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2007年8月7日火曜日

あるやりとり (isaan05-c987254-200708071245)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
あるやりとり (おかあつ)
2007年08月07日 12:45
A: この間の失敗について、どう思う?

B: あれは私が悪かったわ。 ごめんなさい。

A: だけど、あの問題が起こる前、「アレはよく○○ってくるから、○○る前に必ずやって置けよ」っていっておいたじゃん。 なんでやんないの?

B: 忘れてた。

A: だけど、あの時、「やらないと後で面倒だよ」って何度も何度も言っておいたじゃん。 何でやらないの?

B: だから忘れてたって言っているじゃない。

A: 忘れたっていうけど、オレが言うたびに「大丈夫だから」「大丈夫だから」って言ってたじゃん。

B: わかってるわよ。 だから、次から気をつけるっていったじゃない。

A: でもさぁ... あの時いったろ? 「一度○○ったら、今後 10年間xxxはできない決まりになってるから、必ず守れよ」「問題が起こったら絶対取り返しつかないからやれよ」って何度も言ったじゃん。

B: ....

A: お前、これ誰のためにやってると思ってるんだよ。

B: 別にあたしやりたくないし。

A: やらなかったら、お前これからどうするんだよ。

B: どうもしないわ。 別にまたトラック運転手でもやるから。

A: そういう問題じゃないだろ? そういうことにならないようにと思って、あの時「気をつけろ」って何度も言ったのに、何であの時 聞かなかったんだよ。

B: だって、あなた、怒鳴ってばかりで私の言う事聞かなかったじゃない。

A: お前の言う事を聞いてどうするんだよ。

B: あなたは、そうやっていつも怒ってばかりで、悪いのは私一人。

A: 俺が謝って何の意味があるんだよ。

B: 私たちは許しあわなければならないわ。

A: 俺がお前を許してどうするんだっつーの。 俺が許したら、問題がおこらねーのかよ。

B: 私が言いたいのはひとつだけ。「何でそうやって人前で怒鳴るの?」

A: お前、怒鳴らないと何もきかねーじゃねーかよ。

B: あなたがそうやって怒鳴るから何も聞けないのよ。

A: 怒鳴ってもきかねーかもしれないが、かといって怒鳴らなくてもきかねーだろ。

B: 私が言いたいのは、私が何かを間違えると、すごい怒るくせに、自分が間違えたときは、全然怒らないじゃない。

A: 俺がナニ間違えたよ。

B: この間、トイレ流すの忘れたでしょ。

A: だからどうしたっツーんだよ。

B: 私がトイレ流さないとメチャメチャ怒るくせに、何であなたが忘れても何も言わないじゃない。 私だって、あなたが忘れたとき怒らなかったでしょ?

A: おめー トイレと、この話を一緒にすんじゃねーよ。

B: 私たちは許しあわなければいけないわ。

A: おめー トイレを流さなくても 後で流せばいいかもしれないが、これを忘れたら取り返しがつかねーんだよ! いっただろーが。

B: ほら、そうやって、自分のことは棚に上げて、人のことばかりあげつらう。

A: おめーな、トイレぐらい流さなくても死なねーよ。

B: あなたはそうやっていうけど、それは私にとってはすごく大切な事なの。 なんでそうやって自分の価値観を人に押し付けるの?

A: おめーな。 自分、死ぬの待ってるようなもんだっつってんの。 やれよ。 俺の問題じゃねーんだよ。

B: なんでそういうひどいいいかたするの?

A: 俺が謝って、どうにかなるなら、俺が謝るっつーの。 俺が謝ったら、また俺がケツふく破目に陥るだろーが。 おめーわかってんのかよ。 今のままじゃ、死ぬの待ってるだけだぞ...。

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突然ですが、これで終わりです。

もー 正直 僕は 笑えません。

僕は日本人で、どうやってもタイ人じゃないわけです。 失敗したら、外国で働けばいいやーっていうのは無しの方向でお願いします。 のたれ死ぬかもしれないし。

最近僕は「ケジメ」って何なのかな...ってよく考えるようになりました。 ケジメってなんなんでしょう。 取り敢えず、タイ人って全然「ケジメ」がないみたいです。

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こないだ、テレビで朝青龍が処分されたニュースを見たんですが、モンゴルの新聞に大見出しで大きく報じられている、ということが話されていました。 そのモンゴルの新聞が映し出され、次の言葉が書いてあるのを見て頭を「ガツン」と殴られたような気がしました。

