『あぁここにある本を全部読むことはできないんだぁ』
2006年08月08日00:05
今日本当に久しぶりに八重洲ブックセンターに行った。 今までタイの奥地というか超田舎にいたので、日本語はおろか英語の本屋もなかったので、情報に飢えていた。
しかし、念願かなっていざ本屋さんに入ってみると、その本の量の多さに圧倒される。 日本って言うのは、正に情報の洪水だと思う。 情報が多すぎて、考える時間が足りない。或いは、情報が多すぎて、考える力が麻痺する。
昔、ある友達が「本屋さんに来て『あぁここにある本を全部読むことはできないんだぁ』と思うと悲しくなる」 って言っていたのを思い出した。
でも、今、僕は、こうしてタイから帰ってきて、日本の巨大なブックセンターにいて、こう思う。 これだけ膨大な本があるが、読む価値がある本はほんの一握りではないか、と。
しかし語学の本の多いこと多いこと... 少し話はそれるけど、日本人の語学下手について思う事がある。 語学って言うけど、語学って言うのは技術的な要素が少なく無い。 また、あくまでもコミュニケーションの一要素であって、技術ともまた違う。基本的には誰でも(赤ん坊でも)できること。 それが、語学だ。
しかし、最近入試問題でリスニングのテストが採用された話を聞いた。 リスニングのテスト中は飛行機が上空を飛ばないように。 そんな通達が出たというニュースも見た。 まぁ、飛行機が飛んだくらいで聞こえなくなったら、飛んでなくても聞こえる事は無いだろうけど。
僕は、このニュースを聞いたとき、「日本人は、まだ、試験を厳しくすれば語学が上達すると思っているのだろうか」と残念な思いをした。 これは絶対逆だと思う。 こうやって試験を厳しくすればするほど、語学に対して持つ必要の無いトラウマを持って語学が苦手な人は増えるのに。
語学が得意な人っていうのは、基本的に現地に行ったことがある人なのだ。 この人たちは何も勉強しなくても(というのも微妙に語弊があるが)高得点をとる事ができる。 それが語学だ。 現地に行った事が無い人は、ものすごい努力が必要だし、時として努力も報われない事がある。 それも語学だ。
これは、単純に経験の問題であり、学習意欲の問題ではない。
また、この点、日本というのは島国であり、他の国の状況とは一線を画している。 島国ならではの独特な不利な点・ディスアドバンテージがある。 外国語を話す経験が圧倒的に足りない。 その状態で外国語を勉強しても、全然身に付かないのだ。 これをはっきり認識しないといつまでたっても語学は苦手なままだ。
たしかに、時折、外国に行かなくても外国語を身につける事が得意な人というのもいる。 僕は、こういう能力は、ある語学の才能とは違った特異才能をだろうとおもう。 普通は無理だ。
英語の翻訳家の話を聞いていると、「翻訳家って言うのはそんなに甘くないのよ」 見たいな話をよく聞く。 僕は思うのだが、語学って言うのは基本的に誰でもできるものなので、特殊才能ではない。 そういうなかで、無理に、自分を特殊才能を持った人間だと証明する必要があるため、他人の欠点探しに熱中している。 これが、僕の翻訳家に対する印象だ。
確かに、語学の資料が豊富だという事はいい事だ。 しかし、多すぎる情報量は、人を怠惰にする。 考える事を忘れさせてしまうものでは無いだろうか、と僕は思う。
その資料を読むことに一生懸命になりすぎて、言葉の向こうに人がいることを忘れてしまうのではないだろうか。
しかし、念願かなっていざ本屋さんに入ってみると、その本の量の多さに圧倒される。 日本って言うのは、正に情報の洪水だと思う。 情報が多すぎて、考える時間が足りない。或いは、情報が多すぎて、考える力が麻痺する。
昔、ある友達が「本屋さんに来て『あぁここにある本を全部読むことはできないんだぁ』と思うと悲しくなる」 って言っていたのを思い出した。
でも、今、僕は、こうしてタイから帰ってきて、日本の巨大なブックセンターにいて、こう思う。 これだけ膨大な本があるが、読む価値がある本はほんの一握りではないか、と。
しかし語学の本の多いこと多いこと... 少し話はそれるけど、日本人の語学下手について思う事がある。 語学って言うけど、語学って言うのは技術的な要素が少なく無い。 また、あくまでもコミュニケーションの一要素であって、技術ともまた違う。基本的には誰でも(赤ん坊でも)できること。 それが、語学だ。
しかし、最近入試問題でリスニングのテストが採用された話を聞いた。 リスニングのテスト中は飛行機が上空を飛ばないように。 そんな通達が出たというニュースも見た。 まぁ、飛行機が飛んだくらいで聞こえなくなったら、飛んでなくても聞こえる事は無いだろうけど。
僕は、このニュースを聞いたとき、「日本人は、まだ、試験を厳しくすれば語学が上達すると思っているのだろうか」と残念な思いをした。 これは絶対逆だと思う。 こうやって試験を厳しくすればするほど、語学に対して持つ必要の無いトラウマを持って語学が苦手な人は増えるのに。
語学が得意な人っていうのは、基本的に現地に行ったことがある人なのだ。 この人たちは何も勉強しなくても(というのも微妙に語弊があるが)高得点をとる事ができる。 それが語学だ。 現地に行った事が無い人は、ものすごい努力が必要だし、時として努力も報われない事がある。 それも語学だ。
これは、単純に経験の問題であり、学習意欲の問題ではない。
また、この点、日本というのは島国であり、他の国の状況とは一線を画している。 島国ならではの独特な不利な点・ディスアドバンテージがある。 外国語を話す経験が圧倒的に足りない。 その状態で外国語を勉強しても、全然身に付かないのだ。 これをはっきり認識しないといつまでたっても語学は苦手なままだ。
たしかに、時折、外国に行かなくても外国語を身につける事が得意な人というのもいる。 僕は、こういう能力は、ある語学の才能とは違った特異才能をだろうとおもう。 普通は無理だ。
英語の翻訳家の話を聞いていると、「翻訳家って言うのはそんなに甘くないのよ」 見たいな話をよく聞く。 僕は思うのだが、語学って言うのは基本的に誰でもできるものなので、特殊才能ではない。 そういうなかで、無理に、自分を特殊才能を持った人間だと証明する必要があるため、他人の欠点探しに熱中している。 これが、僕の翻訳家に対する印象だ。
確かに、語学の資料が豊富だという事はいい事だ。 しかし、多すぎる情報量は、人を怠惰にする。 考える事を忘れさせてしまうものでは無いだろうか、と僕は思う。
その資料を読むことに一生懸命になりすぎて、言葉の向こうに人がいることを忘れてしまうのではないだろうか。
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