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2007年4月26日木曜日

(4/27 12:20 更新) 神が与えたもうたプログラム (mixi05-u459989-200704261359)

ミクシ内で書かれた旧おかあつ日記を紹介します。
(4/27 12:20 更新) 神が与えたもうたプログラム
2007年04月26日13:59
こういう記事(下記参照)を見つけたのですが、とても面白いと思いました。 ある特定の問題の核心を射抜いていると感じました。

ただ、僕のようなシステム屋が、こういう人達の意見を見て、何だかおかしな感じがしてしまうのは、この人たちにとって新しい技術というのは、自分たちで作るものではなくて、なんだかソラから自然に落ちてくるもののように語るからです。

プログラム・システムというものは、自分たちがおかしいと感じたならば、自分たちで、それが本来どうあるべきなのか考え、自分達で作りあげていくものの筈です。 なのに、この人たちはそういう視点がすっぽりと抜け落ちている、僕はそこが何か変だと思うのです。

一人の無名なプログラマの僕にいわせれば、ですが、この人達の『メディア』という言葉の定義の狭さには、辟易します。 彼らが語るメディアというのは、単に収入を得て文章を書いている人達のグループ、という以上の意味が感じられません。

確かに今までは、メディアといえば「一般大衆」に対する「一部のプロと呼ばれる人たち」という意味合い強いものでした。 それが現在では、本当の意味での情報の媒体=「誰もが、誰もへ情報を送る」という意味合いに変りつつあります。

( 本当のメディアの意味については
メディア論 マーシャル マクルーハン
 http://www.amazon.co.jp/dp/4622018977を参照)

これまでの既存のメディアでは、一般大衆に語りかけるためには、マスコミと呼ばれるグループに属す必要がありました。しかし、マスコミに属するためには、ある一定以上のレベルをクリアする等々の参入の敷居の高さがあったため、マスコミに居る人は、最低限「文章のスキル」「表現のスキル」が一定の基準を満たしている必要がありました。 これが、「どこで知ったの?」「テレビ」「じゃぁ間違いないね」的な、信用を生み出していたのではないかと、僕は思います。 これは、テレビに限らず、新聞、雑誌、歌謡曲全てにいえることではないかと思います。 このような参入の敷居の高さ=一般大衆との住み分けが、メディア内で流通している情報のクオリティーが一定のレベルを満たしている事を保障する信託になっていたと言えます。

これが「誰もが誰もへ」というメディアでは、大衆に語りかけるためにマスコミに属する必要はありません。 つまり、マスコミに参入するための敷居の高さの悪い面=本来の表現能力と関係無い、マスコミ関係者の人間関係に割り込むための粘り強い努力は必要ありません。 これは、柔軟な意見・斬新な意見を持つ人が自由に発言する機会を与えるよい性質です。 しかし、それと同時に、その文章のレベルを保障する「マスコミ出身なの? 文章がうまいんだね」的な信託が成り立たないことも意味します。

だからこそ、今のブログは玉石混在なのではないでしょうか。 無数の「今日はイヌの散歩に行きました」的なエントリーのなかに、素晴らしい感動的なエントリーが埋もれてしまい、出会うことが出来ないのではないでしょうか。

ビジネス的にみても、これでは商売になりえません。

問題はそこに集約されるのではないかと僕は考えます。

これは大きな問題です。

だからこの問題の解決策として、「ウェブ」「マスコミ」のお互いの足りないところを補完しあうような形が模索されたのではないでしょうか。 その一例が「続きはWEBで」的な、テレビで宣伝し、詳細はウェブ でという住み分けが生まれたのではないでしょうか。 つまりウェブが苦手な信託を生み出すしくみをマスコミが担い、テレビが苦手なインタラクティブ性をWEBが、という住み分けが出来上がったのではないかと僕は考えます。

では、ウェブ単独では、その問題を永遠に解決出来ないのでしょうか。

そんなことはありません。 現在はその問題を認識してシステムを開発している技術者がおらず、その良いソリューションが存在しないだけではないかと考えます。

このような信託するための機構というのは、技術的・論理的には十分可能なことに注目する必要があると思います。

つまり、将来その信託を成立させる技術が完成した場合、既存のメディアの存在意義は無くなり、この「既存メディア」「WEB」という組み合わせの構図が大きく書き変る可能性があります。




海外では、自分の力で考え、自分の考えを人に説明する、論理的な文章を組み立てる練習を、子供の頃から積極的に行っているそうですが、日本では、ほとんど一般的ではありません。 この文章を書くスキルというのは、才能とは一切無関係であり、単純にパターンを知って訓練をつむという問題以外の、なにものでもありません。

よりインターネットが成熟するであろう将来は、ただ単に、こういう表現のスキルを身につけることが一般的になるだけでしょう。 そこでは、より自由な表現、自由な住み分け、同一ジャンルでの激しい競争が生まれるはずです。

こうして、今「マスコミ」という防護壁に囲まれて安泰としている人たちは、容赦なくその荒波にさらされることになるでしょう。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070425-00000030-zdn_b-sci

新聞対Webメディア対ブログ――新旧メディアの長所と短所とは?