その言葉とは「АСАШЁОРЮУ」※ です。 これは キリル文字で朝青龍って書いてあるのですが、これをみて、あらゆることが一気に頭の中で像を結ぶのを感じました。 「ひょっとしたら、この朝青龍も『あの』ロシア人の行動パターンとまったく同じでは?」

※ 例えば... http://www.asashoryu-foundation.mn/

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どこかでモンゴルというのは、中国よりもロシア寄りの立場をとる事が多いと聞いた事があります。 またこうやってキリル文字を使っているのを見てもロシアの影響が大きいのではないかと推測します。

ひょっとしたらモンゴルの人の気風ってちょっとロシアに似ているところがあるのではないでしょうか。 であれば、個人的に朝青龍の行動も納得できるものがあるのです。 実は、以前家にロシア人がホームステイしていた経験があるのですが今回の朝青龍問題と同じような問題がたくさん起こりました。 その問題は、個人的な性格上の問題ではないのです。 誰もがそうだったのです。

これはあくまでも僕の推測なのですが、モンゴルがロシアと似たような気風を持っているとしたら、朝青龍問題は個人の問題ではなく、異文化交流上の問題だったのではないでしょうか。

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そのロシア人がホームステイしていた時は、実際ムチャムチャ大変でした。 とにかくロシア人というのは、やりたいことがあったら、何をおいてもまずやる、という感じでした。

ここでいう「やりたいことをやる」というのは、日本語で「やりたいことをやる」って言うのとは、随分と趣が異なるように思います。

例えば、行列の出来るレストランがあったとします。 食べたいけど並ばなければならない。 例えば、ここでロシア人は、待つけど並びません。これは、日本だと思いっきり非常識です。順番待ちの人と正に激突します。 が、ロシアはそれでオッケーなんだそうです。

例えば、お金があと一ヶ月後まで1万円しかないとします。 それを使い切ったら明日から食事抜きです。 例えばそんなとき、ロシア人だったら、さくっとその一万円を一晩で使い切ります。 明日からの生活はまったく想像もしません。 明日から生活が問題だらけになったとしても、ロシアはそれでオッケーなんだそうです。

また(往々にして日本での話しなのですが)彼らがそういう放蕩をした後、問題を起こした責任感を取ろうとしている日本人に怒られると、何故怒られたのかすら、さっぱり理解できないということが多いようです。

思ったのですが、ひょっとしたら朝青龍もそうだったのではないでしょうか。 苦労に苦労を重ね、優勝。横綱の威信を守った。 ライバル白鳳にも勝った。 念願果たした朝青龍はうれしくて、素直に故郷に錦を飾りたかったのではないでしょうか。 だから、巡業もほっぽりだして、待つものも待たず、大急ぎで帰っちゃったのではないか、とそんな想像をします。

ここは恐らく日本人にとってはとても理解しづらい感覚なのですが、日本人以外の人は、大抵「帰りたければ、まず帰る」が基本であることが多いようです。 やりたいことをやる。 これはロシアに限らないように思います。 それどころか、むしろそうしない日本人の考え方のほうが特殊かもしれません。 それぐらいまで考えてみないと理解できないように、僕は感じます。



日本人がこういう心理を理解するためには、まず、たぶん日本人の気持ちの中に気づかないうちに潜んでいる、禅や武士道の考え方を暴露する必要があるのではないでしょうか。

日本人というのは、ケジメを重んじる文化を持つといわれますが、ケジメって何でしょうか。

ALCの辞書をひいてみました。

  mental demarcation(精神的な境目)
  taking moral responsibility (モラル上の責任)
  integrity(品位)

だそうです。 正直 ... どれもいまいちピッタリきません。 それは、日本独自の考え方だからではないでしょうか。

古い言葉に 「一日不作一日不食」っていう言葉があるんだそうです。

http://www.dinnerservice.co.jp/itiniti.html
http://www.rinnou.net/cont_04/myoshin/2001-11a.html

これをちょっとみると、単に「働かざるもの食うべからず」という意味にも思えてきますが、実は、それ以上の深い意味があるのだそうです。 これは、日々の労働がすなわち修行であり非常に大切である、だから労働しなかったら食事もしない、という戒めをこめた言葉なのだそうです。

近代化・ハイテク化・オタク文化した現代日本で もうそんなの廃れてるという向きもあるかもしれません。しかし、実は意外にあちこちに結構残ってるものじゃないでしょうか。 例えば...相撲とか。


