自分が見えない日本 (ニュース)
2007年04月02日23:55
日本人は、個性がないとか、日本らしさを失ったと、感じてこういうことをよくしますが、でも、外国から見れば、何も努力しなくても十分個性的で日本人らしいと思われているのは、間違いないような気がします。
日本人は、「外人はすぐ『ゲイシャ、フジヤマ、チョンマゲ、ワキザシ』って言うからなぁ」って思っていますが、いまどきそんなことないのではないかと僕は思います。
外国で、日本人の歴史上の人名をググれば、トップに出てくるのは日本のサイトではなくて、中国のサイトです。 そういうサイトには日本のサイト顔負けに、ものすごく事細かなことが書かれています。 中国では、反日教育が... なんて日本人の思い込みで、みんな実は本当の事を日本人が知っている以上に知っているのではないかという気がしてきます。
マンガ・歌謡曲・ファッション・音楽・ドラマ・etc etc... どれもこれも、極めて日本人的な文化ではないでしょうか。
日本に居るとなかなか気が付きづらいものですが、こういう繊細で手の込んだポップカルチャーは、絶対に日本以外では発展しないもののようです。 こういう文化が発展する背景には、日常の中に、空気のように当たり前のように溶け込んでいる、武士道や禅の伝統的な考え方が根付いていることが、あると僕は思います。
日本に住んでいると、あんまりにも目の前にありすぎてわからないのではないでしょうか。 外国に住んでいると、そういう武士道の考え方や禅の考え方が、突如無くなってしまい、それが異端の考え方として受け止められてしまうので、そのことが痛く感じられます。
この文章を読んでいるあなたは、そんなことあるか? とか思われるでしょうか。
「うぬは、最強を目指すために哀しみをまとったか」とか「自分より強きものとの闘いの中で自らの拳をつかむ」とか そういう言葉、聞いたことありませんでしょうか。 (マンガ北斗の拳のセリフです。)
「×××道」って言う風に 「道」という単語を使ったマンガ、よく見かけませんでしょうか。「料理道」「ミニ四駆道」「バイク道」「マンガ道」とか...
何かのんびり仕事をしていると、「気合が入ってないぞ」とか言われたことがないでしょうか。
すぐ諦めると「根性がないな」と言われることはないでしょうか。
仕事中に「スケジュール管理を極める」とか「システム手帳術を極める」とかいうように「極める」という言葉を使うことが多くないでしょうか。 仕事が終わり、楽しいお酒を飲む時間にさえ「日本酒を極める」とか「つまみを極める」とか、そういう言葉が出てくるように思います。
「道」とか「極める」とか「気合」とか、そういう言葉は、恐らくは、昔は禅や武士道の中から生まれてきた言葉ではないかと思うのです。
今では武道を真剣に極めようとしている人は一般的ではないかもしれませんが、バンドや、マンガ書き、ミニ四駆・プラモ・ラジカセ・料理や酒ききなど... そういう遊び的なものを極めようと真剣に頑張っている人は今でも沢山居ます。
平成時代にはいって「いまどきそんなことをやっているやつは居ないだろう」と日本人は思っているかもしれないですが、こういう風に形を変えて、今でも日本人の気持ちの中に行き続けているのではないでしょうか。
このような「道を極める」という武士道や禅の考え方があるからこそ、アングラ文化・マンガがこれだけ発展し、バイクやクルマ作りがこれほどまで発展できるのではないかと僕は思います。
◇
ほとんどギャグマンガの領域にはいっていますが、「北斗の拳」に出てくる話は、武士道の影響を大きく受けています。 しかもこの漫画は今の20~30代の人で知らない人は居ない程著名です。 好きな人は、セリフの一つ一つを全て暗記してしまうほどに何度も読んで、実際にセリフを全て覚えている人も、少なくないのではないでしょうか。
「うる星やつら」出てくる逸話は、外人には極めて理解が困難なファクターがあります。 何故、この女の子はトラの服を着て、電気を出して、角が生えており、それが何故日本では面白いと考えられているのか。 それは、空に「高木ブー」の様な「かみなり様」の住んでいない異文化圏の人にとっては極めて理解困難です。 では高木ブーが何故面白いのか。 これを異文化圏の人が理解するためには、日本人の自然観・死生観を深く理解している必要があります。
