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2006年9月15日金曜日

「しゃべれる」ようになる時 (isaan05-c987254-200609151712)

おかあつがミクシコミュニティータイ東北イサーン語研究会として著した記事を紹介します。
「しゃべれる」ようになる時 (ごーやん)
2006年09月15日 17:12
イサーン語でもタイ語でもいいんですが、皆さんが「あ~、しゃべれるようになったなー」と思えるようになったのは勉強を始めていつくらいのことでしたか?

といっても、何をもって「しゃべれる」とするかによって答えは変わってくるでしょうから、以下に色々適当な基準をもうけておきました。

シナリオ①:
「アライナ?」を連発しなくてもある程度会話ができるようになった。もしくは向こうに「アライナ?」を連発されなくなった。

シナリオ②:
日常会話では知らない単語が随分減った。

シナリオ③:
(これは会話ではないんですが)テレビのトークショーやお笑い番組が分かるようになった。

シナリオ④:
ニュースが分かるようになった。

私はまだタイ歴8ヶ月の初心者でまだシナリオ①にも達してません(苦笑)。是非みなさんのご意見お聞かせください!
コメント一覧
[1]   おかあつ   2006年09月16日 19:20
遅くなってすみません。 結構難しい内容だったので、いろいろ考えてました。

カミングアウトします。 僕はシナリオ①~シナリオ④ 全てアウトです。 ( おぃ...!) でも、英語よりタイ語の方が明らかに話せている感覚があるなぁ...。

正直、僕も実際タイに来たのは去年の8月で、ウドンタニーに来たのは10月ぐらいなので、ボツボツ1年という感じです。 だから、語学的にはショボショボです。 文字も読めません。

そんな僕が持っているコツというのは...



タイ人は、外人が夢にもタイ語を話すとは思ってないので、いきなりタイ語で話しかけると、何語で話しかけられているのかわからなくなって、混乱する事があるみたいです。

だから、まず、相手にこっちがタイ語を話していることをキチンとアピールして、そのすこしづつ、「あ、それでもやっぱり この人は外人なんだ。タイ人と同じスピードでは話せないんだな。」という点が了承されると、すごくスムーズに会話できるような気がします。 日本人と同じで、タイ人ってすごく外人が苦手なんだと思います。

この辺の機微をつかんでると、タイ語が通じて無くても、かなり高い確立で意思の疎通ができるようになるような気がします。

逆に、タイ人って、外人と見ると必ず一歩距離を置こうとするので、向こうが英語で話しかけてきても意地でもタイ語で貫き通さないと、すぐ外人扱いされてしまうのはあるような気がします。


# いろいろ思うところがあるのですが、うまく文章に出来ない...!
[2]   ごーやん   2006年09月16日 19:39
>結構難しい内容だったので、いろいろ考えてました。

はい、やっぱりいろいろあると思います。スパッとここから話せる境界線なんてことは言えないでしょうから。だから僕も皆さんの、白黒ではない「グレーな答え」を期待していました。


>日本人と同じで、タイ人ってすごく外人が苦手なんだと思います。

それよく感じます。それに比べて英語圏の人々は(人にもよりますが)通常、様々な訛りに慣れてますね。僕が話しかけるとそれほどそうでもないんですが、うちの妻(ファラン)が話そうとすると、普通のタイ人は完璧ビビリます。これがバンコクだとまた違うのかも知れませんが。


>いろいろ思うところがあるのですが、うまく文章に出来ない...!

そのうち思いついたらまた書き込んでください。どんなことでも参考になるのでお願いします!
[4]   おかあつ   2006年09月16日 20:38
>それよく感じます。それに比べて英語圏の人々は(人にもよりますが)通常、様々な訛りに慣れてますね。

それは、タイの人もそうですよ。 このあたりの言葉のなかでは、ラオス語訛りのタイ語や、カンボジア語なまりのタイ語などがあるでしょうから、そういう訛りには慣れているはずです。

