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2007年2月27日火曜日

管理人のチェンマイ雑記 (isaan05-c987254-200702271432)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
管理人のチェンマイ雑記 (おかあつ)
2007年02月27日 14:32
今まで、管理人おかあつは、チェンマイという場所に行った事がありませんでした。 しかし、諸事情にあって(^-^;20日ごろからチェンマイに駆けつけていました。 昨日、ようやく帰ってきました。

今回、色々なトラブルが原因でウドンタニーを飛び出してチェンマイに向かったのですが、非常に忙しくて日記を書くどころの騒ぎではありませんでした。

とにかく帰って落ち着いたので、まことに勝手ながら(^-^; 例によって雑感を書いてみたいと思います。




・ウドンタニー~チェンマイの移動は大変

 週三便だけ飛行機が飛んでいるのですが、これを逃すとバスで山道を15時間という苦行の様な移動をすることになるそうです。 飛行機もバスぐらいの大きさのプロペラ機でした。 「キーン」という甲高いジェットサウンドとは程遠い「ぶーん」という音が、ちょっと懐かしい雰囲気をかもし出している飛行機で、のんびりと移動しました。

というわけで、ウドーンとチェンマイの間は、商業的にも文化的にも意外と没交渉です。


・チェンマイの人は普段「パーサーヌア」を話す

 着いてすぐ気が付いたのですが、みんなラオス語の様な変った言葉を話しているのです。 これがパーサーヌア(北部語)か... と思いました。

北部で北部語が話されているのは有名な事ですし、当然なのですが、イサーンから来ると現地語というものはコソコソと隠れて話すべきものであり、そういう状況を当たり前のように慣れ親しんでいたので、飛行場や公共の施設で仕事として堂々と話している姿は意外な感じがしました。


・チェンマイは本屋が多い。

 これもすぐ思ったのですが、下手をしたらバンコクよりずっと本屋が多いのではないかと思いました。 巨大なフロア内にひたすら教科書が置いてある本屋とか、かなり専門的な本もそろっていて本好きとしては、非常に嬉しいものがありました。 古本屋も充実していました。

・チェンマイはカフェが多い

 カフェも圧倒的に多くて、ブラックカニョン・94・スタバもあるし、なんでもあります。 カフェで本を読んで書き物をする習慣がある僕としては、カフェを気分と時間に合わせて選べるというのは、非常にありがたかったのです。

余談になりますが、ウドンタニーでは、喫茶店といえばロビンソンデパートの一階の休憩所しかありません。 しかも、この喫茶店は催し物場の隣にあっていつも騒々しいのです。


・静か

 本屋・カフェの上記二つに加えて、街が全体的に静かなのも面白いなと思いました。 あまりそういう言い方は好みではないのですが、街の静かさというのは、住む人の知的な度合いに比例する様な気がするのです。 (気のせいか、関東のジャズはことごとく騒々しい様に思いますが。) チェンマイの人っていうのは、知的なものを重んずる文化があるんでしょうか。

街の真ん中にある四角い城壁の中の地域に一歩踏み入れると、街のど真ん中にもかかわらず、しいんとしていてとても静かでした。 どこに行っても必ず爆音でモーラムをかけているオバチャンがいるイサーン地方とはちょっと違うなと思ってしまいました。


・山が見える

 僕は、生まれてからずっと横浜・東京と来ていたので、夕方になると夕日に照らされた富士山が見えるという風景に小さい頃から慣れ親しんでいました。 細かい事ではありますが、外国に来ると、山が見えない風景に意外と違和感を感じてしまうのです。

チェンマイは夕方になると山が見えるのが、どことなく関東の風景と雰囲気が似ていて、関東者としては、落ち着くものがありました。


・物価が異様に安い

 ウドンタニーで、30~40バーツする、モーガティアムラートカウが、20バーツで売っている店があるのには、恐れ入りました。 教えてもらったら、豚肉の単価がすごく低いのだそうです。 キロ70バーツとかで売っていて、もっと安いのもあるとか...。 ウドンではキロ100バーツぐらいするうえに利益も薄いのです。

