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2018年9月12日水曜日

関東人は冷たいから嫌いだし、ネチネチしつこいから嫌い (oka01-xtufdgktnqrovplj)

多分一生分かり合えない関西人と関東人 を読んで色々なことを思った。


知っての通り、関西人と関東人は、大きく違う。もし貴方が、関西人とだけ付き合うなら、何も問題はない。そしてもし貴方が、関東人とだけ付き合うなら、これもまた、何も問題がない。

問題は、関西人と関東人の両方と同時に付き合うときなのだ。

欠点だらけの関東人

僕は、関東人だが100%関東人ではない。関西と関東の両方が混ざっている。僕は、関西ノリでも関東ノリでもどちらでもいける。 ─── とはいえ僕は、基本的に関東人が嫌いだ。

確かに東日本人は、極めて真面目で、物事を安定的かつ確実に進めようとする。仕事を任せると確実に遂行するので安心感がある。だが沢山の欠点がある。

いつも単視点的で、世の中に色々な考え方があっても許される…という柔軟な考え方ができない。自分と違う考え方の人に執拗に執着し、考え方を自分に合わさせようとする。

無愛想でコミュニケーションがなく、頑固な人が多い。自分の適応力の低さを棚に上げ、ちょっとした違いに敏感に反応して、しつこく苦情を言うタイプの人が沢山いる。

周りをよく見ていないので、すぐ人とぶつかる。基本的に人が多い場所が苦手で、そういう場所に出入りしているだけで、その人を「ろくでなし」扱いする。
 
真面目にコツコツやることは得意でも、長期展望を計画することが苦手だ。世の中の全ての問題はどんな問題であろうが、真面目にコツコツやれば解決すると錯覚している。

いくら東日本人は根気強さが持ち味といっても、米粒を1日1粒づつ集めて100メートルの山を作ることはできない。100メートルの山を作るためには、具体的な戦略を考えなおす必要がある。だが東日本人にはそういう戦略性があまりない。何が起こっても延々と米粒を1粒づつ集めつづける。

数ある欠点のなかでも、状況の変化に全く対応できないというのは致命的だ。状況変化に対応するということが「頑張れば出来る」というレベルではなく、完全にやる気がない。一度作られた習慣を変えることが著しく困難な人が多い。僕はこの気質のことを「暴走機関車」と呼んでいるが、東日本人は一度走り始めたら、二度と止まらない。最低でも20年は止まらない。

「変わらなければ共倒れだ!」という危機的な状況に落ちても、変わらない。何故かというと、東日本人は基本的に「変えるくらいなら死んだほうがましだ」と考えているからだ。変えようとすると死のうとする。死ぬのも自由なので、勝手に死んでくれと思うのだが、どういうわけかその自滅に他人も巻き込まないと気がすまない。東日本人は、精神的なメンテナンスが、非常に面倒くさい。

僕はいちおうネイティブ関東人で、風貌も関東的だが、中身は関西的なので、それが親戚・地元人の癇癪に触れて、連日連夜何十年も継続してネチネチと文句を言われ続けている。これまでに、そのあまりのしつこさに何度発狂したか知れない。

僕の人生は全て、頭の悪い東日本人のご機嫌取りだ。 ─── 僕の人生は東日本人にボロボロにされた。東日本人は頭が悪い。僕の能力も、僕の特技も、僕の語学力も、僕の思考力も、僕の学習力も、僕のプログラミング能力も、全て頭の悪い東日本には理解不能だ。僕は、全て潰された。そして飽きっぽい僕を、無理やり農民としてコツコツ働かせようとする。

コツコツやれば何でもうまく行くなら、僕もやろう。だが複雑化する現代社会では、コツコツやるというのは、最低条件でしかない。コツコツやりながら、大胆に全てをぶち壊す創造性も同時に求められる。

関西人の難しさ

前述のとおり、僕は、関東人だが100%関東人ではない。関西と関東の両方が混ざっている。僕は、関西ノリでも関東ノリでもどちらでもいける。

そういう僕にとって一番難しいのは、関東に来て関東流でやろうとしてる関西人を、どこまで関東人扱いしていいのか…ということだ。

関西ノリ関東ノリのどちらでもいけたにせよ、あるタイミングで、自分の性格をその人に合わせて切り替える必要がどうしてもある。関西と関東の価値観は完全に正反対なので、その両方を同時に出すことは不可能だ。だからトランプのカードの様に、前もって必ずどちらかを選んで、エイと出す必要がある。この決断が非常に難しい。

難しい理由は、関西人を関西人扱いしたらしたで、色々問題があることだ。

そもそも、関西人も関東に来れば頑張って関東弁を話すし頑張って関東人っぽく振舞う。だが、だからといって完全に関東流に扱ってしまい、関東人がやるように単刀直入にその人の問題を指摘したりすると、関西人は大抵動転してしまい、感情的に大爆発してしまう。

関東人(=東北人を含む東日本人)は、しばしばとても真面目で、真正面から問題と取り組む人が多いので、単刀直入に問題を指摘することを好む人が多い。だが関東流にしているつもりの関西人に対して、関東人・東北人と同じような単刀直入な扱いをしたら、大抵、瞬間湯沸かし的に沸騰して激怒、大問題に発展する。

とはいえ関西的に「いいやん!いいやん!楽しいから!」でやっていると、物事が遅々として何も前に進まないだけでなく、そういう関西ノリを見ると鬼の首を取ったように口撃を開始するタイプの関西人から執拗な攻撃に遭うケースも多い。(彼らは関東人のふりをしているが、絶対に違う。何故なら関東人は関西人が好むような人混みを嫌うからだ。関東人はひっそりした場末を好む。)