ただ、タイ語から英語の場合、発音構造も単語構造も全然違うので、取っ付きが悪いのです。 それに比べてタイ語と日本語は文法こそ違いますが、かなり似てます。

日本語とタイ語・日本語と英語を比べると、絶対タイ語と日本語のほうが、そのものずばりを指し示す表現が多いと思います。

「ヤキトリ」とか 「ありがとうでもなんか悪いなぁ」とか そういう極めて和風な表現って結構タイ語にもありますから...。

>僕が話しかけるとそれほどそうでもないんですが、うちの妻(ファラン)が話そうとすると、普通のタイ人は完璧ビビリます。これがバンコクだとまた違うのかも知れませんが。

これは、ビビッているのではないのです。

基本的にアジアの人は、まず相手の価値観に合わせる習慣があります。 また、そういう人間関係に慣れています。 そういう中で、西洋的なストレートな自己表現をすると、取り付くシマがなくなってしまい、単純に合わせきれなくなってしまうのです。

ウドンタニーには西洋人がとても多いのですが、僕が見ているかぎり、ほとんどの西洋人がここで躓いているように見えます。

バンコクの人が英語を話すのがうまい(人もいる)のは、単にホンネを隠してるからです。 実際には全然違う事考えてます。 その辺、日本と何も変りません。


一度だけ、ラオスから来た西洋人(多分ロシアの人だと思うんだけど...話は出来なかった) を見かけたことがあるけど、その人の話すラオス語はすごくきれいだったので、ものすごい感銘を受けた事がありました。 でもそういう人は実に稀です。


持論で申し訳ないのですが、英語が世界の共通語というのは幻想です。 アジアで英語はなしてると、本当にそう思います。

ふたを開けてみれば、日本人と何も変りません。
[5]   ごーやん   2006年09月17日 11:44
>極めて和風な表現って結構タイ語にもありますから...。

タイ語をやってまだ長くないのでなんともいえないですが、ใจ系の言葉って確かに、日本人的にしっくりするものが多いような気はします。

でもなかにはノーイジャイのように英語の方がコンパクトに表現できるものもありますが。


>西洋的なストレートな自己表現をすると、取り付くシマが
>なくなってしまい、単純に合わせきれなくなってしまうのです。

確かにそういうシーンはよく見ます。

でも妻と僕の例の場合、妻がまだ「すみません、これいくらですか?」と話しかける時点で、相手がすでにあせってるように見えるのです。

そしてよくあるのは、そのタイ人がすぐに僕の顔を見るというパターンです。「おい、お前タイ人だろ?このファラン何言ってんのか教えてくれよ」みたいな顔して僕を見ます。(笑)

これいくらですか?みたいな単純な質問なんだから「はい、90バーツです」ってあっさり答えたらいいようなもんなんですが・・・。


>英語が世界の共通語というのは幻想です。

これはまったくその通りでしょう。世界中で数多くの人が英語を習っているという意味では、確かに英語は世界の共通語的立場にありますが。

これは全然関係ない話なんですが、僕はこの英語という言語が世界をある意味「侵略」していってる現象にものすごく不快感を感じています。

なので、英語をやりたいから教えて!などといって僕や妻のところに来る人達に実際教えるのはものすごく抵抗があるんです。「英語なんかやめときぃーや、もっと他にも面白い言語あるでー」なんてつい言いたくなります。

でも実際、僕自身、英語ができるおかげでこうむってる恩恵は計り知れません。英語が出来た方が得であることはものすごく否定しがたいのです。

でもこの東・東南アジア圏で英語という言語が共通語としてふさわしいのかという疑問はいつもあります。英語という言語が少なくとも日本人の感覚を表現するにはそれほど適してないのは日々感じているところです。

でも共通語は多くの場面で必要です。じゃあ英語がダメなんだったらこの東・東南アジアの地域で何語を共通語にするのか?人口という意味では中国語でしょうし、経済力と言う意味では日本語・中国語。どちらの言語を共通語にしようとしても他の国々から反発があるのは間違いないと思います。

だから実際には英語がなんかしっくりこないなーなんて思いながらも、みんな英語をやってるんでしょうね。これは、「なんかしっくりしないけどみんなWindowsを使ってるし、今更他のものを使うのもなー」みたいな感じなんでしょうか(笑)。
[6]   竹風鈴   2006年09月17日 15:34
>妻がまだ「すみません、これいくらですか?」と話しかける
  時点で....
 >そのタイ人がすぐに僕の顔を見るというパターンです。.....