それだけではなくて、タクシー・サムロー・トゥクトゥクも、ほとんど、ぼらないのですごく好感が持てました。 いつも赤い流しのソンテウ(トラックの荷台に座席をつけたタイ式のバス)が走っていて、これを捕まえれば、どこに行くのも20バーツという、ウドンタニーではなかなか考えられないような便利さでした。


・ホテルが異様に安い

 結構綺麗で日当たりの良いゲストハウスが、300~400バーツというのが当たり前でした。 また、 アパートで日貸しをしているところがあるみたいです。 そういうところでは更に破格で宿泊できるのだそうです。

僕は、何もわからずにチェンマイに来たのです。タクシーの運転手に「とにかく適当にホテルつれてってよ」と言ったら、一軒紹介してくれました。 小奇麗なエアコンつきのダブルで700バーツでした。 そこそこの値段だと思いました。 なんて観光客に親切な街なんだろう、と思いました。

翌日、ちょっと奥まったところにある、同等の隣のホテルを見たら500バーツぐらいでした。 ははぁ... と思いました。 多分ですが、要するに、タクシーの運ちゃんがこのホテルを紹介するごとに、ホテルは、100バーツぐらい運ちゃんにバックしているらしい事を悟りました。

実際、ホテルにつくや颯爽と受付に向かう運ちゃんに値段を交渉させないように、ちょっと手前で降りて歩いてホテルに入れば、交渉次第で値段を安くすることが出来るみたいです。

ただし、運ちゃんとの関係は非常に悪化します。 運ちゃんには「xxホテル周辺。 手前で降りて自分で探す。行くだけ。値段は50バーツ」という感じで価格交渉に挑むのですが、運ちゃんにしてみれば、異様に事情に精通した気味の悪い外人で、しかも何のうまみも無い客な訳で、ムッとされます。
(^-^;


余談ですが、翌日、安い部屋に変えてもらおうと思って頼んだのです。 エアコン無しでいい、と言ったら満室だと言われてしまったのです。 でも実は空き部屋がある事を後で知ってしまったのです。 あまり事情を知らない外人相手には、何も言わずに高い部屋を割り当てたりとか、そういうことをするんだな、と思いました。

もっとも、そういう嘘を見抜いて100バーツを節約する外人も同等かそれ以上にイヤラシイものがありますが...。 (100バーツ... 外人にとってはたった300円ですが、タイでは一日飲み食いするぐらいの価値があります。 日本で言う1000円ぐらいの感じがあります。)


・コンヌア(北部人)は金持ち?

思ったんですが、ウドンタニー人より、というか下手したら、バンコク人より、金持ってるんじゃないでしょうか...。 だって、見るとすぐ思うんですが、若者の着ているものが全然違うのです。 こぎれいな服装をして髪をきちんと綺麗にセットしています。それどころか、10代位のクソガキがBMWとか乗り回しているのもしばしば見かけます。

# ... 見ていると、みな、なんとなく顔が中国風な感じもするのです。 言われてみればタクシンとちょっと似ているところがあるような...。 そういえば、タクシンってチェンマイ出身だったような気が...。


実は、ニマンヘミンでクラブに行ったのです。 しかし... なんというかそこはかとなく漂うツンケンした雰囲気には辟易しました。

こんなイサーンに住み着いている僕ですが、スクンビットの入場料が700バーツもするクラブ「ベッド」に入り浸っていた事だってあります。 渋谷だって新宿だって六本木だってハイソ度で行けばこんな地方の田舎クラブとは比べものになりません。

だけど、チェンマイのこのクラブ内に、そこはかとなく漂う、なんとなく人を見下したような雰囲気は、決して心地よくは無いものがありました。 バンコクだって、金持ちは沢山いますが、こんなツンケンしてないです。

また、日本の地方都市の娯楽施設に良く見られる「狭くて人がごった返している駐車場をぼろいカローラに鞭打って100キロ以上のスピードで駆け抜けて近隣を威嚇することに快楽を覚える田舎者」 は、ここにも住んでいました。


大学生向けだから仕方が無いのかもしれないけど、音楽も子供っぽいし、ちょっとなじめませんでした。 ... というか大学生の経済力だけで、ここまで大きな商業施設がペイ出来るチェンマイって一体...?





