(ニュース) この記者
2007年09月26日22:35
この藤田悟って人が書くのって90%ぐらいは正しいけど、残りの10%がいつも微妙にヘンな書き方になっちゃうのってナンでなんだろう。
> デモに参加した僧侶や学生の多くは「今回を逃せば民主主義は実現できない」との強い使命感を持って「捨て身の行動」に臨んでいる。
たとえば、この辺って、んなわけぜってーねーよとは言わないけど、僕が知っている限りでは、ミャンマーの人があまりそういう西洋っぽいことを高らかに叫んだりはしそうもない。 大体民主主義とか言う言葉が出るときは、何か別な背景があることが多いし。
でも、この人が書くと、何かすべてが竹を割ったように善悪に分かれたような清らかな世界観になっちゃうんだよな。
このひと、タイのクーデターの時もそういう書き方だった。 いつも読んでて凄く気持ち悪い。
絶対ヘン。
◇
ミャンマー流血 デモ武力鎮圧
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=303991&media_id=2
<ミャンマー>デモ弾圧 軍事政権、強権体質あらわに
(毎日新聞 - 09月26日 21:12)
【バンコク藤田悟】ミャンマーで深まる僧侶・市民と軍事政権の対立は26日、ついに民主化デモ弾圧(88年)以来の流血の事態に発展した。軍事政権は強権体質をあらわにし、デモに参加する僧侶や市民を徹底的に弾圧する姿勢を鮮明にしている。強硬措置はミャンマー国民や国際社会の強い反発を招き、さらなる反政府行動の高まりにつながるのは避けられない状況だ。
最高権力者のタンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長は25日、ヤンゴンから約350キロ離れた新首都ネピドーで軍幹部を呼んで対策会議を開いたといわれ、この時に最終的にデモの武力鎮圧の方針を決定したとみられる。
92年に辞任したソウマウン議長の後を継いで同評議会(当時は国家法秩序回復評議会=SLORC)議長の最高ポストについたタンシュエ上級大将は、当初は穏健路線を取り、95年7月には民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんの自宅軟禁を6年ぶりに解除。一時はスーチーさんとも直接対話して和解する姿勢を見せた。
しかし、スーチーさんが軟禁解除のたびに政治活動を活発化させることを嫌い、03年5月に三たびスーチーさんを拘束してからは、スーチーさんと外部との接触をほぼ完全に断ち、その影響力を排除して民主化勢力を徹底的に封じ込める戦略を取ってきた。
スーチーさん軟禁に対する国際社会の批判を受け、軍事政権は03年8月に7段階の民主化手続き「ロードマップ」を発表した。しかし、新憲法の原則を審議する国民会議は、軍の権力維持を担保する条項をふんだんに盛り込み、民政に移管後も軍が権力を確保する姿勢を鮮明にしていた。
05年11月にネピドーへの首都移転を始めたが、治安確保が難しい大都市から、比較的容易な山間部へ拠点を移すことによってタンシュエ上級大将は権力基盤を固め、民政移管後の初代大統領の座を目指している、との観測も持たれている。
治安部隊による強硬措置は、圧政に抗議を唱える僧侶や市民たちの要求は一切無視し、武力を背景に権力に固執する議長ら軍事政権幹部の体質を如実に示した。
デモに参加した僧侶や学生の多くは「今回を逃せば民主主義は実現できない」との強い使命感を持って「捨て身の行動」に臨んでいる。軍事政権が強硬策に出れば出るほど、国民の反発と憤りを招き、さらなる反政府行動を招くのは確実だ。
バンコクを拠点とするミャンマー人民主化団体「ビルマ連邦国民評議会」のソーアウン氏は「僧侶や学生たちは軍事政権の警告を無視してデモを続けた。これは強硬措置も予想したうえでの命がけの行動だ。暴力的手段をもって僧侶たちの行動を止めることはできないだろう」と話す。
> デモに参加した僧侶や学生の多くは「今回を逃せば民主主義は実現できない」との強い使命感を持って「捨て身の行動」に臨んでいる。
たとえば、この辺って、んなわけぜってーねーよとは言わないけど、僕が知っている限りでは、ミャンマーの人があまりそういう西洋っぽいことを高らかに叫んだりはしそうもない。 大体民主主義とか言う言葉が出るときは、何か別な背景があることが多いし。
でも、この人が書くと、何かすべてが竹を割ったように善悪に分かれたような清らかな世界観になっちゃうんだよな。
このひと、タイのクーデターの時もそういう書き方だった。 いつも読んでて凄く気持ち悪い。
絶対ヘン。
◇
ミャンマー流血 デモ武力鎮圧
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=303991&media_id=2
<ミャンマー>デモ弾圧 軍事政権、強権体質あらわに
(毎日新聞 - 09月26日 21:12)
【バンコク藤田悟】ミャンマーで深まる僧侶・市民と軍事政権の対立は26日、ついに民主化デモ弾圧(88年)以来の流血の事態に発展した。軍事政権は強権体質をあらわにし、デモに参加する僧侶や市民を徹底的に弾圧する姿勢を鮮明にしている。強硬措置はミャンマー国民や国際社会の強い反発を招き、さらなる反政府行動の高まりにつながるのは避けられない状況だ。
最高権力者のタンシュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長は25日、ヤンゴンから約350キロ離れた新首都ネピドーで軍幹部を呼んで対策会議を開いたといわれ、この時に最終的にデモの武力鎮圧の方針を決定したとみられる。
92年に辞任したソウマウン議長の後を継いで同評議会(当時は国家法秩序回復評議会=SLORC)議長の最高ポストについたタンシュエ上級大将は、当初は穏健路線を取り、95年7月には民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんの自宅軟禁を6年ぶりに解除。一時はスーチーさんとも直接対話して和解する姿勢を見せた。
しかし、スーチーさんが軟禁解除のたびに政治活動を活発化させることを嫌い、03年5月に三たびスーチーさんを拘束してからは、スーチーさんと外部との接触をほぼ完全に断ち、その影響力を排除して民主化勢力を徹底的に封じ込める戦略を取ってきた。
スーチーさん軟禁に対する国際社会の批判を受け、軍事政権は03年8月に7段階の民主化手続き「ロードマップ」を発表した。しかし、新憲法の原則を審議する国民会議は、軍の権力維持を担保する条項をふんだんに盛り込み、民政に移管後も軍が権力を確保する姿勢を鮮明にしていた。
05年11月にネピドーへの首都移転を始めたが、治安確保が難しい大都市から、比較的容易な山間部へ拠点を移すことによってタンシュエ上級大将は権力基盤を固め、民政移管後の初代大統領の座を目指している、との観測も持たれている。
治安部隊による強硬措置は、圧政に抗議を唱える僧侶や市民たちの要求は一切無視し、武力を背景に権力に固執する議長ら軍事政権幹部の体質を如実に示した。
デモに参加した僧侶や学生の多くは「今回を逃せば民主主義は実現できない」との強い使命感を持って「捨て身の行動」に臨んでいる。軍事政権が強硬策に出れば出るほど、国民の反発と憤りを招き、さらなる反政府行動を招くのは確実だ。
バンコクを拠点とするミャンマー人民主化団体「ビルマ連邦国民評議会」のソーアウン氏は「僧侶や学生たちは軍事政権の警告を無視してデモを続けた。これは強硬措置も予想したうえでの命がけの行動だ。暴力的手段をもって僧侶たちの行動を止めることはできないだろう」と話す。
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