 これはすごくよくわかる。ごーやんさんが、ではなくそのタイ人のリアクションがです。これはそのまんま日本でよくある光景だと思います。だいぶ変わってきたとは思いますが、まだ多くの日本人にとって外国人、とりわけ欧米人との接触はいくばくかの緊張を伴う行為なのではないかと思います。ビビったり、逆に妙にはしゃいだり。 

 以前NY出身の友人をお祭りに連れて行った時ちょっと似た状況になったのですよ。自分が買い物をしようとしているのに、店の人間は終始日本人である私としか会話をしなかったことに彼は不快感を感じたようでした。ていうか怒ってました。

 今回だけでなくいつもそうだ、という思いのほかに、私が彼の不快感に気付かずいっしょにペラペラ喋ってたっ、てことの方がいやだったみたいです。まぁその時の会話の内容もからんでくるのでその時の状況を正確に再現はできないのですが。

 そのお店の人はビビる方ではなくはしゃぐ人でした。外国人が私のお店に来てくれてうれしいわーくらいのノリで。たぶんそのオバちゃんは外国人のお客さんもいっしょに会話に参加してた、くらいに思ってますよ。うれしいけどストレートに面と向かって話す緊張感には耐えられず、顔そのものは私の方を向いている、という心理私はよくわかるのですよ。

 でもいくらこっちに悪気がなくても彼が嫌な気持ちになったことを無視することはできません。このことでしばらく落ち込みましたよ。(ちょっとその人に気があったりしたもんで(^^ゞ)
 ごーやんさんはちゃんと奥さんの側に立ってあげてくださいね。いえ、そうしているとは思いますが。

 私自身は、それ以来誰かと同じ状況になりそうになった時、相手に疎外感を与えないように気をつけるようにはしています。

 ただそんなに変えなければならないようなことなのかなとも思うのですよ。 タイ人も日本人も。インターナショナルで洗練された行動とはとても言えないでしょうけど。
 でも、できれば自分はやりたくない。ね、私自身がおかあつさんの描写しているタイ人とほとんど変わらないでしょ?

 >英語が世界の共通語というのは幻想です。

 私もあんな侵略者の言語使いたくない、とかたくなだった時期があるのですが(ろくにしゃべれない言い訳でもあります)、現実に便利ですもの、やっぱり。 もっと英語が喋れたらもっといろいろな情報に直接アクセスでき、いろんな人と交流でき、行動範囲もひろがるだろうに、と思います。でもなんか釈然としないものは残ります。

 アジア圏の共通語として
 
 断然インドネシア(マレー)語を推薦いたします!(^。^)独断と偏見で。 
 実際、無数の島々が散らばり様々な民族が暮らすこの地域での商業用に使われていたのを独立後のインドネシアが共通語として採用したのではなかったかと思います。
文字はアルファベットです。
[7]   おかあつ   2006年09月17日 15:44
>でも妻と僕の例の場合、妻がまだ「すみません、これいくらですか?」と話しかける時点で、相手がすでにあせってるように見えるのです。

>そしてよくあるのは、そのタイ人がすぐに僕の顔を見るというパターンです。「おい、お前タイ人だろ?このファラン何言ってんのか教えてくれよ」みたいな顔して僕を見ます。(笑)

そーれはビビッてます (^-^;;;

ま、両方ありますよね。(^_^;;;;;

僕もよくやられるなぁ...。 僕はタイ語で話しかけてるのに、この人、なんていってるの? って隣のタイ人に聞かれたりします。

最初それが嫌で、「あなた!僕今、タイ語であなたに話しかけているのに、何で、他の人に聞いちゃうわけ?!」とか 怒ってばかりいました。(相手は余計いたたまれなくなるんですが...。)