他にも気付いた事は沢山あったのですが、このあたりでやめようと思います。

イサーンに住み、ラオスに行って、チェンマイに行って、色々見て思ったんですが、結局、イサーン・ラオス・チェンマイ・バンコクというのは、別の国の様なものなのではないかと...。

このうち、イサーンとチェンマイは、文化的にはどちらかというとラオスに近くて、言葉もラオス語に近い言語、それぞれ、パーサーイサーン(イサーン語)とパーサーヌア語(北部語)を話しますし、実はそれだけではなく、かつては実際にラオス領でもあったわけです。 今では、『諸事情』があってタイ領になったということだと思います。

これも僕はよく知らないのですが、チェンマイがタイになったいきさつと、イサーンがタイになったいきさつは、相当に違うのではないでしょうか。

タイ語で話しかけたとき、チェンマイの人は、イサーンの人の様な違和感は感じさせません。 普通にタイ語を話します。

(もっとも、タイ語で話しかけると、どことなく、よそよそしく扱われる様な気はしました。 教えてもらったのですが、 タイ語を話していても、語尾に丁寧語の「チャオ」をつけるだけで、随分と印象が良くなるんだそうです。 ところで、この「チャオ」は、ラオス語の丁寧語と同じだなと思いました。)

恐らく、このタイ王国に対する意識の違いというのは、相当大きいのではないかなと思いました。




余談

まるで違う国の様な文化を持つイサーン(東北部)・チェンマイ(北部)に、南部や東部が加わってタイ王国になるわけですが、そういう国で民主主義ってどうなんでしょう。

ちゃんとした選挙ってうまく行くんでしょうか。

タイでちゃんとした選挙をやると、当然、一番人口が多いイサーン人が最も発言力を持つことになります。 それをやってしまうと、タイはタイでなくなってイサーン国になってしまうわけです。(大きな声では言えないのですが。)

イサーンに重点を置いているタクシンにとっては、イサーンが膨大な票田であることに加えて、タクシンの出身であるチェンマイも巨大なタクシンの票田であるはずです。 そうなれば、当然民主主義的には、本国であるバンコクが最も少数派になってしまいます。 バンコクにとっては、イサーンもチェンマイも基本的には属国であり、それは絶対に認められないというのが本音ではないでしょうか。

タイ政府は、地方出身者の不在者投票や、遠隔投票を認めていないのですが、それはだからなのかな、と僕は思いました。 実は、おいそれと帰郷することは出来ないバンコク在住の地方出身者には選挙権がないも同然なのです。 これは 元々、公平な選挙なんて認めたくないからなのです。 属国人を排除してバンコク人を特権とすることが目的なのです。

でも西洋文化へのタテマエ、そういいきってしまうと、民主的じゃないとか、人権が守られてないとか、トンチンカンな批判を受けてしまう恐れがあるので、そうはいえないわけです。

陸続きの国の歴史は複雑だなと思います。 実際、イサーンがタイになったいきさつというものも、非常に微妙なものがありますが、 イサーン人などクソ食らえと憤っているバンコク人もさりげなく、かなりの比率で中華系だったりするわけで、純粋にタイ人じゃないわけですし...。

タクシンが汚職がすごい... とか言ってますが、恐らく、他の国では結構普通にあるぐらいなものじゃないでしょうか。 もとより、国家公務員の給料が恐ろしく少ない国で、政治家のサイドワークは常識な訳ですし...。 そんなみんなが多かれ少なかれはやってる細かい事をつつくよりは、タクシンがやる経済政策を尊重する方がよほど合理的だと僕は感じます。


