謙遜
2006年08月27日07:14
謙遜について、すごく良い言葉を読んだので、メモしたいと思います。 以降 ダグハマーショルド(鵜飼信成訳) 道しるべの引用です。 ──
彼は幼い娘を連れてやってきた。その子は一番上等の晴着を着ていた。その子が、自分のよそ行きの外套をどんなに大切にしているか、お前にもわかった。他の人たちも気づいた──だが、彼らは冷淡な様子でこんな事を思っていた。あれは前には別の幼い娘のよそ行きの外套だったのだ、あれはいつだかの年にもよそ行きだったのだ、と。
午前中は、陽が照って、お祭りの雰囲気が漂っていた。今では、もう大部分の人が帰った後であった。風船売りは売り上げを勘定していた。太陽もやはり行くところまで行って、今では雲のかげに隠れていた。彼が幼い娘を連れて、春のよろこびを味わい、さわやかで明るく光る復活祭の日差しにあたたまろうとやってきたときには、あたりは薄ら寒く、もうほとんどだれもいなかった。
しかし、その子は満足していた。二人とも満足していた。それと言うのも、彼らはもうある種の謙遜を知っていたからである。お前はまだこれからその謙遜を理解せねばならぬ。それは、けっしてひき較べることをせず、いまあるものを斥けて、《別のもの》や《もっと多くのもの》を求めようとする事の決して無い謙遜である。
73ページ
お前は、彼の《思い上がり》を片腹痛く思うとき、おまえ自身の思いあがりのほどを見せているのである。彼が大きくなってお前が小さくなるということは理の当然なのである。好敵手を選ぶが良い。偽の敵手たちのことは、あえて思い出す暇さえないはずである。そして真の好敵手はと言えば、憎しみをまじえぬ闘いをかわしながら彼らを助けてやり、それによって同時におまえ自身をも助けるが良い。
117ページ
他人が関心を示さないと萎縮してしまう、というようなことのない威厳だけがほんものである。
105ページ
《根性のなさ》──。われわれはあまりに安易に以下の両者を混同する。その一つは、自らの初心を責任を持って擁護せねばならなくなる事への恐れであり、われわれ自身の確信以上に他人の意見に左右されがちな傾向であり、端的に言うならば確信の欠如である。あとのひとつは、成熟し、また強健な人間が、他人の論拠を十分に尊重する必要があると感ずる事である。まるで隠れんぼのようではないか。 悪魔は、われわれの根性のなさを利用しようとするとき、それを視野の広さと言う名で呼ぶ。 彼は、われわれに視野の広さを持たせまいとする時、それを根性のなさと呼ぶ。
66ページ
十二月二十二日
狂人が広場で叫んでいた。だれも足を止めて話を聞こうとはしなかった。そんなわけで、その狂人は自分の主張が異論の余地のないものだと確信してしまったのだ。
159ページ
アマゾンへのリンク
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4622049376
彼は幼い娘を連れてやってきた。その子は一番上等の晴着を着ていた。その子が、自分のよそ行きの外套をどんなに大切にしているか、お前にもわかった。他の人たちも気づいた──だが、彼らは冷淡な様子でこんな事を思っていた。あれは前には別の幼い娘のよそ行きの外套だったのだ、あれはいつだかの年にもよそ行きだったのだ、と。
午前中は、陽が照って、お祭りの雰囲気が漂っていた。今では、もう大部分の人が帰った後であった。風船売りは売り上げを勘定していた。太陽もやはり行くところまで行って、今では雲のかげに隠れていた。彼が幼い娘を連れて、春のよろこびを味わい、さわやかで明るく光る復活祭の日差しにあたたまろうとやってきたときには、あたりは薄ら寒く、もうほとんどだれもいなかった。
しかし、その子は満足していた。二人とも満足していた。それと言うのも、彼らはもうある種の謙遜を知っていたからである。お前はまだこれからその謙遜を理解せねばならぬ。それは、けっしてひき較べることをせず、いまあるものを斥けて、《別のもの》や《もっと多くのもの》を求めようとする事の決して無い謙遜である。
73ページ
お前は、彼の《思い上がり》を片腹痛く思うとき、おまえ自身の思いあがりのほどを見せているのである。彼が大きくなってお前が小さくなるということは理の当然なのである。好敵手を選ぶが良い。偽の敵手たちのことは、あえて思い出す暇さえないはずである。そして真の好敵手はと言えば、憎しみをまじえぬ闘いをかわしながら彼らを助けてやり、それによって同時におまえ自身をも助けるが良い。
117ページ
他人が関心を示さないと萎縮してしまう、というようなことのない威厳だけがほんものである。
105ページ
《根性のなさ》──。われわれはあまりに安易に以下の両者を混同する。その一つは、自らの初心を責任を持って擁護せねばならなくなる事への恐れであり、われわれ自身の確信以上に他人の意見に左右されがちな傾向であり、端的に言うならば確信の欠如である。あとのひとつは、成熟し、また強健な人間が、他人の論拠を十分に尊重する必要があると感ずる事である。まるで隠れんぼのようではないか。 悪魔は、われわれの根性のなさを利用しようとするとき、それを視野の広さと言う名で呼ぶ。 彼は、われわれに視野の広さを持たせまいとする時、それを根性のなさと呼ぶ。
66ページ
十二月二十二日
狂人が広場で叫んでいた。だれも足を止めて話を聞こうとはしなかった。そんなわけで、その狂人は自分の主張が異論の余地のないものだと確信してしまったのだ。
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