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2006年5月14日日曜日

国際的会議 (mixi05-u459989-200605140022)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
国際的会議
2006年05月14日00:22
今日の僕は国際的友達ミーティング三昧の日だった。

今日は昼過ぎからJさんと会う約束をしていた。Jさんはアメリカ人だが日本在住歴は20年近くネイティブの日本人と変わらない日本語を話す。

彼はそれだけではなく各種ヨーロッパ言語に明るく古代言語にも明るい聡明な人でいつも会うのが楽しみな人だ。

彼は古代言語の小説を読むのが趣味だ。 彼は「ホメロスのオデュッセイアは僕にとっては聖書の様なものですよ」といっていた。

僕は『これだ』と思った。 『聖書の様に読む』。 聖書は難解だ。でも、キリスト教の人は、聖書を何度も何度も読んで、そこから深遠な解釈を得る。

僕は何度も何度も同じ本を読む事が多い。 これらは難解で奥深い本だ。 僕はむしろそういう一度読んだだけでは理解できないような深い内容を持った本を読むのが好きだ。 そういう本は読むたびに新しい発見がある。 それが楽しみで何度も何度も読む。 読むたびに新しい解釈を見つける。

これは本ではないが、僕にとって現代ジャズは、正に「聖書」の様な存在だ。それこそ何度も何度も聞く。 聞くたびに新しい発見がある。 聞きこむごとに新しい解釈を見つける。 聞き方によって全く違う色が見える。 だから、意味が明快で無いむしろ難解なジャズのほうが好きだ。 そのほうが刺激的だと思う。

そうやって、自分の内面の世界を広げていくのだと思っていた。 だが、 これは、僕だけではなかったのだ、と確信を持った。

3時間ぐらい休みなしで話した。 だが、彼は忙しい人である。 彼は帰っていった。

次に、僕は、MIY氏と会った。 こちらは広東語を話し香港・中国の事情に明るい。 彼独特の視点でアジアで起こる色々な社会現象を読み解いていく彼の話しぶりを見ているのは気持ちよかった。

彼は江戸時代に爛熟した暇人文化の話をしてくれたのが印象に残った。

何故、日本はヨーロッパの様な複雑体系化した哲学や文学が無いのか、という僕の疑問に対して、そうではないという一例を説明してくれた。

実は、江戸時代に田舎にも寺子屋の様な暇人田舎学者がおり、それなりに文化が発展していたのだ、という事を教えてくれた。 また江戸時代に色々な暇人が遊びの一環としていろいろな事を探求して高度に発展していたということを教えてくれた。

努力の方向をちょっと遊びに向けてみる、遊びをちょっと努力してやる、という感覚である。 僕は、コミケを思わざるを得なかった。 これが日本の色々な文化が高度ではあるがサブカルチャー化する一因ではないか。


他にも、日本は何故論理的な話法が出来ないのか、とか、それでも日本はアジアの中から見ると比較的論理的な方なのだが、それは何故なのかとか、色々疑問に思うところがあるのだけど、答えるのが難しい問題なのだと思う。

こうやって考えてみると日本の歴史もちゃんと勉強しないといけないと思う。

しかし、中学高校の社会・歴史の授業、いっちゃわるいけどホントつまんなかったもんな...。


P.S.
miyは、今はプログラマに限らず、医者にせよ電車の運転手にせよ、専門的な技術を持っている人が非常に不利な時代なのだ、と指摘した。

これは僕がかねがね感じていたコトとぴったり合ったので、とても気持ちがよかった。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=48828983&owner_id=459989

これが、何故おかしいのか、何故間違っているか、社会にどういうデメリットがあるのか、についてきちんとした文章で説明できたらよいなと思う。


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出展 2006年05月14日00:22 『国際的会議』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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