大体、「アイスクリーム下さい」とか「フライドチキン3ピース」とかが、聞き取れないわけがないのです。

そういえば、一回セブンイレブンで「リフィル下さい」って言ったら、レジの女の子に「は?」って言われて、「電話のリフィル下さい」って言っても「は?」って言われた。それで「ありません」とかいわれたので、「そんなことないよ!絶対あるよ!」って言ったら、「えー!この人、何話してるのー?! 英語わからないよーー!」とかパニック状態に陥られた事がありました。

「ちょっとまってよ! 今、タイ語ではなしてるでしょ! 1-2-CALLのリフィルあるでしょ?」って言ったら、「あ、あります」とテレながら言われた事がありました。


初めてタイに来た時はタイ語はなせなかったので言葉は英語だったのですが、強烈な違和感でした。

よく覚えてるのはコンピューターを正しく「コン`ピューラer」 とか発音すると、99%通じない事です。 経験上「コンピウ`ター」 と発音すると通じるので、しかたなくそう発音してました。 英語下手になりますよ、そりゃ!

その時は、ネットで知り合った友達と会うのが目的だったのですが、話しても90%以上通じないしエライ苦労しました。

面白いのは、タイ語が話せるようになってから、その人と再会した事です。 別人と会ってるようでした。 なんというか... 夢の中であった人に実際に会って話しているような変な感覚でした。



>>英語が世界の共通語というのは幻想です。
>これはまったくその通りでしょう。世界中で数多くの人が英語を習っているという意味では、確かに英語は世界の共通語的立場にありますが。

以下、寸分狂わず同じ意見です。 全くその通りだと思います。 西洋の1言語、という面と 共通語という面、アジア的な感覚を表現するのには全く向いてない点...。


東京で新聞配達してる時、中国・韓国(2人)・日本 というメンバーで飲み会をしたことがあるのですが、共通語は日本語でした。 僕が席を立っても日本語というのは、すごく意外な感じがしましたし、すごく驚きました。 (とはいえ、その韓国の人の1人は中国語も話せる優秀な人だったので、中国語にもシフトできましたが...。)

水面下では、日本語がかなり共通語化している、というのは、既に起こっていると思います。 しかし、日本語はどう考えても難しすぎなので、共通語化がこれ以上は浸透出来ないのだと思います。



>だから実際には英語がなんかしっくりこないなーなんて思いながらも、みんな英語をやってるんでしょうね。これは、「なんかしっくりしないけどみんなWindowsを使ってるし、今更他のものを使うのもなー」みたいな感じなんでしょうか(笑)。

いや、実際、OSと言葉って立場的には似てます。

快適で美しいマックよりも、ダサいけど使っている人が多いWindowsの方が結局便利なのです。 何か問題があっても利用者の母数が多ければ、解決してくれる人が現れる確立も高いのです。 もちろん良いソフトを作ってくれる人が現れる確立も...。 もちろん、使ってるOSが同じなら、お気に入りのソフトを友達にプレゼントするときに問題起こらないですし...



>でも実際、僕自身、英語ができるおかげでこうむってる恩恵は計り知れません。英語が出来た方が得であることはものすごく否定しがたいのです。

結局、そこなんですよね。 語学ってやっぱりなんだかんだで、かなりお金がかかるじゃないですか。 だから、それ相応の経済効果が見込める言語じゃないと勉強しづらいっていう要素が、一般的にはあると思います。


タイ語とかラオス語とか勉強してると、アジアの文化っていうのは西洋の文化と全く異質だったんだな... と感じます。 「あっこれは昔の日本と同じだ...。」 みたいな...。 日本にいると、いろいろな理由からそれが見えなくなるのではないかな... と僕は思います。
[8]   おかあつ   2006年09月17日 15:53
> 以前NY出身の友人をお祭りに連れて行った時ちょっと似た状況になったのですよ。自分が買い物をしようとしているのに、店の人間は終始日本人である私としか会話をしなかったことに彼は不快感を感じたようでした。ていうか怒ってました。
>(snip)
> 私自身は、それ以来誰かと同じ状況になりそうになった時、相手に疎外感を与えないように気をつけるようにはしています。

これ、すごい、思うところあります...

