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2018年9月19日水曜日

空気を読め、という悪魔の囁き(oka01-vwsyqhisgawmwnpr)

黒人教会の牧師がよく、『 Devil is a lier (悪魔は嘘つき)』と口癖のようによくいうのだが、全くその通りだと思う。他人がいう嘘を聞いてしまうと、人生がどんどんとおかしくなっていく。


僕は、プログラミング業界でも、ジャズ屋業界でも、 非常によく「お前は空気が読めない奴だ」と言われてきた。どうやったら空気が読めるようになるのか、長年に渡って悩んだ。

僕がタイに渡ったのは、 「空気が読めるようになりたい」という気持ちもあった。ラオ系タイ人はものすごく空気を読むので、ラオ語(タイ語の方言)が話せるようになったら、僕も空気が読めるようになるに違いない、という思いがあった。

 ─── あれから10年の月日が流れた。 僕はラオ語が話せるようになった。タイ人から日本人だと信じてもらえなくなる程、ラオ語が話せるようになった。僕は、タイの親東北部〜ラオスの国境付近の奥地でバイクを走りまわらせて、地方文化の中に適応して長年にわたり生活してきた。言葉も風習も文化も全く違う奥地での生活 ─── これは、実に高度な『空気読み』が必要な行為だった。

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で、思うのだが、タイ(バンコク)にいる日本人(9割方が西日本人)は、全く空気が読めない。タイ人が思っていることが全く読めていない。ラオ系タイ人が思っていることも全く読めていない。というか、そもそも、タイ系タイ人とラオ系タイ人の違いが見分けられてない。

タイ人もラオ人も、実におべんちゃらが巧いので、日本人が気分よくなるような甘い言葉ばかり言うのだが、そういうおべんちゃらが見抜けないので、すぐに舞い上がってしまう。

そのくせに「タイ人は空気が読めない云々」他人の文句ばかり言っている。 ─── タイ語もラオ語も日本人にとっては決して難しい言語ではないのだが、話せないし、話せる人も、幼稚園児レベルで鼻高々になり威張り散らす、ちょっと態度に問題がある人ばかりだ。

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僕は、日本に帰ってきた。(※ 都内=僕は東京ネイティブ土人でもある。)

ラオ語が話せるようになった僕は、実際に空気が読めるようになった様だ。

だが街に繰り出すと、未だに「お前は空気が読めない」と言われる。

これは一体どういうことなのか。

空気が読めない奴ほど、空気を読めと連呼する。 

僕はそう強く主張したい。

僕は、空気が読めるようになったが、他人に「空気読めよ」などと絶対にいわない。それを言う前に、自分が空気を読む。空気を読んでも、それを無視することもある。世の中には色々な考え方の人がいる。他人の意図を全て汲み取っていたら、生活できない。

そういうなかで「空気を読め」という発言は、水戸黄門の印籠のような働きをする。印籠は、本来「関東文化」なのだが、それを逆手にとって、「空気を読め」と逆襲する形で関東人をやっつけようとする。 関東人は印籠を出さないのに、どういうわけか関西人に限って決まって印籠を出してくる。

それは一種の暴力だ。

だがどうやら僕は、そういう先制攻撃をしばしば受けている様だ。だから僕(※ 関東・関西ハーフ)の僕が、報復として、関東的に「関西に帰れ」と暴力を振るうと、それは差別だ、という話になる。

僕は「自分が暴力を振るうから、暴力を振るわれるのだ」と強く主張したい。だが西日本人は、次から次へとやってきて、暴力を振るっていく。

関東人が、関西の地元に来て「お前は関西人ちゃうんかい!関西人なら、関西人らしくオモロイこといいーや!」と気持ち悪い関西弁で怒鳴っていたら、最悪に腹が立つだろう。

逆もまた然りである。

僕は、そう強く主張したい。

お前のどこが西日本人なのか、という声が聞こえて来そうだが、そんな貴方に良い事を教えよう。「空気読めよ!」と言われると大半の関東人は、黙る ─── 関西人は、そう簡単に黙るだろうか。 ご自分の心に真摯に問いただしてみると良い。

『空気を読め』という悪魔の囁き

「空気を読め」という言葉は、悪魔の囁きだ。それを聞くと、感情が波立ち、前向きな感情が破壊され、人生がどんどんとおかしくなっていく。

「空気を読め」という言葉は、悪魔の囁きだ。弱い人間が自分の弱さに負けて、自分に嘘をついて、自分の意見を聞いてくれる真面目な人を押しのけて、自分の居場所を作っている人に特有な、悪魔の囁きだ。心の弱さを許して、それを手助けすると、社会に弱い心がはびこって、世の中がどんどんと住みにくくなっていく。

悪魔の言葉に耳を貸してはいけない。

悪魔の言葉に理解を示してもいけない。

悪魔の言葉に報復しようとしてもいけない。

「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」ローマ人への手紙12章19節


だが悪魔の言葉に負けてもいけない。


著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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