FLAGS

MENU

NOTICE

2007年4月16日月曜日

考える言葉 (注超絶長文) (mixi05-u459989-200704160609)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
考える言葉 (注超絶長文)
2007年04月16日06:09
最近僕が語学について漠然と考えていた事と、ごーやんさんの日記、それにジャコビさんの先日のコメントが足し合わさっていろいろなことを考えてしまいました。

>先日の日記とジャコビさんのコメント
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=403499652&owner_id=459989

>ごーやんさんの日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=404927941&owner_id=203248


僕の語学近況の話と共に、語学をマスターする条件について考えてみました。

超、ハンパなく長いので、気が向いたら読んでみて下さい。




... 正直、僕は、今、語学から興味が薄れているのです。 何故かというと今は主にコンピュータープログラミングをしているからです。 コンピュータープログラミングという物も、語学の学習や楽器の練習とかなり似た頭の使い方をするところがあって、こちらに集中すると、外国語はおろか、日本語もでて来なくなります。

それはともかくとして、タイ語がある程度上達してなおかつ落ち着いてしまったので、漠然と興味が薄れてるのです。

もちろん、未だにタイ文字は読めないですし、テレビを見ても早口過ぎてよくわからないのですが、日常会話ではついていけないことはほとんどなくりました。 もちろん、この壁を乗り越えるためには、何をしなくてはいけないかもわかっているのですが、興味が湧かないのでそれ以上やっていないのです。

正直、タイに来て2年近く住んでいるのですが、タイ語を勉強しできる事はやり尽くしてしまった後に得られる物が漠然と見えてきてしまって、では、それを得られたとしたら僕は何をするのか、という事を考えてしまうのです。

実は、僕は、ジャズギター歴がかなり長いのですが、ジャズギターのテクニックはロックやポップス、ブルースといったジャンルにも十分応用できるのです。 一時期、ラオス語を完璧に勉強して、あのタイDJトーク(※)をマスターして、謎の日本人ズーズーなまりミュージシャンを目指してやろうかと思ったこともありました。 でも、それが実現したとして、じゃぁタイで有名になれたとして、どうするのか、それで僕は幸せなのだろうか、と思うと、なんとなく、考えてしまうのです。

(※... タイDJトーク⇒ 音楽をかけている途中にカットオフで突然ブチッと中断。 その瞬間に何か洒落たことを言う。 次の瞬間、音楽をレジューム。 ということを繰り返すことで独特の雰囲気を出すDJの手法を指す。(というか僕が勝手に命名) これがタイでは異様に流行していて、猫も杓子もこれをやるので、ちょっと飽きる。 うまい歌手だと、弾き語りでこれをやったりして面白い。 多分、実際にやるのは、かなり難しい。)




これまで、僕が勉強した事があるのは、次の言葉です。

英語(米語)
ロシア語
広東語
タイ語
イサーン語
ラオス語


僕は、英語には苦い思い出があります。 高校の頃、友達に英語を話せる友達が多かったので、僕も頑張って勉強していました。 しかし、僕の家は非常に複雑な家庭環境だったので、なかなか思うようには行きませんでした。 夏休み留学組、帰国子女組に囲まれ、いつもバカにされっぱなしでした。

1996年に、バークリー音大に行くという夢を追いかけて、なけなしの金で、アメリカで語学留学を達成しました。 ここで3ヶ月勉強した後に入学許可を得たのですが、経済的に難しすぎた(年額400万近くかかる(^-^;) ので入学は辞めて、プログラマになりました。

それ以降、色々な事情に忙殺されてしまったのです。 その忙しさは2005年まで続いたのですが、英語の夢は諦めきれず、ずっと勉強だけは続けていました。 毎日英語の映画を見たり、CDのセリフを聞き取って暗記したりしていました。

でも、悲しいかな、全く喋れないのです。 1996年、日本に帰ってきたばかりの頃は結構話せたのですが、今では全く話せないと言ってもいい状態です。

だから、僕は、語学のセンスがあるほうではない筈です。



僕は、ある事情から回りに非常にロシア人が多かったのです。 それは、2003年ごろだったのですが、ロシア語と英語は、結構音素が似ているような気がしていたので、取り敢えずロシア語を勉強してみようと考えました。 ロシア語であれば、実践に事欠かなかったので、そちらの方が勉強しやすいだろうし、ロシア語で得た語学感覚は英語でも生きるだろうという、目論見もありました。

とはいえ、仕事をしながらだったので、就寝前の1時間ぐらいチェブラーシカ(※)を見て、チェブラーシカのテーマ(三種類)を一緒に歌えるまで、全部暗記したりしていました。 これは、強力な練習法だったみたいで、音だけは随分聞こえるようになりました。