... が、書く時間が...(-_-;;;

今、イギリス人半分・タイ人半分というところに住んでいるので、いっつもこういう状態です。 この問題をどういう風に打開するのかは、今の僕のテーマです。
[9]   ミン   2006年09月17日 21:26
しゃべれるようになるとき。うーん、初めに1年間タイでタイ人ばかりの場所に居て一年終わった頃から急に少し聞き取れるようになった気がします。せっかく聞き取りが少しできて楽しくなった頃帰国になって残念でした。
 
その後も年に2回くらいタイに行って行くたびにタイ語が上達する気がしました。

 旦那に出会ってから、毎日話したり、近くで聞いたりして、少しづつ知ってる単語が増えたり、早さに慣れたりして、最近半年間出産でタイ語(イサーン語)しかないところへ行き、また少し慣れたって感じです。でも未だに読み書きできません、コーカイ書けるようになったけど、サライーとかまだなんで読めません。これから勉強ずる予定です。

雑談ですが、私が以前タイで仕事をしてしていたとき、イサーン人が同僚に多かったんです。イサーン人と私が結婚してから、みんなとの距離がより近くなった気がします。
[10]   ごーやん   2006年09月18日 13:50
>竹風鈴さん

>私が彼の不快感に気付かずいっしょにペラペラ喋ってたっ、
>てことの方がいやだったみたいです。

それとまったく同じような経験を私も何度もしました。逆のパターンもよくありました(笑)。逆というのは私が無視されて、彼女が気付かず話しているという状況です。

一番よく感じたのはインドに二人で旅行したときです。出会ったファランのほとんどが妻だけに話しかけて、私にはほとんど目も合わせませんでした。それは私がカナダ移民ということを知った後でも同じでした。

この場合も、見かけが違う人間(私)に対して向こうがどう接していいか分からないからこうなったと言えないこともないでしょう。でもこのとき私が感じたのは、竹風鈴さんの例のオバチャンのケースとは完全に逆で、「彼らは私に対してまったく興味がない!」というものでした。

当然、彼らの頭の中をのぞいてみないと本当の答えは分からないんですが、それが当時私がひしひしと感じたものでした。でもそれは当然、人によって度合いが違いますし、妻にも私にも同じ割合で目を合わせて話す人もちゃんといました。

彼らはインドという異国にいて、「自分と同じ」人間に会えて嬉しくて私の妻と話をしていたのでしょう。だから私のように同じ旅行者でも「同じ度」が低いと喜びも半減なんだと思います。

特に北米は色んな人種が混ざり合ってくらしているようにみえますが、特に田舎の人や都会出身でも街のどの部分に住んでいるかによっては他の人種との交流がまったくなかったりします。

>断然インドネシア(マレー)語を推薦いたします!(^。^)

これ昔インドネシアに住んでた人にも言われました!この方いわく発音・文法ともにビギナーフレンドリーな言語なそうで、もしそれが本当なら私も推薦に協力します(笑)。


>おかあつさん

>経験上「コンピウ`ター」 と発音すると通じるので、しかたなくそう発音してました。
> 英語下手になりますよ、そりゃ!

個人的にはあの เออ って音、ものすごく好きです(笑)。英語の er の音はすべてあの音に変換されてしまいますよね。でもあの音は英語圏の人には通じますから、もし完全にうつってしまっても安心してください(笑)。

>しかし、日本語はどう考えても難しすぎなので

それはどういう面でですか?漢字があるからですか?

>イギリス人半分・タイ人半分というところに住んでいるので

そういう文化的なサンドイッチってほんとつらいですよね。僕は日本に絶対住みたくないのは、妻と日本の間に挟まれてストレスを感じたくないからです。


>ミンさん

>タイ人ばかりの場所に居て一年終わった頃から急に少し聞き取れるように
>なった気がします。

聞き取りが出来始めるまでに一年。やっぱりそれくらいかかりますよね。脳がこの新しい環境と言語に慣れるまでには相当な時間を要すると思います。

英語の場合、タイ語とちがって、ほとんどの日本人が最低でも6年間は勉強します。それだけの下積みがあったにもかかわれず、最初カナダに引っ越したときは、聞き取りが出来始めるまで半年以上かかったことを覚えています。
[11]   竹風鈴   2006年09月18日 14:16
>ごーやんさん

