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2007年4月1日日曜日

思考と温度 (mixi05-u459989-200704011935)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
思考と温度
2007年04月01日19:35
ソンクラーン祭りの前ですが強烈に暑くなってきました。

僕は、仕事=プログラミングをするときは、クーラーを強くかけた部屋で仕事をします。 折角タイにいるのに何でわざわざ高いお金をかけて部屋を寒くするのか、と思うかもしれません。

これは、実は、ある意味タイ風でもあるのです。

タイで暑くなると、「あちー」とかそういうレベルははるかに通り過ぎているのです。 暑くなると普通の人は昼寝をします。 体力を奪われるので、無理をしない程度にゆっくりします。 だいたいこれぐらい暑くなると起きていられません。

要するに、これだけ暑いと頭がぼんやりしてきて仕事にならないのです。 だから、頭を使う仕事をする人は、仕方が無いのでクーラーを寒いぐらいにガンガンかけて仕事をします。 寒くてもう一枚はおるぐらいにするとちょうど良いと考えられているようです。




でも、タイに来てそろそろ2年になるのですが、色々な経験から言って、寒くすると怒りっぽくなる様な気がします。

僕は、寒くした部屋の中で色々と考え事をしたり、仕事をしたり、身の回りのことを考えたりします。 生活していれば、色々と問題も起こるのでそれについて考えたりもします。

ところが、そうやって考えた事をタイ人に伝えると、タイの人の国民性からいって、いろいろなことが曖昧なまま過ぎ去っていきます。 問題が起こっても、原因の追究は曖昧になり、ずっと問題を引き起こし続けていたりするのです。 何とかしようとするのですが、大体そういう努力は水泡に帰します。 相変わらず問題は発生しており、困った困ったと言っているのですが、でも、相変わらず問題はそのままなのです。

そうすると、段々イライラしてきて、爆発します。

そうすると、「日本人は怒り易い」とか「日本人は心が狭い」という評価につながり、遂に我慢できなくなった日本人は日本に帰ります。



今日は久しぶりに日曜日で、表に出たのですが、しかし、強烈に暑いのです。 サウナの中、それも、あの石が赤く焼けているサウナストーブのまん前に立っているような、焼けるような暑さです。

そうやって色々と考えて、普段はイライラしているのですが、表に出てサウナの様な気候の道を歩いていると、実際にサウナにいるような爽快な気分になってきます。 そうやって、歩いていると、色々と細々と考えていた事が、段々どうでもよかったのではないか、という気がしてきます。

KFCに行ってカウヤムカイセープを食べました。 これは、KFCのタイスペシャルメニューで、トウガラシとフライドチキンの細切れ、玉ねぎ、ホームという香りの強い玉ねぎ、もち米の粉などを混ぜてご飯にかけて食べる料理です。 恐らくライムも沢山搾ってあると思います。 凄い酸っぱ辛いのです。

これを食べると汗がどっと噴出してきて、更に輪をかけて爽快な気分になります。

それは ... 確かに相変わらず色々問題を抱えてはいるのですが、それはともかくとして、「まぁ~ そんなに目くじらをたてなさんなって(´-`)」と言い放って、全てを投げ出して、道端にハンモックをつるして2~3週間ゆっくりしたくなるような、爽快な気分です。



タイ人は相当いい加減だと思うのですが、じゃぁ実際日本が凄くうまく行っているかといえば、そんなにうまく行っているといえないのではないでしょうか。

少子化問題とか年金問題とか高齢化問題とか、色々と言われています。うつ病、いじめ、自殺者というような気持ちの問題が急速に増えているのではないでしょうか。

... 僕は最近よく思うのですが、論理的な思考というのは、心の問題を先鋭化させるのではないでしょうか。

論理的に考えて、色々な問題をギリギリまで追及して解決するという行動は、最終的には人から幸福感を奪うのではないかと思うのです。

人は、最初、幸せになりたいと思って、論理的思考を駆使していくわけですが、 論理によって様々な問題を解決することができ、結果的に社会を発展させることができますが、最終的に行き着いた場所であたりを見回してみると、最初に求めていた幸せはどこにも見当たらなかったりします。 不思議な事ですが...。


