ミュージシャンになりたい
2008年06月07日22:35
久しぶりに古い仲間に電話した。 ジャズギター仲間だ。 同じ師匠に習っていて、僕の先輩にあたる。 僕にはそういう仲間が20人ぐらいいる。 みな、仕事をしながら湘南地方でミュージシャンをしている。 近況や、他の仲間の近況など... 色々な話をした。
話は、またギター弾かないの?という話題に自然に向いた。 僕もギターを弾かなくなって久しい。 5年※ぐらい経つ。「また弾き始めたいとは思っているんだけど... 今は弾かない。」 「なんで..?」
※ ちなみに僕はギターを弾き始めてから20年以上たつ
何でだろう。 自分でもよくわからない。 弾きたいは弾きたい。 だけど、弾かない。 考えてみれば、僕も世の中色々渡ってきた。 ギターを弾き続けた先に何があるのか、というものが漠然と見えてきてしまったのだ。
確かにギターを弾くのは楽しい。 自分が楽しいだけではなく、人も楽しくする。 そして、新しい演奏スタイルを研究して習得していく過程自体が、人生にとってとても重要な要素を含んでいる。 それについて学ぶ意義はすくなくない。
でも、弾かない。 何故だろう。
時代はインターネット。 それに伴う激しい国際化と、多様化。 時代は行き着くところまで来た感がある。 そういう中で日本に住み、売れないでもいいからプロを目指してジャズギターを引き続ける、という行為自体が自殺行為に近いという事を本能的に知ってしまったからかもしれない。
それはどういうことだろうか。
例えばこういうことだ。 ジャズに限らず、音楽というのは一人では出来ない。 だから付き合いというのが大切になってくる。 これは日本だけではない。 世界どこでも万国共通だ。 ところが日本というのはどうしても人間関係がパラノイド的(強迫観念的)だから困るのだ。 音楽をやる人に適した「開かれた人間関係」を築きにくい。 日本では、誰もが思ったことを言わず、誰もが相手が何を考えているのかに配慮しなければならない。 配慮に失敗すると悪評が立つ。 そんな閉鎖的な人間関係では、多くの人と健全に関係を持つというのが難しい。 付き合いは、普通、付き合うのも自由だし、付き合わないのも自由のはずなのだ。 ところが、日本だと、付き合うのも、付き合わないのも自由ではない。 どちらも自由ではなく強制で、責任だ。
そういうなかでは、どうしても人間関係が狭くなりがちで活動が行き詰まり易い。 活動範囲の狭さはそのまま収入につながり、経営が苦しくなる。
またそういう日本の中で、ミュージシャン自体が、ミュージシャンを目指さない奇妙さがある。 ミュージシャンの意識の仲で、ミュージシャンという職業が「セックスアピール」「スター・アイドル」という要素を超えられないのだ。 単に音楽を演奏する人という淡々とした職業意識がない。 普通、そういう「スター」を目指したり「アイドル」を目指したりするような空気の読めない極めて自己主張の強い人を呼び出して、わざわざ仕事をお願いしたりはしないものだ。 だから、日本にはミュージシャンという職業がない。
例えば、タイには少なくともミュージシャンという職業が成立している。上手か下手か、という事は別にして、人々の間で生バンドを聞くということが素朴な娯楽として定着しており、ミュージシャンも要求に沿って実に地味に淡々と演奏する。
◇
世の中、ギターだけ弾いていればどうにかなる、というほどシンプルではなくなってきている。 世の中はどんどん変化している。 アメリカで、911のテロがあってイラク戦争が始まり住宅ローンの破綻があり、石油価格が高騰している。 アメリカはどんどん調子が悪くなっている。
これは音楽にとって、とても重要だ。 なぜならアメリカは音楽ビジネスの中心だからだ。 ほんの10数年前なら、地道に活動する中で徐々に有名になりレコード会社から抜擢され、最終的に世界デビュー、というパターンがありえたかもしれない。 だが、これだけ不景気な中で、それはほとんど不可能だろう。
しかも、時代は不景気に加えインターネット黎明期。 インターネット技術が完全に成熟しきっていないのが現代の痛いところだ。 そんな不完全な技術の一つ、音楽ダウンロード。 これは聞く人にとっては一方的に有利な技術で、音楽を作るほうは一方的に不利な技術だ。 これの影響でレコード会社はどこも息もたえだえだ。 それに追い討ちをかけるように未曾有の不景気。 新しいミュージシャンを発掘して世界デビューなんて夢の様な話はもうムリなのだ。
コマーシャルに乗ってマスメディアから売り出されるミュージシャンという稼業自体が急速に過去のものへと過ぎ去ろうとしている。 いや、とうに過ぎ去ってしまったのだ。 現代のミュージシャンは、過去の華やかなりし成功体験を捨て、新しいビジネスの体系を模索しなければならない。
◇
だから僕はプログラムを組む。 ミュージシャンになる前に、ミュージシャンという職業自体を成立させるシステムがまず必要だ。 だから僕はまずプログラムを組む。
悔しいけど、音楽は僕の一番得意なことではない。 悔しいが、プログラミングが一番の特技なのだ。 これが僕が一番長くやっている事でもあり、客観的に見てもかなり稀有な能力でもあるらしい。
僕は仲間にそのことを説明しようと思った。
だけど、しなかった。
何故だろう。
厳しい現実を目の当たりにさらすのはあまりにも残酷なような気もしたし、
僕も音楽を演奏していない自分に引け目も感じているのかもしれない。