 あーすごくお話続けたいのですが、実は今夜のフライトでバンコクに行きます。白状しますが、私は大変なコンピウ’ター音痴で、2,3週間前まで「インストール?何それ?」の世界で....^^;。
 ネットカフェとかでちゃんとできるかしら。お恥ずかしい....。
もしダメだったら帰国後気の抜けた頃にコメント入れるかもしれません。  では。
[12]   おかあつ   2006年09月18日 16:18
>竹風鈴さん、

バンコクなら絶対日本語あると思いますが...

http://ajaxime.chasen.org/

一応 このリンク付けておきます。 日本語環境がなくても日本語が入力できるホームページです。
[13]   おかあつ   2006年09月20日 06:07
世はクーデターですが ... 皆様いかがお過ごしでしょうか。

>>私が彼の不快感に気付かずいっしょにペラペラ喋ってたっ、
>>てことの方がいやだったみたいです。

>それとまったく同じような経験を私も何度もしました。逆のパターンもよくありました(笑)。


僕の場合、前、中国人(日本語可)の友達と日本人の友達(20年来の旧友)と食事に行ったとき、逆のパターンをやった事がありました。

もちろん、ペラペラしゃべってしまうと、疎外されてしまうのはわかっていたので極力避けていたのですが、話している内容のバックグラウンドを全て説明するのは、ものすごく時間がかかるってしまうことなので、つい端折ってしまいがちで、やっぱりやってしまいました。

古い友達といると、どうしても、古い話題に陥りやすいのです。 「どうもすみません」 といったとき、頭に丸く手を当てたとしても中国人には*絶対に*通じません。 そのためには、まず、林家三平がどのような人物なのかを説明しなければならないからです。

「だめだこりゃ」と言っても100%通じることはありません。 そのためには、ドリフターズからいかりや長介、その典型ギャグの傾向までを順序だてて説明をしなければなりません。

やはり、日本人で同年代の人といると、やはりその世代の傾向というものがあるので、それを話題にして説明してしまうことは避けられないような気もします。


ただ、僕は、それを逆にやられるのは、意外と嫌ではない感じがします。 逆に気を使わずに バーっとやってくれたほうが、観察させてもらいやすいので、ありがたいようにも思います。 その中で、ひとつでも覚えておいて、あとで「これってどういう意味なの?」などと聞いて見れば、そこからまた広げていけたりもしますし...。

(イサーン語で毎日やられている様な気もします。)


>この場合も、見かけが違う人間(私)に対して向こうがどう接していいか分からないからこうなったと言えないこともないでしょう。でもこのとき私が感じたのは、竹風鈴さんの例のオバチャンのケースとは完全に逆で、「彼らは私に対してまったく興味がない!」というものでした。

僕が中国人の友達にやってしまったように、「異郷であった同郷の友」的な状況で、どうしてもそうなってしまうこともあるとも思うのですが、やっぱりそれが全部とも言い切れないような気がします。

僕が... 逆だったらどうするかな... インドを旅行して言葉も通じない、食べ物も困ってて、楽しいけど結構大変、カルチャーショック気味... 腹もこわしてて調子が悪い。 そういう中で、中国人と西洋人のカップルに会った...。

間違いないな ... 中国人にバーっと話してるな
(^-^;;;


そういえば、ロシア人の女の子と銀座を歩いていたら、ひたすら外人から道を聞かれた覚えがあります。 ロシア人のその子は英語は全然ダメダメで、結構上手な日本語を話す子だったので、会話は英語ではなかったのです。 ですが、白人を連れて歩いているということで無条件に英語で道を聞かれていました。



ドイツ人4人と英語の先生というカンバセーションクラスに入ったときに、疎外感を感じたことはありました。 ひたすらドイツ人同士で、哲学から政治までかなり難解な討論をしていて、こっちは聞き取るのだけで目いっぱいで、全く話に入っていけないので、明らかに疎外状態でした。 2~3日でそのクラスははずしてもらったのですが、楽しくはなかったです。 今思えば、これはドイツ人の習慣なのかも知れないですが...。

