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2012年10月24日水曜日

ガラスの40代 (oka01-lniyouuzdcykpqph)

何故、人は志すのか。「ダンサー」「ミュージシャン」「漫画家」「プログラマ」「通訳」「ウェブデザイナー」…だがこうした職業に挫折は付きものである。自分の才能の無さを思い知り、道半ばで悶絶する。 俺はバカだ。私は無能だ。だが、ちょっと待って欲しい。そもそも何故その道を志したのだろうか。自分が人よりそれが得意だからその道を志したのだろうか。 自分が人よりも劣っていたらその道を志す価値がないのだろうか。隣の人間より自分が優れていたら、それで満足なのだろうか。



僕は、孤独である。普段日本人が一切近寄らない様な異国の辺境の地に住み、孤独の内に作業をしている。これまで僕は、常に負け続けの人生を送ってきた。僕だって男である。 偉そうな事を言って羽振りよく肩で風を切って街を歩きたかった。だが僕は中卒の身であり、僕がどんなに本気を出しても、辺りのチンピラにすら勝てずコテンパンにのされ、食べ物も女も金もいつも先輩のおこぼればかり頂いて、決して自分がトップに立つことは出来なかった。そんな中で自分に何が足りないか思い知らされ、足りない何かを得るために何が必要なのかを見せつけられ、獲得する為に必要とされる時間と費用を僕が持っていない貧困である事までも丸裸にされ、人前に晒されてばかりいた。

では僕は不幸な人間かというと、案外とそうではなかった様に思う。いやむしろ幸運だった様な気もする。僕の周りにはいつも「一線で活動している人」が溢れていたからだ。

僕は、この事をあまり語りたくないのだが、僕の旧友の多くは現在ミュージシャンとして一線で活動している方々が多い。僕は、才能・努力共に彼らに及ばず、今でも彼らに顔向けできない。先日も旧友が外資系企業に所属して某社新聞でコラムを書いている事を知り、見苦しく燃え上がるジェラシーで身を焦がしたばかりである。

かつて親しく交遊していた人間をテレビや駅のポスターの中で見かけることもある。そんなポスターの中の旧友を見ると、嬉しさと同時に、心の中でジリジリと焼けつくように熱を持って床を焦がし、ドロドロと壁を融かし、グズグズと崩れていく自分の見苦しく汚らしいエゴを感じる。

かつてポスターの彼に引っ張られて、目の前でジョンスコを紹介してもらったこともあった。ジョンスコは僕などに目もくれず、鼻の下を伸ばして女の尻を追いかけていた。正に僕の存在など「眼中に無い」そんな状況だった。僕の存在など、ハナクソ以下である。 自己紹介などして何の意味があるのか。絶対にかなわない。絶対に太刀打ち出来無い。そんな無力感を思い知る出会いだった。

僕のギターの恩師に会った時のショックも激しかった。ギターの演奏にはちょっと自信がある若造だった僕が恩師と初めて出会った時、師匠の衝撃的に自由自在な演奏を目の当たりにして僕の小さなプライドは完膚なきまで打ち砕かれ自信喪失、帰宅した。僕は、茫然自失状態で部屋に引きこもった。少しづつ立ち直りようやく立ち上がり、師匠の弟子に入れて頂いて10年以上の月日が流れたが、未だ師匠の自由自在の境地には至らない。

僕はかつてY街でジャズ演奏活動をしていた。Y街は僕の古巣である。Y街のジャズマン連中にも顔向けが出来無い。僕の大恩師であるジャズギターの師匠・兄弟弟子・仲間・知人・友人・ライバル等々…今でも現地で地道に活動を続けて居るが、僕は彼らと対等に付き合える程の実力を持つに至らなかった。

経済苦からミュージシャンとしての活動を諦めた僕は、プログラマになった。僕はプログラミングが得意である。プログラミングなら誰にも負けない。そう思っていたが、運命はそんなに優しくなかった。

僕が駆け出しの頃、一緒に仕事をした女性の上司は、ホスト系業務から業務用ファームウェアー開発のプログラマをやっていたベテラン中のベテランプログラマだった。彼女と仕事をした5年間というもの、僕はこの女性上司に徹底的に虐め抜かれた。業務系プログラマというものは動作精度が命だ。プログラムの精度を出すために取り組む方法論を、彼女から5年間徹底的に叩きこまれた。

新しい技術には滅法弱く「え〜このゲームどうやって遊ぶの〜?」とか言っておちゃらけているこの女性の上司が、業務用テストになると羽虫一匹も逃げられぬパターン網羅の鬼と化す。僕が作る漏れパターンの甘さを遠慮無く突いてくる上司は、僕を徹底的に苛め抜き、僕の無能さを明らかにし無意味なプライドの高さを破壊しつくした。

どんな汚いプログラムも解読してみせると豪語していたこの女性上司。実際にどんなに酷く汚いスパゲティーコードもニコニコ笑いながら、鼻歌まじりにバグを洗い出すプログラムの読解力には毎度毎度舌を巻いた。

