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2012年5月29日火曜日

正しい言葉のホンネとタテマエ (oka01-niazyzlcfpldobyt)


標準語話者居住地域 (理想)
タテマエ
標準語話者居住地域 (現実)
ゲンジツ


標準語とは一体何なのであろうか。そもそも言葉に標準・非標準があるのは何故なのか。

最近文章を書くことが多くなってきた。作業する時に作る設計メモを書いたり、ブログの文章を書いたり、実際にプログラムを書いたりすることが増えてきた。以前は実際に書く作業よりも考えている時間の方がずっと長かったが、徐々に収穫の時期に近づいている様な気がする。

以前僕はパソコンの入力デバイスに強い拘りを持っていた。PFUのハッピーハッキングキーボード(刻印なし)にケンジントンのトラックボールは、常に持ち歩いていたし、1920x1200の巨大な液晶ディスプレーも愛用していた。だが僕は現在流浪の民状態である。日本を飛び出してから、バンコク・ウドンタニー・ビエンチャン・ルワンパバーン・ボーテン・昆明のあちこちをてんてんと移動している。あまり所持品が多いと引越しが大変だ。



また部屋に閉じこもって考え事をするより、喫茶店に行ってカプチーノを飲んだり、アラブ街に行って水タバコを吸ったりと、騒々しい中で考え事をしたほうが、新しい発想に到達しやすい。この様な場面でも、所持品が多いことがネックとなる。

という訳で、ひとつ、またひとつと愛用品を手放して、現在では安物のACERのノートパソコンひとつで、全てを済ませる様になった。このマシンにUBUNTU10.04と呼ばれるOS(基本ソフト)入れてカスタマイズして使っている。殆ど不自由はない。

しかし近頃、実際に作業をする事が増えつつあり、昔愛用していたデバイス群が恋しくなってきた。ハッピーハッキングキーボードも東プレのテンキーなしキーボードもケンジントンのトラックボールも、タイで入手するのはほぼ不可能と見て良い。だが実際には、そんなに大それた物も必要ない。

先月、ロジテックのワイヤレスキーボードが1500円程度で売られているのを見つけて、衝動買いした。これの使い勝手が予想以上によかったので、近頃愛用していたのだが、徐々にテンキーが鬱陶しく感じるようになってきた。

テンキーとは基本的にデータ入力程度にしか使わない物で、僕のようなプログラマは殆ど触る機会がない。また僕はキーボード上部の数字キーもブラインドタッチ出来るので、尚更テンキーを触る機会がない。 数字キーよりもマウスの方が圧倒的に触る機会は多いにも関わらず、数字キーがあるとその分マウスが遠くなる。これが非常に鬱陶しく感じる。

そこで、テンキーの無いキーボードを探す事になった。僕が現在住んでいるタイ東北のウドンタニー県は、大変な田舎だが、近頃はバンコクの大手デパート「セントラル」が進出しており、ここに大手家電量販店が出店しているので、バンコクで一般的に入手出来る様なものであれば、ウドンタニーでも入手出来る。という訳で今日はセントラルに行ってきた。セントラルのあるテナント量販店でG-CUBEというキーボードを見つけた。3000円だった。これはタイでは高級品の部類に入る。これを購入した。



買い物を済ませてセントラルの中を散歩した。今日は週末なので、人出が多くデパート内のあちこちでイベントを開催していた。ぼんやりとイベントを眺めながら歩いていた。店の前に立って販促する店員さんが居たり、ウグイス嬢がひたすらマイク片手に営業トークを続けていたり、チラシを配る人が居たりした。

ふと僕にチラシを渡そうとする人が居た。僕は普段チラシを受け取らないので辞退したが、ふとよく見たら、それがラオス航空の販促である事に気がついた。ウグイス嬢もよく聞いたらタイ語ではなくてラオ語を話しているではないか。

タイの大手デパートのフロアで、ラオ語で販促をするというのは、大変な異常事態である。タイ国内では暗黙の了解として、人前でラオ語を話してはいけないという事になっているからだ。それで興味を持って立ち止まった。

