僕はよく人のことを馬鹿にする。
— オカアツシ 🗣️🇯🇵🇹🇭🇱🇦🇨🇳🇬🇧 (@ats4u) June 4, 2021
だけど僕が馬鹿と言ってる人はしばしば、人々からは非常に頭がいいと思われてる人でもある。
— オカアツシ 🗣️🇯🇵🇹🇭🇱🇦🇨🇳🇬🇧 (@ats4u) June 4, 2021
だけど『頭が良い人』をよく見ていていると、理解が足りないところがあったり、周囲の人が理解できないことをいいことに、いろいろと誤魔化していたり…
— オカアツシ 🗣️🇯🇵🇹🇭🇱🇦🇨🇳🇬🇧 (@ats4u) June 4, 2021
ま、世間はいろいろ事情があるので、そのへんはいいっ子なしということで
僕は基本的には人を馬鹿にしない。馬鹿にしても意味がない。僕が馬鹿にする時は必ず、攻撃を受けた時だ ─── そう、僕はしばしば頭のいい人から非常に感情的な攻撃を受ける。
— オカアツシ 🗣️🇯🇵🇹🇭🇱🇦🇨🇳🇬🇧 (@ats4u) June 4, 2021
『頭の良い人』は、僕がやっている事を理解する知力がある。そして彼が彼自身がそれを全く出来ないということに気付く認識力がある。そこから彼の無能さを認識する洞察力もある ─── だから怒る。
— オカアツシ 🗣️🇯🇵🇹🇭🇱🇦🇨🇳🇬🇧 (@ats4u) June 4, 2021
本当に馬鹿な人というのは、しばしば、物事を非常に直感的に捉えており、実は非常に的確に物事を理解している。ただ単にその理解を言語を使って分析したり説明したり出来ないだけだ。彼らは自分を判っている。 ─── だから馬鹿な人は僕を見ても怒らない。
— オカアツシ 🗣️🇯🇵🇹🇭🇱🇦🇨🇳🇬🇧 (@ats4u) June 4, 2021
視点
─── こうも言えるだろう。馬鹿な人は自分が馬鹿だという事を受け入れているので怒らない。 馬鹿でない人は自分の馬鹿さ加減を拒絶しているので怒る。
いわゆる『頭が良い』人は、馬鹿を馬鹿にして自分の自尊心を保っている。だから怒る。いわゆる『馬鹿』な人は、しばしば他人に対する尊敬を持っているので怒らない。
『頭がいい人』というのは心にいろいろな隙間を持っているものではないだろうか。