でも、実際はそうなっていません。 何故でしょうか。 タクシンがいうような公平な選挙をやってしまうと本国人であるバンコク人は人数的に当然非常に不利だからです。 正当な選挙をしたらタイはあっという間に属国イサーンと属国チェンマイに乗っ取られてしまいます。 正当な選挙というのは、本国バンコクにとってはどう考えてもまずいわけです。


でも、現代を生きるバンコク人は「公平な選挙などクソクラエ」なんて冗談でも口に出せないので、婉曲に英字紙を活用してタクシンの汚職を強調する形で国際世論を操り、カネをばら撒いて民衆によるデモを演出して、どうにかタクシン辞任の方向に向けようとしているのでは、ないでしょうか...。


余談ですが、最近、とあるプロモーションで無料・3ヶ月間定額通話つきという、魔法の様な携帯SIMを入手しました。 しかし... 実際に使ってみたら、1時間に1回 ITVニュースが送られてくるのは、ビビりました。 恐らくは... ITVがスポンサーなのではないでしょうか。 管理人はタイ語の読み書きが苦手なのでどのようなメッセージなのかは不明なのですが ... いずれにしてもタクシン元首相にお礼を言った方が良さそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97


僕は、歴史やそのほかの学問をほとんど勉強した事が無いのですが、日本みたいな島国ではない、陸続きの国というのは、色々な複雑な事情があるのだなと思いました。


管理人が、チェンマイ・イサーン・ラオス・ビルマ史をもっとがんばって勉強しなければならない、と気付いたところで、管理人の独り言=チェンマイ雑記を終わりたいと思います。

(^-^;

参考リンク
http://www.sawadeechao.net/history/history.htm
http://www.sawadeechao.net/bunken/bunken.htm

P.S.
上の文献にある「まんが版 チェンマイの歴史」は、チェンマイの本屋さんで売っているのを見つけました。 思わず購入してしまいました。
コメント一覧
[1]   りあっち   2007年04月21日 14:41
おかあつさま、あたくしも今となっては、パタヤでGOGO-BOYの穴をおっかけてるおばちゃんとイメージを変えましたが、その昔は、「タイなんて臭いところは、人の住むところじゃねぇ」なんて思ってておりました。しかし、旦那の赴任、タイに行ってくれって言われた時は、寝込みそうになりました。

そして、ふと考えた。臭くても、女王さまの暮らしが出来るなら、死んだと思って、賭けてみるか・・そして4年のバンコク暮らし。

しかし、バンコクは性に合わなかった。超ハイソ軍団と毎日のようにパーティー・パーティーで私の興味を失わせた。
パタヤに来るまで、あたくし、英語しか話しませんでしたの。
周りは、みんなどこぞに留学したお方ばかり。タイ語を習ってて、使ってみたいと思っても私のタイ語の質問に英語で返ってくる生活なんて、やってられねぇぜ・・と、パタヤに一人引越し。
旦那は理解があるのと、怖いのとで、文句ひとつ言わず・・・

話は長くなりましたが、チェンマイは学生が多い。
そして、高級別荘地があるんですね。
リージェント・ホテルの周り。あそこらへんは、BKKでも銭ふんだんに持っている貴族がたくさん家を持っている。

実際あたくしも旦那とお呼ばれしてお泊りに行きました。
でも、何が楽しいんだよ。あんなトコ。
気に入ったのは、本屋と、喫茶店と、若いおにいちゃん。
あら?
でも、最近なんか、又、行ってみたい。
年取ると行きたい所なのかも知れない。
空気はいいし、景色もいいし、涼しいし、
最近無駄な暑さでパタヤもつらいと思うリアでした。
 
出展 2007年02月27日 14:32 『管理人のチェンマイ雑記』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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