タイには、西洋人がとても多いのですが、西洋の国というのは、ギリギリまで合理的に追求した結果、あまり幸せじゃなくなってしまった人が、気持ちを最優先に考えるタイに惹かれて住み着いてしまうというケースが多いような気がします。



歴史に残るような大天才で、素晴らしい人格者だったという話を聞く事よりも、凄い奇癖と激しい性格のことを聞く事のほうが多い様な気がします。

僕は、個人的には、そういう奇癖を持って激しく悩む天才が凄く人間的に見えるのですが、一般的に言う人間的で暖かい心と愛情を持った人、では無い様な気がします。 残念な事ですが早く亡くなる方も多い様な気がします。

こういう事実は、「論理的な思考が人の心の問題を先鋭化させる」という言葉を遠くから裏付けている様な気が、僕はします。



南国育ちで、天才、というのも余り聞かない様な気がしますが、南国育ちで、うつ病になって自殺してしまった、という人の話も余り聞かない様な気がします。 暖かいと、細かい問題はどうでもよくなってきて、あまり論理的な思考が働かないからじゃないかという気がします。

問題が山積で幸せな南国育ちと、問題は少ないのに余り幸せで無い北国育ち。 これは、なんとなく「問題の存在」と「幸福感」が別の次元のものである事を窺わせないでしょうか。




そういえば、この間ニュースで原発事故隠蔽が話題になっていました。

何故、原発事故が隠蔽されるのでしょうか。 それは、原発事故が起こると、怒られてややこしい事になるからです。

「原発事故、起こっちゃいました」というと「だから原発は危険なんだ!」 「管理体制がナットラン!」「気がたるんどる」「受かれとる」と精神論が飛び交った挙句、「責任をとらされる」... つまりマスコミのさらし者になったり、仕事を首になったり、刑事罰が下ったりして、人生が破綻するからではないでしょうか。 僕はなんとなくこういう言葉は、問題を解決するという視点に欠いていると思うのですが...。


例えば、「えー原発事故... 起こっちゃいました。ごめんなさい」と言ったら、報奨金が1000万円ぐらい出て、報道関係の人が「偉い!よく正直に言った! こういうやつが社会をよくするんだ!」 ってほめて、世論が「問題をはっきり言ってくれ。俺らも一緒に考えよう!助け合おうじゃないか!」ってなるのなら、多分、事故は隠蔽されないでしょう。

「今後、『襟を正して』いただきたい」とコメントしていましたが、どんなに襟を正しても、どんなに頑張っても、起こる問題は起こるでしょう。


日本全体が『襟を正して』いたら、少子高齢化や年金問題が解決して、幸せになれるんでしょうか。



コメント一覧
竹風鈴   2007年04月01日 23:55
イベントやデパートでアジア各国の人たちと一緒に出店することが多いのですが、全く売れない、お客さんも来ない・・なんて時のイライラ度がやはり日本人と少しちがうような気がします。
で、イライラが顔に表れていると余計お客さんが寄り付かなくなったりします・・。 (~_~;)

タイ人のそれとは少しちがうのかもしれませんが、
「いつも売れる日ばかりではない。今日はほかの人が売れる日だ。神様は私が売れる日もちゃんと用意してくださる。」
というイスラム教の人の言葉など、「楽天的」の一言では片付けられないものを感じます。

「宣伝はキチンとしたのか?」とか「出店料を返せ。」とか企画者に詰め寄るのは確かに欧米の人に多いかもしれません。

>そうすると、「日本人は怒り易い」とか「日本人は心が狭い」という評価につながり、遂に我慢できなくなった日本人は日本に帰ります。

そういえば5年近く暮らしている友人も「自分は恵まれていない、とか本当はこうしたい、とか不平言ってるわりに何も手を打とうとしない。」同じようなイラ立ちについてよく語っています。

その友人は帰らずにまだまだがんばっていますよ。


>例えば、「えー原発事故... 起こっちゃいました。ごめんなさい」と言ったら、報奨金が1000万円ぐらい出て・・・・・

う~んなるほど、斬新な意見ですね。笑ってしまいました。
誰だって非難されたりマスコミの袋叩きに会うようなことをわざわざしたくないですものね。
 
出展 2007年04月01日19:35 『思考と温度』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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