せっかく関西的に受け入れやすい場を作っているのに、鬼の首を取ったように「何ですか貴方は!そんないい加減なことでいいんですか!」と人を『駄目関西人扱い』しながら、逆襲してくる。関西人が、関東で関西的な配慮を示されると、しばしばこのように、関西的なノリを逆手に取って、ここぞとばかりに叩き潰しに来る。東京にいる関西人は、しばしば自分が関西的な寛容さを持つことを快く思っていない様だ。

また東京にいる関西人はしばしば、関東で生活するなかで、意地でも関西弁を出さないし、わかりにくい訛った関東弁に固執してしゃべり続けようとするので、コミュニケーションが硬直化して非常に付き合いにくい。大抵の場合、無理に関東弁で話されるよりも、関西弁で話してくれたほうがずっと言っていることがわかりやすいのだが、にも関わらず、しばしば関西弁を隠す。

関西人の関東人真似がうまくなってくると、更に問題が複雑化する。自然な関東弁を話す関西人を関東人だと思ってしまうのは仕方のないことだが、関西人であることに気付かずに、うっかり関東人的な扱いをしてしまうと、瞬間的に沸騰してしまう。

大抵の場合は「お前は常識がない」「お前は周囲の空気を読まない」と自分の問題を棚上げして逆襲してくる。ここで関東的に「常識がないのは自分だろ」などと具体例を指摘してしまったりすると、関西人の顔には「関東人はすぐに自分の考え方を押し付ける!」という表情が浮かび、「なんでお前は延々と自説に固執するんだ!」と言いながら延々と自説に固執する突っ込みどころ満載な関西人が発生する。

そこで僕がうっかり「関東的な一般常識」を具体的に説明したりしてしまうと、その場にいる関西人が全員結託して僕を攻撃し始める為、結果として、その場にいた関西人が意外と多かったことが逆に発覚してしまい、発覚したことに気付いたその場の関西人全員が瞬間的に沸騰してしまったりもする。

関西人は、関西人として扱われても関東人として扱われても怒ってしまうので、扱いが難しい。

エセ関東人の存在

関西人に是非知ってもらいたいことに、「関東人の8割位はエセ関東人なのだ」ということがある。都会の人間関係は複雑だ。自分の正体を明かしている人は稀で、関東人のふりをしている関西人も非常に多い。関東人の真似がかなり巧く、全く見分けがつかなくなっている関西人も相当数いる。

自分が関西人であることを隠し、関東人のふりをして関西人に嫌がらせをするタイプの関西人もいる。 関西弁を隠さないタイプの関西人などがしばしばこれの餌食になる。滑稽なのは、こういう『隠れ関西人』自身が、実は自分と同じような『隠れ関西人』が身の周りにたくさんいると気付いていないことだ。

僕はネイティブ関東人でもあるので、僕の親類や、僕の家の近所に住んでいる野蛮なネイティブ東京地元土人と比較することで、大半のエセ関東人を「これは明らかに関東人ではない」と識別することができる。それは、東京の部外者には全く不可能なことかも知れないが、それでもよく観察していれば、部外者でもある程度は見抜ける筈なのだ。

モノの伝え方の違い

関東人(東日本人)は、コミュニケーションよりもクオリティーを重視する。だからあまり喋らないし、実質作業を重視し、心理的な配慮よりも問題解決の確実さを優先する。

関西人(西日本人)は、しばしばクオリティーよりもコミュニケーションを重視する。だから会話を重視するし、問題解決よりも心理的な配慮を優先する。

─── 違いがあること自体は良いことだ。お互いの特性の違いを理解しあって、助け合う関係を構築することができる。

だが僕が関西人を見ていて苛立つことに、「コミュニケーション重視やねーん」といいつつ、実際は関西人同士で固まって全く外部の人とコミュニケーションを取らない人が非常に多いことだ。それのどこがコミュニケーション重視なのかと、問い詰めたい。

確かに関西人は、日本社会全体で一番人口が多いマジョリティーのひとつだが、関西以外にも四国・九州・北陸・長野・関東・東北・北海道の人が集まってくるのが東京だ。

東京には色々な人が来ている、という事実を完全に無視して「東京モンはキモイわー」「東京モンはしつこいわー」「東京モンは無口やわー」と全ての罪悪を『東京モン』になすりつけ、言い訳ばかりしている関西人。

東京に憧れて、東京に出てきたのではなかったか。東京クオリティーを目指して、東京に来たのではなかったのか。服装・喋り・外見ばかりが東京流で、中身は一切東京流にあわせない。それでいいのか。

・・・などと、関西人を見ていていつもそう思っているが、絶対に言わない。「しめしめ関西人だとバレてないな」と勘違いして生活している関西人に、そんなこと言ったら、大激怒するに決まっている。─── だがそこを敢えて言って、正面から問題を解決しようとするのが関東人なのだ、と。

この様に、関西・関東のどちらでもいけるけど、どちらを選ぶかが非常に難しい。

─── 東日本人にあわせるのは、東日本人の僕も面倒くさいと思っている。うんざりして嫌々に東日本に合わせている。そんな僕に、西日本人が「お前はネチネチと気持ち悪いんや!」と絡んだらどうなるか  ─── 当然、血祭りである。

哀れ、30年以上の怨念が鬱積するなか、鬱憤ばらしとして格好のサンドバッグとして肉体を捧げてくれた彼に、感謝の念を表す以外ない。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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