(※チェブラーシカ⇒ロシアの有名な人形劇)
http://www.google.com/search?q=%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%AB

ロシア語の文法は極めて難解で、しかも暗記しなければならない量も半端じゃないので、学習は苦労します。 仕事しながら先生に習っていたのですが、勉強量が足りなくて身に付きませんでした。

後に、仕事を辞めるとき、ロシアに行くか、タイに行くか随分と迷ったのですが、タイに行く事にしました。

というわけで結果的に、ロシア語も話せるようにはなりませんでした。 でも、日常生活用語は結構知っています。だからロシア人がそばにいてブツブツ言っていることを多少理解できます。



で、タイ語なのですが、僕がタイに行こうと決心した時、タイに関する知識は0でした。 それは、多分、僕のmixi日記を最初の日から読むとよくわかると思います。 僕は、タイに来た日からmixiを始めたからです。 読めばわかりますが、彼は、全く何も知りません。 タイがどこにあるのかすら知らない有様です。

(^-^;

ちなみに「イサーン語勉強会」を作ったのも同時期なので、勉強会初期の文章を読むと、僕のアホさ実に加減がよくわかります。

(^-^;;;


で、タイに来た時、タイ語の学校に2週間通いました。

それからはいわゆる「良くある話」が発生して、あれよあれよというまに、タイ語を毎日話す環境に陥ってしまったのですが、あれだけ語学で苦労した僕が、僕がタイ語でタイ人とケンカをしたりするようになるまで、半年はかかっていません。

その間、日本語と英語は一切口にせずタイ語だけを話すと決心だけはしていました。 今は、少しは日本語を話してもいいかな...と思うようになってしまいましたが... しかし、それもつい最近の話です。

タイ語の教材は、色々買いましたが、極初期は

あの有名な、「アジア語楽紀行」
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/07163813

後は「キーワードで覚える!やさしいタイ語会話」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4896894405.html

しか読んだことがありません。

( よく考えたら どちらも山田均先生の本だ...。)



その後、僕はイサーン地方に住むようになってしまったので、イサーン語(※)を勉強する事を決心したのですが、一度タイ語がある程度身についてしまうと、イサーン語を勉強するのは、色々な理由があって難しいのです。

(※ イサーン語⇒タイ東北弁。タイ東北田園地帯出身の人は必ずこの言葉を話す。 正にタイの青森ズーズー弁。タイ人の間では、非常に田舎臭い響きがあるとされる。 歴史的な理由によりラオス語の方言の一つでもある。タイ語と似ているが基本的に違う言語。)

まず、タイ語を話す人に対して、イサーン人はイサーン語を絶対に話さないことがあります。 それはとても恥ずかしい事だとされているからです。 それを気合で乗り越えてイサーン人にイサーン語で話しかけたとしても、ネイティブイサーン語話者の前で、突然イサーン語を話し始めたりすると、ギャグと間違えられて爆笑されて会話にならなくなってしまったりもします。 (注:イサーン人は自虐ネタ好き)



結果的に、ですが、タイ語話者として、イサーン地方に住んでいると「聞く機会」はふんだんにあるのですが「話す機会」は全く得られないのです。

そういう中で、色々とあがいて努力もしてみたのですが、イサーン地方に住んで一年以上たった今もまったく話せません。

... 前ふりが随分長くなってしまったのですが、僕はこのことが言いたかったのです。

僕は、この経験から言って、語学というのは「話して通じる」経験がないと、「聞く」経験がどんなにあっても話せるようにはならないのだ、という事を学びました。 もちろん、血の滲むような語学の特訓の経験があっても言わずもがなです。 話せるようにはなりません。

この事実は、今でも僕を悩ませています。



そもそも、僕が話すタイ語は、極めておかしいようです。 僕はイサーン地方でタイ語を覚えたので、

「クリーム」⇒「キーム」
「クリスマス」⇒「キスマス」
「トリートメント」⇒「ティートメント」

というようなラオス語に近い音声の変化を持っています。
かなり音がイサーン語に近いタイ語なのです。

だから、どこをどう見ても日本人である僕が、街に行ってタイ語を話すと大体誰もが面食らった顔で「は?」といいます。 それでもしつこく話しかけると「?」という顔をされます。 (ちなみに「ウドン(東北地方の町の名)から来ました」と枕詞を置くと、こういうことにならないことを経験的に知っています。)

また、極めて意外なことなのですが、イサーン人は基本的にタイ語がうまくないのです。 だから、僕が、頑張って勉強した難しいタイ語を話すと、かなり高い確立で実は通じてなかったりします。



結果的に僕は、タイ語も中途半端、しかし、イサーン語も話せない、というきわめて宙ぶらりんな状況に陥っています。 実は、バンコクに戻ると、この万年スランプ状態から脱出できる事も知っているのです。 バンコクでは僕が話すタイ語がきちんと通じことも知っているのですが...。