話は、またギター弾かないの?という話題に自然に向いた。 僕もギターを弾かなくなって久しい。 5年※ぐらい経つ。「また弾き始めたいとは思っているんだけど... 今は弾かない。」 「なんで..?」
※ ちなみに僕はギターを弾き始めてから20年以上たつ
何でだろう。 自分でもよくわからない。 弾きたいは弾きたい。 だけど、弾かない。 考えてみれば、僕も世の中色々渡ってきた。 ギターを弾き続けた先に何があるのか、というものが漠然と見えてきてしまったのだ。
確かにギターを弾くのは楽しい。 自分が楽しいだけではなく、人も楽しくする。 そして、新しい演奏スタイルを研究して習得していく過程自体が、人生にとってとても重要な要素を含んでいる。 それについて学ぶ意義はすくなくない。
でも、弾かない。 何故だろう。
時代はインターネット。 それに伴う激しい国際化と、多様化。 時代は行き着くところまで来た感がある。 そういう中で日本に住み、売れないでもいいからプロを目指してジャズギターを引き続ける、という行為自体が自殺行為に近いという事を本能的に知ってしまったからかもしれない。
それはどういうことだろうか。
例えばこういうことだ。 ジャズに限らず、音楽というのは一人では出来ない。 だから付き合いというのが大切になってくる。 これは日本だけではない。 世界どこでも万国共通だ。 ところが日本というのはどうしても人間関係がパラノイド的(強迫観念的)だから困るのだ。 音楽をやる人に適した「開かれた人間関係」を築きにくい。 日本では、誰もが思ったことを言わず、誰もが相手が何を考えているのかに配慮しなければならない。 配慮に失敗すると悪評が立つ。 そんな閉鎖的な人間関係では、多くの人と健全に関係を持つというのが難しい。 付き合いは、普通、付き合うのも自由だし、付き合わないのも自由のはずなのだ。 ところが、日本だと、付き合うのも、付き合わないのも自由ではない。 どちらも自由ではなく強制で、責任だ。
そういうなかでは、どうしても人間関係が狭くなりがちで活動が行き詰まり易い。 活動範囲の狭さはそのまま収入につながり、経営が苦しくなる。
またそういう日本の中で、ミュージシャン自体が、ミュージシャンを目指さない奇妙さがある。 ミュージシャンの意識の仲で、ミュージシャンという職業が「セックスアピール」「スター・アイドル」という要素を超えられないのだ。 単に音楽を演奏する人という淡々とした職業意識がない。 普通、そういう「スター」を目指したり「アイドル」を目指したりするような空気の読めない極めて自己主張の強い人を呼び出して、わざわざ仕事をお願いしたりはしないものだ。 だから、日本にはミュージシャンという職業がない。
例えば、タイには少なくともミュージシャンという職業が成立している。上手か下手か、という事は別にして、人々の間で生バンドを聞くということが素朴な娯楽として定着しており、ミュージシャンも要求に沿って実に地味に淡々と演奏する。
◇
世の中、ギターだけ弾いていればどうにかなる、というほどシンプルではなくなってきている。 世の中はどんどん変化している。 アメリカで、911のテロがあってイラク戦争が始まり住宅ローンの破綻があり、石油価格が高騰している。 アメリカはどんどん調子が悪くなっている。
これは音楽にとって、とても重要だ。 なぜならアメリカは音楽ビジネスの中心だからだ。 ほんの10数年前なら、地道に活動する中で徐々に有名になりレコード会社から抜擢され、最終的に世界デビュー、というパターンがありえたかもしれない。 だが、これだけ不景気な中で、それはほとんど不可能だろう。
しかも、時代は不景気に加えインターネット黎明期。 インターネット技術が完全に成熟しきっていないのが現代の痛いところだ。 そんな不完全な技術の一つ、音楽ダウンロード。 これは聞く人にとっては一方的に有利な技術で、音楽を作るほうは一方的に不利な技術だ。 これの影響でレコード会社はどこも息もたえだえだ。 それに追い討ちをかけるように未曾有の不景気。 新しいミュージシャンを発掘して世界デビューなんて夢の様な話はもうムリなのだ。
コマーシャルに乗ってマスメディアから売り出されるミュージシャンという稼業自体が急速に過去のものへと過ぎ去ろうとしている。 いや、とうに過ぎ去ってしまったのだ。 現代のミュージシャンは、過去の華やかなりし成功体験を捨て、新しいビジネスの体系を模索しなければならない。
◇
だから僕はプログラムを組む。 ミュージシャンになる前に、ミュージシャンという職業自体を成立させるシステムがまず必要だ。 だから僕はまずプログラムを組む。
悔しいけど、音楽は僕の一番得意なことではない。 悔しいが、プログラミングが一番の特技なのだ。 これが僕が一番長くやっている事でもあり、客観的に見てもかなり稀有な能力でもあるらしい。
僕は仲間にそのことを説明しようと思った。
だけど、しなかった。
何故だろう。
厳しい現実を目の当たりにさらすのはあまりにも残酷なような気もしたし、
僕も音楽を演奏していない自分に引け目も感じているのかもしれない。
コメント一覧
退会したユーザー 2008年06月09日 16:45
それで良いと思う~。
自分をちゃんと持ってるって事でしょ。
なんでもそうだけど、人の意見を聞き入れるのは人として人間性として問われるけど、最終的には人に惑わされず自分なりに決断することが大切でしょ。
自分をちゃんと持ってるって事でしょ。
なんでもそうだけど、人の意見を聞き入れるのは人として人間性として問われるけど、最終的には人に惑わされず自分なりに決断することが大切でしょ。