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2009年2月12日木曜日

言語明瞭・意味不明 (mixi05-u459989-200902120311)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
言語明瞭・意味不明
2009年02月12日03:11
พูดเก่งไม่รู้เรื่อง ( phuut keng mai ruu ruan = 言語明瞭・意味不明 )

この 「プーッケンマイルールアン」っていうのは「上手に話すが通じない」という意味だ。

僕はタイ語が話せるようになって、タイ人が 「こいつは日本人で訳わかってないから」という言葉をなんども聞いた。 日本人はまじめに語学を勉強するので、実に上手にタイ語を話すのだけど、文化背景とか独特な事情とかをまったく理解していないので、そもそもの問題としてまったく会話が成り立たないことが多いのだ。 もちろん、タイ人はみんなそれなりにがんばって日本人に自分たちが置かれている事情を説明しているのだけど、日本人は頑固なので、そういう事情をぜんぜん理解できない。 だから、そういう不満に対するあきらめとともに、「日本人は訳わからんから」というような発言が飛び出してくる。

日本人は頑固だ。 僕も、タイ人の事情はよく知っている方だと思う。 だから日本人にあうたび、そういうタイの事情を説明することに勤めるようにしているけど、日本人でそういう事情を理解できる人はまれだ。 普通の日本人であればだいたい「あぁそれはタイ人がバカだから仕方ない」という納得の仕方をして終わりになる。 日本人は実にバカである。 僕も最近はあきらめムードである。 自分も日本人のクセに、僕も 「こいつは日本人だからしょうがない」という言い方をするようになってきた。

そういえば、この間、日本に帰って入国審査をするとき、こういう職員がいた。 この職員、相手が日本人じゃないとみると、明らかにアメリカで英語を勉強したとわかるアメリカ英語のアクセントで、ベラベラとまくし立てるのだ。 で、こういう入国審査などをしている場所では、話を聞いている方は、ほとんどの場合、アメリカ人じゃないわけで、こんなにベラベラ勢いよく英語を話したって通じるワケがないのだ。 だけど、この人は英語が上手で得意になってベラベラと話しまくり、押しまくる。 聞いている方は圧倒されている。 まったくコミュニケーションが成立してないのだ。 何でこういう一方通行のコミュニケーションになっちゃうのだろうか、と思った。

言葉というのはすべからく、コミュニケーションだ。 僕はタイにいて、タイ人もアメリカ人もたくさんみかけるけど、いくらなんでもこんな一方通行な変なアメリカ人は見たことがない。 相手がわからないとみれば、相手がわかるような言葉に替えて話す。 正しい言葉、というものはコミュニケーションするうえで、さほど重要ではない。 相手に通じるように話すということが一番大切だ。 だから相手がタイ人であれば誰だってそんな勢いよく英語を話したりはしないし、知っている範囲で手振り身振りを交えてコミュニケーションをする。 英語が正しくなくとも、これだけでほぼ用事は足りるものだ。

正しい言葉を話すことは基本的には大切ではない。 事実、タイ人は決して英語は得意ではない。 だけど、タイにいる西洋人ときちんとコミュニケーションをとっている。 きちんと英語が通じている。 そこへくると、日本人は僕が知る限り、かなり英語がうまいと思う。 よく勉強しているし、間違いが少ない。 しかし、日本人は英語を話していても会話が成り立ってないことが多いように思う。 英語はすごく正しいのに何も通じてないのだ。

この、「間違っていても通じている範囲に収める」ということがいちばん大切だと僕は思う。 僕は英語やタイ語・ラオ語を話すけど、正直言って完璧正しく話しているかと聞かれたらまったく自信がない。 かなり間違ってると思う。 でも、かなり通じてはいると思う。 何かを話したとき「あーそうそう」というような同意を得られる範囲を知っているからだ。 これさえあれば、コミュニケーションは成立する。

言葉はものじゃない。 人そのものだ。 最近、タイ語の本にせよ、英語の本にせよ、たくさん出ている。 でも、読むとなんだか不気味に感じてくる。 こういう本にはありとあらゆる「正しく話すためのノウハウ」が網羅されている。 確かに正しい英語・正しいタイ語を話すことは大切だ。 だけど、正しく話したからといって正しく通じるわけではない。 ここがミソじゃないだろうか。

言葉以前の問題として、相手をよく観察して、相手が思っていることを推測し、相手が知っていることを研究して、言葉にならない心情を汲み取る、そして、発言するタイミングをよくみはからって、身振り手振りを交えてアピール、常にわかりやすい表現に勤めて、相手が知っているものの範囲内で説明する、というような「言葉を使わないコミュニケーション」をまず考えることが大切ではないだろうか。



昨日・今日と、在日本のタイ人コミュニティーにまぎれ一泊させてもらって帰ってきて、そう思った。


コメント一覧
沙羅   2009年02月14日 01:40
>言葉はものじゃない。 人そのものだ。

>言葉以前の問題として、相手をよく観察して、相手が
>思っていることを推測し、相手が知っていることを研究して、
>言葉にならない心情を汲み取る、そして、発言するタイミングを
>よくみはからって、身振り手振りを交えてアピール、常に
>わかりやすい表現に勤めて、相手が知っているものの範囲内で
>考えることが大切ではないだろうか。

おっしゃること、よく分かります。

言葉以前に、人の心を読み取ることが、今の人達には
欠けているのでしょうね~

上手に言葉を操る以前に、もっと大切なものを学ぶ必要が
あるのでしょうけれど、それをどこで学ぶかといったら、
とても難しいことなのかもしれませんね。

 
出展 2009年02月12日03:11 『言語明瞭・意味不明』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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