このつらい状況を何とか脱出しようと思い、ラオスにしばらく留学する決心をしたこともあります。 ラオス語は、イサーン語と若干違うのですが、イサーン語は、基本的にラオス語の方言なので(ラオス語の方が単語が多い)上位互換性があるのです。

そう思って、ラオスにしばらく住んで、タイ語をやめて、ラオス語だけを話すようにしたのですが、実際、少し話せるようになりました。

でも、ここが、また、イサーンとラオスの難しいところで、イサーン人の猛反対にあって辞めてしまいました。

これが何故こういうことになるのかに関しては、イサーンの成り立ちに関する隠された歴史的な知識が必要なのですが、イサーン人は、イサーン語がラオス語の方言である、ということを決して認めないのです。 自分たちは自分たちの言葉をラオス語と呼ぶのにです。

ラオス語を勉強すれば、イサーン語が話せるようになる、というのは、外人にしてみれば唯一の突破口なのですが、イサーン人は、そんなバカな話があるかと、一蹴に付します。

というわけで、出口のないラオス語学習方法を探して迷っています。 学習書だけが山積になっていく状況です。

僕は、前にも後ろにも進めません。 イサーンでは、外人にタイ語を話させるくせに、実は通じてないし、自分らはイサーン語を話して、かといってイサーン語を話させてもらえません。

このことは、未だにずいぶんと悩んでいます。




かくして、僕は、普段口に出している言葉と、言語スキルに、密接な関連がある事を感じています。

ところで、普段話さなくても母国語である日本語だけは、絶対忘れません。 これも、何故なのか考えてみた事があるのですが、多分、普段頭の中で日本語で考えているからではないでしょうか。

実は、一時期、全部英語で考えるという事を決心した事があったのですが、実際この頃が一番英語が得意でした。

良いアイデアですが、でも、英語で考え始めると、色々と生活に支障をきたす事もないでしょうか。

個人的に僕は、プログラムを組む時は、必ず日本語で考えるようにしています。 プログラムを作った結果は、何語で考えたにせよ、非常に厳しい競争に晒される運命にあり、自分が最も使い慣れた言葉でなければ、この厳しい競争に勝ち抜けないからです。

僕は少し特殊ですが、そうでない場合でも、自分が最も使い慣れた言葉で考える事を辞めるということは、その言葉に対する慣れの度合いにもよって、行動が遅くなったり、論理な行動が出来なくなったり、挙動不審になったり、問題解決が遅くなったりと、色々な支障を生み出すこともあるように思います。


余談ですがプログラミングに関する文章の多くは英語であるということも、なかなか悩ましいところです。 自分の思考が英語で運営されていると、この膨大なナレッジベースに直にアクセスできるという大きなメリットがあるからです。

僕は、もし自分の言葉を選ぶ事ができたとしたら、絶対に英語を選んでいたと思います。 しかし、日本語は、日本人である僕にとっては、なんだかんだといっても、これを話しながら大人になり、最も長く慣れ親しんでいる言葉であり、最も上手に使う事ができる言語です。 自分の言葉を大切にする事は重要だと思います。




話が超長くなってしまったのですが、結果的に「語学は才能」といわれると、僕は、結構違和感を覚えてしまうのです。 どちらかと言うと「語学は環境」といったほうが、自然な感じがします。

もちろん人それぞれ得手不得手があり、人によって方法はまったく違いますし、一概には言えないのですが...。





P.S.
余談ですが、この文を書いていて、自分の頭の中で考える言葉をまた変えてみるのも悪くないかな、と思い始めました... が、しかし...。

前、アメリカから日本に帰ってきたとき、頭の中英語をずっと実践していたのです。 ですが、そうやって考えていても、自分が考えている事が周囲の誰にも通じないのだという、確固としたものすごい寂しさというかなんというか、だんだんカルチャーギャップが膨らんでいくのを感じるようになって辞めてしまいました。 不自由な日本に関するグチばかり増えますし...。

少なくとも周囲にその言葉が通じる人がいないと、なかなか張り合いが出ないものです。


P.S.2

また、更に余談なのですが、タイ語に変えるにしても、タイ語は元々あまり論理的な物事の説明に向いていない様な気が、今でもしてます。 この間、国境の入管で、担当者によって新しい入国法の滞在許可日数の解釈がかなり違うのを見てビビッてしまった... 僕が後何日滞在できるのかは未だに謎です。

色々と難しいです。

しかし、タイ語は仏教の心を学ぶのにはとても向いている言葉だと思います。

コメント一覧
ジャコビ   2007年04月16日 12:39
読破しました!