僕はあまり体育会系じゃないので、想像でしかないのですが、ニュースに出てくるあちらこちらのコメントを聞いていると、きっと相撲の世界には「好きな相撲をがんばるのは当たり前。 好きな事をやらせてもらったのだから、巡業もがんばらなければイカン」というような風潮があるのではないかとおもわれてきます。

この考え方は、相撲という純粋な精神世界が、絵空事で終わらずに、キチンと現実世界で機能するために極めて大切な装置になっているのではないか、と僕には思えます。 悲しい話ですが、どんなに崇高な理想があってもお金がなければ何にもできませんから...。

これが、僕には「一日不作一日不食」と重なって見えます。 日本文化というのは、そういった精神世界と現実世界のバランスをとる機構が機能するためのコツの様なものがあちこちに散在しているように、僕には感じます。

この事は、実は意外にもアニメの世界で顕著であるように思います。 そういうケジメという概念があるから、あんな非現実的なコミケの世界が、コマーシャルに独占されることなく、未だに草の根としてきちんと機能しているのではないでしょうか。

日本って、こういう快楽と義務をセットにする仕組みがあるように思えます。

言葉の裏を返せば、日本人の心の底には、気づかないうちに、こういう「ケジメ」と呼ばれる、楽しみすぎたら後で大変な事が待ってるぞ ... 的な抑圧的な罪悪感ともいえる哲学が流れているのではないでしょうか。

このようなケジメという感覚をというのは、世界的に見ると結構珍しい事なのではないかとおもいます。 これこそが日本人を日本人らしくしているように思います。


話を戻します。 このケジメの概念ですが、これが、日本人以外の人には、からっきしないのです。 楽しい事があったら、さっと楽しみますし、 やりすぎたとしても取り立てて大きな社会的罰が待っている...という事もありません。 それどころか、無茶をしてお金がなくなってしまったりしてもい、どこからともなくお金をくれる人が現れたりして取り繕ってくれたりします。 日本人的には、なんでこうホイホイ助ける人がいるのか、実に奇妙に見えるのですが、一説によると「喜捨」という考え方によるんだそうです。

上で述べたように、日本人にとって楽しみは悪です。 楽しんだら楽しんだ分だけ奉仕の義務があります。 これが常識で、誰もが当たり前のようにこのルールを守っています。 この暗黙の了解を外人に適用しようとしても「楽しみが悪である」という罪悪感が内面化されていないため、思ったように理解してもらえません。 怒っている理由さえつかめずにポカンとされてしまいます。

お前そんな放蕩して後でどうすんだよ! と怒鳴ったとしても、「現実をコントロールして精神世界とバランスをとる」という習慣自体がないため、理解はとても難しいのではないかと思います。

というわけで、なんとなく、最近の朝青龍の話を聞いていると、昔ウチにホームステイしていたロシア人のことを思い出す管理人でした。

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しかし、当然そんなお気楽主義で現実を放置してれば色々と問題だらけになってしまわないのでしょうか。 それはなるんだと思います。 それはタイがそうじゃないでしょうか。 首都にだって工事やりかけの鉄道が長年にわたって放置されていたり、作りかけの建物が放置されていたり...。

付き合わされる日本人はそれでは許されません。 責任問題になってしまいます。 今の朝青龍がそうであるように...。

こちらがあちらを理解するのはかまわないのだけど、それをやってしまうと巻き添えを食らって共倒れになってしまう、という残念なパターンがあるように思うのです。 そこでどうすればいいのかは、僕もよくわかりません。


追記...

書いてから調べたのですが、

モンゴル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E8%AA%9E

「АСАШЁОРЮУ」 を パッと見たとき、一瞬ロシア語かと思ったのですが、ロシア語ではなく、キリル文字だけ使うモンゴル語なのだと説明されていました。
コメント一覧
[1]   gop   2007年08月07日 13:44
大変、興味のある内容でした。勉強になりました。

私も今回の件については、日本の、ましてや相撲協会などの
考え方では理解できない行動だろうな~と思ってました。

ロシア人気質までは知りませんでしたが、最近、日本ゆえの
神経質な部分や潔癖性、責任所在を明確にしたがる点など、
美徳ではあるが、国際競争力の足を引っ張る国民性を、強く
感じます。

だから異文化交流って、楽しくも、難しい。
 
出展 2007年08月07日 12:45 『あるやりとり』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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