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2010年4月7日水曜日

日本人的自閉症 (mixi05-u459989-201004071620)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
日本人的自閉症
2010年04月07日16:20
キクヤンの日記を勝手に引用 :

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ネットちらしの裏
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1456348737&owner_id=1334195

ASの認知してる世界と普通の人が認知している世界はかなり違うらしい
歪みというかどうかはおいといて、多数派に合わせるのが楽なのは確か。
合わせること自体が大変なことなのは、あえてスルーするのがミソ

もうちょっと色々調べてみよう

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( ※ AS =Autism Spectrum = 自閉症スペクトラム … 自閉症の病気には、症状によって色々な名前がつけられている。 これらの病気全部を、グラデーションにそって少しずつ色が変わっていくスペクトラムになぞらえて まとめて 自閉症スペクトラムと呼ぶらしい。)

( ※2... ASはひょっとしたら Asperger Syndrome かもしれない。 アスペルガー症候群は、自閉症スペクトラムの中の一つの障害で、外界にあまり興味を示さないが社会的な行動には問題がない場合が多いとされる。 何かに特筆した才能を発揮するタイプでもあるとされる。 いずれにせよ、以下のコメントの文脈に影響はない。)

おかあつのコメント:

多分だけど、ASである、ASでないに関わらず、人はもともと認知している世界に相当の差があるんだと思う。 だけど、日本の一般的な社交辞令は、そのほとんどが、相手に自分と同じ認知を持っているという事を大前提として成り立っている。

山がちで集落ごとの行き来が疎であり、もともと非常に多様な文化を持った旧来の日本。 そこに新幹線が敷き詰められ、国内どこでも半日以内で到着出来るようになってしまった。 そこに加えて無数の外国から格安になった航空機に乗ってやってくる外国人。 そんな現代日本では、相手が自分と同じ認知を持っている可能性はまずない。 だから社交辞令中に、いちいちその相手の認知に合わせて行動する事が要求されるようになってしまう。 これは、実に疲れる事だ。

日本人にとって不幸なのは「多数派に合わせる」時に、その多数派というものが、もはや、どこにも存在しないということなんだと思う。 雑誌を見てても、アンケート調査が花盛りだ。「初デートで○○するのは非常識だと思う」 はい・いいえ、「ミクシで好きな人の名前を検索したことがある」 はい・いいえとか。 日本人は、こうやって必死に「失われた多数派」を探しあぐねているんだと、僕は思う。

いっそ、相手がもう自分と違うんんだ、ということを認めて付き合うようにすればよいと思うけど、日本はまだその境地に達していない。 その点でまだ過渡期なんだと思う。 (日本人が「鈍感力が大切だ」とかいって、その問題から目をそらしているうちはまだまだだと思う。)

で、思うのだけど、リアルの ASって、多分、僕等が思っているものと、まったく違う。 本物は、もっとはっきりとしている。 もっとはっきりとした社会的行動の問題を持っている。 しかし、日本人は、自分が、ASであると思っている人が奇妙に多く、ASに興味を持っている人が非常に多い。

これは、日本人が多様になってきているために、日本的コミュニケーションが深刻に破綻してきている、大きな証拠なのだと思う。 他人とのコミュニケーション方法を失った日本人は、その認知世界の中から他人の存在が消えてしまっている。 日本人の目からは他人が見えず、存在すら気付くことが出来ない。 日本人は、やむを得ず、自分にしか興味を持たなくなる。 あるいはどこからくるのかわからぬ孤独の中で苦しむのだと思う。 これは日本的孤独と言えないか。

そんな、日本人はどうしてもAS 的になってくる。 それに薄々気が付いている日本人は、自分と似ている存在である ASに興味を持つのではないか。しかし、これは決して、精神疾患ではない。


あるいはこうも言えるかもしれない。 日本人というのは他の地域に住むアジア人と比較して内向的な傾向が強いと僕は思う。 日本に居れば内向的なタイプの人と出会うことは決して少なくないと思う。 いや、確かに、日本にだって内向的な人が大多数を占めているという訳ではけっしてない。 しかし、僕が個人的にタイに住んでいる間、ありとあらゆるアジアの人と出会ったが、そんななか内向的な人というのはまず出会うことがなかった。 そういう中で、内向的な人がこれだけたくさん住んでいる日本っていうのは、すごく特異だと僕は思う。

元々、論理的な能力の高い人は内向的な傾向が強い。 彼らは自分のうちなる声と対話する事で色々な物事を考えて理解して作り出していく。 こういう人は、もともと自分について考える中で「自分という存在」自体の異質さに気が付いている事が多く、他人が自分と違う認知を持っている事を前提にコミュニケーションをとることに慣れている物ではないだろうか。 一方で、外向的な人はそういった異種間コミュニケーションにまったく慣れておらず、はみ出し者扱いしたがるものなのかもしれない。


コメント一覧
おかあつ   2010年04月07日 18:45
ちょっと書きかえた。
kikuyan   2010年04月08日 09:05
一見定型に見えるアスペルガーは多いと思う。もともと頭悪くないから、経験的に定型ぽい振る舞いを学んでそれなりにうまくやっていく。ハード的に備わっていない機能をソフトウェアエミレーションで実装する感じ。それがうまくいっているうちは、本人も自覚が無い。ただ、所詮ソフト対応なんで、やはりCPUには負荷かかりまくってる。多分それが生きづらさの正体。
おかあつ   2010年04月08日 13:22
国によっては、一言も喋らなくてもきちんとコミュニケーションが成り立って、作り笑顔を見せなくても別段に失礼にもならず、同意しない事がむしろ礼儀と考えて、思っている事をすべて直接に話して構わない国もある。 「失礼にならない」というのは、就職の面接みたいなシリアスな場面でもそうして相手が怒らないばかりか気にも止めないという事。 そういう場所に居ても疲れるだろうか。

 
出展 2010年04月07日16:20 『日本人的自閉症』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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