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2016年1月11日月曜日

気高さ (oka01-szffxagxriuyxzul)

タイのネット界隈で見つけたマンガ。このマンガの意味は深い。それは恐らく、タイに興味がない人にとっても興味深いものがあると思う。


簡単な、抄訳をつけてみた。

1.彼と出会ってからというもの
2.辛い日はいつも一緒に居てくれる
3.いつも私の為に何でもしてくれる
4.私の家族にも優しくしてくれる


5.私は彼を選ぶことにしました。私の人生の伴侶として。

6.(スーツを着た街風の人たちがそれを見ている)

「おや? あんな美人を、あんなドキュソでもいけちゃうわけ?」
「あんなドキュソでもいけるなら、オレでも行けるだろ?!」

オリジナルソース


この投稿のコメント欄にこういう発言があった。


「きちんと収入があって生活できる女性なら、男なんてただ単に『良い人』であれば充分だわ。」




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この画中のカップルは、農村部出身のタイ人(多くはタイ東北=イサーン地方出身)を隠喩している。そして、最後に出てくるネクタイの人らは、暗黙のうちに都心のタイ人を指している。

だが、この絵に描かれた情景は、僕がタイでしばしば見掛けるある2つの情景の、その激しい落差を見て感じる、筆舌に尽くしがたい激しい不条理感と完全に一致する。

その2つとは、タイで僕が、イサーン語と呼ばれているタイ語の方言(≒ラオ語)を学んだことによって偶然に目の当たりにした素朴さや純情さと、そして、そんな美しい心象を感じる感受性を欠片も持たない、野蛮な在タイ日本人のタイ人に対する謙虚さの欠片もない傲慢さ… その2つだ。

この絵で描かれている、都心のタイ人が持っている典型的な『錯覚』は、タイ在住の日本人にも充分当てはまる。

 ─── 否、現実世界の在タイ日本人の『錯覚』は、バンコク人の『錯覚』よりもはるかに激しい。

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タイ男の女に対する真摯さは、特筆に値する。惚れた女の為には、寝たきりでボケてゲロを吐いている両親の面倒を見ることすら厭わない。

そもそもタイは女性が強い。女性が働いており、男性よりも収入が良いことなど普通であり、女が男を養うことも厭わない。女性が男性に求めるものは、最初から、経済力よりも人間性である場合が多い。

そういう中で、男性が経済力を使って、女性の気持ちを動かすということは、最初から不可能だと言える。

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逆もまた然りである。タイ男の女を見る目は、極めて厳しい。

・この女に、ゲロを吐く寝たきり老人の両親の面倒を見る程の価値があるか。
・美貌や経済力は当然のこと、その女の人間性はどうか。

タイ男は、常に周囲の女の中身を吟味している。

「いくら金を持っていようが、この性格の悪さだけは勘弁願いたい。」

そういう女は、誰も相手にしない。

逆に言うと、人間性の高い女であれば、ゲロを吐く寝たきり老人が居ようが、男は苦もなく笑顔で面倒を見る。人間性の高い女の元に、良い男は近づいてくる ─── 確実に。

タイ男は、女の本質を見定めている。

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それがお金で解決できる問題なら、話は簡単だ。お金を払えば良い。本当に問題となるのは、お金で解決できない問題ではないか。

優しさや絆や愛情は、お金で買うことなど出来ない。

仕事の為に、親や家族との愛や絆を捨ててきた人は、家族愛や絆を、お金で売ってしまったのだと言える。人は、家族愛や絆を失い、深い喪失感と直面した瞬間、初めて家族愛や絆をお金で買い戻すことが不可能だということに気付く。

ひょっとしたらお金は、その人が家族愛や絆を取り戻すチャンスを与えてくれるかも知れない。だがそれを取り戻すことができるのは、飽くまでも、お金ではない。その人の「行い」だけだ。行いの悪い人間は、お金を使ってすら、何も手に入れる事が出来ない。



更新記録:
・関連記事表示の自動化を行った。

著者オカアツシについて


小学生の頃からプログラミングが趣味。都内でジャズギタリストからプログラマに転身。プログラマをやめて、ラオス国境周辺で語学武者修行。12年に渡る辺境での放浪生活から生還し、都内でジャズギタリストとしてリベンジ中 ─── そういう僕が気付いた『言語と音楽』の不思議な関係についてご紹介します。

特技は、即興演奏・作曲家・エッセイスト・言語研究者・コンピュータープログラマ・話せる言語・ラオ語・タイ語(東北イサーン方言)・中国語・英語/使えるシステム/PostgreSQL 15 / React.js / Node.js 等々




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