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2017年3月2日木曜日

東京のルール (oka01-ebfckdswjnxgmiie)

最近、久しぶりに実家(東京)に戻ってきて、僕は、僕が人と話しているときに、ちょくちょく「えっ?」「えっ?」と聞き返していることに気付いた。恐らく以前もそうだったのだが、気付いていなかったのだ。僕はふと、この聞き返している自分自身に、ある法則があることに気付いた。

今日は、いつもの様に用事を済ませたあと、ちょっと思いついたことがあってブラっと都内某所の楽器屋さんに行った。その楽器屋街で働いている方々は、どの方も商品知識が豊富で、客の問い合わせに迅速で正確な返答がある。

今日もいつもの様に店に入って、店員さんに質問して色々教えてもらっていた。そこで数人の店員さんと話した。僕の問い合わせは若干やっかいな商品に関するものだったので、明後日情報が入り次第、折り返しご連絡します、とのことだった。

その時、「お名前と電話番号を」と言われたのだが、最初の一回目で僕は何故かはっきりききとれず、思わず「え、なんですか?」と聞き返してしまった。「お名前とお電話番号を」もう一度言った店員さんの表情に、微妙な不愉快感が現れていた。僕は何故そういうことが起こったのか、よくわからなかったが、とにかく失礼なことをした、と思い丁寧に対応して、その場を去った。

実は最近、他の状況でも同じように、非常に些細な単語(その時は地名だったのだが)が聞き取れずに「え、なんですか?」と聞き返して、変な雰囲気になったことがあった。その時は相手の方が非常に温和な方だったので、不愉快感が表情に現れた、という程のことはなかったのだが、一瞬だけ、何か奇妙な雰囲気にはなった。

実は僕は、かなり地獄耳だ。遠くの人の話に聞き耳を立てて話の内容を追ったりすることが得意だ。僕はラオ語を10年程度勉強してきたが、ラオ語の教科書もない・辞書もないという状況下で勉強していたので、情報源はもっぱら『立ち聞き』だった。

騒々しい大通りや、賑やかな居酒屋などで、慣れない外国語に聞き耳を立てるのは、決して容易ではないが、ラオ人はしばしば、ラオ語の核心にまつわる部分(悪口やスラングやギャグの意味など)はあまり教えたがらないので、そうするしかなかったのだ。

聞き覚えで入ってきた単語をそのまま口真似して言ってみて、相手の反応を見るというごく原始的な方法で単語の意味を覚えていく。音を忘れてしまったらそれまでなので、集中力を必要とする。

また僕は同時に、タイで交流した大勢の日本人のほとんどが西日本人だった。関東弁しか話せない僕は、この10年間でいろいろな関西弁の人らと話しあうなかで、聞き間違えや、表現の意味の違いによって、何度も言い争いになったりした。

そういう10年を過ごしたあと、僕は東京に帰ってきた。それで「何で僕は聞き逃したのだろう」と自分に疑問を持ち、それでどういう風に言われた時に僕が聞き逃したのかを思い出して、考えてみた。

よく思い出すと、彼らは「噛んでいる」のだ。何かを言おうとしているときにうっかり「噛んで」しまって、正しく発音がでなかった。その瞬間、僕は発音を解釈できなくて、「え?」と聞き返している。

・・・

僕は、タイ語が話せるのだが、僕が話せるタイ語は、標準語ではない。タイ語の方言だ。タイ国内には、隣り合ったラオスの言葉との中間言語の様な方言『イサーン語(タイ語の東北方言)』を話す人がたくさんいる。一説によると、タイ国民の5割以上の人がイサーン方言を筆頭としたラオ語の影響が強い方言を話すらしい ─── 僕が話せるのは、タイの東北方言イサーン語だ。

話せる様になって気付いたのだが、方言を話す人らは、僕が多少「噛んで」しまって、発音が間違ってしまっても、大抵聞き取ってくれる。僕が住んでいた地方都市では、みんなそれぞれ訛っており、誰もが多少発音に癖があるのが普通なので、多少「噛んだ」程度で、意思疎通に支障がでるようなことはない。

そして、この訛った感覚に慣れた状態でタイの首都のバンコクにいく。バンコクでは標準語しか通じないかと思いきや、そんなことはなく、大半の人が訛った状態でも通じる。何故かというと、大半の人が地方からの上京者だからだ。

バンコクにも、バンコク地元人の人が多い地域と、上京田舎者が多い地域とある。バンコク地元人は、バンコクでも非常に人口が少ない。彼らはマイノリティーで、住んでいる地域が限られている。

そういうバンコク地元人が住んでいる地域に行って、僕がタイ語を話すと、驚くほどに通じない。少しでも「噛んで」しまうと、「え?」と聞き返される。

これで僕はイライラして、しばしば怒ってしまうのだ。「それ位の些細な訛りくらい、聞き取ってくれもいいだろう!」と腹立たしい思いをする。だが、そんな思いも虚しく、全く通じない ─── 人にもよるが … 通じない人は多い。 教育レベルが高くて生活の都市化が進んでいる人のほうが、訛り耐性が低い傾向がある。少しでも噛むと聞き取ってもらえなくなる。