僕はタイに住んでいて、これら日本のポップカルチャーは、日本人が思っている以上に、極めて日本的なのではないかと感じる事は少なくありません。
◇
日本人が外国に出て、日本文化を広めるとかいうことになると、とたんに、華道とか園芸とか茶道とか、普段触った事もないような、なじみのないことをはじめることが多い様な気が、僕はします。
もちろん、そういう古い伝統文化も日本文化の一つです。
ですが、目の前に、もっと面白くて、伝統と新しさを兼ね備えたもっとユニークで日本人らしいものが沢山転がっているのに、日本人はそれに全く気が付きもせず、自分の特殊な面ばかりを外国人にアピールしてしまいがちなように思います。
ですが、 ... そういうというところも 日本人らしさの一つなのかな、と最近は思います。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=185924&media_id=2
<美しい国づくり>平山郁夫氏らで有識者会議
(毎日新聞 - 04月02日 19:01)
塩崎恭久官房長官は2日の記者会見で、安倍晋三首相が1月の施政方針演説で表明した「美しい国づくり」プロジェクトの企画・審議を行う有識者会議の設置を発表した。「美しい国づくり」企画会議と題し、座長には日本画家の平山郁夫氏が就任。今夏までに具体的なプロジェクトを始動させる方針で、3日に首相官邸で初会合を開く。
会議は平山氏ら有識者委員12人と塩崎長官、世耕弘成首相補佐官(広報担当)で構成する。会議を通じて漠然とした「美しい国」のイメージを具体化し、肉付けしたい考えだ。
有識者委員は以下の通り。(敬称略)
座長・平山郁夫(日本画家)▽石井幹子(照明デザイナー)▽井上八千代(京舞井上流五世家元)▽岡田裕介(東映社長)▽荻野アンナ(作家、慶大文学部教授)▽川勝平太(静岡文化芸術大学長)▽庄山悦彦(日立製作所会長)▽田中直毅(国際公共政策研究センター理事長)▽中西輝政(京大人間・環境学研究科教授)▽弘兼憲史(漫画家)▽松永真理(バンダイ取締役)▽山内昌之(東大大学院総合文化研究科教授)【渡辺創】
日本人は、「外人はすぐ『ゲイシャ、フジヤマ、チョンマゲ、ワキザシ』って言うからなぁ」って思っていますが、いまどきそんなことないのではないかと僕は思います。
外国で、日本人の歴史上の人名をググれば、トップに出てくるのは日本のサイトではなくて、中国のサイトです。 そういうサイトには日本のサイト顔負けに、ものすごく事細かなことが書かれています。 中国では、反日教育が... なんて日本人の思い込みで、みんな実は本当の事を日本人が知っている以上に知っているのではないかという気がしてきます。
マンガ・歌謡曲・ファッション・音楽・ドラマ・etc etc... どれもこれも、極めて日本人的な文化ではないでしょうか。
日本に居るとなかなか気が付きづらいものですが、こういう繊細で手の込んだポップカルチャーは、絶対に日本以外では発展しないもののようです。 こういう文化が発展する背景には、日常の中に、空気のように当たり前のように溶け込んでいる、武士道や禅の伝統的な考え方が根付いていることが、あると僕は思います。
日本に住んでいると、あんまりにも目の前にありすぎてわからないのではないでしょうか。 外国に住んでいると、そういう武士道の考え方や禅の考え方が、突如無くなってしまい、それが異端の考え方として受け止められてしまうので、そのことが痛く感じられます。
この文章を読んでいるあなたは、そんなことあるか? とか思われるでしょうか。
「うぬは、最強を目指すために哀しみをまとったか」とか「自分より強きものとの闘いの中で自らの拳をつかむ」とか そういう言葉、聞いたことありませんでしょうか。 (マンガ北斗の拳のセリフです。)
「×××道」って言う風に 「道」という単語を使ったマンガ、よく見かけませんでしょうか。「料理道」「ミニ四駆道」「バイク道」「マンガ道」とか...