新しもの好きだった僕の傾向も破壊された。新しく目新しい技術というのは、目立つが実は使えない物が多い。そんな新技術の現実も白日のもとに晒された。精度が命である業務系アプリ開発業界は、新しい技術を採用する事に非常に保守的な世界であり、その保守的な技術志向を揶揄して「化石のようなシステム」などと呼ぶことがあるが、化石になるほどに古く残る技術には理由がある。

僕が所属していた会社には、週間PV100万という様な巨大サイトを運営している上司が居た。まだimodeという物が世に出たばかりの頃で、携帯サイトという物が目新しい物として持て囃されていた時代だった。まだ前例がなく、参考にする様なサイトもなかった。LAMP構成という言葉すらない時代に、LAMP構成を最良解と見ぬいた技術的なセンスには舌を巻いた。彼は完璧だった。女子高生にターゲットを絞った流行を追いかけるセンス・絵や文章のセンスと共に卓越していた。そのセンスも、20年を超えた経歴に裏付けられ確実さがあった。プログラムの分割のセンス。新しいものを避け、確実に動くと確信できるものだけを使うセンス。10以上のサイトを1人で開発した生産性。10以上のサイトを同時にメンテナンスする作業センス。彼の元で数年仕事をしたが、彼の実力の前で、僕の無意味に高かったプライドは完膚なきまでに打ち砕かれた。とてもではないがかなう人ではなかった。

とある宗教団体での教祖の様な活動をされている方も居た。大きな事業を営んでいらっしゃったが、まるでミュージシャンの様だった。頭が良く恐ろしく考えるスピードが速くカリスマがあり話術に長けてシステムを組み立てる緻密さを合わせ持っている方だった。一緒に過ごせた期間は非常に短い間だったのだが、物凄く強いインパクトを受けさせていただいた、そんな方だった…。

まだまだ沢山書かなければいけない方々がいらっしゃる。彼らはここで一言で片付けて良いような軽い存在ではなく、それぞれがひとつの本を形作る程に内容が濃く、とてもではないがこの様な小さなスペースでは書ききれない。いずれにしても、僕がはっきりとここで言及しなければいけないことは、僕が今まで一緒に過ごしてきた方々と比べると、僕の存在などハナクソ以下であるという点である。 これまでこうして僕に愛の鞭を打ち付けて頂けた恩人に報いる成果を、未だに出すことが出来ない。こうして悶々としている自分がここに居る。僕はクズである。

僕は、こうして一線で活動する人達の横顔を見てきたが、往々にしてステージ上で派手に見える彼らも、実際に一緒に過ごすと非常に地味だということをしばしば思った。毎日毎日来る日も来る日もこつこつと積み重ねる、まるで全長20kmのマフラーの編み物を編んでいる様に、飽きもせず毎日同じ事を繰り返している、 ステージ上であれだけ攻撃的な物言いをするあの人が、こんな地道な作業を繰り返すのか、という意外さがあった。攻撃的なパフォーマーが、実際に話してみると実は謙虚で優しい方であるという、現実の横顔もしばしば目撃した。派手なパフォーマンスも、実際には何の魔法でも無い、ただの努力の積み重ねなのだという事を思わざるを得なかった。

一見派手に見える彼らが、如何にしてあの様な魔法を実現する事が出来たのか。 これは僕が一番興味がある事で、その秘密を見せてもらえるなら、全財産を投げ出しても構わないと思った。

僕が念頭にあるのは、常に彼らであり、彼らの技であり、彼らの知識であり、彼らの才能であり、彼らのセンスであり、彼らの努力であり、彼らの実績だ。



その後、長い年月が過ぎた。

僕は現在、色々な紆余曲折を経てタイの辺境に辿り着き、そこでイサーン語という言葉を勉強する様になった。だが「ビジネスイサーン語!これさえ覚えれば営業はオッケー!」という様な実用性のある言語では決してない。イサーン語は近代商業とは全く無縁な田舎者の言語であり、商業的な希少性が全くないので、収入に結びつく確率は非常に低い。イサーン語とは近代経済が発展した国から来た人物にとって、絶対に本気で学んではならない言語である。 イサーン語を職業にするという事は、最初から不可能な事である。つまりイサーン語を学ぶという事は、飽くまでも余興の範囲内に限られる。

そもそも、複数の外国語を話す能力は、タレント溢れる事である様であると考えられる事が多いが、実際には全くの無能でもあるとも言える。 何故ならば、人間であれば必ず言葉は話せるからだ。言葉を話す事は、誰でも出来る。言葉が話せるという事には何の希少価値も無い。つまり仮に外国語の学習に大変な努力が必要であったとしても、多くの場合、外国語を話すという能力自体には、商業的な希少価値が無いのである。苦労が多い割に高い値段で売れないのである。バンコクで8ヶ国語を話すという驚異的な潮州出身の賢人と出会った時、彼から「語学の学習もいいだろう。だが最終的に誰にどういう形で売るのかを常に意識しながら学べ。」と忠告を受けた事があった。この言葉は今でも僕の中で強く印象に残っている。