日本人4人いてドイツ人が1人いる英語のクラスで、アニメの話をバーっとやってしまうのと同じようなものなのかもしれません。

少し話しは変わってしまいますが... 日本に15年近くすんでいるアメリカ人の友達がいるのです。 日本人とほとんど変わらない日本語を話す彼はかなり真似がうまく、彼のやる日本の父親の真似はかなりリアルでした。「おぃゴルァ! たかあき! おまェそこであにやってんダ!」 という感じなのですが、自分の親父を見ているようで、実に可笑しかったです。

そういう、その国の人が落ち着く仕種や話題があると思うのですが、そういうものを機敏に真似できる彼には見習うべき点が少なくないなと僕は思いました。


とはいえ、いざ自分でやる段になると... 僕にとっては、たとえば、西洋人がよくやるウィンクひとつとっても、なかなかタイミングが難しく、すぐにできるものではないです。 そういえば、アメリカにいるとき、ハグのタイミングで苦労した覚えがあります。


... 大前提になっちゃいますが、その最初の真似させてもらう取っ掛かりを作ってくれる友達は絶対必要ですよね...。 友達を得られるかどうかは、正直運でしかなく、難しいところです。 今、こうしてウドンタニーに住んでいる自分にも、正直、かなり希少な幸運がありました。

イサーン人の真似も... 特にイサーンの習慣なんて文章になっているものがほとんどないですから、余計難しいですよね...。



2人以上のコミュニケーションを送る上で、何を「標準」にしおてコミュニケーションするのかが、問題なような気もします。



>>しかし、日本語はどう考えても難しすぎなので
>それはどういう面でですか?漢字があるからですか?

それは、実はよい例を知っているのです。

・昨日会う約束をしました。
・明日会う約束をしました。

この2つの文章は全く同じ構造ですが、全く違う意味です。これが何故そうなるのかを合理的に説明するのは、異様に難しいです。 特に、相手が中国語の様に時制のない言葉を話している場合、それは困難を極めます。

日本語ってそういうあいまいなルールが多いので、すごく難しいです。

「さいたま」と「ぎんこう」には、「さい ̄たま_」 「ぎん_こう ̄」というように高低がありますが、「さいたまぎんこう」と一緒に発音すると「さいたま ̄ ̄ぎんこう ̄_」と高低が変化します。 これを間違えて発音すると、ものすごい変です。

日本人であれば、これを無意識のうちに正しく変化させますが、この変化の法則を説明できる日本人はほとんどいないと思います。

ロシア人の友達に「かんりん(学校の名)」の発音を正しく発音させるのに苦労したことがあります。 ロシア人は、頑張れば頑張るほど「カヌリヌ」になってしまうのです。日本語の「ん」の概念を説明するのは、結構くたびれます。


英語が使えないコンピューターはありません。でも日本語が使えないコンピューターはたくさんあります。 それは、コンピューターに日本語を使えるようにするプログラムを作るのは、大きな困難が伴うからです。80年代前半には「日本語のワードプロセッサー」を作るのは原理的に不可能である、とまで言われていました。 同音異義語を正しく変換するのはとても困難だったからです。 それは、今でも同じです。たとえば「酒屋に行って彼に言った」を一発で正しく変換できる変換ソフトは今でもほとんどありません。

文字数も断然多いですし、ひらがなカタカナだけでもタイ語の42文字を大きく上回ります。 その上発音は一律ではありません。 数字は英数字と漢数字ありますし...。 類別詞の多さもタイ語の比較になりません。

活用の種類だって... あれだけ難解に見えるロシア語の倍以上は平気でありますし...。

日本語を教えて、といわれたら、僕は逃げます。


僕はこのサイトが好きなのですが、ここにすごくよい説明があります。
http://www.faireal.net/articles/6/17/#d21030
 
出展 2006年09月15日 17:12 『「しゃべれる」ようになる時』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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