピュラーな持ち物だとか...。 本を見て毒キノコと食用キノコを見分けるらしい。