ラオス航空が、ビエンチャン・バンコク便を飛ばしているらしい。タイとラオスは、近いのだが、一応国境を超えているので国際便扱いになる。現在タイは、空路で入国した場合30日間・陸路で入国した場合15日間滞在を許可している。この飛行機に乗ってバンコクに行けば、一応空路でタイに入国したことになるので、30日間の滞在が許可される筈だ。「バンコク行くならビエンチャンから行ったら同時にビザ更新出来るし便利かな…。」

そんなことを考えながら、ラオス航空の立看板を眺めていたら、販促している人に話しかけられた。話しかけられた時、最初何をいわれているのか、聞き取れなかった。そうしたら、タイ語で再度話しかけられた。そこで初めて何を言われているのかわかった。その人は、ビエンチャン語を話していたのだ。



その人が言った言葉は、はっきり覚えていないが ມີຫຍັງຊ່ວຍໃຫ້ບໍ່ (mi:3 ngyag4 sway2 hai6 bo2) … つまり英語の "may I help you?" と同じ様な意味の言葉だったと思う。だけど、僕は ຊ່ວຍという言葉を聞いたことがなかったので、意味がわからなかった。その後、その人がタイ語で言い直した時、 ช่วย (chway5) という単語を言っていたので、sway2が、タイ語のchway5 という事がわかった。

ຊ່ວຍ sway2
ຊ່ອຍ soe:y2

※ どちらも意味は共に「助ける」

僕は正直 sway2 という言葉を一度も聞いたことがなかった。一方、soe:y2は毎日の様に聞く。僕の周辺には sway2 という言い方をする人が居ない。恐らくウドンタニーにはsway2を使う人は居ないのではないだろうか。辞書を使って調べてみたらラオス標準語としてのラオ語ではsoe:y2 ではなく sway2の方が標準であるらしい事がわかった。だが正直、今まで一度も聞いたことがない。こういうと、sway2よりもsoe:y2の方が多いと感じる理由は、僕がメコン川のタイ側に住んでいるからだ、と思われるかも知れないが、そうではないと僕は思う。

僕がタイ東北のウドンタニーで会う人は、ほとんどがラオ語話者だ。それもウドンタニーの北部から、ノンカイ県にかけての住民が多い。ウドンタニー北部の人とノンカイ県の人は発音が非常に近い。僕が学んだラオ語は、この地域のラオ語だ。

一方そこから南部に下がって、ウドンタニー市内に住んでいる人、ウドンタニーの南部に住んでいる人は、それぞれ微妙に発音が違う。これはタイ語の影響による、という様な単純な話ではなく、センスの問題ではないかと思う。当然同じイサーン語(ラオ語)なのだが、この響きよりもこの響きの方が都会的だとか、この発音はかっこつけ過ぎだとか、この発音は田舎臭いといった、好みの問題ではないかと思う。

逆方向に、ウドンタニー北部からノンカイへ行き、ノンカイから国境を超えて、友好橋周辺へと移動すると、案外と発音が変わらない事に気づく。もちろん国境周辺には、色々な地域から色々な人が出稼ぎに来ているので色々な発音の人がいるが、地元の人の発音はさほど変わらない。地元の人の話し方を聴き分けるのは、僕にとってさほど困難なことではない。(僕は、地元の人の言う事は聞き取れるが、他の地域の人の言う事は聞き取れない。)ところがビエンチャン市内に入ると、この状況が変わる。ビエンチャン市内にはビエンチャン語を話す人が多いからだ。

ビエンチャン語は独特だ。建前上は、ビエンチャン語がもっとも標準的なラオス語の発音であると考えられているが、他のラオ語が持っていない不規則な発音変化が多く、聴感上どことなくラオ語っぽいくない。ラオス語標準語なのにラオ語っぽくないというのは、非常に奇特な意見に聞こえる知れないが、僕が知っているいくつかの他の地域のラオ語と比べると、発音も言い回しも独特なものが多く、特異な印象を受ける。 恐らくビエンチャンの人は決して認めないと思うが、ビエンチャン語の独特な発音変化の多くは、バンコク語の影響ではないか、と僕個人的には思っている。 他のラオ語の方言は持っていないタイ語の声調規則が散見され、ラオ語の声調規則とゴッチャになって混沌としている。