「語学は才能」と書いたのは、自分があまり苦労せずに英語を覚えたことと、3歳の息子の言葉の発達と同年齢の子供たちの言葉の発達を見ていて思った事に基づいています。

子供は、必ず周囲の人々が話している言語のみを学習するので、そういう意味では「語学は環境」なのかも知れません。でも、子供のなかにも早く言葉を話しはじめる子供、なかなか話し始めない子供、2歳前に二カ国語が話せる子供、などいろいろいます。

一部の例外を除いて、全ての子供が遅かれ早かれ言葉を話すようになるのですが、例えばかなり早めに言葉を話し始めた子供は、言語学者にはならなくても、語学の学習に向いていると聞きました(向いているか向いていないか、その程度の事です)。

おそらく語学は環境がなければそもそも学習できないのでしょうが、才能があれば学習にスピードがつくのだろうと思います。

付け加えれば、私はビジネスの才能は皆無ですが、会社で働くのは堪え難いので、数々の失敗を繰り返しながらも、フリーランスをしています。毎日、「あきらめない事」と自分に言い聞かせています。
ごーやん   2007年04月16日 13:54
僕のしょぼい日記が、おかあつさんの語学考のわずかでさえ刺激になったなんて光栄です。

それにしてもタイDJトーク!(笑) 笑えるなー!僕も前から気付いてましたが、あれって技術的な問題かと思ってました。日本のFMやったら、DJがしゃべってても後ろでちゃんと音楽が聞こえてるのに、タイの場合ほぼ完全に音楽が中断されてしまうでしょ。ていうかあれをマスターしたいおかあつさんも凄い(笑)。確かに上手にやろうと思うと相当難しいでしょうね。

>語学というのは「話して通じる」経験がないと、
>「聞く」経験がどんなにあっても話せるようにはならないのだ

これホンマですよね。特に僕の場合は、この話すというプロセスの前にある程度の基礎学習(発音・語彙・文法)をやっておかないと、会話から学んだことが脳に入りにくいどころか、ほとんどなにも耳に入ってきません。歳いったからかなー(泣)。

>結果的に「語学は才能」といわれると、僕は、結構違和感を覚えて
>しまうのです。 どちらかと言うと「語学は環境」といったほうが、
>自然な感じがします。

たしかに語学の天才という人たちはいます。僕も何人か知ってます。ちょっと聞いたり喋ったりしただけで話せるようになってしまう憎たらしい奴らです(笑)。でも人間のほとんど、もう99%と言ってもいいくらいの人たちは努力や環境が整わないと語学達成は難しいのが現実でしょう。

おかあつさんもおっしゃってますが、(一般人にとって)努力は必要不可欠で、やはり環境だけが良くてもだけです。僕はカナダで何人もカナダ暦◎◎年なのに英語(もしくは仏語)が下手な人に会いました。それはタイでも同じです。環境と努力の両方があって効率の良い成長が望めるんでしょう。

あと語学でそれなりの成功を収めるには、自己分析がとても大切になってくると思います。僕の場合は、特に英語を始めたころ、分法的なルールを覚えたりスペルを覚えたりするのは得意でしたが(分析的・視覚的)、発音やリスニングが苦手でした(聴覚的)。そういう自分の傾向を踏まえた上で学習プランを練ったので、少なくとも英語に関してはそれなりのレベルに達することができたと自分では思っています。

自分の長所と短所をある程度理解しておくと、学習書で勉強しているときやタイ人の友人と話しているときでも差が出てくると思います。
ちえぞう   2007年04月16日 15:11
読破しましたよ(笑
海外に行ったことがないです。
英語の授業は嫌いでなかったし不得意ではなかったけど、英語で話しかけられてもゆっくりならおおまかに意味は分かっている(と思う)けど、話すことはあまりできません。
そんな私が海外に行く機会が増えてしまうかもしれない環境になりそうです。
英語を久々に勉強してみようかなって思っていたので興味深い日記でした。
みにまゆ   2007年04月16日 21:20
よ・・・・




読めたぁぁあ(^口^)
やったぁぁ♪

考えをタイ語にしてたこと私もあります!
そしたらうっかりタイ語が出てきちゃって
何言ってるん?と、ドン引きされました・・・。
気をつけないとですね・・・。
kikuyan   2007年04月16日 23:15
読破~♪

ここ一週間で、

プログラム言語というのは、そもそも「間違っててもデタラメでも何でもとにかくどーにかして動かす」というスキルが身についてないと、どんなに頑張って勉強しても面白い様にどんどん忘れていくのだ。 正しく書けるかどうかは問題じゃない

...ってことを実感(笑)
 
出展 2007年04月16日06:09 『考える言葉 (注超絶長文)』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




おかあつ日記メニューバーをリセット


©2022 オカアツシ ALL RIGHT RESERVED