・・・

タイで10年間過ごした結果、僕は、はっきりと確信を持って正しいといえることが、ひとつだけある。それは『タイで起こっていることは、大抵日本でも起きている』ということだ ─── バンコクのバンコク地元人はマイノリティーだ。バンコク住民のほとんどが上京した田舎者だ。田舎者はバンコク地元人に敵意を持っている。だが田舎者はしばしば、バンコク地元人とは疎遠で、見たことすらなかったりする。田舎者をいじめているのは実は都会者のふりをした田舎者。バンコク地元人は保守的で、田舎者に興味すら無い  ───  これと全く同じことは、東京でも起きている。

・・・

果たして僕は東京に帰ってきた。僕が東京で「えっ?」「えっ?」と聞き返しているのは、何故か。それはその相手の発音が微妙に訛っていたからだ。だがそれは「訛り」と呼べるほどの発音の変化ではなく、普段話なれていないことにより、「噛んで」しまった程度の発音差なのだ。だがその発音差が、東京地元人や東京近郊人の訛りと全く違う法則で変化するので、一瞬聞き取れない。そのポイントで僕は「えっ?」と聞き返している。これが非東京地元人の神経を逆なでするのだ。「それくらい聞き取ってくれてもいいだろう!」と ─── それは僕がバンコクでバンコク発音のタイ語を話す時にイライラした感覚そのものなのだ。

・・・
 
僕は、かつて日本から出る前、周囲の人間から、理由が不明な敵意を感じることが多かった。その敵意がやってくる場所は、ジャズで一緒に演奏している仲間だったり、人材派遣会社の担当だったり、会社での同僚だったり、仕事上のお客さんだったり、職場にちょくちょくくる保険の外交員だったりした。

何故僕は『理由なく』敵意を受けるのか。その理由は恐らく、僕の訛り耐性の低さだ。僕は、地方から上京するということがどういうことなのか、全く判っていなかった。

僕は、2005年に日本を出た。それから12年。主に日本外で過ごしてきた。だが僕は日本を出たことがないという以上に、東京から出たことがなかった。

・・・

僕は生まれてから、東京で過ごす中で、何度も痛い目にあうことによって、気付かぬうちに『東京で暮らす』というスキルを身に着けてきたのだ。東京には、目には見えない東京のルールというものが存在する。 東京のルールについて理不尽な思いをすることは日常だったし、反抗もしたし、服従もしてきた。

今でも東京のルールは、よくわからない。みんなが思い思いに勝手に「これが東京のルールだ」と思っているルールが、あるにはあるが、それは人によってまったく違う。どこに中央があるのか、まったくわからない。「東京のルール」は、東京の人と人の空間を、宙に浮いて、ふわふわと漂っている ─── 「東京のルール」は、時には厳しく、時には緩く、時には理路整然としており、時には理不尽 ─── そんな気まぐれな「東京のルール」。


僕は、そういう複雑な「東京のルール」と付き合うコツの様なものを、生活のなかで無意識のうちに体得してきたのだ。だがそれはまるで、空気のようで、目には見えず、そこにあることも意識できなかった。

この「東京のルール」を後天的に身に付けるのは、恐らく非常に難しい。 大抵の人は、その理不尽さにまったくついてゆけず、発狂して帰郷する。発狂しなかった者は、とりあえず「東京のルール」をわかったふりだけして、その場をやり過ごす。

東京のルールは、非常に難しい。僕は、世界中数カ国に住んだが、東京のルールが一番むずかしい。東京に住んで、東京をよく知っているが、どうやったら東京のルールを守れるのか、未だによくわからない。 どうやっても「ルールを守れ!」と怒る人は現れる。手を上げれば「手を上げるな」と怒る人がいる。手を下げれば「手を下げるな」と怒る人がいる。

バンコクも場末に入っていくと、色々なうるさい暗黙の了解がたくさん存在する。だがこれも、割にはっきりとした行動様式が定まっていることによって、ルールを守るのは決して難しくない。だが東京のルールは、ふわふわと煙の様に形が変わっていく。どうやったら守れるのか自体が不明という変なルールだ。

また、みんな守っているようで、案外と守っていないというのも「東京のルール」 の不思議な一面。

・・・

東京に住むというだけで、超えることを要求される最低ラインがたくさんある ─── 圧倒的に複雑になる人間関係。多様な人を受け入れる寛容性。全く気楽でない人付き合い。孤立することが許されない社会的義務。たゆまぬ向上心。最低努力量。これらの前提条件をクリアできない時に受けるペナルティーも、貧困や困窮など、洒落にならないものばかり。

僕自身も、東京外から上京する人に対する理解がない…ということ自体が、東京に住む上での致命傷になっていたのだ  ─── 東京をよく知りつつ、東京外のこともよく知る。クリアが難しい条件だったが、これもまた東京に住む条件のひとつだったということだろう。