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2005年11月2日水曜日

英会話の先生 (mixi05-u459989-200511022005)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
英会話の先生
2005年11月02日20:05

(副題 アジア文化とヨーロッパ文化の違い)

今日は、アパート探しのため恵比寿から代官山・渋谷まで歩きました。 アパート探しが一段楽したところで例によってスターバックスに来ています。

向かいに英会話を習ってる日本人と教えているアメリカ人がいて色々教えあっているのが聞こえるのですが、タイに行ってアジア文化の根本を見た今、本当に複雑な感じがします。

それは、気が付くことが多すぎてとても簡単な言葉では表しきれないからです。

タイに行くと英語でタイ人と話す機会も非常に多いのですが、タイ人は日本人と同じで結構英語が非常に下手なので、彼らがいっている意味は、言っている事は解るんですが、よく考えると実は結構激しく味のある意味になったりすることが少なくありません。

それで思うんですが、何か一生懸命英語を話す彼女を見ていると、タイ人とあんまり変わらないな、とついつい感じてしまいました。

それは考えてみれば、もう言い尽くされてしまったけど、日本を含むアジアは「同意の文化」で、ヨーロッパと得にアメリカは、「違うことが前提の文化」だからでは無いでしょうか。

だから彼女が「イェース、イェース」ばっかりいうのは、実は凄く違和感をあたえるのですが仕方が無いんだな、と思います。 また、英語の先生が言う「ほら、みんな考え方が違うでしょ」の本当の意味が彼女に伝わっていないのも、仕方が無いと思いました。


仕方が無い、と言うのは、僕がタイに行くことによって「これがタイの文化なんだな」と尊敬を含む客観性を持って感じることが出来たのと同じように、それが日本の文化なんだなと感じることが出来た、という事を意味しています。



今回僕が行って来たタイのイーサーン地方は、ほとんど演歌の世界です。 なんと言えばいいか、東北の田舎っぽさに関西のコテコテさを加えて、そこにきらびやかな演歌の風味を足すとイーサーン文化になります。

他の地方のタイ人から微妙に偏見の目で見られている。 貧しくて、バンコクのタクシーの運転手にはイーサーン人が多い。 僕らがタクシーに乗り込むと運転手はこっそりきがつかれないように聞いていたイーサーン演歌のボリュームを落としたりする。 でも、優しくて、味があって、演歌のライブには必ずコントがあってギャグはコテコテドツキ系で、みんな激辛のソムタムイーサーンを食べていて、バンコクに出稼ぎに来て路上のイーサーン屋台でトウガラシをつまみにネムを食べている。 みんな手づかみでカウニャオを食べている。

何も知らずにイーサーン屋台にやってきた僕に、まるで「イーサーン屋台ってのはな。もっと殺伐としたところなんだよ。お前はパッタイでも食ってろって事だ」という吉野家のフラッシュと同じようなことを言っているような、錯覚を起こします。

http://www.poeyama.com/gonorego/

この人達に、「手づかみで食べるの止めようよ」とか「もういい加減、牛で道路歩くの止めようよ」とか諭しても、誰も幸せにならないと思います。

それと同じように、日本ももっと個人主義を進めないと駄目だ!とか、もっと西洋文化を勉強しないと駄目だ!とか言うと、きっと誰も幸せにならない、と僕も感じるようになったのだと思います。

これが、日本の文化なんだなと、冷静に見れるようになったのだと思います。 これが前は出来なかったのです。

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でも、日本の「みんな普通だ」と言うのは、本当は幻想なのでやっぱり、そろそろ個人主義にした方が良いと思うのですが、皆様はどう思いますか?
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出展 2005年11月02日20:05 『英会話の先生』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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