何かの技能を獲得するという事には、強い覚悟と決心が必要だ。「獲得出来なかったら死ぬ。」そういう強い決心がなければ、大抵の場合「まぁそこまで大変なら獲得出来なくてもいいか」「そこまでして獲得したいとは思わんわ。」的に妥協心が生まれてしまい、獲得に失敗する物である。

だが僕はイサーン語を学ぶに当たって、実はさほど強い覚悟と決断をしていない。ただ最初にイサーン語を見た時、イサーン語を学ぶに当たって必要な作業が見えたので、単にそれをコツコツ続けただけだ。長いマフラーを編む様に、ただ手を動かしていれば良い。そこに苦労や努力は必要ない。他の事をしながらでも構わないので、ただ続けるだけである。それを続ける事自体にはさしたる覚悟は必要ない。死ぬ覚悟をしたのと同じように行動しただけで、実際には死ぬ覚悟をしてない。イサーン語を勉強し始めたのは三十路を過ぎてからであり何の下地もないが、死ぬ覚悟をしてまで学んではいけない言語と思っていたからこそ、そういう姿勢を守った。イサーン語の学習は飽くまでも余興である。

一方、こうも思っていた。僕はイサーン語を余興で学ぼうと思った時、僕が死ぬ覚悟で学ぼうと思っていたジャズの即興演奏と同じ『何か』がそこにあることを強く感じた。同時に、僕が死ぬ覚悟で学ぼうと思っていた英語と同じ『何か』がそこにあることを強く感じた。即興演奏を学ぶ事と、イサーン語を学ぶことと、英語を学ぶことの間に、共通する『何か』が存在する事を強く感じた。 恐らくイサーン語が上達すると、即興演奏も上達するだろうという、漠然とした直感があった。即興演奏が上達すると英語も上達する。英語が上達するとイサーン語も上達する、イサーン語が上達すれば即興演奏も上達する、という漠然とした関連性を直感した。

その後、この感覚は恐らく中国語を学ぶ時にも応用できる筈だと考え、実際に中国で3ヶ月特訓を受けてみたところ、僕は中国語が話せるようになった。と同時にイサーン語が上達した。そういう理由から、この漠然とした直感は、今では確信に変わりつつある。

そして、本職がプログラマである僕は、近頃何故か音楽と言語能力とプログラミング能力に、関連があることを感じている。

プログラミングという技能は、英語やタイ語を話す能力と違い、商業的な希少価値があって高い値段で売れる技能である一方で、外国語を話す能力と同じように、能力が如何に高かろうと実は無能と大差ないという面がある。

外国語を話す能力には「外国語が話せるのは良いのだが、では君は何が言いたいのか。」という世界が存在する。どんな高級な言語を学んだとしても、言いたいことが無いなら何故に外国語を学ぶというのだろうか。どんなに文法が正しく正確な発音で話しても、話している内容が退屈ならば、話を聞く人は現れず、話す機会に恵まれない。よって会話能力も伸びない。 逆に、話の内容が面白ければ、多少発音が間違っていたり文法が間違っていても、いろいろな人が集まって話を聞きたがる。よって話す機会が増えて自然に会話能力が伸びる。

外国語を話す能力と同様に、プログラミング能力にも「プログラミング出来るのは良いことだが、ではどのようなプログラムを作りたいのか。」という世界がある。プログラミングとは飽くまでも手段であって、目的ではない。どんなにプログラミング能力が高くても、つまらないゲームを作ったら誰も遊ばない。逆に多少プログラムはおかしくても面白いゲームなら、みんな多少の不具合は我慢してでも遊ぼうとする面がある。これがプログラミングが飽くまでもサイエンスではなくエンジニアである所以である。



僕が今タイに居るのは、7年前に、生活費が高い日本を離れ、生活費が安い国に長期滞在するという事を考えたからだ。 僕は自分にとって必要な作業が溜まりすぎており、どうにかしてそれを消化する必要があると感じていた。 そしてここに来てから7年間と言うもの、今まで出来なかった訓練・練習・勉強・研究・作業に明け暮れた感がある。だが、未だに僕が目指している『普通』には到達していない。

僕は常に普通以下である。イサーン地方に住んでいた関係でイサーン語が話せる様になったが、現地に住んでいればそれ位のことが出来るのは当然である。僕が知っている「普通」の世界では、誰もがこの程度の事は楽勝でこなす。 自分が知っているジャズミュージシャンの知人、アイスホッケーをやっていた時代の知人含めて、全員語学が得意であり、かつ語学は手段である事を理解しており、語学以上に得意なことを必ず別に持っている。イサーン語が話せる様になった程度で満足している様では、先が思いやられる。イサーン語が話せる様になった上で、どんな面白いことが出来るのかを追求しなければ、商業的な希少価値など生まれる筈が無い。今ようやくスタート地点に立てた状態である。否スタート地点にすらまだ立てていない状況である。 そしてこれは飽くまでも余興でなければならない。

まだ修行が足りない。課題が山積している。

最低限、僕が言える事がある。僕が世界のどこに住もうと、僕が自分に課題として課している事に変化はない。僕が世界のどこに住もうと、僕が目指す物は変わらない。僕が世界のどこに住もうと、僕が僕であるという事だけは絶対に変わらない。