何かのんびり仕事をしていると、「気合が入ってないぞ」とか言われたことがないでしょうか。
すぐ諦めると「根性がないな」と言われることはないでしょうか。
仕事中に「スケジュール管理を極める」とか「システム手帳術を極める」とかいうように「極める」という言葉を使うことが多くないでしょうか。 仕事が終わり、楽しいお酒を飲む時間にさえ「日本酒を極める」とか「つまみを極める」とか、そういう言葉が出てくるように思います。
「道」とか「極める」とか「気合」とか、そういう言葉は、恐らくは、昔は禅や武士道の中から生まれてきた言葉ではないかと思うのです。
今では武道を真剣に極めようとしている人は一般的ではないかもしれませんが、バンドや、マンガ書き、ミニ四駆・プラモ・ラジカセ・料理や酒ききなど... そういう遊び的なものを極めようと真剣に頑張っている人は今でも沢山居ます。
平成時代にはいって「いまどきそんなことをやっているやつは居ないだろう」と日本人は思っているかもしれないですが、こういう風に形を変えて、今でも日本人の気持ちの中に行き続けているのではないでしょうか。
このような「道を極める」という武士道や禅の考え方があるからこそ、アングラ文化・マンガがこれだけ発展し、バイクやクルマ作りがこれほどまで発展できるのではないかと僕は思います。
◇
ほとんどギャグマンガの領域にはいっていますが、「北斗の拳」に出てくる話は、武士道の影響を大きく受けています。 しかもこの漫画は今の20~30代の人で知らない人は居ない程著名です。 好きな人は、セリフの一つ一つを全て暗記してしまうほどに何度も読んで、実際にセリフを全て覚えている人も、少なくないのではないでしょうか。
「うる星やつら」出てくる逸話は、外人には極めて理解が困難なファクターがあります。 何故、この女の子はトラの服を着て、電気を出して、角が生えており、それが何故日本では面白いと考えられているのか。 それは、空に「高木ブー」の様な「かみなり様」の住んでいない異文化圏の人にとっては極めて理解困難です。 では高木ブーが何故面白いのか。 これを異文化圏の人が理解するためには、日本人の自然観・死生観を深く理解している必要があります。
僕はタイに住んでいて、これら日本のポップカルチャーは、日本人が思っている以上に、極めて日本的なのではないかと感じる事は少なくありません。
◇
日本人が外国に出て、日本文化を広めるとかいうことになると、とたんに、華道とか園芸とか茶道とか、普段触った事もないような、なじみのないことをはじめることが多い様な気が、僕はします。
もちろん、そういう古い伝統文化も日本文化の一つです。
ですが、目の前に、もっと面白くて、伝統と新しさを兼ね備えたもっとユニークで日本人らしいものが沢山転がっているのに、日本人はそれに全く気が付きもせず、自分の特殊な面ばかりを外国人にアピールしてしまいがちなように思います。
ですが、 ... そういうというところも 日本人らしさの一つなのかな、と最近は思います。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=185924&media_id=2
<美しい国づくり>平山郁夫氏らで有識者会議
(毎日新聞 - 04月02日 19:01)
塩崎恭久官房長官は2日の記者会見で、安倍晋三首相が1月の施政方針演説で表明した「美しい国づくり」プロジェクトの企画・審議を行う有識者会議の設置を発表した。「美しい国づくり」企画会議と題し、座長には日本画家の平山郁夫氏が就任。今夏までに具体的なプロジェクトを始動させる方針で、3日に首相官邸で初会合を開く。
会議は平山氏ら有識者委員12人と塩崎長官、世耕弘成首相補佐官(広報担当)で構成する。会議を通じて漠然とした「美しい国」のイメージを具体化し、肉付けしたい考えだ。
有識者委員は以下の通り。(敬称略)
座長・平山郁夫(日本画家)▽石井幹子(照明デザイナー)▽井上八千代(京舞井上流五世家元)▽岡田裕介(東映社長)▽荻野アンナ(作家、慶大文学部教授)▽川勝平太(静岡文化芸術大学長)▽庄山悦彦(日立製作所会長)▽田中直毅(国際公共政策研究センター理事長)▽中西輝政(京大人間・環境学研究科教授)▽弘兼憲史(漫画家)▽松永真理(バンダイ取締役)▽山内昌之(東大大学院総合文化研究科教授)【渡辺創】
コメント一覧
退会したユーザー 2007年04月03日 18:02
初めまして。ニュースを辿りました。
前日の日記をずっと読んでいるうちに・・・
なんと一時間くらい経ってました(笑)。
貼られたリンクやコメント残された方の日記なども巡り、
ほとんどをとても興味深く読ませていただきました。
それにしても錯覚のリンク・・・心臓が飛び出ました。
以前から似たようなものは知っていましたが、
日記の流れから、まさかあのようなものが・・・。
思い込みは怪我の元です(笑)。
日本人らしさについては「江戸しぐさ」がそのひとつだと思っています。
単純でかつ深い教えのある美しいしぐさです。
生きる上で大切な所作としてあらためて認識されるくらい
当たり前でなくなっているのが寂しいことですが。
また遊びに来ますね。
前日の日記をずっと読んでいるうちに・・・
なんと一時間くらい経ってました(笑)。
貼られたリンクやコメント残された方の日記なども巡り、
ほとんどをとても興味深く読ませていただきました。
それにしても錯覚のリンク・・・心臓が飛び出ました。
以前から似たようなものは知っていましたが、
日記の流れから、まさかあのようなものが・・・。
思い込みは怪我の元です(笑)。
日本人らしさについては「江戸しぐさ」がそのひとつだと思っています。
単純でかつ深い教えのある美しいしぐさです。
生きる上で大切な所作としてあらためて認識されるくらい
当たり前でなくなっているのが寂しいことですが。
また遊びに来ますね。