4月25日10時59分配信 ITmedia Biz.ID

 「新聞はなくなる?」「オンラインニュースのミッションとは?」「ブログはメディアになれる?」――。4月23日、毎月都内で開催される参加型イベント「RTCカンファレンス」で新旧メディアのあり方を議論した。パネリストは、「NIKKEI NET」を運営する日経新聞デジタルメディアで記者として記事を執筆編集する重森泰平氏、アイティメディアの「Business Media 誠」の吉岡綾乃編集長、ビジネスニュースコミュニティ「FPN」の主宰でブロガーの徳力基彦氏の3人だ。

【画像】

●ブログで儲けるのは難しい

 「みなさんブログやってますか?」。FPNの徳力氏の問いかけに、会場に詰め掛けた100人ほどの参加者のうち約半数が手を挙げた。徳力氏は続けて、「自分のブログがメディアだと思いますか?」とも質問。こちらは一転、会場からの反応はなかった。

 「これがソーシャルメディアといわれるブログの長所と限界なんです」と徳力氏。「ブログを始めるのはたやすいが、始めたブログをメディア化するのは難しい」という。ブログには3段階あるというのが徳力氏の持論だ。まず、自分のためのメモなどから始める極めてパーソナルな段階。続いて、少人数の読者と仲間感覚でコミュニケーションする段階。最後が1日1500ページビュー以上稼ぐメディアの段階だ。

 特に難しいのが、コミュニケーションからメディアに移る段階である。知り合いや近しい読者10人ぐらいに向けて書いているときであれば、読み手も書き手を知っているため、記事に問題があったとしてもそれほど大きな問題にはならない。ある種、読み手と書き手の間に信頼があるわけだ。しかし、そんなブログに2ちゃんねるなどからリンクを張られて、書き手と知り合いでない不特定多数が見にくると炎上する可能性もある。「オレの言っていること分かるでしょ? が通じなくなる」(徳力氏)のである。

 たとえメディア化に成功したとしても、ビジネスとしてのブログは簡単ではない。徳力氏によれば「米国と比べると広告単価はひと桁もふた桁も違う」という。「ブログで儲けるのは難しい。だが、ブログで儲けようとしない人には有力なツールになる」。つまり、別に本業があってその宣伝や広報活動にブログを利用することなどは効果的なのだ。「既存のメディアビジネスとは異なる見方をしたほうがいい」という。

●新聞の編集技術、オンラインニュースの速報性

 一方、新聞はどうか。NIKKEI NETの重森氏は、新聞という紙媒体の今後には危機感を持っている。というのも「新聞の読者層はオンライン媒体に比べて年齢層が高い」からだ。新聞を読み続けてきた団塊世代が退職するのを機に「明日から日経を読まなくてもいい」となると、どうしても売り上げは減少せざるえない。

 とはいえ、新聞には高い編集技術もある。例えば見出しの付け方だ。思わせぶりなタイトルでクリックを誘うことを“釣り”と呼んだりする。日経新聞ではこうした“釣り”は行わないという。「わざわざ本文を読まなくては分からない見出しより、ベタでも見出しだけで分かるほうが時間の節約。ビジネスの生産性も高まる。そのためにお金を払ってもらっている」(重森氏)。つまり、日経新聞における最高の見出しは、見出しを見ただけで記事の内容が分かるというものだ。だから、最後に「?」を付けるようなあやふやな見出しはNG。こうした点はメディアの信頼性にもつながるとも考えている。

 だがオンラインメディアでは、こうした日経式の見出しが不利に働く。現時点では、ページビューを増やすことが売上に直結するオンラインメディアでは、「分かりやすい」だけではクリック数を稼げない。分かりやすさとともに「思わずクリックしたくなる表現」が重要だ。NIKKEI NETではそんなオンライン向けの見出しを検証し始めたところ。重森氏は「ノウハウがたまっているわけではない。ブログやオンラインメディアのタイトルは、面白そうだなと思わず押しちゃう」と素直に明かした。

 紙媒体を追いかけるオンラインニュースの立ち位置はどこにあるのか。Business Media 誠の吉岡編集長はWebメディアの強みをこう語る。「まず速報性。例えば、携帯電話の新機種が出たら、発表会開始から10分前後で記事になる。また、文字数の制限がなく、いくらでも詳しく書けることや、記事を蓄積できることも長所だ」。

 「オンラインニュースサイトは、インターネット技術の発展とともに歩んできた。ナローバンド時代は画像サイズも小さめだったが、ブロードバンド時代に入ってからは大きな画像だけでなく、動画なども掲載するようになった。『誠』ではトラックバック機能を備え、ブログからの反応を受け止める。ソーシャルニュースサイトのnewsingとも連携して記事に対して読者が投票できるようになった。もちろん投票結果も反映する。今後はオンライン媒体ならではのメディア像を確立することがミッションだ」(吉岡編集長)

●もっとブログに“構って”

 三者三様の新旧メディアだが、当面は「紙もオンラインも共存する」というのが3人の見方。重森氏は「これからのメディアにはコミュニケーションが必要。ブロガーに記事を書いてもらうようなことも積極的に取り組みたい」とコメント。吉岡編集長は「これまでのオンラインメディアは趣味に偏っていたり、テクノロジーに強かった。新しく始めた『誠』では新聞を読まなくなった世代に、ニュース+αを提供していく」とアピール。徳力氏は「普通の人たちもブログを書くようになった。書き続けられるようにメディアも構って」と、メディアの側からリンクを張るなどして一般ブログとも“交流”してほしいと呼びかけた。


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出展 2007年04月26日13:59 『(4/27 12:20 更新) 神が与えたもうたプログラム』

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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