これも飽くまで僕のごく個人的な印象による見解なのだが、ビエンチャン語には2種類ある。ひとつは、お金持ち風のおじさんやおばさんが話す話し方だ。こちらのビエンチャン語は比較的聞き取りやすく、不規則な発音変化も少ない。タイ語の影響も聞こえるが多くはない。恐らくこちらが伝統的なビエンチャン語だ。

もうひとつはラオスの芸能人の話し方だ。このラオの芸能人の話すビエンチャン語に至っては、華々しいバンコクのテレビの影響からか、もはやタイ語そのものだ。基本用語だけがラオ語のまま、声調だけをタイ語に変えた様な印象の発音で、耳にすると一瞬タイ語と聞き間違える。



人前でラオ語を話すことを嫌うウドンタニーの街の中で、そのラオ航空のブースは若干浮いた印象を与えていた。あまり近づく人も居なかった。 ビエンチャンの人が考える都会的なラオ語のセンスは、ウドンタニーの人が考える都会的なラオ語のセンスとは合い入れず、ウドンタニーの人には受け入れられそうもない感があった。

僕がビエンチャンに行って、僕がラオ語で何かを話すと、どうも「もさい」という印象を持たれている様な気がしている。日本の関西地方で、若者があまりに完璧な関西弁を話すと「もさい」という形容詞で形容される事があると聞くが、僕の話し方は、恐らくビエンチャン人の間で、この「もさい」に相当する感じで見られている気がする。

逆に、ラオスの首都ビエンチャンとは比較にならない程、経済的に発展しているウドンタニー市内で、かっこいい制服を着て都会的な響きのタイ語を話すウドンタニーの人々の中で、僕が話す「もさい」ラオ語には、効果的に彼らの警戒を解きほぐす働きがあるようだ。僕が「もさい」ラオ語を話すと、都会的にタイ語を話していた彼らも、ラオ語を話し始める。なんのことはない、彼らも僕と同じ「もさい」ラオ語を話すのである。

田舎者ほど都会的に話す。都会者ほど田舎的に話す。 そんな矛盾。



最近僕が住んでいるウドンタニーのアパートに英語を話す人が多くなってきたので、話す機会が多くなってきた。 英語の下手さ加減は相変わらずなのだが、それでもラオ語が上達したことによって、若干思うことが出てきた。

僕は、日本を出てからというもの、色々な国から来た人が喋る英語が全く聞き取れず、英語力が足りないと思い悩んでいたのだが、実はみんなそれぞれ激しく訛っていたのではないか。

正しい英語を学べば学ぶ程、聞き取れなくなっていくジレンマ。これは僕がラオ語や中国語で悩んだ事と全く同じだ。正しい標準語を学べば学ぶ程、通じなくなっていく。正しい標準語を学べば学ぶ程、聞こえなくなっていく。正しい標準語を学べば学ぶ程、理解出来なくなっていく。そもそもどちらが標準かなど誰が知るものか。 往々にして正しい標準語を話す人は、少数派であり、皆それぞれ発音に癖を持っている。 相手に標準であることを強制する事は、大変に失礼な事だ。目の前に居る、その人が標準である。

イギリス人の話す英語も相当訛ってる。オーストラリアの人の話す英語もかなり訛っている。だが、僕がそう思うのは恐らくアメリカ英語を中心に学んだからだ。逆に見れば、アメリカ英語は激しく訛ってる。僕は、ジャズやヒップホップが好きなので、黒人の喋る英語が好きなのだが正直、全く聞き取れない。あれも訛ってる英語のひとつだろう。 正しい英語を学ぶのではなく、この違いに慣れる事が大切なのではないか。


そういう視点から見ると「正しい英語の発音」を学ぶというのは、実に愚かな事だ。正しい発音の聴き取りを試験にして、不合格者を切り捨てる日本の教育は、英語が話せない日本人の量産をしているだけである。

間違いを恐れず、自分の力でそこにある言葉を探すことが一番大切な事ではないか。



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